それから半年後。
私は中3に進級する。
山内はますます水泳部の彼と仲良くやっており、バスケ部でもレギュラーで大活躍をしている。私は山内とは表面上は仲直りをした。今は私も時々バスケの試合でサブメンバーには入れるようになったが、監督は私の打たれ弱さ、体幹の弱さを物足りなく思ったのか、重要な試合ではサブメンを外される。しょせん遠距離シュートだけが取り柄の移動砲台のような私では、栃木県の強豪とは渡り合えない。そして私を慕う妹分の後輩は、2年ながらレギュラーを取った。心配していた身長が成長期で伸びたのも大きい。
その妹分も、いつの間にか彼氏が出来て、私にまとわりつく事は減っていった。「あり先輩、あり先輩」と懐かれていた頃が懐かしい。
他にも、中学卒業を控え、あちこちでカップルが誕生していた。私はそんな周りの様子を見ながら、岩舟駅で1人になる時、いつも貴樹くんのことを思い出してその思い出に浸っていた。
私達、あの雪の夜、ここで一晩過ごしたのよね。口づけを交わしたのよね。その思い出のせいか、周りでキャッキャしているカップルのことを子どものままごと遊びのように微笑ましく感じる。…しかし、今ここに貴樹くんがいない。キスなんてしなくても、ただ会って言葉を交わせればいい。そんなささやかな想いすら遂げられない現実に気づくと、悲しさで心が震えるのだった。
そして進路だが、私は初めて栃木に来て良かったと思える事態になった。
私はやはり内向的で勉強が向いていたのだろう、この岩舟の中学校でも成績は常に上位をキープしていた。そしてそんな私が目にする現実。
ー栃木県の公立上位高は、ほとんど男子校か女子校だー
私は、ちょっと驚いた。そして、自分の成績で狙うべきところは、全て女子校だということに。
私は、この状況に少しホッとしていた。もう男の子に振り回されるのは嫌だ。そして女の子の嫉妬に悩まされるのも嫌だ。貴樹くんとの美しい思い出だけあればいい。
中3の秋からはあっという間に過ぎて行った。部活を引退してからたくさんの時間を得たが、私に取っては高校受験に充てる勉強時間と同じくらい本を読む時間が増えたのが嬉しいことだった。
そして次の春には
『あり、元気でね。ありがとう』
簡潔な文だったが、不覚にも私は目頭が熱くなった。
卒業式に来てくれた母親は、感極まったのだろうか。卒業式後に私の元に来てくれた時に、目から一筋の軌跡が真下に向けて引っ張られているのに気づいた。
きっと母親は私が高校受験に失敗していたら、自分の責任として受け取ると思う。母は、そんな人だ。そういう愛情は、私は嫌いではない。だけど、私の求めているものではない。私が母親に本当にわかって欲しかったことは、東京からこちらに引っ越してくるときにただ私に寄り添って欲しかったこと。貴樹くんと離れ離れになる悲しさでいっぱいだった私に。貴樹くんとともに猛勉強してつかんだ西中の合格を母は早々に辞退手続したり、葛飾区のおばさんの家に下宿するという話も母はさっさとつぶしてしまった。その時の周りに対するやるせない気持ち、切ない気持ちは私は一生忘れる事はできないだろう。でも貴樹くんが岩舟に来てくれた時は、お弁当作りを手伝ってくれたり、私が一晩家に帰って来なかったのに警察に連絡したりしなかったこと、そして翌朝多くを私に尋ねなかったことは感謝している。父親が多忙でたまたまその日に会社に泊まりがけだったことも幸運だったが。
あの日の一夜は、私と母親の関係も変えたのだった。栃木に来た当初は私が心を閉ざしていたり、学校でいまいち溶け込めていない様子を嗅ぎ取っていたし、そんな母親の心配を私は鬱陶しく感じていた。母親が心配してくれたところで私の現状が好転するはずもなかったからだ。
だけど、今は貴樹くんとの一夜、そして水泳部の男の子からの告白を断ったことを経て、この栃木の中学でなんとか笑顔で卒業できた。
ー私は、私1人でもうまくやれていると思っていいんだよね。ねえ、貴樹くん。あなたも種子島で中学卒業を迎えたのよね。高校はきっと偏差値の高いところに受かったのかな?私もなんとか栃木の名門校に受かったんだよ。もう会えないけど、あなたはきっと褒めてくれるよねー