フェブラリーステークスが終わった後、しっかりとライブも見届けてから、3人でレース場を後にする。
すっかり夜の帳も降りた時間だが、このまま直帰すれば門限には問題なく間に合うだろう。
「トレーナーさん」
レース場からの道を歩く俺の耳に、一歩半先を歩いているスマートファルコンから、振り返らずに言葉がかけられた。
「…今日はありがとう、トレーナーさん。レース観戦に誘ってくれて」
「ああ。……どうだった?」
「すごかった。…私、ダートのこと、知らなかった……知らないまま、どこかで芝のほうがいいんだって、勘違いしてたなって…」
ぽつり、ぽつりと零すようにスマートファルコンが今日の感想を零していく。
しかし、こちらに振り返ることはない。
エイシンフラッシュも、スマートファルコンの独白を静かに聞いている。
「…ファル子、ダートを走るよ。ダートのレースでキラキラ輝けるウマドルになりたい」
「……そう、か」
俺が今日、スマートファルコンに伝えたかったことはどうやらしっかりと伝わったらしい。
…だが、それにしては彼女の声色が…そう、新しい輝きを見つけた時のそれではない。
まるで、納得しきれない何かを抱えたままのようだった。
「芝のレースにも出たかったのは、本当だけど…そっちは諦める。私は、私が輝けるレースに出る」
「……ファルコン?」
「それでね、トレーナーさん────────」
俺を呼んでから、その先の言葉を紡ぐことなく……長い沈黙。
足を止めたスマートファルコンに、俺もフラッシュも併せて足を止めた。
そして、振り返るスマートファルコンの表情は、
「────これ以上、思わせぶりはやめて?」
今にも泣きそうな笑顔だった。
「っ、ファルコン、何を…」
「私ね、うれしかった。河川敷で歌っていたところに、トレーナーさんが声をかけに来てくれて。私のレースも見てくれていて、私のこと、気にかけてくれてた。うれしかったんだ」
「ファルコン?どうし…」
「うれしかったんだよ?子猫ちゃんを見つけたから、その日のお話は終わっちゃったけど…この人なら、私のこと、選んでくれるのかなって。私のことを、キラキラ輝かせてくれるトレーナーさんなのかなって。結構ときめいてたんだ。バカだよね。……だって」
「…っ」
スマートファルコンが、俺の後ろに立つエイシンフラッシュを見る。
エイシンフラッシュが息を呑むのが雰囲気で伝わった。
「──────トレーナーさんは、フラッシュさんの担当になるんでしょ?」
「っ、ファルコンさん!私はまだ、契約をしたわけでは…」
「ごまかさなくてもいいよ?フラッシュさん、選抜レースの前まで…かなり調子を落としてたよね。不器用だったから、私もかなり心配してたんだよ?けど、第一回の選抜レースの後、すっごく変わったの。知ってた?トレーナーさん」
「ふ、ファルコンさん!私は…!」
「フラッシュさん、トレーナーさんから教えてもらったスケジュールをね、部屋の中でずっと見てるの。楽しそうに…調子もとっても良くなって。私もそれを見て、いいトレーナーさんに巡り合えたのかな?って喜んでたんだ」
「…ファルコン」
「バカだよねぇ。私もフラッシュさんと同じトレーナーさんに…期待、しちゃうなんて。…あ、でも安心して?二人のことは応援するから。けれど……もう、見込んだ子がいることは、教えてほしかった、かな?ファル子、ちょっとショック~…」
言葉の上では。
言葉の上では、おどけたようにしているスマートファルコンだが、その瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうになっている。
その様子を見て…しかし、エイシンフラッシュは口を閉ざした。
彼女もまた、自分という存在に期待をしているのだろう。
期待をして、くれていたのだろう。
だからこそ、言えない。
同室の親友とはいえ、
「…………スマートファルコン」
「…なにかな?」
そんな、そんな気持ちをスマートファルコンにさせてしまっていたことを、俺はひどく後悔した。
言葉足らずだった。あまりにも言葉足らずで……彼女たちに、勘違いをさせてしまっていたのだ。
その結果が、今にも涙を零しそうな、スマートファルコンの瞳だ。
彼女の瞳は、そんな理由で濡れてはいけない。あの瞳は、ファンを魅了し…キラキラした舞台で輝く瞳なのだ。
だから俺は、ここに来るまでに、いや今日に至るまでに考えていたことを、二人に伝えることにした。
「1つ。……いや、2つだけ、訂正させてほしい」
「………」
「………」
すぅ、と。一息吸って、自分の意思を言葉に乗せる。
その表情を見て、スマートファルコンは…いや、エイシンフラッシュもまた、息を呑む。
このトレーナーが、本気で、真剣な言葉を口にするときの顔。
ひどく、熱い。
「…俺は確かに、フラッシュが俺を選んでくれれば…担当になろうとは思っていた」
「…だ、よね?」
「トレーナーさん…」
それは事実。嘘のつけない事実。
だが、この事実はまだ続きがある。
「だけどさ……ファルコン、君にも
「……え?」
「…どういうことです?」
「
「「────────────」」
絶句する二人。
それはそうだろう。新人の、まだ担当を持ったことすらないトレーナーが、担当のウマ娘を二人持ちたい、というのだから。
「で、でもっ!トレーナーさん、まだ新人なんでしょ!?新人のトレーナーが二人以上のウマ娘を担当するなんて聞いたことが…」
「慣例では1人のウマ娘を担当にするようにはなっているが…規則には明記されていない。もちろん、あとで理事長や会長から何か言われるだろうが、知ったことじゃない。結果で黙らせる」
「…トレーナーさん、それは……」
スマートファルコンの問いに答えた俺に、エイシンフラッシュが俺の言いたいことを察して言葉を重ねる。
「あなたの指導を受ければ、私たちは勝てる…と。そう考えておられるのですか?」
「そうだ。もっと言うなら、君たちならクラシック3冠も、すべてのダートGⅠ制覇も狙えるだろう。ああ、それだけの輝きを、キラキラを、俺は君たちの走りに見い出した」
「!!」
「ッ…!」
そう、俺は知っている。
そして、君たちの、
この二人は、勝てる。
「だから、それが1つ目の訂正だ。ファルコン、確かに俺はフラッシュに期待をかけているが…君にも、同じくらい期待をかけていることを、知ってほしかった」
「……と、レーナー、さん……」
その言葉で、スマートファルコンの涙腺が決壊したかのように、ぽろり、ぽろり、と涙がこぼれ始める。
くしゃりとゆがんだ瞳に、しかし口元は微笑みを作ろうとして、うまくいかないようだった。
「ああ、だからそんな寂しいこと言わないでくれ…勘違いさせたのは本当に悪かった。俺が、しっかり伝えておけばよかったな。どうにも俺は、ウマ娘と話すときに言葉足らずで気障ったらしくなるんだよ。悪い癖だな」
「…どれ゛ーな゛ーざぁん…!!それならもっと早くいってよぉぉ……!!あんな、私、ひどいこと言っちゃってぇぇぇ…!!」
「すまない、本当に。だから泣き止んでくれ。……フラッシュも、そもそもスカウトの話もだが、何も相談しなくて…悪かった」
「
先ほどライブを見ていた時よりも感情をあらわにして、零れだした涙が止まらないファルコンに、しっかりと心から謝る。
その涙をハンカチで拭ってやりながらも、フラッシュもまた、笑顔を浮かべていた。
ここまでで、今日の…レース場に来るまでの固い雰囲気に納得がいった。
二人の間に生まれていた微妙な距離感は、俺という存在がどちらを担当するか、という問題だったのだ。
もっと早く察してあげていれば、スマートファルコンに厳しい言葉を使わせることもなく、こんなに泣かせることもなかった。
すまなかったな、と彼女の頭を優しく撫でると、こくりとうなづいてくれた。後で何かしら埋め合わせは考えよう。
そして、もう一つ。スマートファルコンに伝えることがある。
撫でる頭をそのままに、俺は言葉を続ける。
「そして、もう一つ。……スマートファルコン。君は、
「……ふぇ?ど、どういうこと…?」
「俺は…
「…え?ええ?」
「もちろん、君はダートのほうが速く走れるだろう。基本的にはダート路線がいいと思う。だけど、芝のレースに出走したくなる時だってあるだろ?その時は、必ず俺が、レースを勝ち負けできるまで仕上げ切ってみせるよ。必勝は約束できないが…後悔のない走りができるようには、必ず。その知識を俺は持ってる」
「…ほ、本当に?私、芝も走れるの?」
「俺はウマ娘に嘘はつかないのが信条なんだ。仕上げる時間は相応に必要だけど……大丈夫、走れるよ」
「………っ~~~!!」
今度こそスマートファルコンの涙腺が決壊した。
エイシンフラッシュが涙をぬぐうハンカチがさらなる水気を帯びてしまった。
おかしい…俺は慰める意味でそのことを伝えたはずなのだが…。
「…トレーナーさん。ファルコンさんが芝も走れるように、指導できるというのは嘘ではないですね?」
「ああ。嘘はつかないって言っただろう。
学生時代というのは嘘ではない、方便だ。だから許してほしい。
…実際には俺の学生時代の記憶など遥か彼方で、何してたかも覚えていない。そんな昔の記憶はもう擦り切れてしまった。
今の俺という存在は、
だが、俺がいくつもの3年間をループし続け…直近の、季節外れの桜を有マ記念で咲かせるために繰り返し続けた時期に、芝を走らせる関係の知識の論文はすべて読み漁った。それこそ暗記するほどに。
正直な話、俺が指導するならば、スマートファルコンを芝のレースで勝たせることはそう難しいことではない。
長距離の苦手を克服することもなく、もともと5着…掲示板には乗れる程度には走れるのだ。
マイル~中距離の芝のレースであれば、半年から1年程度仕込めば、スマートファルコンも立派に走り抜けられるようになるだろう。
「だから、あとは選ぶのは君たちだ。再来週の最後の選抜レース…そこでの走りで、俺に応えを示してくれ」
そう、俺の想いは伝えた。二人とも担当する覚悟はあることを。
あとは、選ぶのは彼女たちだ。担当の契約とは、ウマ娘とトレーナー、双方の合意が必要となる。
俺は、この場の流れで二人にこの後の3年間の運命を決める決定をさせたくなかった。
よく考えて、その上で……彼女たちが選択した答えを聞きたかった。
「君たちの人生において、担当のトレーナーを選ぶということは…とても重要な選択になる。俺を選んでくれるのなら大変に光栄だが、よく考える時間もまた大切だ。それに、選抜レースにもしっかりと臨んでほしいからな」
「……そう、ですね。私も、トレーナーさんから頂いたスケジュールの、想いの生んだ結果を…レースで、貴方に見せたい」
「…ぐす、うん…わかるよ。私が、何を選択するのか…それを、トレーナーさんは見たいんだよね?」
二人とも俺の意図を読み取ってくれて、しっかりとうなづいてくれた。
「そういうことだ。…ウマ娘なんだ。走りで語って見せなくちゃな。楽しみにしてるよ」
二人とも、俺の言葉には笑顔で答えてくれた。
────────────────
────────────────
落ち着いてから、改めて帰り道を歩く。
来る時とは違い、お互いにわだかまりも解けた今、いろんな話題が振られては二転三転し、ずいぶんと騒がしくなった。
二人とも現役のJK、しかもGⅠレース観戦の帰りである。こういう雰囲気になるのがあるべき姿なのだろう。
「あ、そーいえばトレーナーさん。子猫ちゃん、あの後どうなったの?」
「ああ…まだ動物病院に入院してるけど、ずいぶんと元気も戻って、もう引き取りに来ても大丈夫だってさ。明日引き取りに行く予定。飼うための道具とかエサも整え済み」
「ホント!?よかったー!あの後どうなったか心配してたんだー!」
「以前、ファルコンさんが見つけた猫さんですね?無事だったようでなによりです」
そして話は先日の子猫の話になった。
明日には引き取りに行く予定になっている。これまでのループの中でも猫を飼うのは初めてだ。とても楽しみにしている自分がいる。
なるべく手間のかからないおとなしい子であればいいのだが。
「可愛かったからなぁ…ふふ、見に行くの楽しみ。ね、ところでトレーナーさん?」
「ん、なに?」
「子猫ちゃんの名前ってもう決めてあるの?」
「む。名前……名前か。いや、まだ何にも決めてない。そうか名前か…」
名前。スマートファルコンにそう聞かれて、そういえば名前を決めてなかったことに気づいた。
猫の名前…名前か……河川敷で拾った三毛猫…ミケ?いやありきたりすぎるだろ。
少し頭をひねったが全く思いつかない。
せっかくなので、俺は二人に意見を聞いてみることにした。
「……いい名前が思いつかないから、君たちで決めてくれないか?」
「え?私たちで?うーん、そーだな…」
「オニャンコポン」
エイシンフラッシュのカットインが入った。
「え?」
「なんて?」
「オニャンコポンです」
!鋼の意志!
「…なんて?」
「なんで?」
「オニャンコポン。……いい名前ではありませんか?」
唐突にフラッシュが掛かりだした。レースなら致命傷なんだが?
…オニャンコポン。それが彼女の一推しの名前らしい。
…なんで?
「その、フラッシュ。あー…オニャンコポン?って名前、か?どこからそんな名前に?」
「響きが可愛くないですか?」
「え、フラッシュさん、もしかして猫ちゃんの名前ずっと考えてた…?」
「はい、実はそうなんです。猫、と聞いて…急に脳裏にひらめいたこの名前、チャンスがあれば
そういって、フラッシュがウマホを操作してオニャンコポンで検索する。
すると、漫画の一コマや古いアニメの一コマなどが紹介される他に、ちゃんと内容のある記事が出てきた。
「偉大なる者、の意味…西アフリカの神様の名前らしいですね。ただ、響きが可愛いので印象深く覚えていたんです」
「…ほー。そんな名前の神様がいるんだな、知らなかった。オニャンコポンか……」
「オニャンコポン、オニャンコポン……うん、なんだか結構可愛い響きに感じてきたかも?」
偉大なる者、なんて立派な意味があれば、言葉の響きも変わって聞こえてくるらしい。
オニャンコポン、と何度も連呼しながら、ファルコンが
「うん…ファル子もオニャンコポンがいいと思うな☆」
「そうか………そうかぁ。二人がそう言うならそうするかぁ……!」
翌日。
動物病院に引き取りに行った際に、子猫の名前を聞かれて「オニャンコポンです」と伝えた時の獣医さんの顔はたぶん今後数ループは忘れないだろう。
キャリーケースに入って、ニャー、と小さく鳴く子猫は、果たして自分の名前に納得しきっているのだろうか。
……まぁいいか!!よろしくなぁ!!!!