「さて、最後にアイネスだな。前も言ったが、君は走れるレースが多い。フラッシュと出走レースが被っても全く気にしなくていいからな」
「はいなの。でも…そうね、とりあえず直近のGⅠは秋華賞で。ササちゃんとイルイルと走りたい…お尻ひっぱたかれた借りも返さないとね」
「ああ…アメリカから帰ってきた頃に、カフェテリアで思いっきりひっぱたかれてましたねアイネスさん…」
「いい音してたね☆」
俺はアイネスに出たいレースを確認した。
彼女はマイルから中距離を得意としている。
また、ジュニア期に俺が仕上げたことで短距離も十分に走れる脚を持っている。
練習で走らせたところ、長距離も決して苦手というわけでもなさそうだ。それ専用に仕上げれば、2500m以上のレースでも好走を見せるだろう。
つまりは、芝のレース全てに出られるポテンシャルを秘めているのだ。
そんな彼女が選んだ答えは、やはりというべきか秋華賞への出走だった。
彼女のライバルと言えるサクラノササヤキとマイルイルネル…ティアラ路線を走る2人から以前に宣戦布告を受けていたこともあり、そこでの決着を求めたようだ。
それに反対するつもりはない。しかし俺は彼女の話の中の、「直近のGⅠ」という表現に僅かに疑問を持った。
「秋華賞出走は問題ないが…アイネス、一応確認しておきたい。君は芝の短距離も走れる脚を持っている…スプリンターズステークスだって、出ようと思えば出られるぞ?」
「あー……そうね、考えなかったわけじゃないんだけど…」
俺は彼女が口にしなかったレース、9月後半に開催される短距離GⅠのスプリンターズステークスを挙げる。
時期的にも出走は問題ない。秋華賞の前に出たいと言われれば問題なく俺は送り出すつもりであった。
しかし彼女は彼女なりの考えをもって俺に答えを返してきた。
「短距離の後に中距離ってなると走りのペースとかが崩れちゃいそうだし、9月にはどこかの重賞でしっかり脚を整えて…できれば
「ま、確かに実戦で鍛えられるものは多いしな。特に反対はないよ。じゃあまず秋華賞で行くとして…」
アイネスのその理由はとても妥当なものだ。2000mのGⅠに挑むために中距離レースで改めて自分の走りを確かめ、レース勘を取り戻したいというそれ。
元々その予定でもあったし、俺は特に反対することなく話を続けた。
「…先に、9月に走るレースを決めようか。重賞レースはホワイトボードに書いた通りだが、どれに挑む?」
「秋華賞と同じ2000mがいいよね…GⅡは全部2200m以上だから、GⅢだけど9月前半の紫苑ステークスに出たいの。そこで落ち着いて自分の脚を確かめたい、かな」
「GⅡなら1800mのローズステークスもあるぞ?2000mに近い距離だし、そこまで差があるわけではないが…」
「んーん、出走するレースのグレード自体はあまり気にしないの!OPだとファル子ちゃんと同じ理由で流石にアレだけど、GⅢ以上なら選り好み無し!距離で決めるの!」
「そっか。アイネスがそう言うなら、それにしよう。じゃあ早速再来週に紫苑ステークス、その後秋華賞ってのがまず直近の予定だな」
俺はホワイトボードにそれを記載しながら、続いてその後のレースについて話を伸ばす。
「さて、それじゃ秋華賞の後の出走レースだ。出られるGⅠとしては、エリザベス女王杯、マイルCS、ジャパンカップ…そして有マ記念、ってところだな。前の3つからは1つだけ選んでもらうことにはなるが」
「なの。…うーん、有マ記念はやっぱり出たいからそこは決まりとして。どうしようかなぁ、その3つ。悩むのー…!」
「どの距離も走れるのは羨ましいですが、選択で悩むのはそういった方々のあるあるですね」
「ねー、オグリ先輩やマルゼンさん、ミークちゃんとかも悩んだーって言ってたね☆」
以前、年明けに1年のレースプランの大まかな話をしたときにも、アイネスはこの秋のGⅠ戦線の出走レースで悩んでいた。
有マ記念は年末なので出走間隔も十分とれるため問題なく確定として、この秋GⅠの3つ、それぞれが栄誉あるレースである上にスパンが短い。
どれもシニア級になっても走れるレースではあるものの、今年の出走レースとしてはどれか一つだけを選ぶ必要があった。
「エリザベス女王杯はティアラ路線と言っても過言じゃないからな…多分だけどサクラノササヤキとマイルイルネルはここに来るだろうな。マイルCSはシニア級のマイラーが集う激戦区だ。ウオッカやスカーレット、他にもマイルを得意とするウマ娘が集まってくるだろう。ジャパンカップは言わずもがな…マジェスティックプリンスが来るし、2400mを得意とするウマ娘が集まるな。フラッシュもそうだし。…どこに行っても熾烈なレースになるのは間違いないだろう」
「うーーーーーーん……とりあえず、さ。フラッシュちゃんの脚次第だけど、フラッシュちゃんがジャパンカップに出られるようだったら、わざわざカチ併せに行くことはないかなって」
「ん、そうか?…ダービーの時だって言ったが、遠慮しなくていいんだぞ?」
「そうですよ、アイネスさん。また2400mで競い合えるのであれば私だって望むところです」
「やー、遠慮とかじゃないの!ダービーの時はどうしても
それぞれのレースに出走しそうなウマ娘を挙げてアイネスの判断の材料にしたところ、アイネスはジャパンカップへの出走については強く考えていないことを述べた。
フラッシュの言う通り、アイネス自身が望むのであればジャパンカップに二人送り込むのもやぶさかではなかったが…彼女自身に強い出走の希望がないとなれば、そこに俺から出走を強要する理由はない。
「そう、か。それじゃあエリザベス女王杯かマイルCSになるかと思うけど…」
「ねー、そうなると…マイルCSかなぁ。エリザベス女王杯、出走は行けると思うけどなんだかんだ11月前半で、秋華賞からそこまで間が空いてないしね。脚が万全の状態で挑みたいの!」
「確かに、秋華賞からエリザベス女王杯ってなるとそこそこスパンが短くなって脚への負担は考える必要があるな…わかったよ。それじゃ、マイルCSを挟んで有マ記念、そこで決定だな」
「はいなの!出るからにはきっちりそれぞれ勝ち切って見せるから!」
「ああ、勿論俺も君の脚を仕上げ切るために尽力するよ。よし、これで3人とも組み終わったな」
俺は改めて3人の出走プランを記したホワイトボードに目を向ける。
遠征時期が致命的に被っているようなレースもないし、今はサブトレーナーもいる。問題なくそれぞれのレースの監督をできるプランだ。
改めてそれをみんなで見ながら、それぞれの顔を見る。自分の出走レースがはっきりと決まったこともあり、さらなるやる気に満ち溢れた表情をしている。
『…………』
そんな中で、SSが出走レース予定表と、愛バ達の様子を見て…どこか、怪訝な顔をしているのを俺は見た。
「…SS?何か、出走レースについて意見があるかい?」
「…あー、いや、別にねェよ。それぞれ理由があって組んだモンだしな、アタシもそれに合わせて足のケアやら走りやら見てやらぁ。頑張ろうぜ」
「そう?なら…もし何かあればいつでも意見は出してくれよな。じゃあこれで決定!頑張っていきましょう!」
「はい!」
「うん☆!」
「やってやるの!」
俺たちは今一度今後の出走レースに対して目線合わせをして、意気を高めた。
そうしてその後は本日の練習となる。
夏合宿中に出来なかった運動器具を使った練習を予定しているので、トレーニング室への移動だ。
戸締りをするためにまずウマ娘達を先に向かわせ、俺とSSがチームハウスに残る。
後を追うために電気を消したりエアコンを消したりなどしていたところで、SSがぼそりと一言呟いた。
『───────I submit to you that if a man hasn’t discovered something that he will die for, he isn’t fit to live』
『……ん?SS、なんて?』
唐突な英語で脳内の意識を英語に切り替える事ができず、彼女の早口の言葉を十全に理解できずに聞き逃してしまった。
『…別に。ちょっとアイネスの様子が気にかかっただけよ』
『アイネス?…ああ、それは俺も少し感じたな…ジュニア期のころや、ダービーの時にあった、ガンガンレースに勝ちたい、って感じの熱は見えなかったかもだが…でも、レースを選んだ理由とかはしっかりしてたしな。大人になったって面もあるんだと思う』
『どうかしらね。私はあの子の以前の様子を知らないから…ただ…』
『ただ?』
『私の経験だけど。子供みたいに「負けたくない、絶対勝ちたい!」って我儘を言える方が、レースを走るウマ娘としては健全よ』
『……そうかも、しれないな』
俺たちは、今日のアイネスの様子について思案する。
フラッシュと、ファルコンは、これまで通りだった。
フラッシュは誇りある勝利、栄誉あるレースでの勝利を求め、また同じチームの二人の想いも乗せて走りたい、勝ちたい、と強い熱を維持していた。
ファルコンはむしろ前以上にダートレースでの勝利の渇望が強まっていた。トレーナーとして見るならばこれほど心配がいらないことはない。熱が暴走しないかだけ注意すればいい。
だが、アイネスは…どうにも、静かさがあったように思う。
別に変なことじゃない。練習だって他の二人と同じくらいいいタイムは出ているし、領域がまだ安定しないとはいえ、勝ちきれる実力は持っている。
ただ…ジュニア期のころの、がむしゃらにレースに出て勝ちたいと思っていたころの気持ちや、フラッシュとどうしても戦いたくて乗り込んたダービーの時のような、灼熱の想いが感じ取れなかったことも事実だ。
ダービーでの敗北、それ自体は…あの後、アメリカにすぐ飛んではいたが俺もメンタルケアには努めた。慰めてあげたのは当然のこととして、アメリカ遠征中も、帰ってからも、色々話を聞いている。
そうした中で、敗北自体を引きずっている様子はなかった。全力を出し切った上での敗北であったため、わだかまりの様なものはなかったと思う。
しかし、その後の熱が…あまり、感じられないように思えた。
考えすぎなのかもしれないが、まるで
彼女の心が、凪いでいる。
……いや、考えすぎだと思いたい。
さっきの話だって邪推して聞けばそのように感じられるかもしれないが、素直に受け取ればライバルとの決着を望み、万全の状態で秋華賞挑むための紫苑ステークスへの出走である。その後のGⅠだってチームメンバーとわざわざぶつかるのを避けているだけで逃げているわけではない。逃げているなら強敵集うマイルCSへ出走を選ばないだろう。
出走レース自体がどう、ということはない。
強いて言えば、モチベーションの問題。そこは今後よく注意して見守っていく必要があるだろう。
『少し、気にしておこうか。本人にはまだ相談するタイミングじゃないと思うけど。…SSも、アイネスの様子で気づいたことがあったらまず俺に共有してくれ』
『OK。私の日本での初めての教え子だからね、気にかけておくわ』
俺たちはアイネスのその様子について目線を合わせ、そうして今日の練習に向かうのだった。