「よーし!みんな柔軟はできたな!それじゃあ遠泳トレーニングを始めるぞ!」
俺はパーカーに水着という装いで、砂浜に集まったウマ娘達に声をかけた。
夏合宿も3週目。2週目の途中でジャパンダートダービーがあり、そこで若干の事件もあったが、そこを愛バ達に救われた俺は、そのお返しに前以上に気合を入れてトレーニングの指導にあたっていた。
すでにあの時の悩みについてはすっきりと俺の中で消化できている。俺のいるこの世界線で、俺は3人の運命のウマ娘達を強くして、そして彼女たちと共に歩んでいく。それでいい。
ウララについては、初咲さんと共に進んでいく彼女を応援して、しかしライバルとして同じレースに出るときにはファルコンが負けないように真剣勝負をしたい。この世界の彼女とも雌雄を決したい。
それでいいんだ。
俺の知らない彼女の姿を見て一度は狼狽してしまったが、しかしよく考えればこれまでの世界線でも同じようなことはいくらでも起きている。
ただ、ここ最近の世界線ではウララと共に過ごす時間が長すぎて、自分も混乱してしまったのだ。そこを、愛バ達に掬ってもらった。
やはり3人とも最高のウマ娘だ。こんなに情けない俺を信頼して、信じてくれているのだから。
しばらくは彼女たちに頭が上がらないだろう。
さて、そうして3週目から始まるトレーニングはスタミナの強化を目的とした遠泳トレーニングだ。
自分の他に二人のトレーナーが監督としてついてくれて、複数人のウマ娘を指導し、2km先の小島まで往復の遠泳を午前、午後と行い、体全体を水泳による全身運動でほぐしつつ、持続力の強化を目論むもの。
そうして集まったウマ娘だが、トレーナー3人がつく練習ということもあり、それなりの人数となっていた。
「腰のポーチが外れないか、最終確認をしてください。足がつったり溺れた時には、まずポーチを浮袋としてその場で声を上げるように。また、他の子が厳しそうな様子だったら周りの子が声を上げてください」
「は~い。もし溺れてしまったら助けに行きますからね。ふふ、がんばりますよぉ~」
俺の隣でウマ娘達に指示を出すのは、奈瀬先輩だ。
奈瀬文乃トレーナー。若き天才トレーナーと称され、その評判通り彼女のチームのウマ娘達は結果を叩き出している。
そして奈瀬先輩のチーム所属のサブトレーナー資格を持つウマ娘として、今はドリームリーグで活躍する、かつての菊花賞ウマ娘であるスーパークリークが、やる気をみなぎらせて彼女に返事を返した。
スタミナの訓練において、クリークは絶対に欠かせない。
彼女の母性は、体力を消耗する練習の中で大いに輝き、そうしてともに練習するウマ娘達の練習効果を引き上げる。
今回、夏合宿でスタミナのトレーニングをするにあたりまず一番に声をかけさせていただいた。
奈瀬先輩にも改めて頼み込み、こうして監督についてもらったわけだ。
そしてもう一組、彼女たちと同世代のレジェンドウマ娘とトレーナーに声をかけていた。
「体調が悪かったら今のうちに必ず言ってね!普通のトレーニング以上に体力を使うから、体調不良でやったら危険だからね!自分の体調を把握できるのも強いウマ娘の条件ですし、言いだすのは恥ずかしい事じゃないからね!」
「なんや、いつになく心配するやんかコミちゃん。つっても確かにしんどいからな、みんな無理はあかんでー」
小宮山先輩と、その担当ウマ娘であるタマモクロス。
奈瀬先輩と同期のトレーナーである彼女は仲もよく、同じようにタマとクリークもとても仲良しの二人のため、お願いするにはちょうどいいと俺から声をかけさせていただいている。
もちろんタマもスタミナ特訓については一家言を持っている。なにせこの小さな体で天皇賞春すら勝ち抜く白い稲妻だ。サブトレーナー資格を所有しており、世話焼きでもある彼女は、複数人でのトレーニングでそのオカン力が遺憾なく発揮される。
ただしママみはクリークに一歩及ばない、というかクリークが時々母性が暴走してタマを赤ちゃんにしたがる事件はこれまでの世界線で何度も起きており、もしそういう現場に俺が遭遇したときにはタマを助けるために俺がちょっと赤ちゃんになって代わりに犠牲になるケースが多い。
誰かが犠牲にならないまま彼女の母性が爆発すると、トレセン学園をぱかぱか幼稚園に生まれ変わらせようとする魔王が降臨してしまうのだ。俺は犠牲になったのだ…クリークの犠牲にな…。
しかしこの世界線では奈瀬先輩がいる。もしクリークの母性が暴走しても、彼女が犠牲になってくれるだろう。頼みましたよ奈瀬先輩。
「立華トレーナー。僕のことを妙に邪な目で見ていませんか?」
「ちょっと?立華君?ダメだよーそういう目で先輩を見ちゃー!」
「誤解です…。…二人はよくお似合いだとは思ってますけどね」
俺は奈瀬先輩に向けた信頼の目線を勘違いされ、肩に乗っていたオニャンコポンで二人の攻めをガードする。
二人も、もちろんこの後俺と共に水上バイクに乗ってウマ娘達を監督することになるので、パーカーの下は水着となっている。
二人とも大人の魅力の詰まった綺麗な水着を着ており、目の前に生徒がいなければそれを賞賛する言葉でもかけたい所なのだが今はトレーナーとしての業務中である。軽く触れる程度の評価に留めた。
しかし、なぜか夏だというのに涼やかな風が俺の愛バたちがいる方向から吹いてくるような気もするな?
気のせいだろう。海が近いしな。涼しい風だって吹くさ。
「話を戻すけど、小宮山トレーナーの言う通りだ。遠泳は危険もあるから、十分に体調と相談して参加するように。午前と午後、どちらか一回だけだっていいんだ」
俺は他に練習に参加するウマ娘達に、改めての確認を取る。
そこにはもちろん、我がチームフェリスの3人が揃っているほか、他のチームから参加しているウマ娘も多かった。
「おー!まっかせろー!!昨日の夜に焼いたイモリを食ってるからよ!ゴルシちゃん元気いっぱいだぜぇー!!」
まずゴールドシップ。正直このウマ娘については心配不要だ。いつでも元気がみなぎっているし、むしろ海の上を走りださないか注意する必要がある。
「昨晩食べたあれイモリでしたの!?変な食感だとは思いましたが!騙しましたねゴールドシップさん!?」
その隣にいるのはマックイーンだ。今はシニアを走る彼女は、かつて繋靭帯炎を発症し再起は絶望と言われていた時期があったが、沖野先輩が魂を込めたリハビリによって回復。半年に一度程度のペースでレースに出走している。
彼女についてもスタミナ面は不要だろう。食べ過ぎている場合は気にかける必要があるが、彼女の水着を纏った体を観察する限り、今はベストな体調のようだ。
「あっはっはー、夏バテは怖いよねぇ~。セイちゃんも午前中やってみて、午後は休みましょうかねぇ」
そうしていつもの昼行燈な様子を見せるのがセイウンスカイだ。
彼女もまたスタミナに優れたウマ娘だ。なにせ菊花賞を当時の世界レコードで駆け抜けるほどの優れた体力の持ち主。
これまでもファルコンの併走などで一緒に練習しており、今回もぜひどうかと俺から声をかけさせていただいている。
乗り気でついてきてくれたのは嬉しいんだが、午後から釣りするつもりなのは丸わかりなので、彼女のトレーナーからは「釣りしそうだったら止めてくれ」と指示を受けているのは秘密だ。
スーパークリーク、タマモクロス、ゴールドシップ、メジロマックイーン、セイウンスカイ。
数えると菊花賞ウマ娘が4人、天皇賞春ウマ娘も4人。
凄まじいメンバーだ。これほどスタミナトレーニングに適切なウマ娘はいないだろう。
あと芦毛率高いな?
「私は菊花賞に臨みますから、スタミナの成長は急務です。がんばります!」
「ファル子も2400mを走り切る力をつけたいから頑張ろー☆でも、無茶は禁物、だよね!」
「あたしもファル子ちゃんに同じなの。2400mのレースだと、最後まで走り切るのしんどいから…もう少しはスタミナつけないと」
愛バたち三人も、それぞれやる気に満ち溢れた表情を見せてくれている。
特にフラッシュはこの夏合宿で菊花賞を走り切るスタミナをつけさせたいところだ。無理はしてほしくないが、出来れば午前も午後も頑張ってもらい、更なる成長を求めたい。
「よし。それじゃ5分後にスタートするぞ!奈瀬先輩と小宮山先輩はバイクの準備をお願いします」
「了解です。……彼がてきぱき進めてくれるので助かりますね、小宮山トレーナー」
「ねー。やっぱ大人数だと男が一人でもいるとウマ娘達も気が緩みすぎないから助かるわー」
俺は先輩二人にお願いしてバイクを準備してもらい、そうしてウマ娘達に最後の遊泳前の確認をとりながら準備を進めた。
男一人に女10人の比率。しかしこれはウマ娘のトレーナーをしていれば珍しくない光景だ。
ちらりと小宮山先輩の話が耳に入ってしまったが、女性トレーナーとウマ娘だけで大人数、しかも夏合宿での練習となるとテンションが上がって気が緩むウマ娘が出てくることもある。そういう意味でも男トレーナーという存在は必要なんだろうなと思う。
そうして、午前と午後の二回に分けて遠泳を実施し、彼女たちのスタミナの更なる強化に努めるのだった。
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「だー!!疲れたぜぇー!!」
「海ですと波もありますからね…プールで泳ぐ時とはまた別の筋肉を使っている感じですわ…」
「ふふ、でもみんな溺れることなく無事に泳ぎ切れて何よりです~」
「流石にこんだけ動けばウチも腹減ってきたわ。夜飯が楽しみやなー」
「………」
「セイウンスカイさん?横になって動いてませんが、大丈夫ですか?」
「あー、セイちゃんは大丈夫だよフラッシュさん。釣りが出来なくてしょんぼりしてるだけだから…」
「ウチのトレーナーに釣り道具を没収されたときの表情が忘れられないの…」
午後の遠泳を終えて、随分と疲れた様子のウマ娘達が浜辺で休んでいる光景を俺は眺めていた。
水泳とは文字通り全身運動だ。小食のタマでさえ空腹を覚えるほどの運動。脚だけではない、体全体の筋肉を酷使しながら、しかも肺機能まで強化される。
速く走るための脚を作る練習ではなく、体そのものを強くする手段として、最高の練習となる。
俺はそれぞれに水分補給と塩分補給を指示しつつ、まず愛バたちに近づいて声をかける。
「お疲れさん。無事、やり切ったな。今日はたぶんすぐ眠くなるだろうから、よく休むんだぞ」
「はい。そうですね、夕食を食べてお風呂に入ったら、今夜は勉強する余裕はなさそうです。スケジュールも早期の就寝とする予定です」
「……☆」
「ラッキー、って顔しないのファル子ちゃん」
「ははは。眠い中で勉強しても効率悪いしな。…ああ、一応体に異常がないか診させてもらっていいか?」
そうして、俺は普段の練習と同様に彼女たちの体を診察する。
水泳は怪我のリスクが低い練習ではあるが、今日ほど長時間水泳した場合、本人も気づかない部分の筋肉にダメージが残っていたり、海水で冷やしただけで気づいていない炎症が起きている可能性も否定できない。
また、気づかずに海水を呑んでしまったりすることも怖い。肺に海水が入ってしまうと、その量によっては命の危機すらありえるのだ。
そのため、全身の筋肉の触診と、呼吸音に異音がないかを確かめる必要があった。
「…ええ、いえ。もちろん、構わないのですが…」
「……みんな、見てるよ?…ファル子はいいけど…」
「…いや、でも見られながらっていうのも…?」
ものすごい小声で何事かを呟いたのは聞き取れなかったが、しかし3人ともこくりと頷いてくれたのでOKと捉えて俺は彼女たちの体を触診する。
水着となっているため普段よりもむしろ触診がしやすくこちらとしては助かるところだ。
砂浜に横になってもらうのは申し訳ないが、俺は一人ずつ筋肉の異常がないか、あと持ってきた聴診器で呼吸音がおかしくないかを確かめていった。
「………いや、流石だな猫トレ…やってることは真面目なんだけどよぉ…」
「主治医の技術と比べても遜色のない診察ではありますが…しかし…あそこまで…?」
「あら~…あらあらあら~…♪」
「よう見とれんわ…」
「セイちゃんちょっと目をそらしますね……」
「…小宮山トレーナー。僕たちもああしてウマ娘達の診察をするべきだと思います?」
「技術だけは後で教えてもらいたいよね。時と場合はともかくとして。いや確かに今が一番いいタイミングなんだけど」
なんだ。診察をしているとなぜか他の7人から奇妙な目で見られ始めたぞ。いやセイウンスカイが目を逸らしたから6人だけど。
俺はただ真剣に自分の愛バ達の体を心配しているだけで……あ、そうか。
同じ練習をしたのに、3人だけ気に掛けるというのはよくないな。そりゃそんな目でも見られる。
俺は自分の思慮の浅はかさを反省しつつ、言葉を紡いだ。
「ああ、自分のチームの子だけってのは駄目だよな。よければみんなの体も診ようか?」
アイネスフウジンの診察を終えて、そうしてみんなに聴診器を見せてそう話した。
この練習は合同のトレーニングだが、3人だけ特別扱いってのは確かに良くない。
俺はどんなウマ娘でも、練習の上では平等に見てあげたいと思っている。
しかし俺がその言葉を放った直後、なぜかファルコンが震脚を繰り出して砂浜に大穴を開けた。
どうした急に。
そしてフラッシュが有無を言わさずに俺の体を持ち上げて穴にぶちこんだ。
どうした急に。
最後にアイネスが穴に入れられた俺に丁寧に砂をかけ、首だけを砂浜から出した俺が完成した。
どうした急に。
「…さて。トレーナーさんに触診されたい方いますか?」
ふるふる。
他のウマ娘達がみんな首を横に振った。
「うんうん☆それじゃあ今日の練習は終わりだね☆奈瀬トレーナー、終わりのあいさつお願いします☆」
奈瀬先輩がその圧に押されつつ、今日の練習終了の挨拶とその後ウマ娘にそれぞれケアするように的確な指示を出す。
流石だ。よくウマ娘のことを見ている。
「お疲れさまなの!!それじゃみんな、またね!マックちゃんとゴルシはお風呂一緒に入らない?」
そうしてアイネスが元気に挨拶をして、オニャンコポンを手に取って旅館に戻ろうとしていく。
今日の練習が無事に終わったことは喜ばしい。
しかし。
ううん。
俺、一ミリも動けないんだけど?
「なぁフラッシュ。ファルコン。アイネス。……なんで俺は埋められてるのかな?助けてくれないか?」
「やかましいですねこのウマたらし」
「はーなの」
「猛省して☆」
愛バ達に助けを求めたところ、しかし何度も聞いた事があるような言葉を残し、みんな俺を置いて旅館に戻っていってしまった。
最強の盾であるオニャンコポンも連れていかれてしまった今、俺は自力でここから脱出する必要があるらしい。
どうしてこんなことになったのかさっぱりわからない。
結局俺はこれまでの世界線で得た知識を駆使して一時間ほどかけて砂浜から脱出したのだった。