イタリアのナショナルフラッグ、アリタリア航空便を使用してネアポリス空港から直行便で凡そ14時間。ビジネスクラスではあったものの、半日近くも同じ体勢で過ごしたことは流石に堪え、痛んだ背中を摩りながらジョルノはスーツケースを片手に税関のチェックを済ませて羽田空港から外に出るのだった。本来であればエコノミークラスでいいと伝えていたのだが、組織のボスたる者として多少面子を保つ振る舞いをしてほしいとの要望で、妥協案としてビジネスクラスでのフライトとなるのだった。
久方ぶりの日本…幼いころに自身に全く愛情という者を抱いていなかった母親が、イタリア人の義父と結婚するまでの数年間日本で生活していたわけだが、その幼少期は自身にとって決していい思い出であるとは言い難いものであった。一児の母だというのに、「子供ができたからといって自由がなくなるのはごめんだ」と夜な夜な街へと繰り出す彼女を待って、薄暗い部屋で怯えながら彼女のことを待ち続けるあの日々…10年以上ぶりの日本はあの時とは様変わりしており、まさに人類の文化の発展の賜物であると言えよう。ジョルノはターミナルでタクシーを捕まえると、目的地に向かうのだった。
「ここで大丈夫です……お釣はいらないので取っておいてください」
タクシー運転手にチップも兼ねたある程度まとまった金額を運転手に手渡すと、ジョルノは軽快にドアを開けてその地に降り立ち、トランクを開けて荷物を取りだす。およそ乗客が下車した後に荷物を取りだすまでにタクシーが発車せずにそのまま待っていてくれているとは、ネアポリスでは考えられない場面である。もしもネアポリスと同じことをすれば、良いカモとして荷物を奪われてしまうのが関の山であり、流石治安の良さで有名な日本ならではと言ったところか。ジョルノは地面に降り立って正面の建物…自身の職場となるトレセン学園を見据えるのだった。
校門から見ても窺い知ることができるほどトレセン学園は広大な敷地を有しており、そこではウマ娘たちが青春を共にして、自身の信念や夢を駆けてレースに出るための練習を行う場所で、日本国内のウマ娘育成機関としては最大規模の施設であり、学園に在籍するウマ娘の数は2000名以上という非常に大所帯の教育機関である。ジョルノは正面の学園を見据えながら、学園内へと足を踏み入れるのだった。
ジョルノが校舎内へと足を踏み入れると、そこには一人のウマ娘が立っていた。そこでジョルノはこの学園の理事長室は何処にあるのか尋ねるのだった。彼女にその行先を教えられると、彼は彼女に礼を言ってその場に立ちさり、目的地へと足を進めるのだった。
――思えばこの数か月は勉強漬けの日々だった。組織の力を使ってトレーナー資格を得ることもできたのだが、潜入調査となるとその期間はいつになるか分からない…それこそ長期間になればなるほど、付け焼き刃の知識でそして鳴り物入りでトレーナーとしてトレセン学園に潜り込んだとなってしまえば、奴らから疑いの目を向けられることになるだろう。そこでジョルノはお抱えの一流の講師を雇い、養成学校で数年間もかけて学ぶような内容を僅か数か月で習得し、トレーナーとしての知識やノウハウを習得したうえで、組織の力を用いてURAにトレーナー登録をしたのだった。
ジョルノは一際荘厳な装飾が施された扉の前に立ち止まり、扉を小気味よく音を響かせながら叩く。すると室内からは入室の許可を出す旨の返事が返ってきたため、ジョルノはドアノブをひねって室内へと足を踏み入れるのだった。室内は扉の意匠からも窺い知れたように、荘厳な造りの家具や装飾品によって彩られていた。室内の奥には一際大きな机が配置されており、そこには一人の少女がいたのだった。その少女の服装は青を基調とした衣服を身に着けており、青いバラがつけられた帽子を被っていた。彼女はジョルノにその燦燦と照らす太陽かのように光り輝く瞳を向けながら、「歓迎」と達筆な字で書かれた扇子を片手に言葉を掛けるのだった。
「『歓迎』…汐華トレーナー!トレセン学園へようこそ!私は本校の理事長、秋川やよいだ!」
ジョルノはトレセン学園に潜入するに際して、本来の名前である「汐華初流乃」と名乗ることにしていた。既にジョルノジョバァーナという人物がパッショーネのボスになったことは公の事実であり、遠く離れた日本であってもその事実を知られるリスクがないとは言い切れないという事実ももちろんのこと、元々日英のハーフである自身が、イタリア名であることは不審に思われる可能性もあるということが勘案され、このような措置が取られたのだった。ジョルノが深々と頭を下げると、秋川は言葉を続けるのだった。
「早速だが、学園内を案内したい!たづな、案内を頼む!」
「承知いたしました♪」
唐突に後ろから発せられた言葉に、ジョルノは驚きの感情を抱くのと同時にその方向へと首を傾ける。そこには緑の制服と帽子に身を包んだ女性が立っていた。ジョルノが驚愕の表情で顔を染め上げながら彼女のことを見つめていると、秋川は徐に口を開くのだった。
「彼女は駿川たづな…トレセン学園理事長秘書で、非常に頼りになる女性だ。彼女に案内をしてもらってくれ!」
「よろしくお願いします!駿川たづなです!」
学園内の案内に連れていかれたジョルノが部屋に出たことを確認すると、秋川は窓の外を見つめるのだった。彼はトレーナーとして赴任された時期が異例ということもあるが、彼の経歴のことを事前に調べようとしても、その情報には何処か不自然な印象を受けた。一応トレセン学園の運営や教務に関わるものを採用するときは、全員素性はある程度調べるものなのだが、彼の場合はその情報を見ても違和感を抱かざるを得なかった。何処がおかしいのかと問われれば、それは最早勘と言わざるを得ないが……何処か用意周到に作られたかのような…
「……汐華トレーナー」
彼は一体何の目的をもってこの学園へとやってきたのか。果たして彼は、ウマ娘のために此処にやってきたのだろうか?秋川は携帯電話を取りだすと、何処かへ電話を掛けるのだった。
たづなによる案内が終わったジョルノは、自室があるトレーナー寮へと戻ってきていた。イタリアのハイスクールの寮よりもやや広い部屋をあてがわれたことに内心喜びながらジョルノはPCを開いて何処かへと連絡するのだった。
「――――潜入成功。明日から調査を開始する」
「――――承知した。こちらの方でも調べられることは調べておく。盗聴の恐れは?」
「――――調べたが、今のところは問題ないようだ。敵も僕の素性には気づいていない」
「――――それはよかった。それはそうと矢をもっていかなくてよかったのか?」
「――――わざわざ異国の地に持っていくなんて真似をすれば要らぬ危険が訪れる場合もあるし、敵の手に渡る可能性がある。組織で厳重に保管する方が理にかなっている」
「――――それもそうだ。お勤め頑張れよ。」
短いやり取りを交わしたのちにメッセージを削除すると、ジョルノは明日の勤務日程を確認する…朝には同僚へ自己紹介、その後にガイダンスと研修。午後からは疑似的にウマ娘へのティーチング体験……話には聞いていたが、日本人という者はかくも忙しいものなのか。まさかここまでとはと呆れたように目をぐるりと回すと、ジョルノはPCを閉じてさっさと就寝の準備に取り掛かるのだった。
全ての業務が終了した翌日の夜、ジョルノの頭にはさらに困惑が胸をひしめいた。それは業務の終了時にたづなに言われた一言だった。
「明日は選抜レースです。担当が誰に決まるのか、楽しみですね!」
その一言。慣れない業務に身体はかつての戦闘のように疲労が絶え間なく襲いかかり、一刻も早く自室へと帰ろうとしていたジョルノの足は彼女の口から放たれた、たった一言によって立ち止まり、彼はたづなへと口をぽかんと開けながら顔を向けるのだった。
「……なんですって?」
「ですから明日は選抜レースです!担当ウマ娘を見つけて…」
彼女は何を言っているのか。僕はまだ赴任して1日目なんだぞ。新任も新任、まだ右も左も分からないトレーナーで、実戦経験はほんの少しティーチング体験を積んだだけである自身が担当を見つけなければならないこの状況に、呆然のあまり口をぽかんと開けているジョルノを尻目に、たづなは満面の笑みを浮かべながら会釈をすると、その場を立ち去っていったのだった。
―――いくらなんでも無茶が過ぎるんじゃあないだろうか
ジョルノは呆れたように、そして最早足掻いたとしてもどうにもならないというもどかしさを持て余すように、ジョルノはため息をつくと眠りにつくのだった。
「これじゃあ勝てない…」
この間のオープン戦も入着すらすることができなかった。自身の無力さが肩にのしかかり、涙がこぼれ落ちてくる。そのウマ娘は不安定な心持ちを映し出したかのような足取りで、学園を後にしようとしていた。恐らく次のレースで勝てなかったら、私は……もう……
「○○ちゃん?」
唐突に声が掛けられたそのウマ娘は、声の方向へと首を傾ける……そこには自身が慕っている先輩ウマ娘が立っているのだった。
…先輩、こんなに痩せていたっけ?
元々細身だった彼女だが、それにしても以前見かけた時よりもその姿はやせ細っていて、その顔からは頬肉が削げ落ちてしまっていた。先輩はぐるりと視線をこちらに向けると、徐に口を開くのだった。
「……今日のレース、残念だったね…」
「……はい」
先輩のその言葉に彼女の耳は垂れ下がり、視線は地面へと落とされる。その様子をじっと見据えていた先輩は、言葉を続けるのだった。
「レース、勝ちたい?」
「か、勝ちたいです!!」
その言葉に、ウマ娘は弾かれたように先輩のもとへと向かっていく。最早なりふり構っていられない。何が何でも勝たなければ。なんとしても勝って、それで……それで……
「……いい方法があるよ」
先輩はそう言うと、何やら粉薬のようなものを手渡してきた…それをまじまじと見つめていると、彼女は口を開くのだった。
「それを次のレースの時に水に薄めて飲んでみて…きっと貴方の役に立つから」
トレセン学園にさりげなく、しかし確実に魔の手が迫っていた。