【完結】閃光と隼と風神の駆ける夢   作:そとみち

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今回クッソ長い。実質二話構成です。


79 Nostalgic memory

 

 

 

『それじゃ、乾杯。勤務初日お疲れ様、SS』

 

『…乾杯』

 

 カチン、とビールジョッキとワイングラスをあてて、俺とSSは一口を頂く。

 ここは予約したベジタリアン向けの飲み屋。コース料理を注文し、最初の一杯が届いた時点でまずは乾杯とし、お互いに口を酒で濡らした。

 

『…ふぅ、仕事上りの一杯が美味い。SS、君は結構呑む方かい?』

 

『まさか。…修道院育ちなのよ?飲食は慎ましく、と教わったわ』

 

『そっか。じゃあ、自分なりのペースでいいからね。…さて、何から話そうか』

 

 俺は半分ほど開けたビールジョッキを机に置いて、そうして今日の話題を模索する。

 話したい内容はいくらでもある。

 SS自身の事。

 これまでの彼女のレースの所感。

 なぜ体幹トレーニングの重要性に君が気づいたのか。

 日本に来た本当の目的。

 そして、あの奇跡の走りの事。

 

 しかし、いきなりあんまり重要な話題から入ってもあれだなと思い、一先ずはさわりから…彼女のことを理解するためにも、その想いから聞いてみたいと考え、口に出す。

 

『そうだな…SS、まず君の事をもっと深く知りたいな』

 

『っ……言い方』

 

『本心だよ。例えば…そう、君がなぜトレーナーを目指したのか、とか。聞いても大丈夫?』

 

 彼女がトレーナーを目指した理由について、俺は聞いてみた。

 一般的に、自分のようなウマ娘ではない人間がトレーナーを目指す場合、大体は同じような理由になる。

 彼女たちウマ娘の、その走りに魅せられたからだ。

 そうしてウマ娘に心底狂えるような存在が、トレーナーを目指し、こうしてトレセンに集まるというわけだ。

 トレーナー業とは大変な仕事である。ウマ娘への愛がなければ続けられる職業ではないと断言できる。

 確かに給料の実入りは悪くはないが、金を稼ぐだけならほかにもっといい仕事がある。

 トレーナーという仕事を長く続けるためには、熱い想いを抱えていなければいけない。

 

 しかし、彼女や…ベルノライトのようなウマ娘にとってはどうなのだろうか。

 ベルノライトには以前それとなく聞いた事があり、彼女は己の脚でレースを戦う事よりも、誰かの助けになれる道を選択したと言っていた。

 その想いはレースからの逃避でない。彼女なりの、強い決心。ある意味では人間のトレーナーと同じくらいの強い熱を持つ献身の心。

 彼女もまた、トレーナーとしての心構えに目覚めていた。

 

 そうしてまた、目の前にトレーナーを志すウマ娘がいる。

 日本のトレセンに移籍するにあたり手段を択ばず猛勉強が出来るほどの彼女のトレーナーへの想い。

 その熱の源はどこにあるのだろうか。

 

『……………聞きたい?別に、話してもいいのだけれど』

 

 しかし、その俺の問いかけに対してSSは面倒くさいといった表情を浮かべる。

 あれ、あんまり話したくない感じだろうか。

 ううん、しかし困ったな。今後長く付き合うであろう彼女の、その理由は聞いておきたい所である。

 

『無理強いはしないよ。年も近いし、話したくないならそれで。俺に遠慮はしないでいいよ。…聞きたくないと言ったら嘘になるけどね』

 

『そう。……じゃあ遠慮なく、話してあげる。誰かに話すのは初めてね…多分、楽しい話にならないけど…』

 

 運ばれてきたサラダを行儀よくフォークで食べながら、SSが仕方ないといった風に言葉を紡いでくれた。

 俺はそれを真剣に聞くことにした。

 

『…まず、私の過去から話す必要があるわね。私は修道院に預けられて育った。両親がどうなったかは聞かされてないけれど…死んだか、もしくは育てるお金がなくて預けたってところでしょうね』

 

『…ゴメン。結構重い話になる?』

 

『重い話にしかならないけれど?どうする?やめる?』

 

『……………いや、知っておきたい。知らないままでいるほうが君に不義理だと思う。辛い話かもしれないが…』

 

『かまわないわ。私の中で整理はついてる話だもの。…続けるわね』

 

 俺はいきなり彼女の出自、重い話から入ったのを理解して一度言葉を区切ってしまった。

 しかし、そうした彼女の事情を知らないままでいるほうが嫌だった。

 これは俺の我儘であると同時に、彼女に対して出来る限りの配慮をしたいという想いもこもっている。

 彼女の過去を知ることで、彼女が今後嫌な想いをしないように、言葉などに配慮が出来るようになれば。手助けが出来るのなら…知っておきたい。

 

『…まぁ、親のことはいいのよ。修道院じゃ優しくしてもらったし…子供のころは普通に過ごしてたって感じかしらね。それで、私が中学に上がるころね。私の人生が大きく変わる事件が起きた』

 

『…それは?』

 

『とりとめのない話になるわ。…修道院勤めの神父様がトレーナー資格も持っている変人でね。その人に、私は走りを教わっていたの。……ねぇ、タチバナ。私、速く走れるウマ娘だと思う?出した結果は抜きにして、私の脚を見て。貴方はどう思う?』

 

 話の途中で、彼女は俺に問いかけてきた。

 私は速く走れるように見れるか、と。

 それに対して、俺の答えは一つだ。

 俺はウマ娘に嘘を、もう、二度とつかない。

 

『はっきり言おう。…君の脚は、速く走れる形をしていない。申し訳ない事だけどね、俺のトレーナーとしての眼だとそう見える。……いや、すまない。嘘はつきたくなかった』

 

『…いいのよ、むしろこれで走れるなんて答えたらワインぶっかけてたところよ。そうね、ええ。私の眼から見ても、私の脚じゃ速く走れない。…けれど、その神父様は諦めなくてね。トレーナーとしての経験もかなりある人だった…私はあの人から体幹トレーニングを教わった。10年近く前よ?当時では最新の考え方だったでしょうね…』

 

 そう言いながら、彼女はどこか昔を懐かしむような眼でワインをあおる。

 俺もその話を聞いて、そのトレーナー兼神父様への敬意を持った。

 体幹トレーニングはかなり新しいスポーツ論である。10年近く前では本当に触り程度の認識しかなかった時代に、しかし、恐らくそのトレーナーは己がウマ娘を育成した経験から、最適な指導法を模索し、そうして辿り着いたのだろう。俺の様に。

 

 ああ、しかし、俺は同時に恐怖を感じ始めた。

 このSSの話が、いい方向に向かわないと言っていた、これが。

 彼女が、トレーナーを目指すことになった、その理由を。

 何となく、察してしまえて。

 

『…ある日、神父様がマイクロバスを借りて、私と、他の修道院で暮らす親友のウマ娘を乗せてレース観戦に連れて行ってくれたのよ。ファーム(地方)のレースだけどね、それでも実際に走るウマ娘を一度実際に見ようって…遠足みたいな気分だったわね。ええ、あの時はワクワクしてたわ。私も、あそこで走るんだって。アメリカの中央GⅠなんて夢にも思っていなかったけれど、ファームなら勝てるのかなって……』

 

 ……やめてくれ。

 その言葉を飲み込んで、ごくりと喉を鳴らす。

 その先の話が、理解ってしまったのだ。

 

『…帰り道でマイクロバスが事故にあった。とても大きな事故だった……急に轟音がして、何も見えなくなって……目が覚めたら、みんな死んでたわ。神父様も、友達たちも…みんな。…奇跡的に、私だけが軽傷で生き残った』

 

『………S、S……君は…』

 

『その事故で、私の運命は決まったの』

 

 

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 立華とサンデーサイレンスが入った個室の、その壁を挟んだ裏側で。

 エイシンフラッシュとスマートファルコンとアイネスフウジンが、壁に耳を当てて、その話を聞いていた。

 聞いてしまった。

 聞くべき話では、なかった。

 少なくとも、こんな、盗み聞きのような形で聞いてしまっていい話ではない。

 

「………」

 

 沈黙が場を包む。

 エイシンフラッシュが小声で英語を訳してスマートファルコンにも伝え、アイネスもヒアリングは問題なかった。

 だからこそ、全員がサンデーサイレンスのその過去を知ってしまった。

 

『…それ以来、私は死んだ友たちが走れなかった分まで走って、取れなかった分のトロフィーを取って…そして、神父様のようなトレーナーになって、彼の教えを世界に残す…そう、誓ったのよ』

 

『…そう、だったのか。……すまなかった。興味本位で聞いて、君につらい話をさせて、しまった…』

 

『気にしないで。…誰かに話して、少しは気が楽になったし、私の中では整理がついた話で…ああ、泣かないでよ!私が困るわ!』

 

『…すま、ないっ…でも、しばらく止まらなさそう、だ…』

 

『もう…日本人は涙もろいって聞いたけど本当ね。……でも、私たちの為に泣いてくれてありがとう、タチバナ』

 

 二人の声が続くが、それに対して彼女たち3人の表情は暗い。

 いずれは知る話だったかもしれない。

 けれども、今、こうして知っていい話ではなかった。

 先程まで、店に入るまでの…我らがトレーナーが早速ウマ誑しを始めるといったところを咎めてやろう、などという浮かれた気持ちは霧散していた。

 

「…………帰りましょう、か」

 

「……そうだね…」

 

「…反省なの。明日、みんなで謝ろっか…」

 

 一品だけ注文した料理を味もわからず掻っ込んで、そうして彼女たちは立華たちにばれない様に店を出た。

 …いや、サンデーサイレンスには気付かれていたような気もする。

 だからこそ、明日はしっかりと二人に謝らなければならない。

 今ここで出て行って、二人の話をさらに壊すわけにもいかない。

 明日、練習前に…二人に謝ろう。悪戯心で、話を盗み聞きしてしまったことを。

 

 門限に間に合う時間、夕暮れを越えて夜空になった道を歩いていく。

 行き過ぎてしまった悪戯を反省するとともに…彼女たちは帰り道の話の中で、新たなチームトレーナーへの敬意を深めていた。

 

「……私、サンデーさんのことを心から尊敬します。強く、優しい方でしたね」

 

「ファル子も…☆…うん、立派なトレーナーさんになってほしいね!」

 

「なの。サンデーチーフにしっかり謝って、許してもらえたら……一杯教えてもらって、強くなって、結果でお返ししよう!」

 

 今日、知ってしまった彼女の過去。

 それは3人にとって、サンデーサイレンスの走った軌跡と、そしてこれから挑むトレーナー業への想いへの敬意を深めることとなった。

 悲しい事故があってなお、それでも前を向き、想いを背負って歩んでいるサンデーサイレンスを、心から尊敬した。

 一人のウマ娘として、彼女の在り方を尊く思った。

 

 自分達も、彼女の想いに応えられるように、より一層の努力を。

 明日、しっかりと誠心誠意、謝ってから。

 そして、これから一緒に頑張っていこうと、前向きな気持ちも生まれていた。

 

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『……落ち着いた?…もう、自分から聞いておいてずるいわ。涙は女の武器なのよ?』

 

『すまない。…いや、違うな。話してくれてありがとう…君は強いウマ娘だな』

 

『どうも。これで私がトレーナーを目指した理由と、体幹トレーニングに傾倒した理由はわかってくれた?』

 

『ああ。理解できた。…そうして君は、体幹トレーニングを積んでアメリカのGⅠレースに挑んだってことか…』

 

 俺は先ほどまで止まらなかった涙をお手拭きで拭い、そうして一度気を落ち着けるために深呼吸をする。

 とても悲しい話を聞いてしまった。

 それを話してくれたSSには申し訳ないと思うと同時に、俺を信頼して話してくれたことへの感謝の気持ちを持った。

 

 自分だけが生き残ってしまった事故で、死んでしまった友人たちと恩師の為に。

 その想いを継ごうという、彼女の誇りある信念に敬意しかない。

 

 しかしこの沈んだ雰囲気をずっと抱えたままではよくない。

 彼女にとっても楽しくない呑みの席になってしまう。

 俺は意識して切り替えて、そうして別の話題を広げることとした。

 

『…うん、それじゃあ…SS、また聞かせてくれ。俺の眼から見ても速く走るのは難しいであろう…君の脚で、GⅠを勝ち抜けたその理由を』

 

『そうね、話すには良い頃合いね…それがむしろ本題でしょう?ファルコンも見せた、あの世界について』

 

『ああ…君は俺に言った。あの奇跡に心当たりがあると。それを教えてほしい』

 

 そうして出した話題は、彼女の走りの速さの秘密。

 ファルコンや……これまでの世界線で、奇跡を起こしたウマ娘達が見せた、領域(ゾーン)を超えたその走り。

 それは何なのか、聞かせてもらうことにした。

 

『そうね…まず、私の経験から説明するわね。私があの領域に目覚めたのは、アメリカクラシック3冠の初戦、ケンタッキーダービーね』

 

『ああ、イージーゴアとの熾烈な争いを制したあのレースだね』

 

『…嫌いなやつの名前を出さないでよ。…ええ、そう。私はあのレースまでは、体幹トレーニングで積んだ地固めでなんとかなった。サンタアニタダービーまでは勝てていた…けれど、あのレースの、イージーゴアは別格だった』

 

 SSが己のレースを思い出すように語りだす。

 彼女と、その最大のライバルと言われていたイージーゴア。その初戦であるケンタッキーダービーで、彼女は理解できない加速をして、一着をもぎ取っている。

 

『…私は領域(ゾーン)まで出して走った。けど、ゴアは強かった。体力の限界、全部振り絞っても勝てない…そう思った』

 

『君の領域(ゾーン)は、コーナーを走る時に発動するタイプだったね。君のコーナリングはうちのウマ娘にも見習わせたいところだ…けど、それでも勝てないと思うほどの相手だったわけだ』

 

『ええ。才能ってああいうのを言うんでしょうね。生まれつき才能がない私には敵わない壁だった。でも、私は諦めなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()。……日本には、「走マ灯」って言葉があるじゃない?』

 

『ん、ああ…あるな』

 

『あれ、なんでそう呼ばれるか知ってる?…私はね、ウマ娘が限界まで走ったときにそれを見るからだと思ってるのよ。走っているあの時、それが見えた気がした。……それでね、もう無理、止まりそうだ…って時に。聞こえたの』

 

『…聞こえた?何が?』

 

『死んだ友達と、神父様の声よ』

 

 …話の方向が、随分とスピリチュアルな方向に舵を切った。

 

『…タチバナ、ゴーストは信じない?今もいるわよ、私の後ろに。お友達と、神父様』

 

『そうなのか。…いや、察せなくて済まないな、霊感がないもので。でも、幽霊は信じてるよ。マジでね』

 

『…あら、意外』

 

『意外なもんか。俺ほど幽霊の存在を信じている人間は珍しいくらいさ』

 

 俺は追加で注文したハイボールをあおり、そうして彼女の話に同意を示した。

 これは嘘ではない。俺は幽霊を信じている。

 これまでの世界線で、フクキタルやカフェを担当したときに何度も霊障にはあったし、カフェの言う「お友達」の存在については俺も信じていた。確かにあそこには何かがいたと思う。

 それに、そもそもループを繰り返す俺そのものがスピリチュアルな存在なのだ。否定なんてするはずがない。

 

『…嘘じゃないのね、その目。…ええ、話を戻すけれど、あの時、声が聞こえた。頑張れ、って応援する彼女たちの声がね。……それが聞こえて、私はその領域に至ったの。領域(ゾーン)を超える領域(ゾーン)…【ゼロの領域】にね』

 

『……ゼロの領域……』

 

『そこに至ったときの記憶は正直に言えば飛んでるわ。ただ、間違いなく何か、違う所に意識が飛んで……気づけば、ケンタッキーダービーを一着で駆け抜けていた』

 

『……ファルコンも、同じようなことを言ってたな。最後、走ってた時の記憶が飛んでたって…』

 

 俺はSSの言うその体験と、ファルコンの体験が酷似していることに気づいた。

 ファルコンもまた、あのレースの最後の400mの記憶がないと言っていた。

 不思議な感覚を味わって、気づいたらゴールを駆け抜けていたと。

 だからこそ奇跡の走りだと俺達も思っていたわけだが…。

 

『きっとね、想いを籠めて限界まで全力で走って…そのまま走ったら死ぬかも、ってくらい追い詰められて…走マ灯が見えるほど走って。その先で、()()()()()()呼び戻されると、至るのよ。その世界にね』

 

『…君の場合、その声が友達たちの、神父さんの声だったわけか』

 

『ええ。ファルコンの場合は、貴方の声援でしょうね。聞こえたわよ、貴賓席まで。貴方の叫び声が』

 

 ゼロの領域。

 彼女がそう呼称するその世界に、俺は、心当たりがあった。

 

 もちろん、今回の世界線のファルコンの走りもそうだ。

 だが、それだけではない。

 

 ────────いっけぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!

 ────────がんばれ!ハルウララ、がんばれ────────!!!!

 

 前の世界線で、俺がウララと共に成した奇跡。

 俺の、俺たちの叫びに応えた、季節外れの桜。

 

 あれもまた、その一つだったのかもしれない。

 

『…なるほど、な。ゼロの領域か…』

 

 俺は認識を新たにした。

 これまでの世界線で、そしてこの世界線でも見た、奇跡の一端につき理解を深めることが出来た。

 ウマ娘の想いに、それ以外の誰かの想いが重なることで、奇跡を為す。

 そこには、ウマ娘だけではない、誰かの声が必要なのだ。

 ウマ娘を純粋に想った誰かの声が。

 

『…ええ、でもねタチバナ。判ってると思うけれど、ゼロの領域は…』

 

『ああ。聞いてて察したよ。…意識して入れるもんじゃなさそうだな』

 

『正解。…プリークネスステークスでも、私はゼロの領域に入った。けれど、ベルモントステークスではそれまでの連戦の疲れがあったせいか、最後まで走り切れる脚を溜めてたせいか…そこには入れなかった。ゴアの野郎、今思いだしても頭に来るわあのレース…畜生…』

 

『SS。漏れてる漏れてる』

 

『む。…こほん。神の血(ワイン)が回りすぎたわ。…私は修道院育ちで、そういうスピリチュアルな方面も重視するのよ。守護霊もいるしね。だから、何となくだけれど…その領域に入ったウマ娘というものはわかるの。ファルコンがそれだった、というわけね』

 

 わかった?と言葉を紡ぎ終えたSSに俺は頷いて答えた。

 ゼロの領域。その奇跡に至る走りは、しかしそれを期待してレースに挑むなんてことが出来る代物ではないことは理解した。

 そもそもが通常の領域(ゾーン)だって人知を超えた力なのだ。

 その上で、限界まで走ったうえでなお奇跡を起こす確率に賭けるよりかは、ちゃんと勝ちきれるように鍛え上げることをこそ、トレーナーとしては目指すべきだ。

 

『ファルコンのあの走り、ゼロの領域に入ったこと…それ自体はようやく私の理解者が現れた、って喜んだんだけれどね。でも、別に今後のレースで絶対にあの領域に入らないといけないわけじゃないわ。そもそも、一度ゼロに至れば、それだけで()()()()()()()()()()()だと私は感じてるの』

 

『ん、そうなのか?……ああ、いや、でもファルコンも…?』

 

『心当たりある?そうね、例えば()()()()()()()()()()()()()()。あとは勝利への執着が強まったり、なんていうのかしらね…本能が強くなるって感じなのかしら?それのおかげで、後のレースでも私は勝てたのよ』

 

『君の言う通りのことが起きてるな…。…なるほど、それで君は。……すごい話を聞けたな』

 

『秘密よ?こんなこと、普通のトレーナーに話したら頭がおかしいと思われるわ』

 

『言うもんか。うちの子たちにも言うべき内容じゃないな。それに頼る気持ちが出てもやばいし』

 

 俺は何杯目かのハイボールを空けて、そうしてSSもまたワインを煽って、お代わりを注文する。

 酒の勢いもあってか、随分と熱の入った話になってしまった。

 しかし、ゼロの領域…それ自体の存在が知れたことは、俺にとっては僥倖だった。

 説明のできない奇跡に、しかし、再現性はなくとも心当たりが出来たのだから。

 

『……すごく興味深い話だったよ。今の話を聞けただけでも、君と出会えてよかったって思った』

 

『ふふ、嬉しい言葉ね。…過去も話せたし、なんだか私も喋ってすっきりしたわ。貴方、ウマ娘と話すのが上手ね』

 

『そうかな?そう在りたいとは思ってるけどね。…じゃあ次は、体幹トレーニングの話でもしないか?君の知識と、俺の知識を擦り合わせたい』

 

『あら、いいわよ。神父様から教わって、私の体で試したトレーニング論。全部語ってやるわ』

 

『語るのなら俺も負けないぜ?じゃあ早速だが、まず体幹としてどの部位の筋肉を鍛えるかだが…』

 

 そうして、飲み会の前半にあった重い空気は酒の助けもあり霧散して。

 俺とSSは、お互いの指導論、ウマ娘にかける想い、それを存分に語り合ったのだった。

 

 

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『…………気持ち悪い』

 

『吞みすぎたな。俺も止めるべきだったね、悪い』

 

 そうして随分と話に花を咲かせてしまい、ラストオーダーを迎えて、日付が変わる前くらいの時間に俺たちは帰路に就いていた。

 話の興が乗りすぎて、随分と二人で深酒をしてしまった結果、彼女は酔いつぶれてしまったようだ。

 ちなみに俺も酔ってはいるものの、まだ余裕を残している。

 つい先日、6月ごろにアメリカのタイキファームで己の限界は理解している。あの時は俺も全力で酔いつぶれて後悔したが、そもそも酒の量については流石にループを繰り返しているだけあって、調整するのは得意だった。アメリカの件は特別だ。

 

 俺は今、トレーナー寮に向けてSSの肩を支えながら歩いていた。

 今の酔っ払った状態の彼女を一人には出来なかった。

 チームトレーナーとしての監督責任もあるし、ウマ娘とは言え若い女性である。タクシーに乗せて一人で帰したり、などといった無責任な対応は当然できない。

 そもそも日本慣れしていない彼女の事だ、迷うかもしれない。

 そうしたことから、俺はトレーナー寮まで送る決意をしたのだった。

 店も学園からそれほど遠い距離にあるわけではない。酔い覚ましもかねて、ゆっくりと夜道を歩いていた。

 

『………だめ……だめよ…タチバナ、駄目だからね……』

 

『何が駄目なのかわからないけれど、君を一人にしたら駄目だって言うのは理解できるよ』

 

『……しょんなこと言って……だめ、なんだからね……そんな、軽い女じゃないのよ……』

 

『君の事を軽い女なんて思ってないさ。強い信念を持つ、素敵なウマ娘だって想ってるよ』

 

『ふにゃあぁ………』

 

 呂律まで回らなくなってきた様子のSSに俺は苦笑しながら、ゆっくりと歩む。

 いかんな、流石に呑ませすぎた。これが明るみに出れば俺はたづなさんに怒られてしまうだろう。

 しっかりと今日は彼女を寮まで送り届けて、なんなら布団に寝かせるところまではしてあげた方がよさそうだ。

 横にバケツとか水とかも準備してやろう。酔い止め薬も常備してるからそれも寝る前に飲ませてやるか。

 

『……私、陰気臭い女よ……』

 

『君が語ったトレーニングへの熱意は本物だった。陰気じゃなくて、静けさの内に熱を持ってるって印象を受けたかな』

 

『むぅー……脚だって、こんなに歪んでるのよ……現役時代は、ハンガーみたいだって、言われたわ…』

 

『見た目の話をするなら、内股気味なのがむしろ女性的で綺麗だと思うけどね。すらっとしたその脚の内側に、ウマ娘にとって理想の筋肉が秘められている。うちの子たちの見本にしたいくらいだ』

 

『みぃ……流星だって、不格好よ……鳥の糞が落ちたみたいだって…』

 

『そりゃ酷いな。俺は君の流星を見て、まるで落涙(ティアドロップ)のようだと思ったけどね。でも、今日の君の話を聞いて確信に変わった。君は、友達たちの…神父様の想いを、涙を継いで生きているんだね。強い子だ』

 

『……きゅぅん……わかったわ……もう、好きにしてぇ………』

 

『そうさせてもらうつもりだよ』

 

 彼女の酔っぱらい話に付き合ってやりながら、そうしてトレセン学園のトレーナー寮までたどり着いた。

 元々俺が住んでいた部屋だということで、場所には迷わなかった。

 部屋の前まで来て、SSに鍵を取り出してもらい、そうして中に入る。

 

「…あー。まぁ、予想はしてたけど」

 

 部屋の中は俺が引き払った状態から大きく変わっておらず、最低限の私物とベッドだけ整えた状態のそれであった。

 部屋の隅に段ボールが置かれていることからも、彼女が日本に来てまだろくに荷開きもしていないことが察される。

 …今度、部屋の掃除と買い出しに付き合ってあげようか。車を出してあげよう。

 

『ほら、着いたよSS。……SS?』

 

『んみゅう………』

 

『……寝ちゃったか。それじゃ、失礼して…』

 

 俺は肩につかまりながら意識を落としたSSに苦笑を零し、そうして彼女の体をお姫様抱っこの形にして抱え上げて部屋にお邪魔した。

 そうして彼女をベッドまで運び、ゆっくりと横たえて。

 彼女の服、その胸元のボタンに手を伸ばした。

 

_──えっ!?そこまでやるの!?

_──いやでもむしろ当たりでしょこの男は!イケるって!!

_──行けーっ!!抱けーっ!抱けぇーっ!!

_──おお、SSもようやっと男を知る時か!よし行け、やっちまえ!神様は何も禁止なんかしてねぇ!

 

 なんだか急に寒気がしてきたな。

 しかしまだ夏場だ、夜は暑い。エアコンもつけてやって、その上で彼女の胸元を閉めっぱなしだと寝苦しいし吐き気も収まらないと思い、胸元のボタンを一つだけ解放してやった。

 もちろん、彼女の女性的な部分には一切触れてないし見ていない。流石にそれはNGである。

 そうして回復体位に彼女の体を組み替えて、呼吸音を観察して、問題ない呼吸…この後呼吸が詰まったりして吐いてしまったりしない程度の酔いであることを音と様子から察して、俺は安心して胸をなでおろした。

 これならば寝苦しくなったりしないだろう。横に向けたから胸元を圧迫されたりしないだろうしな。よし。

 

 ─────さて、帰るか。

 

_──ちょっと待って!?そこで帰るの!?

_──クソボケがーーーーーーーーっっ!!

_──抱けーーーっ!!据え膳!据え膳でしょ!!SSがこんなに頑張ったのに!

_──オイ待てェ失礼するんじゃねェ!!SSだぞ!?俺の自慢の最高の女だぞコラァ!?

 

 なんだか急に寒気がしてきたな。

 エアコンの効かせすぎだろうか。ちょっと温度上げとくか。ピピっとな。

 …さてそれじゃ改めてお暇させてもらおう。扉の鍵は閉められないけど、トレーナー寮だし大ごとにはならないだろう。

 

 俺はなぜか感じる部屋に戻れという圧に逆らうようにして、SSの部屋を後にして帰路に着いたのだった。

 明日は二日酔いがひどいかもしれないな。みそ汁でも作って持ってきてやるか。

 

 

 おやすみ、SS。よい夢を。

 

 

 

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 ────────夢を見ていた。

 

 

 

 

 

 

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「ベス、まってよベス…!私っ、そんな、はやく走れないよ…!」

 

「えへへー!SSったらおっそーい!」

 

「こらー、SSをいじめないのー!ベスだってコーナーじゃSSにまけるでしょー!」

 

「うんうん。楽しく走れって神父様も言ってるよね」

 

 幼いころの私は、修道院に併設された1周400m程度の狭いコースを、友達たちと走っていた。

 修道院で暮らす、かけがえのない友人たち。

 直線を走るのが上手な、調子のいいベス。

 一つ年上の、みんなをよく見てくれている、スージー。

 一つ年下の、いつも静かな雰囲気の、リズ。

 全員がウマ娘で、そうしてワケありで修道院に預けられ、そこで共に育った。

 みんな、愛称でお互いを呼びあっていた。

 私は、SS、と名前の頭文字をとって呼ばれていた。

 そう呼ぶのは、修道院のみんなだけだった。

 私はその愛称が好きだった。

 

「ほれー、走ってる時にあんまりよそ見してんじゃねェぞー。フォームが崩れっかんなー」

 

 そんな私達を、コースの外から神父様が見ていた。

 トレーナー資格を持ち、しかし今は神父として業務をする傍ら、修道院に預けられた私達の様なウマ娘の面倒を見てくれている神父様。

 神父にしては口調が随分と軽薄だったものだが、しかし、その人当たりのいい雰囲気で、そこそこ町の人からは人気だった。

 みんなと、質素だがとても楽しい毎日を過ごしていた。

 

「っゴールっ!へへ、いちばーん!」

 

「はぁ、はぁ…もー、ベスったら速すぎ!」

 

「ぜーっ、ぜーっ…!みんな、速いよ…!」

 

「SS、お疲れ様。今はまだ仕方ないさ。神父様も言ってたじゃないか、いずれもっと速く走れるようになるって」

 

 その4人の中では、いつも私がビリだった。

 神父様がいうには、私の脚は生まれつき上手に走れない形をしているらしい。

 特に子供のころは、それが影響して速く走れないと言っていた。

 

 でも。

 神父様は、そんな私も見捨てないでいてくれた。

 

「みんなお疲れさん。SS、今はフォームをしっかりすることだけ意識して走ってりゃいいからな。成長期に入って体がデカくなってからが本番だ!俺の言う通りにすりゃ、全員が重賞勝利だって夢じゃねェぞ!」

 

「えー?ほんとー?」

 

「うさんくさいよねー神父様って」

 

「うぅ…頑張ります……」

 

「ふふ。でも、コーナーはSSが一番上手だ…あながち全部嘘でもないと思うけどね」

 

「む!コーナーでだって私が一番になるんだから!」

 

「ホントー?さっきベス、曲がるときに姿勢を崩したの、後ろから見えちゃったわよ?」

 

「く、崩してないもん!」

 

「み、みんな、ケンカは駄目だよぉ…」

 

「はいはいそこまで!汗拭いたらメシにすっからな!今日はシスターがシチュー作ってくれてるぞ!」

 

「シチュー!?やった、私の好物!」

 

「あー!私も欲しいー!大盛りにしてくれるかなぁ…」

 

「…あんまりがっついちゃはしたない、っていつもシスターが言ってるじゃない。駄目よ、きっと」

 

「ちぇー。満腹は夢のまた夢かぁ…」

 

 

 楽しかった。

 楽しかった頃の、想い出。

 

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「…神父様、ホントにこれで私、速くなれるの?」

 

「なれるさ。信じろって」

 

 もうすぐ中学校に上がるくらいの年齢になったころの、私。

 身長も伸びて、胸も無駄に大きくなって、けど、脚のゆがみは直らなかった。

 私は未だに、修道院の4人のウマ娘の中では、一番脚が遅い。

 そんな私に、神父様は「体幹を鍛えろ」といい、色んなトレーニング方法で、私の筋肉を苛め抜いた。

 つらい練習だったが、でも、楽しかった。

 

「お前はな…コーナーを走るのが抜群に上手い!コーナーってのは体幹がしっかりしてりゃしてるほど速く走れるんだ!だからその武器をどこまでも磨き上げりゃ、他のウマ娘にだって負けねェ!レースで勝てる!」

 

「本当?…ファームのOPでも?」

 

「勿論だ!」

 

「……重賞でも?」

 

「勿論だ!」

 

「……GⅠでも?」

 

「………」

 

「そこで黙らないでくれる?」

 

 嘘をつけない神父様のそんな様子に、私は苦笑を零してしまった。

 GⅠまでは流石に難しいと思っているのだろう。

 だが、いい。私だって、そんな、自分が上澄みになれるとは思っていない。

 ベスやスージーならもしかすれば、とも思うが、私はそんな才能のあるウマ娘じゃない。いや、むしろデメリットを持って生まれてくるようなそれだ。

 ただ、どこかのレースで、一勝でもできて、それでみんなが喜んでくれたなら、それでいい。

 そうして楽しく走り終えて、修道女になって、一生を終える。それでいいと、その時は思っていた。

 

「神父様。私、出来るところまでがんばってみるから。でも、私だけじゃなくて、ベスやスージー、リズもしっかり見てあげてね」

 

「とーぜんだろォ、お前ら全員俺の自慢のウマ娘なんだからな!楽しく走れるように頑張ろうぜ、SS!」

 

 がはは、と下品な笑い顔を見せて、神父様が私の頭を撫でる。

 この人に撫でられるのは、好きだった。

 

 

────────────────

────────────────

 

 

「すごかったねー、さっきのレース!」

 

「うん、すごかった!」

 

「最後の直線、シビれたわね…!あそこから逆転するなんて!」

 

「すごい末脚だったね。あれくらい、私達も走れるようになるぞ…!」

 

 私たちは、神父様の運転するマイクロバスに乗って、修道院への帰路についていた。

 先程、近くのレース場で行われたファームのレースを観戦してきた帰りだ。

 

「何言ってんだ、お前らだってすぐあれくらいにはなるぞ?なんせこの俺が鍛えてるんだからな!」

 

「えー?神父様がいうとウソくさーい!あーあ、もっと速く走れるようにならないとなー」

 

「ふふ、でもベスはこの間ベストタイム記録したじゃない」

 

「いつも自分で目指せ年度代表ウマ娘!って言ってるのに、変なところで自信がないわよね」

 

「そのベストタイムをスージーが更新したから焦ってるんでしょ。みんな少しずつ速くなっていくんだから、焦るなって神父様も言ってるじゃないか」

 

 マイクロバスの後部座席、近い位置に座っている私たちは、全員が中学に上がったばかり。

 まだ本格化も迎えておらず、レースに出るのは先の未来の話だった。

 みんなでしっかりと体幹を鍛えて、本格化を迎えて、神父様をトレーナーとして、レースに臨む。

 そして、私はきっとあまり勝てないだろうけれど…ベスもスージーもリズも、私なんかよりよっぽど走れる。彼女たちはきっと、いつか、中央のGⅠでも勝てる、かもしれない。

 

 レースに一つでも勝ったら、みんなでお祝いしよう、と約束していた。

 重賞に勝ったら、その賞金で盛大にパーティを開こうと。

 GⅠに勝てたら、修道院をリフォームして、みんながもっと過ごしやすい建物にしようと。

 そう、約束していた。

 

 そして、その約束は永遠に果たされることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこから先は、あまりよく覚えていない。

 

 

 

 

 

 覚えているのは、金属がひしゃげるような気持ち悪い轟音。

 

 

 覚えているのは、ベスの悲鳴。

 

 

 覚えているのは、血の匂い。

 

 

 覚えているのは、救急車のサイレンの音。

 

 

 

 

 

 覚えているのは。

 

 

「……S、Sっ…!!みんな、みんな、死んじゃったよぉ……!!!」

 

 

 病院で目を覚ました私に、泣きながら私以外が死んだことを告げる、シスターの涙。

 

 

 

 

 

 私は、全てを失った。

 

 

────────────────

────────────────

 

 

 退院して、修道院に戻ってきた。

 あの事故に巻き込まれた私は、軽傷で済んだ。

 骨の一本も折れていない、擦り傷程度のそれしかなかった。

 

 でも、私以外の全員が、死んでしまった。

 

 私が起きた時には、みんな、冷たい棺の中に入っていた。

 顔を見たいと私は言ったが、見せてくれなかった。きっと見れるような状態ではなかったのだろう。

 そのまま、私は、余りの衝撃で涙すら零れないままに、翌日の葬儀に参列した。

 そこでも私は泣けなかった。

 土葬されるみんなの棺に、バラのレイを作って、投げ入れた。

 

 きっと、レースで勝って、バラのレイを首に掲げて勝ち誇っていたはずの、大切な親友たち。

 そんな彼女たちを見て、満面の笑顔を浮かべてくれたはずの神父様。

 

 

 

 いなく、なって、しまった。

 

 

 

「……………」

 

 

 私は、修道院に戻ってすぐに、練習場を走らせてほしいとシスターに伝えた。

 本当は安静にしておくように医者から指示が出ていたが、シスターは許可してくれた。

 

 

 私は走り出す。

 

 

「……はっ、はっ、はっ……」

 

 

 

 目の前に、誰もいない。

 夕暮れ時のその練習場に、しかし、いつもはいるはずなのだ。

 

 私の前を、後ろを走る、3人が。

 そして練習場の外に、私達を見守る神父様が。

 

 

 

『────ふっふーん!SSったら、直線じゃまだまだね!!』

 

 

 

 いつもそう言って私を周回遅れにしていった、ベスがいない。

 

 

 

『SS、掛かってるわ!もっと自分のペースを守って、ね?』

 

 

 

 私の走りをよく見てくれていた、スージーがいない。

 

 

 

『コーナーの曲がり方は、SSは本当にすごいよね。また今度、教えてよ』

 

 

 

 私の走り方も褒めてくれた、優しいリズがいない。

 

 

 

『SS!コーナーを曲がるときはスピードを落とすな!体を傾けて横Gに抵抗しろォ!!』

 

 

 

 私を指導してくれた、神父様が、いない。

 

 

 

「……っ、うっ、あ、ああ…っ…!!」

 

 

 どれほど走っただろうか。

 

 

 何周も。

 何周も。

 何周も。

 何周も────────孤独に、走り続けて。

 そうしていつしか、私は涙を流していた。

 

 

 

 

 

「─────あああああ……!!!うわああああああああん…………!!!」

 

 

 

 

 

 

 体力の限界を迎えて、コースの上にそのまま倒れて、夜空を見上げながら、私は号泣した。

 いつまでも、涙が止まらなかった。

 

 私は、今日、練習場を走って。

 ようやく、己の心の内で、理解したのだ。

 

 

 

 ────────みんなには、もう、永遠に会えないのだと。

 

 

 

────────────────

────────────────

 

 私は誓った。

 私は、死んでしまったみんなの、果たせなかった夢を叶えるために、生きる。

 

 

『私ね、年度代表ウマ娘になるのが夢なの!アメリカで一番強いウマ娘になるんだ!』

 

 ベスのその夢を、叶える。

 

『うーん…もし、もしだよ?クラシックレースに出られるくらいになれたらさ。一つくらいは、勝ってみたいよね』

 

 スージーのその夢を、叶える。

 

『どのレースで勝ちたいかというよりは…とりあえずレースで勝って、修道院に寄付したいな。ほら、この建物ボロいからさ。恩返し、したいよね』

 

 リズのその夢を、叶える。

 

 

 私は、もう二度と走る事が出来なくなってしまった彼女たちの代わりに。

 私がすべて、その夢を叶える。

 それが、あの事故を軽傷で生き延びてしまった私が出来る、彼女たちへのレクイエムだ。

 

 

 そうして、もう一人。

 

『俺よォ、若い頃はそりゃもうやる気バリバリでさァ。アメリカで、いや世界で一番のトレーナーになってやる!!って夢見てたんだ。…オイ笑うなよ。今の生活だってそれなりに気に入ってっけどな、男ってのは夢見る時期があるんだよ。そういうもんだ』

 

 私に、走りを教えてくれた神父様の。

 その指導が間違っていないことを証明するために。

 そして、彼の教えを世界に残すために。

 

 

 私は、トレーナーになる。

 

 

 修道院に戻った翌日から、私は己の脚を鍛え上げた。

 神父様の遺品の中にあった指導理論、教本、それをすべて読み……己の体に、施した。

 一人分では足りない。

 四人分、全員の練習メニューを、全部やるくらい、スパルタに。

 あの事故以来、私は肉が食べられなくなったが、体を作るため食事にも気を遣った。蛋白質を意識して取るようにした。

 シスターたちも、心配してくれながらも、食事に気を配ってくれた。

 

 辛いとは感じなかった。

 トレーニングをしすぎて苦しい時も、この苦しさを感じることすらできなくなってしまったみんなの事を考えれば、耐えられた。

 私は神父様が重視していた体幹トレーニングを全力で、全霊で行い、そうして…脚を、磨き上げた。

 

 私のこの歪んだ脚は、私の誇りだ。

 友人たちが、走れなかった分を。

 神父様が、残せなかった分を。

 すべて詰め込んだ、私の誇り。私そのもの。

 

 私は、アメリカの中央レースに乗り込んだ。

 

 

 

────────────────

────────────────

 

 

 

『さぁ本日のメイクデビュー、出走ウマ娘がパドックに出て来たぞぉ!1番アレキサンドロスライト、中々いい仕上がりだぁ!』

 

 パドックに次々と出ていく、デビュー前のウマ娘達。

 それがどれくらい走るのか、私にはわからない。

 けど、関係ない。私は、私が神父様の教えで磨き上げた、その脚で勝つ。

 

 そうして、私の順番が来た。

 

『続いて7番、西海岸からやってきたサンデーサイレンスっ!…んー、あー、気合は入ってるようだな!』

 

 私がジャージを脱ぎ捨てると、観客席から疑問符のついた声が上がる。

 

 ─────何だあの脚。

 ─────まっすぐ走れんのか?

 ─────歪みすぎだろ…まるでハンガーみてぇだ。

 

 私は、その声を気にしなかった。

 誰に、何と言われようとも。

 私の脚を褒めてくれた神父様と、私の走りを褒めてくれたみんなが、私の心の中にいたから。

 

「…ハーン。そんな足で、勝てると思ってんのかねぇ?走ってる最中に足がポキって折れちまわないか?」

 

「頼むから転倒に私達を巻き込まないでよね。最後尾でも走ってなよ、田舎もん」

 

 パドックに抜ける通路を歩いていると、そんな私をあざ笑いに来たのか、ウマ娘が二人、私に罵声を浴びせかけてきた。

 私は相手にしなかった。ただ、そいつらに対して、一睨みだけ利かせてやると、もう声も出ないようだった。

 こいつらの名前も、番号も、関係ない。

 私が一着を取るのだから。

 

 私に敗北は許されない。

 私は、みんなの想いを背負って走っているのだから。

 

 

 

 

『─────最終直線に入って、なんと!!サンデーサイレンスが独走だ!?悪い夢でも見てんのか!?あの脚で、スゲェ末脚だ!後ろのウマ娘達は追いつけない!これは決まった!これは決まったぞ!!サンデーサイレンスが一着で今、ゴールインッ!!』

 

 

 

 

────────────────

────────────────

 

「…あなたがサンデーサイレンスね。こうして会うのは初めてね…イージーゴアよ、今日はよろしく!いい走りにしましょう!」

 

「……………ふん」

 

 そうして勝利を積み重ね、私はスージーの夢であった、クラシック戦線の初戦、ケンタッキーダービーに出走した。

 勝ち続けたことで、私の世間的な評価も上がってきた。しかし気性難という噂も同時に流布され、私はヒールであり、そして今目の前に立つこのデカブツ、イージーゴアがヒーローであった。世間では、そんな記事がいくつも出ていた。

 しかし、関係ない。

 相手が強敵であることは分かっている。

 だが、みんなの夢を私は背負って走っている。

 こいつにだって、絶対に負けてやらない。

 絶対に、負けない。

 

 

 

『────レースは残すところあと500m!ここでサンデーサイレンスが上がってくる!しかし来たぞイージーゴアが来た!やはりこの2人なのか!』

 

 

 侮ってはいなかった。

 しかし、本物の才能とは、残酷なものだった。

 

 

(…っ、クソ…!速い…コイツ、まだ末脚を残してる…!!)

 

 

 コーナーでさらに距離を詰め、後続を引き離すが…このイージーゴアだけは、そんな私についてきた。

 走りの、質が違った。その強さが違った。

 王者。

 それを感じさせるほどに、彼女の走りからは才気が溢れていた。

 

「ふふ、いいわね、アガるわね!!さぁ行くわよサンデー!!私が、一冠目を手にするッ!!」

 

 コーナーを曲がり終えて、私は必死にイージーゴアに負けまいと、踏み込む。

 だが、もう限界に近い。

 ここに至るまで、イージーゴアに必死について行くために酷使した私の脚は疲弊し、限界だと叫んでいる。

 

 だが関係ない。

 私は、勝たなければならないのだ。

 たとえ限界を迎えようと、限界を超えようと、私は勝たなければならない。

 

 

(………く、っ……!!)

 

 

 だが。

 現実は非情だった。

 

 私はそこで直感する。

 負ける、と。

 負けてしまうのか、と。

 

 

 

(……嫌っ…!私は、負けられないのに…っ!!)

 

 

 勝たなければならない。

 死んだ親友たちの為に。

 死んだ神父様の為に。

 

 

(負けられ、ない、のにっ……!!)

 

 

 もう限界だ。

 肺が破裂しそうなほど痛い。

 脚が鉛の様に重い。

 酸欠で頭が回らない。

 

 

 それでも。

 それでも。

 諦めたく、ない。

 

 

(私、は───────)

 

 

 

 走マ灯を見た。

 私の、今日までの、人生がすべて、流れるように脳裏に浮かび、消えていく。

 

 

 …無理、なの?

 

 

 ほんの少しだけ、弱音が零れた。

 

 脚の力が、抜けそうになって────────

 

 

 

 

 

 

 

 頑張れ、SSー!勝てー!私達の分まで、負けるなっ!!

 

 脚を止めないで!今日までがんばってきた貴方なら、いける!!

 

 頑張れ、SS…頑張れ!君なら行ける!脚を、止めるな!!

 

 SS。…お前は、俺の誇りだ。最高のウマ娘だ!行け!!そのまま行っちまえ!!お前が、アメリカ最強だって証明してやれェ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────みんなの、こえが。

 

 

 

 

 こえが、きこえて。

 

 

 

 それは、確かに、私の耳に聞こえて。

 

 

 

 

 

(みんな……そこに、いて、くれたの……?)

 

 

 

 

 

 私の意識は、空に弾けて────────

 

 

 

 

────────────────

───────────────

──────────────

─────────────

────────────

───────────

──────────

─────────

────────

───────

──────

─────

────

───

──

 

 

 

 

 そこは、サンデーサイレンスの魂の原風景。

 漆黒の勝負服、修道服を模したそれに身に包んだサンデーサイレンスは、そこに立っていた。

 

 

 そうして、見る。

 己の魂の光。

 その魂は、ケンタッキーダービーを勝て、と叫んでいた。

 アメリカのGⅠを蹂躙しろ、と叫んでいた。

 

 そして、彼の光の先。

 二つの偉大なる栄光がその空に浮かび。

 

 さらに、その向こう。

 彼の光から、幾筋もの、数多の光が伸びて……その先にまた、光があった。

 

 それは彼から広がる運命。

 いくつもの夢。

 彼という特異点が、将来に残した、数多の優駿たちの光。

 

 

 

 サンデーサイレンス。

 醜いアヒルの子として揶揄された彼の生涯は、しかし。

 誰よりも名を残し、そして誰よりも血を残した伝説として、世界に刻まれていた。

 

 

 

 その光が、ウマ娘であるサンデーサイレンスに、近づく。

 俺と同じだ、と。

 お前も、悲しみと、怒りと、理不尽を……乗り越えて。

 お前だけの物語を、紡げと。

 

 「……わかったわ」

 

 サンデーサイレンスは、己の魂の光を受け入れる。

 両手を胸の前に組んで、片膝をつき、そうして祈りの形をとる。

 その祈りは、修道院で育った彼女が習慣として行っていた、神への祈り。

 

 今ここに誓願は為された。

 ウマ娘と、その魂が一つになり。

 

 

 ────────奇跡に至る。

 

 

──

───

────

─────

──────

───────

────────

─────────

──────────

───────────

────────────

─────────────

──────────────

───────────────

────────────────

 

 

『────────ゴーーーーーールっ!!!なんと、何とだ!!イージーゴアを抑えて、サンデーサイレンスが一着だぁ!!アンビリーバブル!!なんだったんだ今の加速はァ!?』

 

 

 

 私は、意識を取り戻した。

 夢の中にいたような、そんな感覚。

 いつの間にか私は一着でゴールしていた。

 

「……はぁっ!はぁ、はぁっ………あ……」

 

 乱れた息を整えながら、しかし、私は感じていた。

 先程の無意識、ではない。

 領域を超えた領域…そう、ゼロの領域、とでも言おうか。あの不可思議な感覚のそれ、ではない。

 

 その前。

 

 私に聞こえた、あの声。

 

 

「………っ!!」

 

 

 私は、自分の後ろに……その、気配を感じた。

 振り返る。

 そこには何もいない。目には映らない。

 

 

 けれど、確かにいた。

 感じられた。

 あの時、死んでしまった、みんなが、そこにいて。

 

 

「っ…みん、な……っ!!」

 

 

 走マ灯を見たことで、意識が死に近づいたからだろうか。

 私にははっきりと、みんなの存在が感じられた。

 

 みんなが、私を見守っていてくれた。

 応援して、くれていた。

 助けて、くれて、いたんだ。

 

 無茶な練習をする私の脚が、壊れない様に。

 思い悩みすぎる私の精神が、壊れない様に。

 

 

「……うぁ、あっ……ああ、ああああっ………!!!」

 

 

 私は、天を仰いで。

 また、子供の様に、泣いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、そんな私の様子を見て、泣き止むまで付き添ってくれたイージーゴアには申し訳ない事をしたと思う。

 …いや、ああ。その後ベルモントステークスでアイツに負けたから、やっぱりアイツは嫌いだ。

 

 

────────────────

────────────────

 

 

 そうしてゼロの領域にも目覚め、スージーの夢であるクラシック勝利も果たした私は、その後もGⅠレースを荒らしまわった。

 獲得した賞金で、修道院を建て直した。リズの夢であったそれも、私は成し遂げることが出来た。

 その年に、ベスの夢であった年度代表ウマ娘も獲得。同時に最優秀クラシックウマ娘も獲得し、W受賞という伝説を成した。

 受賞が決まった瞬間には、修道院のみんなも、私をいつも見守ってくれているみんなも、喜んでくれた。

 

 私の人生が、報われたと思った。

 亡くなってしまった彼女たちに、レクイエムを捧げられたと、そう感じた。

 

 

 その後もしばらくはレースに出ていたが、しかし私は少しずつ感じ始めていた。

 私は、これ以上速くならない。

 悔しいが、これ以上は骨格の限界だ。ピークを維持することは知識を蓄えた今の私なら問題ないが、しかしこの先のレースで、得られるものは少ない。

 ブリーダーズカップも走ったし、もう強く走りたいと希望するレースがなくなった。

 

 …走る事に、理由を求めるようになった。

 それは、現役として、退く時期だ。

 

 私は友達たちにも相談して同意を取り、そうしてレース界を引退した。

 名残惜しさもあったが、それでも私はまだやる事がある。

 

 それは、トレーナーになる事。

 トレーナーになって、神父様の教えを、後世に残すこと。

 立派な、世界一のトレーナーになる事。

 

 私に憑いている神父様は自分のやりたい仕事をしろ、と言ってくれたが、嘘偽りなく、これが私のしたい事なのだ。

 もう、トレーナーになる以外の将来は考えられないくらい。

 もちろん私も20になれば修道誓願をして、シスターとして過ごすこともできるのだろう。

 けれど。

 私は、レースを走って、勝って……そのうち、レース自体を楽しむ気持ちが、出来ていた。

 レースを走るウマ娘が、尊いものの様に思えた。

 そんなウマ娘達を助ける仕事に就きたい、という素直な気持ちを持った。

 

 選択に後悔はなかった。

 いい将来を選択した自信が、なぜかあった。

 私は勉強してトレーナー専門学校に入学し、問題なく資格を取得し、そうしてトレーナーになった。

 

 アメリカで最初に勤めた学園では、凄まじい才能を持つマジェスティックプリンスの所属するチームに入った。

 

 

 けど、そこではやはりと言うべきか、なかなかうまくは行かなくて。

 

 

 

 

 現役時代の、気性難という噂が、足を引っ張ってしまって……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …ん。

 

 

 少しずつ、微睡が浅くなっていく。

 

 

 

 

 

 目覚めが、近いようだ。

 

 

 

 

 長い夢を見ていた。

 

 

 

 

 きっと、お酒を飲んだことと……他人に初めて、自分の過去を話したことで……こんな夢を、見たのだろう。

 

 

 

 

 

 

 …………ああ、でも。

 

 

 

 

 私が専門学校を卒業するときに書いた論文には、びっくりさせられた。

 

 

 

 

 

 三万文字を超えるDMがいきなり送られてきて………見てみたら、日本の、有名なトレーナーからで……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……あれが、私の運命を変えていくことになる、なんて──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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