「あり先輩っ!!」
ある夏の暑い日、私の視界に体育館の高い天井が映る、そしてその視界がぐるぐる回る。妹分の後輩の絶叫がこだまする。
保健室で目を覚ました私は、保健室の先生から何が起こったのか聞くことになった。
練習中に、D(ディフェンス)を抜こうとした時に、私が守備側の女の子を低空で抜いた際にその子の肘が私のこめかみにヒットしたらしい。それで気を失った、ということだったらしい。
その日の夜、相手の女の子がうちに来て、謝ってくれた。
「わざとじゃないんだから、いいよ。」
そう私も両親も言って彼女を帰したが、私は念のため精密検査を受けることになった。
1週間、私だけ部活は休みになった。暇を持て余すが、両親は精密検査の結果が出るまでは部活に戻ることを許さなかった。仕方ない。頭を怪我したのだから。今後の勉学に支障をきたすようではまずいから。私は図書館で本を何冊か借りて、帰り支度を始めた。その時、校舎のかげから何やら人の声がする。
「お前、いくらなんでもやりすぎだろ。篠原へ肘打ちなんて。」
校舎裏で、男子と女子が言い争っている。私は息をひそめた。冷静になってその様子をうかがう。どうやらいじめではなさそうだ。男子は水泳部のかっちりした体格の男の子だった。中2から私と同じクラスになっている。そして女の子は、…あの子、私に肘打ちして、謝りに来てくれた子だ。何をケンカしているのだろう。
「だって、だって…ミキトが、私の事好きになってくれないからよ!なんであんなよそものの東京から来た女のことが好きなのよ!私達、保育園からずっと一緒だったじゃない!私は大きくなったらミキトの彼女になって、お嫁さんになるって言ったじゃない。」
「おい。声大きいぞ。落ち着け。」
「嫌だ。私の事好きじゃないミキトなんて嫌いだ!」
「俺のことはどうでもいい。だけど、篠原に迷惑をかけるな。あの子は俺とお前の仲には関係ないだろう。」
「そうやってまた篠原の味方をして!」
女子の方がわーんと泣き出している。私は見てはいけないものを見てしまったのだろう。慌てて今来た道を引き返した。
1週間後に精密検査の結果が出た。「異常なし」両親も私もほっと胸を撫で下ろした。例のかわいい後輩は家にお見舞いに来てくれた。その事を母親はとても喜んでくれた。1年の頃はなかなか栃木に馴染めない私をずっと心配していたからだ。
「これがあり先輩のお部屋なんですね。きれいですね。」
彼女は私の部屋で行儀良く座っている。
「でもアイドルのポスターとかないんですね。品の良い部屋ですね。」
私は苦笑する。年頃の女の子の部屋にあるべきものが無いところを見る限り、私もやはり変な女の子だ。そして変な知識だけを頭の中にたくさん貯め込んでる。
そして彼女は私の本棚をチラリと見た。化学系の本やら図鑑やらがあって、あまり可愛げがない部屋だ。
「あり先輩、聞いていいですか。」
彼女は振り向いて、私に向き合う。目をじっと見つめる。私は気押されるのを感じたが、大事な後輩の質問だ。何でも聞こう、と決意した。そのタイミングで母親が紅茶と菓子を持ってきた。彼女は母にお礼を言いつつもそれに手もつけず、母がいなくなってから話し出した。
「あり先輩、好きな人いるんですか?」
私は一瞬固まってしまったが、すぐに微笑して、彼女を見つめ返した。しかし、彼女は私が動揺したのに気づいたのだろう。たたみかけてきた。
「いるなら、いるって言った方がいいと思います。」
「それはなぜかしら。」
私は冷や汗が流れるのを感じながらも、努めて冷静になって、彼女に微笑みかけた。
「言いにくい事ですが、1年生の間で噂なんです。山内先輩に好きな人がいるんですけど。保育園時代からの幼なじみで。」
山内…。私に肘打ちを食らわした子だ。確かに好きな人がいるとは聞いていた。だけどその話に私は加えてくれたことがない。元々浮いていた私だから、気にもとめなかったし、今はこの後輩との時間の方が大事だったから。
「いつか山内先輩とあり先輩が衝突するかもしれないって。噂好きの子たちが言ってたけど。私はそんなことはないだろうって思ってました。あり先輩はそんなゴタゴタに巻き込まれるなら1人でいる事を選びそうだと思ったんです。」
私は苦笑した。その通りと思ったからだ。また私はこれまで静岡→東京→栃木と転校している。幼なじみなどという濃密なうらやましい人間関係とは無縁の人生だった。…そう、貴樹くんが今も私のそばにいてくれれば。彼こそが幼馴染の素敵な男友達になってくれただろうに。私はふっと息を吐いた。
「山内先輩の好きな人が、どうやらあり先輩と付き合いたいと思っているらしくって。水泳部の人らしいですね。なんか水泳部の私の幼なじみが言ってました。彼が告白するのも時間の問題だって。なんか水泳部の夏合宿で、俺は篠原明里に告白するぞー!なんてみんなの前で宣言したらしいです。」
私は開いた口が塞がらなかった。
以前にも校舎の屋上に登ったアホな男子がバレー部の誰々ちゃんが好きだとか大声で告白して先生から大目玉を喰らっていた。彼は我が校の恥だとか、伝説を作ったとかいろいろ有名になったけど、相手の女の子にとってはそんなの迷惑以外の何者でもない。しかしまさか私がその水泳部の男の子の告白相手として有名になってしまっているとは思わなかった。
「だから、あり先輩も山内先輩には気をつけた方がいいって言おうとした矢先にこんなことになってしまって。私がもっと早くこのことを伝えていたら。…」
後輩はうつむいている。私は笑顔を作って答えた。
「ありがとう。でも、山内さんは家に来て、謝ってくれたから。もうこの話はこれで終わった事。私も無事だったしね。」
私は自分のこめかみを指差しておどける。後輩は泣きそうな顔だったが、笑顔になった。
果たして、その2週間後、その水泳部の男の子は私を呼び出した。