【完結】閃光と隼と風神の駆ける夢   作:そとみち

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「凪」の意味
風が止み、静まっていること。


9 凪

「しかし、まさかトレセン学園のウマ娘が来るとはね…」

 

「あたしもまさかトレーナーが雇い主だなんて思わなかったの…」

 

 お互いに自己紹介を終えて、家の中を案内しながらアイネスフウジンと俺は揃って苦笑する。

 アイネスフウジンはつい最近、この求人に登録したばかりだという。

 

「交通費をブッチできるからめちゃくちゃ時給効率がいいの!半日だけで終わるから他のバイトも入れられるし!」

 

「そっか、ウマ娘だもんな…となるとウーマーイーツも登録してるな?」

 

「モチロンなの!」

 

 生粋のバイト戦士である。以前の世界線でもバイトをしていることは把握していたが、実際に目の当たりにするといろんな感想が浮かんでくる。

 その中でも特に感じたものは、心配だ。

 

「…しかし、アイネスフウジン。君は確かまだ担当がついていなかったよな?そんなにバイトして、練習とか大丈夫なのか?」

 

「んー、ちゃんと運動系の授業は出てるの。自主トレが十分かと言われるとちょっと怪しいけど…」

 

 早速掃除を始めるアイネスフウジンに、業務の邪魔にならない程度に心配の言葉をかける。

 そう、彼女はまだ未デビューのウマ娘なのだ。

 なんなら今月の選抜レースにもしっかりと出走している。

 しかしその成績は芳しくない。確か芝1600m、4着-3着-3着だ。

 ひどい走りではないが、決め手に欠ける。もっと言えば、走りが不完全。

 彼女の持ち味である突き抜ける逃げ足が、十分に発揮されていなかった。

 

「…………ふむ」

 

 彼女の体全体を服越しに見る。

 トモはやはり才能があるウマ娘というべきか、未デビューのウマ娘の中でも十分な発育となっている。

 だが、体全体の筋力が足りない。トレーニング不足による体幹の未発達が、彼女の走りを未熟なものにしてしまっている。

 すさまじい価値を持つ宝石が、磨かれずに曇っている状態だ。

 もったいない。そんな感想が頭に浮かぶ。

 

「…ちょっと、立華さん?あたしを見る目が怪しいんだけど?いきなり問題になるのはやめてほしいの」

 

「待て。そういう目で見てるわけじゃない…トレーナー目線で、走りについて考えを飛ばしてただけだ」

 

 アイネスフウジンに己の視線を指摘されて慌てて目を閉じる。

 そして話をうやむやにするためにオニャンコポンを顔の前に持ってきて盾として装備しながら、俺は言葉を続けた。

 

「…アイネスフウジン。雇った俺が言うのもなんだが…もう少しバイトを減らして、練習を増やしたほうがいいと思うぞ。いい脚してるのに、勿体ない」

 

「……勤務初日でそんなこと言われるとは思ってなかったの」

 

 えー?と面倒くさそうな表情を作るアイネスフウジン。

 まぁ確かに、そんな返事が返ってきても仕方がない。

 彼女からしたら、担当でも何でもない新人トレーナーが雇い主という立場で偉そうに説教しているだけなのだ。

 

 言い過ぎたか、と俺も反省の色を浮かべて、オニャンコポンの手をもって反省のポーズを構える。

 そんな様子に苦笑して、アイネスも肩の力を抜いてくれたようだ。

 しかし、続く彼女の言葉に、俺はまた感情を大きく揺さぶられることになった。

 

「大丈夫なの、どうせ次の選抜レースが最後のチャンス(・・・・・・・)だし」

 

「……なんだって?」

 

「…あ。やば、言っちゃったの……」

 

 しまった、という顔でアイネスが口元に手を当てる。

 俺は聞き逃せない内容が含まれた先の発言に、追及する。

 

「…最後?……何か、事情があるのか?」

 

「あー……気にしないで?って言っても、聞かないタイプのトレーナーだよね?立華さん」

 

「ああ。零した相手が悪かったな。話せば楽になるかもしれないし、壁にでも話してると思って聞かせてくれ」

 

「んー……いや、ね。ちょっと、学費が厳しいの。お父さんが倒れちゃって…命に別状はないんだけど…」

 

 ぽつ、ぽつとつぶやくようにアイネスフウジンがこぼした事情はこうだ。

 元々、アイネスフウジンの家は裕福なほうではなかった。

 一般家庭に3人のウマ娘。その中でも長女のアイネスフウジンは、幸いなことに走る才能があった。

 中央トレセンの試験をせっかくだからと受験してみたら合格、しかし学費の高さもあり遠慮していたアイネスフウジンだったが、子を思う両親の、せっかくウマ娘として生まれて中央に合格したのだから、という推しもあって入学した。

 

 だが、中央トレセン学園の学費は高い。

 元々種族として大食漢、かつ高性能な設備の整備費用などもあって、結構な学費がかかる。

 もちろん、奨学金制度などもあって、一般家庭出身のウマ娘でも在学をする分には問題ない程度には抑えられている。

 だが、その奨学金制度が適用されなくなる時期がある。

 本格化を迎えた後だ。

 

 本格化を迎えた後は、契約を交わしたトレーナと共にトゥインクルシリーズ、実際のレースに出走していくことになる。

 そこで賞金を獲得することが予想される──いや、そうあるべきである、というURA全体の意向もあり、奨学金はよほどの特別の事情がない限り一時打ち切りとなる。

 なのでウマ娘達は我先にと契約するトレーナーを見つけ出すのだ。その背景には切実な事情があった。

 

 つい先々月に本格化を迎えたアイネスフウジンも、奨学金制度が停止されていた。

 とはいえ、もちろんそれはわかっていたことであり、アイネスフウジンの両親もそれに備えて日々の生活を切り詰めて貯金も作っていた。

 だが、タイミング悪く、サラリーマンとして働く父親が急病で倒れたと連絡が入った。

 命に別状はなく、メンタルに影響があったりもしなかったが、しばらくの病休。

 公的制度による補償も受けてはいるが、4月には双子の妹が進級するなど、他にも出費が重なってしまい……学費が、かなり際どい状況となってしまっていた。

 

 もちろん、親は気にせずに学園に居続けてくれと言ってくれてはいる。家族はみな、中央にいる自分を応援してくれている。

 だが……それをアイネスフウジンが享受するということは、現時点では、両親と可愛い妹たちの生活を削るということと同義であった。

 その状況を長く続けることに、アイネスフウジンは耐えられなかったのだ。 

 

「…だから、あたしもバイトで頑張って補填してはいたんだけど…ね。もし今回の選抜レースでダメだったら…」

 

 今回の選抜レースで担当がつかないと、今年に開催される最初のメイクデビューには間に合わない。

 そうなると賞金が獲得できなくなり、結局のところ負担がいくのは実家の家族たちだ。

 

 

 …そういった事情により、アイネスフウジンがこの学園に残るためには、次の選抜レースで結果を残し、スカウトを受けて、最速でメイクデビューを勝ち切る必要があった。

 

「…そんな事情があったのか」

 

「うん。それで、ここ1か月くらいはバイト増やさざるを得なかったの。練習しなきゃ、とはわかってるんだけどね…」

 

 話を聞き終えて、俺は、深くため息をついた。

 もちろん、学園の制度について俺は誰よりも理解している。

 恐らくだが、父親が急病という事情もあるので、奨学金制度などは申請すれば復活はするだろう。

 だが、奨学金というものはいわば将来を見越した借金だ。

 勝ち切れず花咲かず、トレセン学園を後にするウマ娘もいることは悲しいが事実である。

 そうしたウマ娘にとって、さらに奨学金返済の負担は大きいものとなってしまう。アイネスフウジンにとっては選び難い選択肢だろう。

 

「勝てば、ね…全部丸く収まるの。けど、勝ち切れないレースが続いているのも事実で…なかなか「ウマ」生は「ウマ」くいかないの。なんてね」

 

「…会長が聞いても笑えないレベルのひどい冗談だ」

 

 ああ、本当にひどい冗談だ。

 何の因果で、こんなに才能のあるウマ娘が、練習不足と不幸が重なって、トレセンを去るなんて憂き目にあわなければならない?

 

 アイネスフウジンは強いウマ娘だ。

 エイシンフラッシュやスマートファルコンと同様、これまでの俺のループを繰り返した記憶で、何度もライバルとして立ちはだかった、駆ける風神。

 そして今日改めて全身を観察しても、才能に溢れるその両足。

 ただ、今はそれが磨かれていないだけ。磨くのを怠っているだけ。

 …勿体がなさすぎる。

 

 俺は…アイネスフウジンに、何というべきか悩んで、しかし声をかけ───

 

「あ、同情で担当になるなんて言うのはやめてほしいの」

 

 ────ようとして、止められた。

 二の句を告げる前に、アイネスフウジンが続ける。

 

「…ウマ娘とトレーナーの関係ってそんなに軽いものじゃないでしょ?勝ってもいないあたしに、家庭の事情を聴いたから、ってだけで担当になる、なんて言わないでね?そんなんじゃスカウトを受けられなかった他の子にも失礼だし…あたしだって、まだ諦めたわけじゃないの」

 

「…だが、はっきりと言わせてもらうが、明らかに練習不足だ。次の選抜レースまで1週間もない。君が次のレースを勝ち切れるかどうかは…」

 

「レースに絶対はない、でしょ?負けるつもりで走るウマ娘なんていないの。…スカウトで声をかけてくれるのなら、選抜レースで勝った後でよろしくなの。その時は考えてやってもいいの」

 

 ふふん、と。あくまで笑顔のまま、気丈に、はっきりと同情によるスカウトはやめて、と口にするアイネスフウジン。

 しかしその表情の奥…長い人生経験を持つ俺だから察せる、彼女の気苦労が、精神的消耗が…透けて見えるようだった。

 父が倒れ、家族が苦労している中、勝ち切れず、しかし働かなければならない。

 そんな、少しずつプレッシャーに押しつぶされてしまいそうな状況に……それでも彼女は弱音を零さず、誇り高く気丈に振る舞った。

 

「さ、話はおしまいっ!…吐き出せてちょっとすっきりしたの、ありがとね」

 

「……ああ」

 

「それじゃ仕事に戻るの。ここから先は雇用主とハウスキーパーの関係に戻るからね、立華さん」

 

「…わかった。よろしく頼むよ」

 

 彼女の切り替えによって先ほどまでの話は打ち切りとなり、家事代行の仕事に戻るアイネスフウジン。

 俺はそんな、無理をしているような様子の彼女を見て、もやもやとした気持ちを抱えたまま、掃除する様子を見守っていた。

 




今回出てきた奨学金やらなんやらの設定は余り深く突っ込まないで頂けると助かります。
フラグを立てるために生えてきた設定で、そんなに重く関わらないです。レース以外で曇り続けるウマ娘はこの世界線にはおらんです。

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