「よし、みんな柔軟は終わったな。それじゃあ今日は順番にタイヤ引きになります。極めて重いタイヤだから、ふざけると怪我する可能性もある。気を付けてやるんだぞ」
はい!と元気よく返事をするウマ娘達を前に、俺は超巨大タイヤの横で練習の指揮を執っていた。
夏合宿の最後の2週。今日は彼女たちの根性を鍛え上げるための、タイヤ引きのトレーニングを行っている。
この360トン搭載ダンプに使用されるラジアルタイヤを強靭なロープで引っ張るという、ウマ娘だからこそできるすさまじいトレーニングである。ちなみに重さは大体4.7トンだ。すんげぇ。
しかしこれは、夏合宿の砂浜だからこそ出来る訓練でもある。
トレセンにも同様のタイヤはあり、ダートの上で一本だけ実施する、ということもできるはできるのだが、コースへの負担がかなり大きく、何度もやっていると如何に補修が楽なダートとはいえ、砂の下の地面が抉られてぼろぼろになってしまう。
しかしこの海辺の砂浜であれば、砂をみんなで埋めてやれば何往復でもできるし、ダートよりもタイヤが砂に沈むので負担も大きくかけることが出来る。夏合宿ならではの根性トレーニングなのだ。
ちなみに、この練習を見た人から、重いものを引っ張るだけならタイヤじゃなくて車とかでもいいんじゃないかという意見を頂くことがある。
その意見はわからなくもない。というか実際に過去の世界線でシャカールやタキオンに指摘されて、バスを引っ張ったりする形で同様のトレーニングをやったことがある。
ちなみにその結果としては、なぜかタイヤ引きと比べてウマ娘達のやる気が全然乗らず、十分な効果を生むことが出来なかった。
タイヤ引きはロマンであり、必要な練習なのだ。異論は認めん。
「では、一番手、参ります。…立華トレーナー考案のこのロープの巻き方は、腰への負担が減ってよいですね」
「イクノ、がんばれー!次は私も頑張るぞー、えい、えい、むん!」
「イクノさん、怪我はしないように気を付けてくださいね。タンホイザさんも」
まず最初にタイヤを引くイクノディクタスに俺はタイヤと体を繋ぐロープの巻き方を指導する。
一般的に腰に巻き付ける形のそれだが、このままだと腰への負担だけが大きくなり、脚や全身への負担が減ってしまうことを俺は学園で問題提起していた。
何度もループする中で、俺はより効率的にウマ娘の体に負担をかけ、かつ腰などへのダメージが減らせるロープの巻き方を開拓しており、技術としてトレーナー間で共有していた。
そうしてそんなイクノディクタスが引っ張るタイヤの上に乗って応援するのはマチカネタンホイザだ。次の引っ張る番は彼女であり、次の走者はタイヤの上に乗って後ろから応援する役目だ。また、もし引っ張っている子が調子が悪い時に声を上げる、監督役にもなってもらっている。
その二人を心配そうに眺めるのは、俺と同じく今回の練習で監督として同席していただいている南坂先輩だ。
この人がいると俺の安心感が凄い。万が一俺の手におえないようなトラブルが起きた時でも、南坂先輩なら何とかしてくれるだろう。何でもできるでしょこの人。
「よし…それじゃ、他の子たちは引きずったタイヤの跡をスコップで埋めるように。これも練習の内だからな、手を抜かない事」
「はい!!よーしグラスちゃん、けっぱるべ!どばーっと埋めちゃいましょう!」
「はい。うふふ、私たちの練習で砂浜を汚してはいけませんからね。頑張ります」
次に俺は、タイヤを引っ張っていないウマ娘達…俺の愛バ3人と、そのほかに練習に参加している二人、スペシャルウィークとグラスワンダーに声をかけて、スコップでタイヤの通った跡を砂で埋める作業に入ってもらった。
前述のイクノとマチタンもそうだが、この二人もまた根性のあるウマ娘である。負けん気も強い。
そのため、今回のようなタイヤ引きトレーニングや、うさぎ跳びと言ったウマ娘の根性を鍛え上げるトレーニングでは、ぜひ一緒に訓練したいウマ娘であった。
だからこそこうして声をかけさせていただいて、一緒に練習している。スペは沖野先輩、グラスは東条先輩に声をかけたところ、練習参加に快諾していただいていた。
勿論俺は先輩方にお礼をしたうえで、俺の方からも他のチームトレーナーの練習にフラッシュ達を派遣することもさせてもらっている。
フラッシュは併走トレーニングなどのスピードを主に鍛えるトレーニングへ。特に差しで走るウマ娘へ走行理論を教えるとともに、その末脚の切れ味を見せることで効率よくお互いに練習できる。
ファルコンは筋トレなどのパワートレーニングへの派遣だ。彼女の小さな体躯に秘められたパワーははっきり言えば他のウマ娘と一線を画す。この夏、蹴りで海を割ったときには流石の俺も絶句した。
アイネスは今日の練習のような、根性トレーニングをするときにばっちりだ。彼女の負けん気、競り合いの強さは他のウマ娘に良い影響を与える。本人もそういった練習が得意なようで、結構な割合でそういうトレーニングに顔を出していた。バイト戦士時代のアイネスを少し思いだす。
閑話休題。
「ふーっ…!ふーっ……!」
「頑張れ、フラッシュさん!あと50m!」
「いい感じなの!最後まで力を籠めて、姿勢を下げて!」
そんな才気あふれるウマ娘達に囲まれて、我らがチーム『フェリス』のウマ娘達はさらに効率よく、各種練習を積んだ。
そうして大きな問題もなく、その日の練習を終えられたのだった。
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俺は旅館の自室でタブレットに記録した自分の愛バ達の記録を眺めながら、夏合宿の最終日を迎えていた。
「……うん。いい伸びだ」
この約2か月弱という期間に、俺が彼女たちに出来る最高のトレーニングを積ませてやれたと思う。
スピード、スタミナ、パワー、根性、賢さ。
それぞれが、夏合宿に入る前とは段違いにレベルアップしている。今ならシニア級のトップウマ娘ともいい勝負が出来る…いや、勝ちきることだってできるだろう。
元々力があり、GⅠを制していた彼女たちが、より一回り大きく成長していた。
これならば、これからの秋のGⅠ戦線も期待できる。今までは直線を走るテクニックを重点的に磨いていたから、今後はコーナーの攻め方も教えたいところだ。
だが、幾つか懸念点があるのも事実。
まず、チーム『フェリス』以外のウマ娘達について。
彼女たちもまた、この夏合宿でかなり伸びている。特に一緒に練習したウマ娘や、同期のヴィクトールピスト、メジロライアン、サクラノササヤキとマイルイルネルなどは、ライバル心もあってか、相当に伸びていたように見えた。トモや体全体の発達が並のそれではない。
一緒に練習した各メンバーも、自分が見る限りでは元々強いウマ娘だったがさらに成長をしている。これからはシニア級のウマ娘達とも走ることが増えるだろう、その中でぶつかり合うときには誰が来ようとも覚悟をもって臨む必要がありそうだ。
そうして、もう一つ、これはまだ形にはなっていないが…今後、もしかすると、という僅かな懸念。
「…アイネス…
それは、アイネスフウジンの
彼女は日本ダービーでフラッシュに追い詰められた時に、確かに
だがその後、6月から何度か併走をした中でも、彼女は再度自分の
逆に、フラッシュは相当にコツをつかんだようで、出遅れや掛かりがなければほぼ安定して
アイネスだけが、今、
「…まぁ、
俺は彼女の成長曲線をアプリで眺めながら、そう零す。
かつて、六平トレーナーがそうこぼしていたように、不確かなものに頼って勝利を求めることほど愚かなことはないからだ。今は引退している六平トレーナーのその言葉は、
しかし、時代は変わった。
かつてはルドルフやマルゼン、オグリやその他一部の才能あふれるウマ娘のみが極限の状況で目覚める…ものだ、と言われていたそれだが、しかし今のウマ娘のレース界では、
クラシック期の秋以降、シニア級のレースでは、有力ウマ娘のほぼ全員が
GⅠレースでは、
だからこそ、俺達トレーナーもその不確かなものである
無論、何度も言うが、
アイネスはその能力だけを見れば間違いなく同世代では頭一つ抜け出ているし、ハイペースな展開を作れば
そもそも、前の世界線の話にはなるが、俺はあの有マ記念でウララを
だからこそ、今の時点ではアイネスの件はまだ慌てるような話ではない。
フラッシュやファルコンだって、同世代の中ではかなり早く領域に目覚めているウマ娘だ。
ライアンも先日覚醒したが、ヴィクトールピストやサクラノササヤキ、マイルイルネルはまだ領域に目覚めてはいないし、アイネスもまだ焦る段階ではない。
この先のレースを見て…それでも、彼女が
「……まぁ、これからだな。俺たちのチームは」
クラシックの上半期でGⅠ4勝、4着以下なし、レコード5回、その内世界レコード1つ。
どこに出しても胸を張れる、誇れる戦績だ。
しかしだからと言って、俺たちは慢心してはいけない。あくまで挑戦者として、全力でレースには挑んでいく。
フラッシュ風に言えば、誇りある戦いを。そして、誇りある勝利を。
気を抜くことなく、これからも彼女たちを指導していこう。
「合宿が終わって学園に戻ったら…まずは、これからのレースの予定を立てないとな」
俺は今後、学園に戻ってからのチーム練習の予定を簡単に組み上げて、3人にLANEで共有し、そうしてアプリを閉じた。
明日にはこの旅館を去り、そうして学園に戻る。
5日ほど体を休める期間として休日があり、それから9月、新学期が始まる。
9月の後半には学園のファン感謝祭があるが、うちのチームは今のところサイン会を開くくらいで、例えばリギルのやっている喫茶など、ああいった一日を取られるような催しはしない予定だ。純粋に人数が足りないし。
あとは彼女たちの出走するレースを決めたら、それに向けて練習して、脚の疲労を抜いて…相手の研究をして…やる事は尽きないが、それこそが俺の仕事である。頑張ろう。
「…寝るか。オニャンコポン、電気消すよ」
俺は大きく欠伸を一つついてから、部屋の電気を消す。
その言葉を受けてオニャンコポンが俺の枕元へやってきた。今日は一緒に寝たいらしい。
おっけ、と呟いて電気を消し、俺は布団にもぐって、旅館での最後の夜をオニャンコポンと共に過ごした。
いい、夏合宿だった。
愛バである彼女たちと、更なる絆を深められた。
また、俺の過去…ウララと共に駆けた永劫の時間、そこにあった未練に近い思いも、俺の中でしっかりと想い出に昇華することができた。
俺という存在が、これからも前に進んでいくことが出来るようになった。
だからこそ、俺は何度でも己に誓う。
俺は、俺を信じてくれた3人の為に、全てを懸けると。
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さて、そうして学園に戻ってきた俺に。
「立華さん。チーム『フェリス』にサブトレーナーがつくことになりました」
たづなさんが笑顔を浮かべて、爆弾発言をぶち込んできた。
えっ。
──────マジで?