翌日東京レース場に向かったジョルノは、肘を柵にかけながら自身の環境とは全く異なる青春を送る、自身の想いや夢をのせてターフを駆けるウマ娘たちの姿を見つめていた。アナウンスの声に従って声援が沸き上がり、ウマ娘たちがターフの上を駆けだしていく。およそウマ娘のレースというものを初めてみるジョルノであったが、その迫力に少々ではあるが舌を巻くことになるのだった。
……皆良い顔をしている
どうしても競技という厳しい世界である以上、勝利も敗北というものも当然存在する。それでも彼女たちの顔は何処か希望の兆しが窺い知れ、それはこの世の何にも代えがたいことをジョルノはよく知っていた。しかしこの夢を駆けるウマ娘たちが青春を共にする、神聖なこの場所で私腹を肥やす連中が陰ながらも、しかし確実にのさばっている。それはこのトレセン学園の誇りを傷つける行為であり、同時に組織の長としてそれを許すことはできない。ジョルノは正面を見据えながら、決意の炎をその瞳に宿らせるのだった。
結局、その日ジョルノは自身の担当ウマ娘にしたいという逸材に出会うことはできなかった。トレーナーとしてやる気がないわけではなかったのだが、自身の心に釣り針のように引っかかる、そんなウマ娘がいなかったのだ。話には聞いていたのだが、トレセン学園に所属するウマ娘の数は2000を上回っており、そこで活躍し、重賞でタイトルを勝ち取ることができるウマ娘は、その中でもほんの一握りである。やはり競技者の世界という者は厳しい世界であることを改めて認識するジョルノであった。今日は寮に帰ろうと帰路に就くジョルノだったが、その時何処からか衝撃音が辺りをこだまするのだった。
「……なっ!!」
今のは一体何なのだろうか?まさか、スタンド攻撃か?ジョルノは音がした方向へと駆けていく。やがて校舎の階段を駆け上がると、曲がり角の先から黒煙が上がっているのが視界に映るのだった。急いで黒煙の出どころへと足を繰り出したジョルノであったが、曲がり角の出会いがしらに前方から受けた強い衝撃に、ジョルノ身体は後方へと吹っ飛んでいく。そして壁に頭を強かに打ち付けたジョルノの意識は急速に暗くなっていくのだった。
「……ここは」
気が付いた時、ジョルノは自身が学園の保健室のベッドに眠らされていることに気が付くのだった。先ほど自身の意識を奪ったのは一体誰なのだろうか?まさか既に自身の素性が割れて、チームの奴らが攻撃を開始したのかと思ったが、その答えは直ぐにベッドの横に立つウマ娘が発した言葉によって提示されるのだった。
「おや、目が覚めたかい…今は意識が戻ったばかりだ。まだ多少混乱状態にあるようだが」
そのウマ娘は栗毛のショートヘアに、頭頂部からは冗談かというほど大きなアホ毛が飛び出していた。そして緋色の瞳には光彩というものが見受けられず、マッドアイという表現がこの上なく合致する、そんな少女だった。そのウマ娘は指で自身の顎をいじりながら、言葉を続けるのだった。
「……因みに気を失った君をここまで運んだのはこの私だよ。君にはどうしてここに運ばれたのか、考えて欲しい」
「……?」
その言葉にジョルノは自身が気を失った時のことを思い出す。そういえば自身は出会いがしらに誰かと接触したのだった。それが彼女だったというわけか。合点がいったジョルノが視線を前に戻すと、彼女は言葉を続けるのだった。
「……私の名前はアグネスタキオン。差し詰め君は黒煙騒ぎに現場に向かっていたクチだろう?」
…アグネスタキオン。彼女の名前はそういうのか。するとみるみるうちに、当時の状況が鮮明に思い出されていく。そういえば彼女は何者かに追いかけられていたはずだ…それで彼女は…状況から察するに…
「黒煙騒ぎは君の仕業というところか。なんでそんな真似を?」
「何とも奇妙なことを尋ねるじゃあないか。研究のために。それしか目的はないよ」
…そういえばタキオンの名前は一度聞いたことがある。この学園の素行に問題のある生徒をリストアップされた生徒の名前が載っている資料…所謂ブラックリストなるものを先輩トレーナーから手渡された時、彼女の名前が確か入っていたはずだ。確かそこには「危険な実験に没頭し、他人を巻き込む恐れあり」と書かれていたはずだ。あまり彼女に入れ込むのは得策とは言えない。
「…とにかく介抱してくれてありがとう。そろそろ僕はお暇…」
そう言いながらベッドから降りようとしたジョルノであったが、身体をぴくりともベッドから動かすことができない。ジョルノがタキオンへと非難の視線を向けると、彼女はいたずらっ子のようにニヤニヤと口角を上げながら言葉を発するのだった。
「君は考え事をすると周囲が見えなくなるタイプかい?親切心で言ってやるが、自分の状態くらいは常に気を配っておくことを勧めるよ」
ジョルノの身体は、身動きが取れないようにベッドを挟んでロープで何十にも巻き付けられていた。ジョルノが身動きを取ろうと身体をくねくねと動かして藻搔く様を見て、タキオンの声色は益々サディスティックに跳ね上がり、彼女は興奮気味に言葉をジョルノに投げかけるのだった。
「いやはや私の下に幸運が転がり込んでくるとは…私の悪評は既に学園に知れ渡ってしまっていてね。今となっては日検体を頼むのも難儀しているんだよ……そこに噂を知らぬ新人が現れるとはね!まさに幸運だ!」
やはりこのウマ娘、噂通りの研究狂いだったのか。赴任1日目の新人トレーナーにもその情報が、詳細ではないとはいえ出回ってくるということは、このトレセン学園で生活している人々には彼女の悪評は、彼女の言葉通り知れ渡っていることだろう。いかにして彼女のもとから逃れようとするジョルノとは余所に、タキオンは試験管を片手にじりじりとジョルノのもとへとにじり寄っていくのだった。
「…タキオンさん」
その言葉にタキオンは後ろを振り返る。そこには黒髪のロングヘアーのウマ娘が保健室の入り口に立っているのだった。彼女はタキオンへじっと視線を突き付けながら再び口を開くのだった。
「……今まで何処に行っていたんですか。探したんですが…」
「あぁカフェか。用件なら後にしたまえ。今はこのモルモ…いや、新人トレーナーの…」
そこまで言ったタキオンは再び実験の続きにとりかかるためにベッドへと視線を向ける。しかし、ベッドが視界に飛び込んだ瞬間、彼女の顔は驚愕の表情に染め上げられることになるのだった。そこにいるはずのジョルノの姿は忽然と消えており、ベッドにはこれも驚くべきことであるが、自身の身体がベッドの縁に彼の身体を縛り上げていたはずのロープで繋がれていたのだった。
「これは……」
一体どういう芸当でこんな状況になったのか。先ほどまで開いていなかった保健室の窓に近づきながら、タキオンは考え込むように外を見つめるのだった。
「……汐華トレーナー、か」
いずれにしても、非常に興味深い人物を見つけたものだ。タキオンは口角を僅かに上げると、自身に用があって訪ねてきた友人にその用件を聞くために、再び保健室の中へと踵を返すのだった。
偶然出会った駿川たづなに、今日の出来事を伝えると(別にチクる意をもって伝えたわけでは決してにないが)、彼女からタキオンについてより詳しい話を聞くことになったのだった。彼女は意外にも良家の出身であるが、放任主義の家族の下で育てられた影響か、自身の思うがままに研究に没頭することになったこと。そしてデビューの時期は既に過ぎているというのに選抜レースにも、また学校の授業にも出ようともせずに研究に明け暮れており、そのせいか既に彼女は退学の一歩手前の処遇の身だということを聞かされるのだった。本来であれば今日の選抜レースにも出走登録がされていたらしいのだが、姿を現さなかったようだ。
ジョルノは先ほどたづなから聞かされたタキオンの話を思い浮かべながら帰路についていた。どうして彼女は研究に明け暮れているのだろうか?それこそそれ以外の全てを研ぎ澄まし、削ぎ落すかのように……ジョルノはその視線の先に、渦中の人物、アグネスタキオンその人が立っているのだった。
「……アグネスタキオン」
「やぁ。先ほどぶりだね…ってその顔は私の噂を既に知ってしまったようだね」
その言葉から続きを話すつもりが、ジョルノには起きなかった。夕暮れ時の校舎の一角の、二人しか存在しないその空間は、気まずさを微塵も感じさせない沈黙が支配している。一体彼女は、何を思ってそんな真似をしているのか。やがてどれほどの時間が経過したのか。その沈黙を破って口を開いたのは、タキオンの方だった。
「……先ほどカフェ…保健室へやってきたウマ娘に伝えられたんだ。「これ以上デビューの時期は遅らせられない。もしもそうするのだったら退学にするしかない」と先生からの伝言を…」
「…一つ尋ねたい」
「……なんだい?」
「どうして君は実験を…?」
ジョルノの言葉に、彼女の顔はさも不思議そうにぽかんとした表情を浮かべながら、首を傾げるのだった。
「……より速く走りたいから、それだけだよ。我々はどれ程のスピードでターフを駆けることができるのか。それを知りたいだけなんだ」
「……そのために研究を?」
「あぁ。如何なるケガや困難によって、夢を叶えることができないウマ娘がいる…そんなのはつまらないじゃあないか。そんな神様の気まぐれによって、流さなくてもいい涙を流すなんて…だからこそ私の研究がある。言い換えれば、夢を叶えることが私の夢、っていうわけさ」
なんという、太々しさまで感じる自己愛。しかしそれを裏返しかのような、「研究のためなら自身のことなど全く顧みない」という究極の自己犠牲の精神。彼女が思い描く地図には、確実に誇り高き精神がそこにはあった。かつて自身が目指した夢のように、自身がそれを達成して忘れかけてしまっていたそれを、彼女は胸に秘めて、それを疑わず荒野を突き進もうとしている。それを「黄金の精神」と呼ばずして何と言おうか。ジョルノは彼女の言葉を聞いた時点で、最早その決意を固めていたのだった…すなわち彼女の覚悟を、彼女が突き進む「道」を共に突き進む覚悟を固めるのだった。
「……タキオン。今試したい薬品、あったりするかい?」
「あ、あぁ。一応今だとこれが…」
そう言いながらタキオンはポケットから薬の入った薬瓶を取りだす。ジョルノはそれをひったくるように飲み干すと、彼の身体は七色に光り輝くのだった。驚愕のあまり言葉を失っているタキオンをよそに、ジョルノは言葉を投げかけるのだった。
「君のその黄金のような精神に賭けよう。汐華初流野乃だ。」
「それはとても面白そうだ…とても…」
かつて自身の手を取って、共に荒野を突き進む覚悟を決めた彼…たとえ死ぬことが分かっていてもその誇り高き精神に従って、ディアボロを打倒した彼もこんな心境だったのだろうか…その日人知れず二人の運命の奴隷たちが、その旅路を辿って荒野を歩み始めたのだった。