岩沼に案内されてたどり着いた場所は、校舎内にある空き教室の一角であった。平沼は室内へ足を踏み入れて足を止めると後ろを付いてきたであろう男を見据えるために、後方へと振り向くのだった。
「ここであれば人目にはつかないし、邪魔立てが入ることもない」
そう言葉にした岩沼は何処か清々しさというものを感じる何かがあった。トレーナー寮での先ほどのやり取りからも感じたことであったが、この平沼という男、ジョルノが想像している「敵」のイメージとは良くも悪くも乖離していた人間であった。自身の欲望に身を任せて他者のことを顧みず平然としている、そんな人物を思い描いていたジョルノにとって、岩沼のような男は正に予想外であり、どこかその心の奥底に、「覚悟」と「意思」を秘めてこの場に立っているように見えたのだった。
「君にとって、そして世間にとって私のしでかしたことはおよそ許されることじゃあない。死後の世界というものがあるのだとすれば、私…いや、私達のしでかしたことはきっと天国というものに行くことはできないだろう」
そこまで岩沼は口にすると吐き出すように流れ出ていた口上を一旦止めて、ジョルノの方へと視線をあげるのだった。その瞳には、およそ恐怖心というものは微塵もなかった。あるのはほんの少しの罪悪感と、そして何が何でもその目的を達してやる。そのためにはどんな犠牲でも払うという「漆黒の意思」そのものであった。岩沼はジョルノに向けて、その覚悟の色を滲ませた台詞を口にするのだった。
「……だからこそ。引くに引けないというものなんだよ。この場に来た以上、ここから帰るのは一人だ」
こういう手合いとの戦いが、一番苦戦の強いられるものになることを既にジョルノは悟っているのだった。きっと自身もこの戦いで勝ったとしても無傷では済まないだろう。ジョルノが自身のスタンド…G・Eを繰り出すと、岩沼は徐に口を開くのだった。
「君のそのスタンド…そして君のその瞳…分かるよ。君には「黄金の殺意」が宿っている。君にはその意思を完遂させるためには、何かを差し出す「覚悟」がある。運命に身を投じる度胸がある」
岩沼の身体をそよ風を受けた小枝のように僅かに横に逸らすと、まるで海面に浮かび上がる蜃気楼のように、そこからスタンドが出現するのだった。
「オレのスタンドの名前は…『GING・NANG・BOYZ』だ」
そのスタンドの容姿は、すらっとした人型であり、肩から管のような伸びて背中につながっていた。ジョルノは敵の攻撃を警戒しながら一歩踏み出すと、G・Eを繰り出して攻撃するのだった。
なっ……!
G・Eの攻撃を当てようとしたその瞬間、岩沼の姿は忽然と目の前から消えたのだった。予想外の出来事にジョルノが驚いていると、背後から声を投げかけられるのだった。
「……私はここにいる」
そんなまさか。ジョルノが後ろを振り向くと、そこには先ほど攻撃を加えようとしていた岩沼の姿があるのだった。攻撃を避けた岩沼のことを全く認識できなかったことに驚きを感じながら、同時に彼はそのスタンド能力の片鱗を味わうことになった。
「私の能力は「対象が体験する時間の流れ・認識を遅らせる」というものだ。君は私の能力に掛かっている間は、私のスピードにもついてくることはできないし、私が何処に移動した、何をしたのかすら認識することはできない」
岩沼の能力というものは、およそジョルノが予想していたものより遥かに強力な能力を誇るものであった。つまりこのスタンドのもとでは、自身の攻撃が岩沼に当たる前に全て躱されてしまうことにほかならず、その攻撃を一方的に受けることを意味していた。ジョルノが反射的に襲い掛かるであろう岩沼の攻撃を防御しようと身をかがめたが、その瞬間ジョルノの頬に肘鉄がめりこみ、彼の身体は吹っ飛んでいくのだった。
「……私のスタンド自体にそこまでの戦闘力はなくてね。私の攻撃では、君には死ぬ前にかなり痛い目をみることになるだろう。だが済まないという気持ちはこれっぽっちも湧かない。これは命を懸けた戦いなんだからな」
そう言うや否や、彼の身体はまた瞬時にジョルノの視界から消え失せた。すかさず背後に自身のスタンドを繰り出すが、その攻撃は壁にヒビを作るだけに終わったのだった。G・Eは一応その分類は近距離パワー型ではあるが、そのパワーは壁を破壊できるほどの力は有していない。すると脇腹に鋭い痛みが走り、ジョルノの身体は側方へと吹っ飛び、室内の棚に身体を突っ込むのだった。ガラス戸が破れると、その破片はジョルノの身体に無数の切り傷をつくり、棚に置かれていたものはその衝撃で地面に音を立てて崩れ落ちるのだった。
「くっ……」
「君のスタンドがどんな能力だろうと関係ない……君の攻撃が私に当たることなど決してないのだから……」
そう言った岩沼だったが、指に何かチクッとした痛みがしたのが目に入ったのだった……その方へと視線をやると、そこには一匹の禍々しく黒光りしたサソリが、その尻尾を高々と突き上げて自身の指を突き刺しているのだった。
「な、なに!どうしてこんなところにサソリが……!まさか……君が……!」
やはりこの男。今まで出会ったどの人物よりも覚悟を背負い、そして戦闘というものに慣れている。このサソリは、この男の能力によって生み出されたものだろう。サソリに刺されたことによって、きっと数分の内に自身の意識は失われ、そうすれば男に掛かったはずの能力は解除されてしまうだろう。そうなれば、勝利を手にすることは決してできない。
…だからこそ、自身も「覚悟」をもってここに来たのだ。
岩沼は一度だけ深呼吸をすると、足元に転がっていたガラス戸の破片を拾い上げると、それを用いてサソリに刺された指先を切り落とすのだった。毒に気を回すことなく、目の前の男を倒すにはこれぐらいの覚悟を要する。それに基づいた行動であり、その覚悟を目の前のジョルノに示すことになったのだった。
「この男……」
そう思いたくはなかったが、この男の瞳の中にはダイヤモンドのように固い「気高さ」が宿っていた。それを完遂するために、彼は指を切り落とし、勝負の場に留まることを選択したのだ。ジョルノが再び襲い掛かる攻撃を警戒して防御しようとしたが、その瞬間再び自身の身体に痛みが襲い掛かってくるのだった。
…ふーむ、随分と世俗的な書き込みが多いものだ。これじゃあ便所の落書きと大差ないんじゃあないか?
タキオンはただ一人実験室でPCの前で軽快なリズムでキーボードを叩きつけながら、情報収集を行っていた。
…やはり裏サイトにアクセスしたが、尻尾は出さないか。
どの学校にも表向きのサイトがあるように、校内の実情が口コミのように掲示板に書きこまれる「裏サイト」のようなものが存在していて、トレセン学園もその他大勢の学校に漏れず当該サイトは存在していた。トレセン学園に蔓延る連中の足取りを掴めないかとサイトにアクセスしていたが、教師や友人の悪口がその殆どであり、その情報を手にすることはできなかった。
…どうやら相当慎重に商売をやっているようだねぇ。
それは敵が大きな組織ではないことを示す証左でもあった。大きな組織であればあるほど、その管理は上手く行き渡らないのが常であり、末端の構成員が小遣い欲しさに足が付きやすいこのようなサイトでの売買も行うだろうが、その様子がない以上、少数の人数が細心の注意を払って商売をしている、と考えるのが妥当だろう。
……彼女たちを治すには
既に毒牙にかかったウマ娘たちを治すためには、薬を作る必要がある。その薬の成分が分かりさえすれば、きっとその治療薬の開発の活路も開けることだろう。きっとモルモット君は許してはくれないだろうが、それが一番効率的で、確実な方法なのだ。タキオンは誰もいない室内で、誰にも届くことがないため息を静かにつくと、プラウザを閉じるのだた。
……とにかく、動くのは皐月賞が終わってからだねぇ
ジョルノは身体を傷や痣だらけにしながら、息も絶え絶えになりながら何とかその場に立っているのだった。岩沼はその様子を淡々と見つめながら、徐に口を開くのだった。
「大した奴だ…だが、それもこれで最後だ」
最後の攻撃を、目の前で倒れそうになりながらも尚その瞳に闘志を宿す彼に止めを刺そうと、岩沼は攻撃を繰り出そうとする……しかしその時、岩沼はなにげなく自身の指先に視線を向けたその時、自身に襲い掛かる違和感とそして既に目の前の男の術中に嵌ったことに気が付くのだった。
自身の指先の血管が煮立ったように隆起し、そこから水を限界にまで入れた結果破裂した風船のように自身の血が噴き出していくのだった。
「なっ……これ。これは……」
既に思考もいつものようには回らない……まるでどこかの部品が錆びつき、動きが鈍くなったゼンマイのように。意識を定めるのに苦心しながらなんとかその場で踏みとどまっていると、その様子を淡々と見つめていたジョルノは口を開くのだった。
「…済まないという気持ちはこれっぽっちも湧かない。これは命を懸けた戦いなんだからな……これはさっき君の言ったセリフだ。だからこそ、僕もそうさせてもらった……僕の担当はアグネスタキオンといってね。研究に目がないウマ娘なんだ……本来はこんな薬品を作ることなんてないだろう。だが……彼女に頼んで作ってもらったのさ」
そう言った彼の足元には、ポケットに忍ばせていたであろう瓶が割れ、辺りに黒い染みを作っていた。その様子からも分かるように、その中身は明らかに人体にとって有害なものであろう。瓶が割れたことによって中身が気化し、この室内を気づかぬうちに充満していたというわけか。
ジョルノの鼻からは血が微量ではあるものの、滴り落ちていった。しかし身体の異常を告げる、警告ともとれるその証であるが、その程度は何故か岩沼の方が重傷であった。あっという間に視界が歪んでいき、息が絶え絶えになる。歯茎や目、指からも徐々に出血量は増えていき、それが自身の命が終点に近づいていることを感情なく告げているようであった。岩沼は何故自身だけがその影響を色濃く受けているのか疑問を抱いたが、朦朧とする意識の中で何とか一つの結論にたどり着き、その結論を痙攣する肺に懸命に空気を取り込みながらそれを口にしようとしたが、その様子を淡々と見つめながらジョルノがその答え合わせを引き継ぐのだった。
「アンタが抱いた疑問の答え…それはきっと、アンタの能力が答えだろう。「対象の時の流れを遅くするスタンド」……この薬品の毒が全身に行き渡るのを、アンタの能力が引き留めてくれているんだ。つまりアンタより先に僕が毒にやられる可能性はないし、万が一アンタがこの能力を解除したとしてもその時はスタンドを叩き込むことができる」
その言葉を最後まで聞き届けたの否か、それは定かではない……しかし、ジョルノの言葉が終わったと同時に、岩沼の身体は力なく床に倒れこむのだった。
名前を聞いたところで、その病名は聞いたことがない、そしてそれを聞き直したところで素人の自分では土台理解できるものではないことはわかっていた……しかし、その病名を告げた医者の表情を見れば、その病気の程度がどれほどのものなのかは感覚的に理解することはできるのだった。岩沼は酸素を求める魚のように乾いた唇を震わせ、口を何度か開け閉めしながら、やっとの思いで言葉を紡ぐのだった。
「それで彼女は…妹は治るんですか先生……?」
しばしの沈黙が室内を支配する。その心地の悪さを紡ぎ出すような沈黙は、否が応でも残酷な、そして確かな運命を平沼に突き付けているようであった。その沈黙を打ち破るかのように、沈痛な面持ちの医者は徐に口を開くのだった。
「……非常に珍しい症例です。世界でも殆ど確認されていないので、薬も海外から取り寄せることになります……それでも完治するかどうかは……」
どうして神様。どうして健全に、明るい太陽のもとで歩いていた彼女から、その笑顔を奪うのですか。平沼の目からは、大粒の涙があふれ出していた。その感情の発露は、まるで地面に哀しみの池をつくかのようにこぼれていく。医者から提示された金額は、とてもじゃあないが一介のトレセン学園に勤務する教官が払えるような金額ではなかった。彼女を救うためには、彼女の笑顔を取り戻すためには……そして、彼女の人生に再び希望の灯りがともすためには金がいる。
病院のベッドの上で少しずつ衰弱していく妹の姿を見るうちに、彼はこの世に転がり、容赦なく人をその流れの中に引き込む「運命」というものを呪わずにはいられなかった。それからの彼の人生において、全ての事象に「妹のために」という言葉が枕詞につくようになった。妹のためだったら、なんでもしてやる。妹のためであれば、オレはどんなことだってしてみせる。妹のためなら……
だからこそ、そんな想いを抱いたからこそ、彼は塩竃と出会い、彼の資金繰りについて知り、その一端として加わることになったのだろうか。彼の心に、罪悪感というものがなかったわけではない。将来の夢をその目を輝かせて話すウマ娘たちの将来を、その希望を踏みにじることに心が痛まなかったわけはなかったが、彼はその選択を捨て去った。つまり取捨選択の連続である人生の中で、彼は自身の妹を助けることを選択するために、その他全てのことを捨て去ったのだった。
「……身に着いた能力で妹の病気を遅らせた。少しでも時間を稼ぐことができるように。そして、少しでも間に合う可能性を上げるために」
うわ言のように呟いたその言葉は室内にいるたった一人の男の鼓膜を震わせて、霧散していく。それでも彼は言葉にせずにはいられなかった。今までの選択の意味を、今まで捨ててきたものと少しでも向き合うために、彼は言葉を続けるのだった。
岩沼の身体は既に地面に横たわっていて、後はその時を手放しで待つのみとなっていた。ジョルノは既に勝敗が決したことを確認すると、急いで窓を開けてタキオンから手渡されていた解毒剤を口にするのだった。岩沼は既に自身の身体から急速に体温が奪われていくのを感じながら、自身の胸の内を心の中で吐露するのだった。
ずっと嫌だった。罪悪感と嫌悪感が身体中を蟲のごとく這いずり回る中で、終わりの見えないトンネルを歩き続けながら延々と拭い去ることのできない希死念慮と戦い続けた。本当はそんな感情すら抱くことさえ許されないというのに。もしかしたら、心の中でずっとこの瞬間を求めていたのかもしれない。
「……ありがとう…」
もう少し、早く彼と出会えていたら。彼の心には最早恐怖はなかった。
そう呟いた彼の瞳に、最早光は映していなかった。
ジョルノは目の前の男が息絶えたのを確認すると、その側に近づいてG・Eの能力によって、一輪の花を咲かせるのだった。彼の胸元に、花を添えることぐらいのことはしてやっても良いだろう。それが彼に対する、敵としてのせめてもの敬意であった。彼はその場を立ち去ると、遺体を回収するようにSPW財団と連絡を取り、その場を後にするのだった。
GING NANG BOYS
能力者:岩沼隆文
破壊力:Dスピード:C射程距離:C持続力:A精密動作性:C成長性:D
対象の時間の流れと認識を遅らせることができるスタンド。対象はまるで平沼が瞬間移動をしているかのように感じるが、実際は自分がスロースピードでしか行動できなくなっているためである。難病を患った妹の症状の進行を少しでも遅らせたいという願いで発現した。