その事件は、学園の各所で同時に起きていた。
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「しっかし…ゴルシの奴はよくまぁあんなに元気なもんだよなぁ。アイツも一時帰国で疲れてると思うんだが…」
「ふふ、お疲れ様です。沖野トレーナーは大丈夫ですか?」
「ああ、あそこまではしゃぐのは無理だけど、俺も飛行機の中でよく寝たしな」
学園の校舎裏。
人気の少ないここで、ヴィクトールピストの海外挑戦でフランスにいたところ、ファン感謝祭が開催されるため一時帰国していた沖野トレーナーと、それに付き従うように歩くサイレンススズカの姿があった。
沖野はヴィクトールピストの先日のニエル賞による脚の負担を抜く時期を合わせて、昨日日本に帰国し、そうしてファン感謝祭に参加していた。
無論、日本に残した愛バたちの様子を見るため、という理由もある。
「俺のいない間、変わりはなかったか?」
「ええ。みんな、予定のとおりトレーニングしています。スペちゃんもマックイーンも、食べ過ぎて太ったりはしてません」
「そっか。…スズカがしっかりしてくれてるから、俺も安心して飛び回れるってもんだ。ホント、いつも助かってるよ。ありがとな」
サブトレーナーとして日本に残りチーム『スピカ』の監督を代行しているスズカに、沖野は感謝の言葉を述べる。
それを受け取るスズカは、柔和な笑顔を浮かべたのち、しかし、普段の彼女らしさとは少し離れた、乙女のような甘えを見せた。
「ありがとうございます。…でも、沖野トレーナーがいないと、私、寂しいです。…ヴィイちゃんも大切なのはわかっていますが、もっと…私の事も、大切にしてほしいです」
「…!?いや、勿論スズカの事も大切に想ってるぞ!?当然だとも!チームみんなも、もちろんそれぞれ大切だが…!」
沖野はそのスズカの妙な雰囲気が漂う様子に面くらい、彼がいつも咥えている蹄鉄状の飴を口から零しそうになった。
スズカは走る事を、先頭の景色を見ることを何よりも大切にしている先頭民族である。
普段は走る事に集中し、走る事に関連するサブトレーナーとしての仕事もしっかりこなしてはいるが、しかしここまで、なんというか、女子らしいというか、そんな雰囲気を醸し出すことはこれまでになかった。
随分と変化を感じる。
そういえば、立華君に預けたアメリカ遠征から帰ってきて以来、どうにも距離を詰めてくるようになった気がすると沖野は改めて思い起こす。
以前にアメリカ遠征に行った後も近いことになった。どうやら彼女は先頭を求める本能とは裏腹に、どうにも寂しがり屋でもあるようで、その時はスペシャルウィークや仲のいい同級生、そして自分に甘えてくるようなことが多かった。
先日のアメリカ遠征もスピカから参加したのはスズカだけであり、やはりそれが寂しかったのだろうか。
しかし、その、なんだ。甘え方が、なんだか、色っぽくなったような。
フェリスのウマ娘たちから何かの影響でもうけたのだろうか。
「…本当、ですか?私の事、大切に想ってくれていますか?」
「…ああ、勿論だ!」
一歩前を歩いていたスズカがぐい、と距離を詰めてくる。
見上げられるような形になり、そうして、間近に彼女の栗色の髪がふわりと広がった。
ヤバい。
なにか、ヤバい。
彼女の顔を、真正面から見られない。
何故なら、沖野もまた、彼女に対して…その脚が砕け、しかし想いを籠めて再生した道程を辿った際に、彼女だけへの特別な感情を持っていることを、否定できなくなっていたから。
「では…私のお願いを聞いてくれますか?」
「あ、ああ!何でも言ってみろ!」
「…では、目を、閉じてください」
ごくり。
沖野はそのスズカの余りの掛かり具合に圧を感じたが、だからといって、ここで目を閉じないで逃げるなんて選択肢を取れるはずもなかった。
もうなるようになりやがれ、と半分やけっぱちで、沖野はその目を閉じた。
ギリギリ、トレーナーとしての最後の一線を越えてはならぬという抵抗で、口にくわえた飴の棒をブロックするように前にだけは出していた。
「……ふふ、トレーナー。そんなに怖がらないでください。それに…あらかじめ言っておきますが」
「な、何?なんだスズカ?」
「…騙してごめんなさい。でも、寂しいという気持ちは、本当ですよ」
「……は?」
何て?
そう、スズカに問いかけ返す前に。
聞き慣れた声と、見覚えのあるシチュエーションが彼を襲った。
「よっしゃよくやったスズカぁーーーーーッ!!」
「確保ォーーーーーーッ!!」
「どわぁっ!?何だお前ら!?」
チームスピカの中でも身長の高いゴールドシップとダイワスカーレットが沖野の頭からズタ袋を被せた。
あまりに心当たりがありすぎる仕打ちに、沖野はここでようやく自分がドナドナされようとしていることに思い至った。
「抵抗は無意味だぜぇ!!おら運ぶぞー!」
「ヤッチャウモンニー!」
「隙を見せましたわねトレーナー!!さあ持っていきますわよ!」
「けっぱるべー!!えっほ、えっほ!」
「沖野トレーナー、観念してください!!」
「いつの間にお前ら集まってたんだよ!?スズカ!?どうなってんのこれ!?」
「ごめんなさい…ふふっ、ごめんなさい…!」
そのまま他のウマ娘達に体を抱え上げられ、えっほえっほとどこかへ運ばれて行きながら沖野は断末魔を上げた。
何だ、何が起きている?
その問いかけをスズカに返したが彼女からは謝罪の言葉しか返ってこなかった。しかもその言葉に含み笑いが交ざってる。
なにやら彼女たちにとってよっぽど楽しいことが起きる様だが、しかし何の説明もなくズタ袋を被せられて運ばれることがここまで恐ろしいものだとは思っていなかった。
沖野は改めて己の愛バ達がスペに対し恐ろしいことをしていたものだと反省し、しかし最後まで抵抗を諦めないままにどこかへと運ばれて行った。
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「マスター。何も言わずに抵抗せずに、この袋を被ってください。ミッション『ドナドナ』開始します」
「ブルボンさぁん!?何で最初に全部説明しちゃうのぉ!?」
「………何故だ」
黒沼トレーナーは、今日の各種イベントへの参加を終えてチームメンバーを集め、労りの言葉をかける軽いミーティングを開こうとしたところ、なぜか手に大きなズタ袋を持ったミホノブルボンに攫って行く宣言をされていた。
ワケが分からない。
俺のブルボンは確かに時折天然をかますことがあるが、しかしここまで訳が分からないことをするようなウマ娘だったか?
……だったかもしれない。
「申し訳ありません、マスター。その問いに対する回答権限を私は持っていません」
「…ライス。説明しろ」
「ひぇ…!ごめんなさいお兄様、ライスも話せなくて…!でも、捕まってくれないとライス達が困っちゃって…!」
ブルボンに説明を求めたところ断られ、ライスに振ってみたがやはり断られた。
他のチームメンバーにサングラスの向こうから目線を振るが、しかし誰もが己から目を逸らす。
誰も答えられないようだ。
何が起きている?これもファン感謝祭のイベントの内なのか?
しかし、俺には何も知らされていない。
他のトレーナーと今日の演目について打ち合わせをしたこともあるが、その中でもこんなイベントを知っているトレーナーは一人もいなかったはずだ。
「…………」
黒沼は考える。
このまま素直に捕まる理由はない。
だが、捕まらない理由もない。
俺のチームである『ベネトナシュ』は、確かにスパルタな練習で有名であるが、しかしそれを乗り越えられるウマ娘が集まっており、絆は強いほうだと確信している。
また、自分自身もチームのウマ娘に対してそれなりの関係を作れているものだという自負もある。
彼女らの、珍しい…おねだりの様なその暴挙に、しかし、ふざけるな、と言葉を返すほどこの男は心が冷たいわけではなかった。
ふと、黒沼の脳裏に最近交友を深めたトレーナーのすっとぼけた顔が浮かぶ。
立華なら、このようにウマ娘に言われても躊躇いなくその身を捧げることだろう。
それはあの男がクソボケであるという理由のほかに、ウマ娘を信じ切っているからだ。
クソボケの部分はどう考えても悪癖で、うちのウマ娘にだけはちょっかいを出すんじゃないと圧をかけてはいるが、しかしウマ娘を信じぬくその姿勢は見習う所があった。
…甘えさせてやるか。
このファン感謝祭と言う彼女たちにとって一大イベントであるそれで、何か彼女たちのほうで考えがあってこのようなお願いをされているのであれば、それくらいは受け入れてやるのもトレーナーとしての懐の広さであろう。
「……フー……いいだろう。持っていけ」
「!…有難うございますマスター。私の好感度ステータス上昇。98%を記録しました」
「100%になったらどうなるのそれぇ…!?じゃ、じゃあ…ごめんなさい、お兄様!大人しく運ばれてね…!痛くしないから…!」
「が、頑張ってください黒沼トレーナー!」
「応援してますからね…!後で怒らないでくださいね…!」
腕組をしたままの黒沼に、ブルボンがばさぁ!とズタ袋をかぶせて、そうしてウマ娘達の手によって運ばれる黒沼。
全く抵抗せず微動だにしないその様子はむしろ清々しさすら感じられるほどの、ウマ娘への信頼の証だった。
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「キタハラ…」
「え、何?なんで俺壁際に追い詰められてんの?何なの何!?ノルンちょっと!?」
ここは教室棟。
自分のチームのウマ娘であるノルンエースから壁ドンを食らい、微動だに出来ない北原穣の姿があった。
つい先ほど、オグリの屋台巡りの見張り兼ブレーキ役の仕事を終えて、ベンチに座って休憩していたところをノルンエースに見つかり、一緒に回らないかと誘われた。
疲れもあってちと億劫だな、と表情に出してしまったところで無理やりノルンエースに腕を引かれてそのまま人気の少ない方へと連れていかれた。
そうして壁際でいきなり壁ドンをされているのが今の状況である。
「…キタハラさぁ。今日、ずっとオグリといたじゃん」
「あ、ああ?そうだな、一番目を離せないやつだし…でもベルノもいたぞ?」
「違くてさぁ…はぁ…。…一応、あーしだってチームのウマ娘じゃん。ほっとくのってどーなん?」
「あ?いや、でもお前はチームの中でも一番しっかりしてっから、あんまり心配いらねぇかなって思ってたんだけど…何、もしかして何かあったか?」
「っ…違、違わない、けど…そうじゃなくて……」
「…オイどした?マジで何かあったのか?大丈夫か…?」
そうして問い詰める側のノルンエースが、しかし北原の何気ない一言に反応して尻尾をぶんぶんと振ってしまい、それを見た北原がさらに怪訝な様子で心配の言葉をかける。
だが二人が壁際にいるそのそばの曲がり角の向こう、彼のチームのウマ娘達が集まってそれを盗み聞きしていることを北原は気付いていなかった。
(ノルン…!自分が気を引くって言ったのに何反撃されてんだよ!?)
(このクソザコがよぉ…!)
(最近のキタハラは立華トレーナーに似てきたな…?師は弟子に似るといったところか…はぁ……)
(まだか?もういいか?時間がかかりそうなら焼きそば食べてていいか?)
オグリが音を立てずに焼きそばをすする横で、ズタ袋を構えて合図を待つルディとミニーはそのノルンの様子にやきもきしており、そんなメンバーの様子にため息が止まらないマーチ。
曲がり角の向こうでそんなことが起きているとはつゆ知らず、北原がノルンの顔を正面から見据えて、様子をうかがう。
北原にとってそれは診察である。以前立華という才能ある後輩から、ウマ娘の顔を見ればおおよそのコンディションは分かりますよとアドバイスを受けており、その技術を生かしてノルンの調子を見ようとしたのだ。
「ちょっと目ぇ閉じろ。眼圧とか診るから…調子悪い所はどこだ?痛むところとかないか?お前もこれからGⅠレースに挑むわけだからな、体調不良があっちゃまずい」
「や…ちが、何でもないって!」
「何でもないってワケあるか。ホレ、よく顔見せろ」
「ちょ……だ、めだって……」
ノルンエースは思わぬその北原からの反撃に、まるであの
間近で、真剣な顔で己を見つめる北原の顔を直視できなかったからだ。
「……」
「よし、そのままにしてろよ…えーと、確か立華君が言うには……顎の下、このあたり……」
「確保ォーーーーーーーーーーッッ!!!!!」
「もう我慢できるか確保ォーーーーーーッ!!!!」
「ってなんだぁーーーーーっ!?!?」
しかしノルンにとっての蜜月は長くは続かなかった。
北原がノルンの顎に手を伸ばしたあたりで痺れを切らしたルディとミニーが吶喊し、北原に躊躇わずズタ袋を被せてしまったのだ。
「…って、ちょ!?アンタら出てくるのが早いってぇ!?」
「うるせー!中年相手にあんな顔してたノルンに発言権はねぇー!!」
「目を閉じさせるアンタが目を閉じてどーするんだよこのクソザコがーっ!!」
「はぁ…こんなことになるとは思っていたが…」
「む。運ぶか?よし、キタハラ、抵抗するなよ。えっほ、えっほ…」
「何!?なんで俺持ち上げられてんの!?なんなのぉ!?!?」
そうしてチームカサマツのみんなが集まり、北原を持ち上げてドナドナに入る。
いい所でカットインされたノルンエースが誤魔化すように赤くなった頬を叩いた。そうしてまた一匹の生贄がレース場へと運ばれて行った。
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「…なぁ、これどうするよ…?」
「どう、しましょうね…?」
「…ふぅン。トレーナー君、キミ、もうちょっと姿勢を下げられないかい?」
「ほわぁ~…これ、袋一枚で足りるのでしょうか~?」
「……いえ。姿勢を下げろと言われれば、下げますが……」
ここはグラウンドの近く。
チーム『レグルス』のウマ娘達と、そのトレーナーである小内トレーナーが、何やら一悶着を起こしていた。
「…その、自分で申し上げるのも何なのですが。私を袋に入れて運ぶのは、いささか無茶があるのでは…?」
「いや、俺だって一番デカい袋借りてきたつもりなんだけどよォ…」
「私だったら二人くらいは包めそうな袋なんですが…」
「うーむ…駄目だね、やはり袋一枚では上半身だけギリギリ覆えるくらいにしかならない」
「困ってしまいましたねぇ~…脚だけ出したまま運んでしまっても、はしたなくなってしまいますし…」
レグルスのウマ娘たち、ディクタストライカとニシノフラワー、アグネスタキオンとメジロブライトが揃って頭を抱えていた。
彼らチームは他のチームに比べると割と牧歌的な独特の雰囲気を持っていた。小内の温和な人柄がそれを生み出しているのだろう。
こと走りにかけては気性難と表現されてもおかしくないディクタストライカですら相当に懐いているだけの理由が彼にはあった。
そうしてこの同時多発ドナドナであっても、チームベネトナシュと同じように、交渉による運搬をタキオンから打診し、小内も全く反対することなく運ばれることに同意した。流石はモルモットと言ったところである。
しかし実際に運ぶ段になって、問題が発生した。
小内がデカすぎなのである。
「ったく、何喰ったらこんなにデカくなるんだよ…」
「…では、上半身から一枚袋をかぶせて、下半身からもう一枚袋をかぶせて、それで運ぶというのはどうでしょうか!」
「ふぅン…それしかないかもねぇ。脚だけ出したままで運ぶとこの図体だ、どこかにぶつけてしまうかも知れない」
「じゃあ、それで行きましょうか~。トレーナー、脚を上げてくださいます~?」
「わかりました。これでいいでしょうか…」
そうしてニシノフラワーが解決策として発案した上下からの袋詰めにすんなりと小内が同意し、まるでズボンを履くかのようにズタ袋に下半身から入っていき、上半身からはディクタストライカがジャンプして袋をかぶせた。
謎のダブルズタ袋マンの完成である。
「っし、じゃあ気合入れて運ぶぞ!デケぇから皆で運ばねぇと落としちまうからな!」
「はい…!…あ、あれ、届かないです…!」
「フラワー君は無理しないでくれたまえ!私達を先導して道を開いてほしい!」
「トレーナー、暴れないでくださいねぇ~!重心が動くと落としてしまいそうですからぁ~!」
「わかりました。皆さん、気を付けてくださいね」
ウマ娘3人が大柄なそのズタ袋マンを抱えて運び、ニシノフラワーがそれを先導していく、謎の光景が繰り広げられたのだった。
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「………ッ……!」
「……隙が、ない……ですね…!」
エントランスホール。
そこが、凄まじい緊張感に満たされていた。
「トレーナーさん……動かないでねぇ~!」
「ターボ、痛くしないもん…!大人しくしててよトレーナー!」
「……そう、言われましても。困ってしまうのですが」
チーム『カノープス』の面々と、それを率いる南坂がそこにはいた。
つい先ほど、チームのみんなで祭を散策して楽しんでおり、その中でナイスネイチャが他のチームと同様にドナドナするため、彼の背後からズタ袋を被せて捕まえようとした、その瞬間だった。
プンッ、と空気が裂けるような音がして、その場にいた南坂の姿が消え、次の瞬間にはウマ娘達の背後を取るような形で移動したのだ。
ウマ娘の誰もが目に追えなかったほどの速さ。
あまりの衝撃に、ウマ娘達はレースに匹敵するほどの緊張をもって、彼と対峙していた。
「南坂トレーナー…!抵抗しないでください!!悪いようにはしませんから!!」
「ササちゃん、それ今言うのは逆効果じゃない…?…でも、捕まえられないとまずい。僕たちのチームだけ失敗なんて…」
「…ササヤキ、イルネル。広がって、トレーナーを囲むように。イクノ、タイミングを合わせて…どこかでも捕まえればこっちの勝ちのはず…パワー勝負なら負けない…!」
「いえ、その。理由を教えていただきたいんですが…」
ネイチャの指示でじりじりとトレーナーを囲むように移動する臨戦態勢のウマ娘達を、困ったような苦笑を零して南坂は見た。
いきなりの展開に自分も僅かばかり驚いている。
急な出来事だったため、先ほどは身に沁みついた動きでネイチャの捕獲行動を回避してしまったが、理由を聞いて納得するようなそれであれば特に抵抗するつもりもなかったからだ。
「申し訳ありません、トレーナー。理由は明かすことはできないのです」
「ただ捕まってくれるだけでいいんだ~。悪いようにはしないから~」
「切羽詰まってるもん!もう時間がないもぉぉぉん!!」
「逃がさない…逃がさないですから…!!」
「トレーナー…静かに……捕まってください…!」
南坂は掛かり気味のチームメンバーの様子に、内心で本当に何があったか、と想定できる可能性を模索する。
これが、ただの彼女たちの悪戯というものであればよい。
しかし、万が一、億が一、彼女たちがファン感謝祭に紛れ込んだ何者かによるマインドコントロールを受けて、己の人質としてその身代を取られたうえに己を捕獲しようとしているのであれば…いや、それは考えたくない。
とにかく、これをただの悪戯だと言ってほしい。
そんな想いで、しかし確証が持てないため、南坂は捕まることを拒んだ。
「すみません。…怖いので、逃げます」
「っ、確保ォー!!一斉にかかって!!」
「失礼します、トレーナー!…なっ、残像!?」
「捕まえるもん!!イルネル、後ろだもん!!」
「どりゃああああ!!!そこだぁぁ!!」
「駄目だ、ササちゃん!そっちじゃ…なっ、いない!?」
独特の足運びで流れるようにウマ娘達の攻勢をかわし続ける南坂。
これをスマホで撮影したら出来の悪い特撮映像だと思われてしまうだろう、謎の空間がエントランスホールに広がっていた。
しかしその騒動は、ひょんなことから終わりを迎える。
「止まって~……っぶっへぇ!?」
「あ、マチタン!?」
「────────タンホイザさんッ!」
南坂を捉えようと駆けだしたマチカネタンホイザが、何もない所で見事にズッコけて、その顔をしたたかに地面に打ち据えた。
顔を上げる彼女の、その赤くなった顔、鼻から一筋の血が垂れてくる。
彼女の癖になってしまっている鼻出血だ。
そして、次の瞬間にどこにいたかも把握できない残像の南坂はすべて立ち消えて、タンホイザの目の前に膝立ちで現れた。
びえええー!!と泣き出すタンホイザに、ハンカチで涙をぬぐってやって、ティッシュを鼻に詰めてやる。
しかしそれは同時に隙となった。
心苦しさを抱えつつ、しかしこの機を逃さなかったナイスネイチャが彼の右肩をがっしりと掴んでいた。
「…ぶぇ、ひっく、トレーナーぁ~……」
「ああ、ごめんなさいタンホイザさん。…私も大人気がありませんでした。大丈夫です、血はすぐに止まりますから…しばらく上を向いて…」
「……あー…その、さ。トレーナー。タンホイザの鼻血に免じて、ここは捕まってくんない?」
「…そうですね」
南坂はタンホイザへ処置をしながら考える。
マチカネタンホイザがその顔を強く地面にぶつけて、そうして涙を流したことで、マインドコントロールの可能性は消えたと言っていいだろう。
もし彼女がそういった催眠を受けてしまっていれば、たとえ転んでしまったとしても目的を遂行するために動き続けるはず。
であれば、やはりこれは何のことはない、彼女たちの可愛い悪戯だったのだ。
それを信頼しきれなかったことに反省の念を覚える。
これがきっと、あの立華トレーナーであれば、何のためらいもなく彼女たちに捕まったことだろう。
自分もまだまだ、青い。
「わかりました、大人しく捕まることにしましょう。…痛くしないでくださいね?」
「ヒョッ…ヒョエッ」
「…僕も鼻血が出そうです…」
「二人ともイケメンに弱すぎるもん!!」
「では、トレーナー。失礼します。あまり動かない様に」
そうして南坂の降参の表情が突き刺さり掛かり気味になる後輩二人は置いといて、イクノディクタスが南坂にズタ袋を被せる。
確保レベル最高難易度のトレーナーを無事捕まえられた彼女たちは安堵と共にえっほえっほとどこかへ彼を運んでいった。
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「ぶへっ……な、んだったんだ、いったい…?」
立華は、ズタ袋に入れられて愛バ達に運搬されて、ある程度の時間の後地面に降ろされた。視界は塞がったままだが、聴覚は足早に去っていく彼女たちのその足音を捉えていた。
しっかり結ばれていたわけではないそのズタ袋を、もう外してもいいのかと身をよじり脱いだところで、夕暮れに変わりかけている青空が見え目を細める。
「ここは……」
そうして、彼は見た。
一面に広がる、芝。
周りに他のチームの男性トレーナーも複数人いる。
そして目の前には、ああ、見間違うはずもない。
そこには、ウマ娘がスタートを切るのに使われるゲートが設置されていた。
『さぁっ!!!これで各トレーナーがゲート前に集まったぜェーーーーーっ!!!』
ワアアアアアアアアアアっ!!!
聞き慣れた声、ゴールドシップの実況が校内にあるレース場に鳴り響き、そうしてウマ娘で満員の観客席が大いに沸き上がる。
周りのトレーナーも、何が起きているのか理解しきれていないといった顔だ。
なんだ、これは。
まさか。これは。
これは。
────────そういうことなのか?
『宴が始まるぜぇーっ!!トレセン学園ファン感謝祭最終プログラム、第一回ッッ!!『トレーナーズカップ』左回り芝1200m!!開ッ!催ッ!っだぁーーーーーーーーーーーっっっ!!!!』
貴方の夢は?
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立華トレーナー
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沖野トレーナー
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黒沼トレーナー
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北原トレーナー
-
小内トレーナー
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南坂トレーナー