【完結】閃光と隼と風神の駆ける夢   作:そとみち

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94 秋華賞

 

 

「……ん、ふっ、…ん………」

 

「大丈夫か?くすぐったい所とかない?」

 

「大丈夫…なの。…続けて……」

 

 ここは京都レース場の控室。

 本日のメインレースである秋華賞に出走するアイネスフウジンに、俺は彼女の髪と尻尾を梳くことでメンタルを整える作業に集中していた。

 オニャンコポンも先ほど吸い終えているところだ。

 前回のダービーで彼女におねだりされて以降、恐らく恒例になるのだろうと考えた俺はその後尻尾ケア用のブラシであったり整髪料であったりなどを買い揃えており、それらをふんだんに使って彼女の髪と尻尾を整えていた。

 

(なるほど…尻尾は考えつきませんでしたね…次は私もお願いしてみましょうか…)

 

(抱きしめられるのとどっちがいいかな…うーん…☆)

 

(ちょっと待って?GⅠのたびに貴方たちこんなことやってたの?)

 

 アイネスの集中を乱さないために静かに待つ他の3人が俺の背後で何やら目線によるやり取りをしている様だが、ウマ娘でない俺にはその意図を読み切ることはできなかった。

 

「…はい、おしまい。……気持ちは落ち着いてるか?」

 

「ありがとなの!うん…大丈夫。あの二人が相手だからね、負けてらんない!」

 

 髪を再度結いなおしてバイザーを被り、にこりと笑顔を返してくるアイネス。

 調子は上々といったところか。ダービーの、朝日杯のころの火傷しそうなほどの熱ではないが、しかしレースを迎えるにあたっては全く問題ない冷静さを保てている。

 後は彼女の領域(ゾーン)の問題だけだが、そこについては事前に話をしていた。

 

「今回の秋華賞は2000mだ。ダービーよりも400m短い。君なら、かなりのハイペースを作れるはず…領域の事は一旦忘れて、今できるベストの走りをしてこよう」

 

「うん!わかってるの!他の走る子には悪いけど…またレコード叩き出してきてやるの!」

 

「その意気だ。頑張ってこい」

 

 不確かな領域について期待を持つよりも、まずは自分の出来る最高の走りを。

 そうしてレースに集中することが、むしろ領域に近づけるということを俺は経験で知っている。これはSSも同意見だ。

 

 あとは、相手のウマ娘…特に、サクラノササヤキとマイルイルネルが何をしてくるかという所だが、彼女たちも相当に仕上げてくることは予想が出来ている。

 なにせ、彼女たちは前回のGⅠ、NHKマイルとオークスの後、他のレースに出走せず直行でこの秋華賞に挑んできているからだ。

 出走回数は多いほうのチームであるカノープスとしては珍しい事だ。つまりこれは、南坂先輩が二人の希望を汲んだものだと察せる。

 つまり、彼女たちはレースに出走しないその期間で、己を磨き上げたのだ。

 油断はできない。彼女たちの内にこもる熱量は、アイネスよりも強いかもしれない。

 なにせ、彼女たちは追う側だ。アイネスと言う高い壁を越えようというチャレンジャー。

 往々にして、奇跡を起こすのは挑戦者の側だ。

 

「…時間なの。行ってくるね!」

 

「ああ、勝てよ!」

 

 俺は彼女を送り出し、チームメンバーと共にゴール前に向かうのだった。

 

 

────────────────

────────────────

 

 

「すー、ふーっ…」

 

 ゲート前にやってきたアイネスフウジンが深呼吸をして気持ちを落ち着けている。

 久しぶりのGⅠだ。勝負服に身を包み、先ほど己が信頼するトレーナーに整えてもらった髪と尻尾を秋口の風に流しながら、これから始まるレースに想いを馳せる。

 …トレーナー達が、自分が領域に入れなくなっていることを心配してくれているのは分かっている。

 自分としても、何故だ、と悩んでいる部分もある。

 だが、そこに焦りはない。

 そもそも、私の脚は強い。これは自慢でも慢心でもなく、あのトレーナーが夏合宿で磨き上げてくれたから、という確かな信頼によるもの。

 その脚を持って走れば、領域に頼らなくとも……負けない、はず。

 

「…アイネス先輩!今日はよろしくお願いします!」

 

「これまでの借りを返す日が、ようやく来ましたね。…今日は勝ちます」

 

「ん、二人とも…うん、今日も負けないの!」

 

 アイネスフウジンに、後からゲート前にやってきた後輩二人…サクラノササヤキとマイルイルネルが声をかけた。

 その二人とは学園内でも親しくしており、可愛い後輩だ…が、勝負服に身を包み、レースに臨む彼女たちを見て、アイネスフウジンはごくり、と喉を鳴らした。

 

 ────────仕上がっている。

 

 

────────────────

────────────────

 

 

『ねぇ、タチバナ。あの二人が、アイネスのライバルよね?』

 

『ん、ああ…そうだ。ササヤキとイルネル、これまでアイネスと何度も戦った二人だな。…しかし、凄まじいな。南坂先輩、よくぞここまで仕上げたもんだ…!』

 

 先程のパドックでも思ったが、しかし、レースが近づくにつれてなお、あの二人の熱は高まっているように感じた。

 そして今、彼女たちの脚を改めて視ると、その仕上りのヤバさが分かる。

 断言してもいい。今日の彼女たちの脚は、俺がこれまでの世界線で3年間を繰り返し続ける間に見た彼女たち、そのすべてと比較しても、一番の仕上がりだ。

 

 今日こそはと。

 今日の為に、積み上げてきたのだと。

 

 そう、彼女たちの脚が、魂が叫んでいる。

 

『……正直、学園でちらりと見た時はあんまり魂の熱は感じなかったんだけどね』

 

『…何?魂の熱?』

 

『比喩表現よ。前に言ったでしょう、私はスピリチュアルな方も重視するって。そうね…強い運命力を感じなかった…けど、今アイネスの前に立ったことで、一気に魂が燃え上がったように見えて……ああ、よほどアイネスに勝ちたかったんでしょうね』

 

 俺の感想に近いものをSSも零す。

 あの二人が、以前からここまで仕上がっていたというわけではない。学園で見た時にも、勿論鍛えていることは察されたが、今この瞬間ほどではなかった。

 アイネスと共に走るというこのシチュエーション。

 この瞬間に、二人が真に覚醒したとみえる。

 

 俺は、今までの世界線であの二人が領域に目覚める瞬間を見たことがない。

 酷な表現をしてしまうならば、世代を担うウマ娘のみ目覚めるもの…と言われる領域(ゾーン)、その高みにまで至らなかったのかもしれない。

 その運命がなかったのかもしれない。

 

 しかし。

 今日の二人は、わからない。

 

『…苦戦するわね。精一杯応援してやりましょう』

 

『ああ。それでも、俺はアイネスを信じてるよ』

 

 そう。たとえ相手がどんな強敵だったとしても、愛バの勝利を信じぬく。

 それが我々トレーナーに出来る最後の仕事なのだから。

 

 

 

 

『さあトリプルティアラの最終戦、その最後の冠を被るのはどのウマ娘になるのかっ!ゲート入りが完了……スタートしましたっ!!』

 

 

────────────────

────────────────

 

 

『各ウマ娘、順調なスタートです!しかしやはり来た!このウマ娘が来た!アイネスフウジンが彼女の代名詞ともとれる加速を進めていきます!』

 

 レースが始まった。

 スタートを順調に切ったアイネスフウジンは、これまで彼女がずっと見せて来たとおり、スタート直後からじわりじわりと速度を上げて、ハイペースな展開に持ち込むべく加速する。

 彼女の必勝の戦略にして、得意技。

 ハイペースに持ち込むことで後続のウマ娘に心理的な圧もかけつつ、スピードを奪っていくようなその走り。

 この速度についていかねば独走される。

 この速度についていったらスタミナが削られる。

 強者のみに許された絶対の作戦を持って、勝利の為にひた走る。

 

 しかし。

 今日のこの2人は、違った。

 

『3番のウマ娘がアイネスフウジンに引っ張られるように加速!何とか後ろにはりつこうと…おっとここで二番人気のサクラノササヤキが上がらない!アイネスフウジン相手に無理はしないという判断か!己のペースを保って4バ身ほど後ろを走っております!』

 

 サクラノササヤキがついていかない。

 アイネスフウジンのその加速に、これまでの様に掛かったりしない。

 

(…もう惑わされない。挑発には掛からない…そのために、私はアイネス先輩の走りを見ないで今日まで過ごした。これはタイムアタックだ…刻め!私のペースを、ビートを刻めっ!)

 

 アイネスフウジンに勝つために、アイネスフウジンを意識しないという二律背反。

 それを成すために、今日この日まで、レースへの出走も控えてただひたすらにペース走法を磨き上げてきた。

 成し遂げるために足をひたすらに磨き上げてきた。

 コンマ1秒だってペースを乱してやるもんか。

 己のペースを守り切って最終コーナーまで走り抜く。

 

 そして、その強い想いはこのウマ娘も同じ。

 

『その後ろ、後方集団の前目に三番人気のマイルイルネル!意志を感じる走りだ!周囲に注意を払い、その大きな耳をぐるぐると回しております!』

 

 マイルイルネルが、これまでのレースの中でも最高の冷静さを保っている。

 周囲のウマ娘、そのすべてに注意を払いながらも、己の道を逃さない。

 掛かり気味に走る後続のウマ娘を、振り返りもせずに道を譲り、そうして自分のペースを守り続ける。

 2000mの距離。オークスよりは短いそれだ。スタミナも磨きオークスで勝利した自分にとっては位置を上げるために加速をしても走り切れるだろう。

 だが焦ってはいけない。相手は風神ただ一人。

 彼女に勝つためには、己の最高をたたき出さねばならない。

 

 最高のタイミングで。

 最高の末脚で。

 最高の加速をして。

 

(狙う…僕だって、世代を担う一人なんだ!アイネス先輩に勝つにはこれしかないっ!!)

 

 それは、サクラノササヤキも共に狙う、彼女たちの決意。

 

 ───────レコードを狙う。

 

 そのために最適な選択肢を。

 掛からない。

 焦らない。

 勝つために、ただ勝つために。

 

(勝つ…絶対に!!)

 

(絶対に、勝つ!!)

 

 この日の為に仕上げた己の脚を信じて、竜虎が風神に狙いを定める。

 

────────────────

────────────────

 

(…っ、思ったよりついてこないの…!)

 

 ハイペースな展開を作るために中盤近くまでじわじわと速度を上げていたアイネスフウジンが、息を入れるために速度を和らげて、一度大きく首だけ振り返り後続の様子を見る。

 何人かはハイペースに巻き込めているが、しかしそれは全員ではない。特に、一番油断できない二人、サクラノササヤキとマイルイルネルが引っかかっていない。

 己のペースを守りながら走っていることを、彼女らの位置でアイネスフウジンは察した。

 

(難しいの…ここでダービーの時みたいに、後続の速度をさらに奪ってもいいけど…)

 

 アイネスフウジンはダービーの時に見せたあの逆風、相手の速度をなお奪う荒ぶる旋風の技術を己がモノとしていた。

 気迫を籠めて走る事で、それを見るウマ娘に逆風を感じさせ、そうしてアイネス自身は速度を増す。

 そんな技術を持っているが…しかし、あれは己から距離が離れるほど効果が薄くなる。

 真後ろにサクラノササヤキがついてきていればそれをぶつけてやろうと思っていたが、今彼女は自分から3~4バ身の距離にいるため、仕掛けても効果が薄い。

 

 そうなると、その技術を繰り出そうとした自分のほうが逆に疲弊を生むかもしれない。

 一瞬の逡巡。そしてアイネスが出した答えは。

 

(…いやっ!この距離をキープしながら最後まで走り抜ける!それだけのスタミナは残ってるっ!)

 

 先程坂道を上ったときに、じゃじゃウマ娘の様に駆け抜けてスタミナの温存はできている。

 脚の調子も悪くない。このまま最終コーナーでサンデーチーフから教わった曲がり方で速度を極力落とさず、そうして最終直線を全力で駆け抜ける。

 今のところ、致命的なミスは犯していない。問題はない。

 行ける。

 

 そうして最終コーナーを、これまでのアイネスとは違う、更にイン側を攻めるような角度で走り抜ける。

 ここまで後ろをついてきたウマ娘との相対速度は一目瞭然だ。みるみる差が離れていくそれを見て、観客席から大歓声が上がる。

 そうしてコーナーを曲がり終えて、あとは330mの最終直線だけ。

 

 しかし、

 ここで。

 

(────────ッ!!)

 

 アイネスフウジンの体が震えた。

 それは、これまでに彼女が()()()()味わったもの。

 偶然にも、同世代の他の優駿達の中で、アイネスだけが実戦でそれを受けた経験が少ないもの。

 

 ウマ娘が、領域に目覚めた時の、圧。

 

 それが、後方から────────()()

 

 

────────────────

────────────────

 

 

(……1分29秒、30秒、31秒…)

 

 最終コーナーを曲がり終えるサクラノササヤキが、己の脳裏に浮かぶ時計で時を正確に刻む。

 

(32秒、33秒、34秒……)

 

 このラスト400mまで、予定していたタイムからコンマ一秒たりとも崩れなかった。己のペースを、ビートを刻み続けていた。

 

(────────35、秒)

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 発動条件の難易度が恐ろしく高いその領域は、しかしこの秋華賞、最大のライバルを越えたいという強い想いをもって見事に為された。

 

 時計の針が加速する。

 それに応じるようにサクラノササヤキの脚が、加速を始める。

 時を支配した彼女の、発動が極めて難しい領域(ゾーン)が────────来る。

 

 

 ────────【トキノサエズリ】

 

 

 倍速になったかのような加速を持って、前を走るアイネスフウジンに襲い掛かる。

 

「……アイネス先輩っ!!勝負だあああ!!!!!!!」

 

 

────────────────

────────────────

 

 

(………………)

 

 マイルイルネルが、恐ろしく冷たく、まるで凍り付いたかのような思考を持って最終コーナーに入る。

 これまで、何度か走る中でこの感じを持つことはあった。

 極限の集中状態と呼ばれる、その世界。

 

 だが、その先に行けたことはない。

 何が足りないのかは、わからない。

 理外の領域に、理由などないのかもしれない。

 

 しかし。

 今日の、この秋華賞と言うレースで。

 絶対に負けたくない、先輩が先頭を走る光景を見て。

 その後ろ、目の前で、親友のサクラノササヤキが、それに目覚めたのを見て。

 

 ここまで氷点下の思考を保っていたマイルイルネルの熱が、一気に沸点を超えて燃え上がった。

 

「────負けるかァァァァアッッ!!!!」

 

 それは最早意地のぶつかり合い。

 静かに、冷静なレース展開を得意とする彼女の、しかし内に秘めた激情がここで爆発する。

 

 そうして彼女もまた至る。

 理外の領域へ。

 

 

 ────────【万歳三唱(ハイルマイネル)

 

 

 これまでも素晴らしい加速を繰り出していた彼女の末脚が、更なる輝きを持って繰り出される。

 一流の、世代を担うウマ娘と比較しても遜色ないその走り。

 

 当然だ。

 彼女たちは、このレースに全てを賭けている。

 何度も辛酸を嘗めさせられた、心から敬愛する先輩に、勝つために。

  

 

 残り、300m。

 

 

────────────────

────────────────

 

『さあレースも残り300m!!アイネスフウジンが止まらないっ!!明らかなレコードペースッ!!しかしここで来たぞ来たついに来たッ!!サクラノササヤキとマイルイルネルが凄まじい加速で追いすがっていく!!届くのか!?届くのか!?!?とうとう風神に一矢を報いるか!!突き抜けるのかアイネスフウジン!!残り200mッッ!!』

 

 

「くっ…!!」

 

 残り300m地点を過ぎて、しかし、アイネスフウジンの顔色が優れない。

 おおよそこの位置であったはずの彼女の領域は、今回のレースでも萌芽しなかった。

 後ろから、愛する後輩たちが領域を纏いぶっ飛んできている。

 

「負けない…!!それでも、私が勝つっ!!!」

 

 チームメンバーである閃光のように、姿勢を下げて全身全霊での加速を繰り出すアイネスフウジン。

 ここに至ってもなお、彼女は先頭を走っていた。

 

 そこには純然たる事実がある。

 サクラノササヤキとマイルイルネルよりも、アイネスフウジンのほうが密度のある鍛錬を積んでいるという事実。

 純粋な実力で上回っているという事実。

 立華が積み上げた軌跡の結晶である彼女の走りは、領域の一つや二つで容易くひっくり返るものではない。

 

 限界を超えてようやく互角。

 じわじわと距離が詰まっていくそれに、しかしアイネスもまた己の力だけで限界まで加速し、一番にゴールを切るためにさらに足に力を籠める。

 

 しかし。

 

 

 _──無理は、するな

 

 

 

(………、っ…!!)

 

 アイネスフウジンの加速が一瞬止まる。

 これ以上脚を回すと、なぜか、何か、致命的な限界を超えてしまいそうな、そんな気がして。

 

「……ッ、だあああッッ!!!」

 

 残り100m、その一瞬の逡巡がすべてを決めた。

 改めて加速を繰り出したアイネスフウジンに、しかし、両後方から執念の塊が、とうとう風神を捉えきる。

 先の一瞬の停滞が、アイネスフウジンの更なる加速を許さない。お先に失礼なんて言わせない。

 

「─────いやあああああああああああッッ!!!」

 

「─────がああああああああああああッッ!!!」

 

 雄たけびを上げた二人が、僅かにアイネスフウジンの肩を越えた、瞬間に。

 ゴール板が、彼女たちを迎えた。

 

 

 

『ッッ…ゴーーーーーーーーーーールっ!!際どいッ!!これは際どいぞ!!3人ほぼ横一線!!しかし体勢は僅かにサクラノササヤキ有利か!?掲示板に───』

 

 

『─────確定のランプですっ!!一着サクラノササヤキ!!二着マイルイルネル!!三着がアイネスフウジンだッ!!ぶち抜いたぞサクラノササヤキ!!とうとう風神の牙城を貫いた!!…おっと、3人ともこれはレコード!!レースレコードを更新しましたッ!!またしてもこの世代の伝説が刻まれることとなりましたッ!!』

 

 

────────────────

────────────────

 

 

「………はーっ、はーっ……!…………やっちゃったの」

 

 レースが終わり、軽くクールダウンを終えて、アイネスフウジンが青空を見上げる。

 負けた。

 躊躇った。

 最後の直線、たった一歩、踏み出すのを躊躇った。

 

 自分でも、あそこでなぜ躊躇ったのかが分からない。

 しかし事実としてその一歩分、彼女たちに及ばなかった。

 完敗だ。

 

 そしてそんな彼女を制した後輩二人は、本当に全てを振り絞って走ったようで、クールダウンをやり切れず、二人並んで仲良く芝の上、前に向かってうつぶせに倒れていた。

 そんなダービーの自分とフラッシュを想起させる彼女たちの姿を見て、苦笑が零れてしまう。

 

 強かった。

 可愛い後輩が、私を目指して、こんなに強くなっていた。

 

 それに、悔しさと共に…()()()も、感じてしまって。

 

「……ほら、起きるの!」

 

「んっひゃあいっ!!!」

 

「痛っ。…先輩、無理です…僕はもう一歩も動けませんよ……」

 

 二人に近づき、その可愛らしい小ぶりなお尻をぺちーん!と叩いてやる。

 これまで二回もひっぱたかれているのだ。これくらいはお返ししてやっていいだろう。

 

「んふー、そんなこと言ってちゃダメなの。ほら、二人とも立ち上がって……()()()()()()()?このあたしに!観客に応えないとね!」

 

 アイネスフウジンが二人の手を引いて、体を起こして立ち上がらせる。

 そうだ。忘れていた。

 二人は慌てて、何とか力を籠めて立ち上がり…そうして、これまで自分たちがアイネスフウジンに言ったように。今度は自分達の番だと、観客席に体を向ける。

 

 そこには勝者の…いや、あえてこう表現しよう。()()()()の勝ち誇る姿を、観客が待っていた。

 

「………やりましたぁーーーーーっ!!!!!!!!」

 

「ササちゃんには負けたけど、レコードです…!応援、有難うっ!!!」

 

 そうして胸を張る彼女たちに、観客席から大歓声が送られた。

 そんな姿を、アイネスフウジンは彼女たちの背中を支えて…己を超えた後輩たち二人に、次は負けない、と熱意を高めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ────怪我がなくて、よかった。

 

 

 

 

 

 

────────────────

────────────────

 

 

「……負けちまった、か…」

 

「いいレースでした…掛け値なしに。ササヤキさんとイルネルさんが、全てを振り絞る走りでしたね…」

 

「うん…悔しいけど、あんな走りを見せられちゃったら、納得するしかないね」

 

 俺達チームはゴール前で、アイネスフウジンが一歩及ばず破れてしまったのを見届けていた。

 素晴らしいレースを見せてくれた彼女たちに、拍手でそれを讃える。

 チームメイトが負けたとはいえ、勝者への敬意を忘れてはならない。彼女たちは強かった。掛け値なしに、サクラノササヤキとマイルイルネルは強かった。

 

 アイネスの走りも悪くなかった。中盤で後続に対して牽制を仕掛けなかったところなどはいい判断だとむしろ褒めたいところだ。

 しかし、領域に入れず……そして、最後の直線100mの所で、限界を超えかけた彼女は、一歩、躊躇ったように見えた。

 それが結局勝敗を分けた。

 だが、あそこで加速していたとしても、勝てたかどうかはわからない。後続の二人が捉えきるためにさらに加速する可能性だって十分にあった。

 後日レースの展開について検討と反省をする必要があり、そしてやはり領域を取り戻すことは急務ではあるが…そもそも、3人ともレコードなのだ。

 見事な走りだった、それに尽きる。

 

 レースに絶対はない。

 そして、今日はそれがアイネスの頭上に降りて来た。

 悔しいが、よくあることだ。悔しいが。死ぬほど悔しいが。

 

「──────」

 

「…SS?」

 

「…いや。何でもねェよ、いいレースだった。労りに行ってやろうぜ」

 

「ん。そうだな…よし、フラッシュ、バッグ持ってきて。ファルコンはタオルよろしく」

 

「はい。テープやアイシングスプレーが入ってるほうですね」

 

「タオルはばっちり準備してるよ!」

 

 SSが先ほどのレースの結果、それを見て、何やら思案していたようだが…恐らくは俺が先ほど考えていたことに近い物だろう。

 負けてしまったが、いいレースだった。負けた理由を探しても、明確なものはない。

 往々にしてレースとはそういうものだ。ベストを尽くしてなお、負けてしまうことがある。

 だからこそ俺たちはそこに全力を注ぎこむのだ。

 

 そうして、大歓声に包まれたレース場、そのラチを越えて俺たちはアイネスのほうへ向かった。

 

 

『───────Dead Souls(死せる魂)、か』

 

 

 最後尾をついてくるSSの、その小さな呟きは歓声にかき消されて俺の耳には入らなかった。





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