―――さぁ始まりました!クラシック初戦の皐月賞。やはり1番人気なのはこのウマ娘、弥生賞を制したアグネスタキオンです!
やはりクラシック初戦ということで中山レース場は夥しい数の観客で埋め尽くされており、賑わいを見せていた。ウマ娘というある種コンテンツがここまで人気があるという事実を肌で実感しながら、ジョルノは自身の担当ウマ娘がいるであろう控え室へと足を向けるのだった。
「タキオンさんのトレーナーさん!」
声を掛けられた方向へと顔を向けると、そこには二人のウマ娘が立っていた。そこにいるのは、スカーレットとウオッカだった。
「トレーナーさん!見に来ました!…タキオンさんは?」
「もう控室にいるよ。今日はみにきてくれてありがとう」
スカーレットははちきれんばかりの笑顔を向けながら、その耳は周囲へせわしく動き、彼女が懸命に興奮を抑えているのが分かるのだった。デビュー前の彼女にとっては、G1のこの舞台はまさに憧れの舞台であり、それに出走するのが慕っているタキオンであることは、何より嬉しいのだろう。そんな様子のスカーレットとは対照的に、隣にいるウオッカの顔は何処か浮かない様子であった。
「ほらウオッカも!この間のこと、自分の口から謝りたいんでしょ!?」
スカーレットがウオッカの背中を小気味よく叩くと、彼女は力なく数歩つまずく様に前へ出ると、俯きながら言葉を口にするのだった。
「……トレーナー。オレ……」
やはり彼女自身も、この間のことで苦しんでいたようだ。彼女も自身も被害者なわけだが、間接的にジョルノたちを傷付けてしまったことは、罪悪感として彼女の心を深く抉り取ったのだった。
「気にしないでくれ。ウオッカ……君が悪いってわけじゃあないんだから。タキオンも同じ気持ちだろう。」
その言葉に、ウオッカの身体の震えが収まったのを確認すると、ジョルノは一言二言彼女らと会話を交わして彼はタキオンの元へと向かうのだった。
……やはり奴らを許すことはできない。
これ以上、彼女のような被害者を増やさないためにも。これ以上、彼のような人物を増やさないためにも……彼のその瞳には、「黄金の意思」が宿り、彼の背中を後押しするのだった。
控室の扉を開けて彼女の姿を見た時抱いた感想は、「彼女らしい」というものであった。G1レースという格式の高いレースでは、出走するウマ娘は各々勝負服というコスチュームを身に着けた出走する。タキオンも初のG1レースということで、彼女も勝負服に身を包んで今日のレースに臨むことになったが、その服装は研究者の彼女らしく、白衣をモチーフにデザインされており、袖の丈はすっかり彼女の手を包むほど長いものであったが、彼女曰く「これでいい」といっていたので問題はないだろう。タキオンは勝負服に身を包んで、その目を閉じて刻々と近づくその時を待ち構えていた……その様子は今までのレースに比べ、異様に集中しており、ジョルノもその姿に思わずたじろぐのだった。
「珍しく本気だな」
ジョルノの言葉にタキオンはその目を開けると、全てを見透かしたような濁ったマッドアイをこちらに向けながら徐に口を開くのだった。
「今日は検証実験だからね。今日のデータが今後の指標になる…ってトレーナー君!私はいつも本気さ!」
そう言ってはいるが彼の瞳に今日の彼女はいつになく緊張し、集中しているかのように映るのだった。やがて時間を迎えると、タキオンは控え室をあとにするのだった。
軽快なリズムで出走するウマ娘たちの紹介がされていき、それと比例して会場のボルテージは上がっていくが、ある一人のウマ娘の紹介がされた時、その興奮は最高潮に達するのだった。ジョルノはその姿、普段とは異なる、そして何か心に引っかかるものがある彼女に静かに視線を送るのだった。
―――場内のこの高まるボルテージにのせて、早くなければ戦えない 強くなければ超えられない 大歓声に応えなければ勝つ資格はない。 そんなレース、皐月賞です。1番人気、アグネスタキオンの位置取り、どうでしょうか?
―――そうですね、内枠での出走ですから。囲まれないように中団につけるんじゃあないかと思います。そしてそんな彼女を破るウマ娘はいるんでしょうか?有力なのは最内枠のジャングルポケットではないでしょうか?早めに前に出るなら少しでも脚を溜める、それに尽きますね。
G1レースの始まりを告げるファンファーレが鳴り響き、やがてウマ娘たちがゲートインすると、会場は一瞬の静けさが……その時を待って、まさに嵐の前の静けさが会場内を支配するのだった。
「スタートしました。」
その瞬間、僅かであるが興奮を抑えた観客がその抑えた反動のようにはち切れんばかりの歓声をあげ、18人のウマ娘たちが、それぞれの譲れぬ思いを乗せて一斉に駆け出していく。タキオンは中団5番手につけると、前方を見る形でレース展開をうかがうのだった。
向こう正面に入り、やがて最終カーブに差し掛かると、タキオンはその位置取りを上げるために足に力を込めていく。流星と見紛うほどの彼女の走りは、グングンと速度を上げて前方にいたはずのウマ娘たちを撫で切っていく。
―――アグネスタキオン最終カーブにてその位置をあげる!やはり強い!先頭にアグネスタキオンが躍り出た!
逸る気持ちが、そして純粋なる狂気が身体を力強く脈打ち、タキオンのその走りを等加速度的に加速していく。タキオンにとってそれは大いなる目的のための布石に過ぎなかった。数バ身後ろで顔を歪めながら走るウマ娘も、そして観衆の注目をかっさらい、その先頭を駆けるタキオン自身でさえも、全ては布石に過ぎないのだ。
その精神は、傲岸不遜たる自己犠牲と自己満足という、ある意味その対極にあるもの同士をその一つの身に宿した彼女の精神は、きっとその才能も相まって彼女の走りに作用していると言っても過言ではない。
ウマ娘は元来、「想い」をのせて走る生物であると目されている。研究者として想いや、信念などという代物を研究のエッセンスとして盛り込むこむことは、あるまじき思想であると思われるが、生憎彼女も例にも漏れず「ウマ娘」である以上、その生物としての性にそして運命からのがれられないことは強く実感しているのだった。
タキオンのその純粋たる狂気の走りは観る者の視線を釘付けにしながら、光の速さへと追いついていく。後にそのレースを観ていたとある記者は、彼女の走りを見て彼女を「光速の貴公子」と呼び、その通り名が定着することになったのだった。
――――私の目指す走りは、未知なる領域……それは私がこの世に生を受けるよりも遥か以前に、初めて宇宙の景色を見たいという願いを叶えるために人類が、その遥か上空へと知識の旅へと出発したあの時のように。私たちの目指す「ウマ娘の限界」は、どのようなものであるか。その限界を超えたその先にはいったいどのような景色が広がっているのか。
……もし私がその「限界」を超えたら……?
ギリシャ神話の話の一つに、「イカロスの翼」というものがある。父であるダイダロスによって取り付けられた翼に喜んだイカロスが父の忠告を破って太陽が待ち構える空へと天高く昇って行った結果、翼がつけられていた蝋が溶けてイカロスは海に墜落して死んでしまう……という話であるが、彼もとどのつまり空を見たい。太陽聳える空へと飛び立ちたいという純粋無垢なる好奇心によってその身を滅ぼしただけなのだ。私も同じ。その先の景色を見たいだけなのだ。それでも私の頭の中には、目を背けたいが研究者として度外視することはできない一つの可能性が浮かぶのだった。
もしも限界のその先なんて、なかったとしたら……?
その答えが今の私に、そしてその他全ての人々に分かるはずなどない。その限界というものは「死」と同じで、今まで見たことのあるものがいないのだから。だから人は天国を追い求め、生物的にただ死を迎え、「無」に戻るという可能性を排斥したがるというものだ。そうでなければ多くの宗教というものは誕生しなかったはずだ。限界という代物も、それと同じで、それを超えたその先に待ち構えているのは……
……面白い。
だから何だというのだ。分からないことを気に病み、その手をこまねくほど徒労なものはない。何を語り、何を思ったところでそのすべては憶測の域を出ることは決してないのだから。
ならば全てを投げだそう。例え決して黒に乗ることがないルーレットであったとしても、私は私の全てを赤に賭けて見せる。いや、賭けるしかないのだ。その駄賃を投げだすくらいのことをしなければ、その景色をみることは決して出来ないのだから。
それを理解することができない者にとっては、私の姿はきっと「愚かな理想に殉じる狂気なる殉教者」に映るだろう。そんな連中には好きなように言わせておけばいいし、それを訂正するほど私は時間を持て余してはいない。
……いや。正確には時間がないといった方が正しいだろうか。
今の踏み込みで、私は実感してしまったのだ。医者に病名を告げられたような。そんな感覚がある。否が応でも運命という潮流が私を飲み込もうとしているのを、この身をもって感じるのだ。
モルモット君にこれを言ったところで、どうにかなるというものでは決してないだろう。彼にはまだその全てを伝える時期じゃあない。私自身も未だ手をこまねているのだ。どちらの道に行くのか……どちらの道に。
それでも尚……できることなら。
彼女の思考の波は、彼女が先頭でゴールを迎えたことで遮られることになった。会場はクラシック初戦を制した王者を称え、実況はその伝説を少しでも取りこぼすことがないように矢継ぎ早に言葉を紡いでいくのだった。
―――1着はアグネスタキオン!クラシック初戦を制したのは、やはり彼女でした!これはクラシック2戦目、日本ダービーに期待が集まることでしょう……
「……おめでとうタキオン」
控室に戻った時、トレーナー君の顔は扉を隔てても尚室内にひしひしと伝わるレース後の冷めやらぬ興奮と熱とは対照的に、どこか暗いものを感じさせた。
……流石だといったところか
君は私の走りに、「何か」を感じたのだろう。きっとその走りに何か「含み」があることに、トレーナーとして薄々感づいている。それでも今は話すわけにはいかないのだ。彼はきっとその選択に従うと決心しているのだろう。私の走りに、そして私の覚悟に。彼ならば私の……
「次は日本ダービーだ。」
そう私の目を覗き込む彼の目は、一人暗雲立ち込める旅路を進む私を包み込むような温かさがあった。彼はきっとそうやって多くの人の心を掴み、頼られてきたのだろう。ジョルノ・ジョバァーナには、人を惹きつける何かがある。
「……あぁ。だが、それも少し考えさせてくれ。プランAに影が掛かり始めていてね……」
「……プランAって……?」
「それはこっちの話だ。君には関係ない。とにかく出走するか否か、まだ約束はできない」
そう口にした自身の口調が、普段よりも強いことに内心驚きつつ、タキオンはその突き刺さるような視線から、そして気を抜けば全て話してしまうような、そんな太陽のような彼の視線から逃れるために俯くと、誰に聞かせるわけでもなく、ボソッと呟いた。
「……プランAはこんなものだ。プランBに切り替えるにはいい時期なんだろうね」
ふと呟いたその一言は、行き場のない違和感とため息と共に室内に飽和している。ジョルノはきっとその一言を聞き漏らすわけないだろう。だが彼がその真意を知るのは、きっとしばらく後になる。
「……さぁ。データも取れたことだし、学園に戻ろうか、モルモット君!」