カタン。
トレーナー室は、およそ葬式と変わらぬほど張り詰めた、一切の雑音も許されぬそんな空気が支配しており、ジョルノはテーブルの対面に座る少女……アグネスタキオンの一挙手一投足を見つめることしかできなかった。彼女はこちらのことを冷たい目つきで見ながら、こちらへと紅茶を差し出すのだった。本来であれば先の戦闘でやや身体の水分が抜けがちであるため、貪るように飲みたかったのだが、タキオンの前ではそれはするべきではないことは明白な事実であった。
ふわりと鼻腔に、紅茶の香りが運ばれていく。
タキオンはテーブルの上のシュガーキャスターから角砂糖を、まるでリズムを付けるように次々と取りだしながら、彼女の目の前のカップの液体へと放り込んでいく。
……彼女はボケているのか?もしかしてツッコんでほしいだろうか?
ジョルノはまじまじとそのカップを見つめていたが、タキオンはそれを日常のワンシーンかのように数回ほどスプーンでかき混ぜると、何の躊躇いもなくそれを口もとへと運ぶのだった。
それ溶けていないんじゃあないか?
いくら何でも砂糖を入れすぎだろう。そんな調子で飲み続けていたら、いつ糖尿病になってしまっても可笑しくなさそうだが、それは追々彼女へ注意するとしよう。タキオンはカップをテーブルの上に下ろすと、ふっとため息をつくのだった。
「さぁ洗いざらい話したまえ。君は何者なのか。君はどこからきて、何の目的でトレーナーなんてやっているのか」
ここで嘘をつくこともできる。その場しのぎとなってはしまうが、真実を告げずに単独で行動をすることもできるだろう。だが、それはこれから彼女とトゥインクルシリーズで二人三脚で歩み始めたというのに、それは聊か虫が良すぎるというものだろうし、信頼関係の構築において重大な支障となるだろう。ここは正直に彼女に話すべきだ。
「……僕の本名が汐華初流乃であることは間違いないが、母の再婚相手がイタリア人でね。イタリアで生活するうえで「ジョルノジョバァーナ」と名乗るようにしていた。そして君には真実を話そう……」
そこからジョルノは、タキオンに対して包み隠さず、彼がギャングであること。何故彼がギャングを目指すようになったのか。数年前の僅か9日間の出来事ではあったが、人生において一番残酷で、そして多大な犠牲を払い、多くの哀しみがこぼれた……しかし、その間、皆その瞳には勇気と誇りが宿っており、皆胸の内の黄金のような夢と精神に向かって突き進んだ、そんな9日間の出来事のことを。そしてどうしてトレセン学園に来ることになったのかを子細彼女に伝えるのだった。
自身の話が終わるまで、彼女はまるで眠るように目を閉じて彼の話を聞き入っていた。話を聞き終えた彼女は立ち上がると、無言で窓の方へと足を進めて立ち止まると、そこで初めて徐に口を開くのだった。
「つまり君は、目的のために私のことを利用したってわけか」
その言葉にジョルノは非難を避けるように視線をテーブルに落とした……彼女の言う通りであった。彼女の立場からすれば、せっかく担当トレーナーを見つけられたというのに、その人物が純粋なトレーナーとしての気持ちからではなく、目的ありきのものであったことは、良い気分はしないだろうし、最悪契約解除ということもあり得るだろう。
「……一つ。」
「……?」
彼女の口から発せられた、訳の分からない言葉。ジョルノは首を傾げたが、タキオンはそれに構わず言葉を続けるのだった。
「一つ条件がある。君がトレーナーとして私と今後もやっていくにあたって、一つ条件を提示させてもらいたい」
死刑執行台に登る犯罪者はおよそこんな気持ちだったのだろうか。その条件を聞き、検討するためにジョルノは口を開いた。
「なんだ?」
「……それは」
「―――――私も協力させてほしい」
「なんだって?」
彼女は一体何と言ったんだ?音として鼓膜を介して脳へと届いてはいるのだが、言葉として、言語として理解することができない。思わず聞き返してしまったジョルノに対して、タキオンは呆れたような顔をしながら再度口を開くのだった。
「だーかーらー!私も協力するといったんだ!何度も同じことを言わせるんじゃあない!無駄なことをするのは私の性分じゃあないんだ!」
それに関してはジョルノも同感であった。同じことを繰り返すことは、ただの徒労にしかなりえない。それでも、彼女の提案を受け入れることはできない。それはあまりにも危険すぎるし、トレーナーとしてそれを認めることなどできるはずもない。
「……それだけはできない。さっきも言っただろ?僕らも含めて、奴らはスタンド能力を持っている。君を危険な目に晒すことを許可することなんてできない」
そうジョルノがタキオンに対して告げると、タキオンはいつもの調子で、いたずらっ子のように口角を上げながら胸ポケットから何かを取りだすのだった……彼女が取りだしたのは、ボイスレコーダーであった。彼女が再生ボタンを押すと、そこから先ほどの自身の独白が、一語一句録音されているのだった。
「これを理事長へ渡されたくなかったら、さっきの条件を吞んでもらおう」
完全なる脅迫だった。これでは、初めから選択肢など残されていないということではないか。ギャング顔負けの交渉能力に舌を巻いたジョルノだったが、頭の中に一つの疑問が浮かび上がるのだった。
「どうして協力しようと?」
そうジョルノが尋ねると、タキオンはつかつかと彼の下へと近寄り、その吐息が掛かってしまいそうなほどの近さまで顔を近づけてくる。ジョルノはおずおずと彼女の顔を見つめると、まるで吸い込まれてしまいそうな、そしてそこの見えない濁った瞳を向けながらジョルノに言葉を投げかけるのだった。
「……もう君の他に私のトレーナーになってくれそうな者はいなくてね。君が学園を去ってしまうのは少々困るんだよ。それにこの学園に自身の私利私欲のためだけに、ウマ娘たちの夢を、そして将来そのものを踏みにじる奴らがいるっていうことは、私にも耐えがたいというわけさ」
「……」
「それに一時の快楽で身体能力が向上することはあるかもしれないが、それはあくまで一時的だ。それはドーピングと何ら変わらないということさ。まぁ、こっちの方がタチが悪いんだろうがね……ドーピングほど冷めるものはない。私が求めるのは「半永久的な身体能力向上」であって、彼らの行いは、研究に身命を賭している私にとっては、正に私に対する侮辱だ」
「さぁどうする、ジョルノ?」
最早彼女と協力するほか道はないようだ。しぶしぶ手を差し出すと、タキオンはその手を握り返すのだった。
「……それで?どうやって手がかりを見つけるんだい?さっきの敵は既に証拠をあの世へもっていってしまったようだが」
「ならば早速。君の研究者としての腕を買いたい。すなわち、奴らの毒牙に掛かってしまったウマ娘たちを救い出す薬を入手できれば、きっと道が開けるはずだ」
「……ほう。やってみようじゃあないか?……その狙いは?」
「奴らはこの学園にいるウマ娘たちに品物を売りさばいている。つまりその被害者たちを根治させれば、奴らは収入減を失うってことになるし、その原因を探りに来るだろう」
「……そこを返り討ちにすると?」
その言葉にジョルノが頷くと、タキオンは考え込むように指で顎を弄るのだった。
「確かにいい考えだ。じゃあ君はその毒牙にかかったウマ娘を見つけ出してほしい」
怒涛の一日が幕を下ろし、また新たな朝日が顔をのぞかせるまでの一日。ジョルノとタキオンはこれからのことについて話し合うのだった。
「奴と…塩竃と連絡が取れなくなってから数日だ。この間始末した組織の調査員…その後釜に始末されたと考えるのが妥当だろう」
「てことは我々の正体を口滑ったということもあるんじゃあないか?」
「いや、塩竃はそこんところをよく弁えている。あのジジイは全ての秘密を墓までもっていったはずだ。そうでなければ、俺達のところにきっと今頃追手がやってきていても可笑しくないはずだ」
「最近トレセン学園にやってきた学園の関係者を洗い出してみよう。最近この学園にやってきた奴らの中に、私たちのことを嗅ぎまわっているやつがいる可能性も高い」
「……それともう一つ」
「……?」
「塩竃を始末した、ということは追手も能力を持っている可能性が高い」
「……!」
「塩竃も言っていただろう?「スタンド使いとスタンド使いはいずれ惹かれあう」と……」
タキオンと奇妙な契約を結んでから数日。
ジョルノとタキオンはレース場へと向かうバスに揺られながら、きょう東京レース場にて執り行わるデビュー戦に意識を向けていた。今日は自身の担当ウマ娘・アグネスタキオンのデビュー日。彼女の走りを見て契約をしたわけではなかったので何とも言えないと思っていたが、彼女の練習を目の当たりにしてそれは杞憂であることを思い知るのだった。
圧倒的に速い。
彼女のスピード、そして完成度はゆめゆめデビュー前のウマ娘とは思えず、それは偏に彼女の才覚と研究の賜物であると言わざるを得ない。それでもクラシック、シニアで成績を収めるためには、そして彼女の夢である「可能性の果て」を求めるには、現状ではその飽くなき探求心を満たすことはできないだろう。
「うーん。やはり今回のレースでは、期待するようなデータを取ることは難しいかもしれないね。まだ本格的なトレーニングを受けていないウマ娘たちだ。データにバラつきも生じにくいし……」
「それでも、真剣にはやるんだろ?タキオン」
「もちろんだ。G1レースを見据えても…良質なデータを取るための布石だよ。ここで立ち止まっていてはいられないからね」
そう呟くタキオンの横顔は、バスの座席に身を預けながら心の内の衝動を静かに燃やす彼女のその様子は、ここにいる誰よりも闘いというレースを望み、心待ちにしているかのようにジョルノには見えるのだった。
…彼女ならきっと大丈夫だろう。
その後の行われたデビュー戦は鎧袖一触であったことは言うまでもない。ともかく、その日ジョルノとタキオンはウマ娘の可能性の果てを求める航海で、順調ともいえる船出をするのだった。
レース後、ターフを後にしたタキオンは一人のウマ娘に視線を見やった。彼女は確か、今日のレースで3着だった…レースで入着したというのに、その顔は晴れず寧ろ絶望に満ちたような顔をしていた。バイタルも安定していなさそうだし、血行もすこぶる悪いように見える。
「やぁ。今日のレース、お疲れさま」
「……冷やかしに来たんですか?」
タキオンに対して、彼女は敵意をむき出しにしてその声掛けに応じたが、タキオンにとっては取るに足らない、どうでもいい問題であった。タキオンは彼女の様子を見やると、徐に口を開くのだった。
「…君のその左前腕部だが、大きなけがでもしたのかい?包帯なんかして…」
その言葉に、そのウマ娘は咄嗟に腕を隠し、そしてキッとタキオンのことを睨みつけると、その場を立ち去っていくのだった。タキオンはその様子を見つめながら、誰にも聞こえないほど小さな声でボソッと呟くのだった。
「……確かにあまり気分の良いものじゃあないな」