夜明けを望むけものたち   作:メリケンです。

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白いリボンの少女

 狩人という存在は、本当に宇宙の神秘が齎した奇跡の存在なのかもしれない。

 

 

 ブルースは、丁度昨夜に狩人が目撃された場所へと到着した。だがいくら現場を捜査しようとも髪の毛1本、足跡1つすら見当たらない。

 徹底した科学的痕跡の隠滅に、寧ろ感心してしまう。此方が学びたいくらいの、卓越した技術だった。

 

 アーカム・アサイラムで狩人が射殺されて、今日で7日目だ。

 

 普通に考えれば───狩人は複数人おり、昨夜目撃された人物と射殺された人物は別人と考える方が自然だ。なんせあれだけ着込んで体型や性別を隠蔽しているのだ。背丈さえ合わせれば何の問題もなく入れ替ることが出来る。

 だがブルースは、どちらの狩人も同じ人物だと半ば確信していた。根拠も何もないただの勘であるが、きっとそうなのだろう。

 

 獣、赤い月、血液。

 狩人に関するワードは、今のところこれだけだ。

 

「もうこんな時間か」

 

 そろそろ朝も近い。ブルースは今日の夜警を切り上げることにした。

 バットモービルまでは少し遠い。それに疲労も溜まっている。グラップネルガンを使えば移動は速いが、使う気も起きない───ので、地上を歩いていくことにした。ここは郊外に程近いわりに、チンピラの巣も珍しくない区域だ。途中で襲われる心配はない。

 

 風がケープを揺らす。

 この付近は津波の災害の痕跡が未だに強く残るせいか、人の気配が一切しない。

 この光景を噛み締めるべく、歩調は自然とゆっくりとしたものになる。自分があと少し早く、復讐だけでは何も成せないと気付けていたのなら。

 

 瓦礫、瓦礫、瓦礫の山。

 

 きっとあの下には、逃げきれなかった人々が今も埋まっているのだろう。未だ復興の手が回らない現実に、唇を強く噛む。

 空が白む先へ進む。バットモービルまで、あと数分歩けば着くだろう。

 

 

 ガラガラガラ、ガシャン。ガラッ。

 

 

 何処からか、瓦礫の崩れる音がした。

 何かの拍子で崩れたかと思ったが、その音は断続的に、しかし規則的に響いていた。

 誰かいるのだろうか。

 音の発生源へと歩を進める。入り組んだ細い道を抜け、漸く辿り着いた。

 

 最初に目に入ったのは、くすんだ白いリボンを結わえた後頭部だった。

 

 ヒュ、と無意識に息を呑んだ。

 思い起こされるのは7日前、狩人の暴漢虐殺を目の前で目撃した少女だ。彼女も、同じ様に白いリボンを。

 

 後頭部が、ブルースの立てた足音を聞いてぐるりと回る。

 泣き疲れて何もかもに絶望した少女の顔だった。

 

 ガラガラッ、ガラララララッ。

 

 少女の前には一際大きな瓦礫の山があり、その頂上に人が立っていた。

 その者は大きな瓦礫をヒョイと持ち上げて遠くに投げ、小さな瓦礫はもっと遠くに投げている。一定のリズムで、機械のようにブレなく作業をしていた。

 細身で肌が青白く、栄養失調気味の病人と間違えられてもおかしくない相貌だ。着ている服も裾がボロボロで、いやに長いサスペンダーが邪魔そうだった。丈の短いマントはフードが付いているようだが、視界確保の為か下ろしている。

 燃え残った灰のように艶のない白髪はボサボサで、作業の合間に泥を整髪料として後ろに撫でつけていた。

 

 ───それでも、燃えるような憎悪を湛えた瞳は忘れることはない。

 

「狩人、」

 

 病人、もとい狩人は、ブルースの囁く様な声すら聞き取ったらしく、ピタリと動きを止めてブルースを見た。

 

 だが一瞥しただけで直ぐに作業を再開する。どうやら狩人の中でブルースの優先順位は相当低いらしい。或いは、この作業が最優先事項か。

 

「パパ」

 

 と、今まで黙っていた少女が狩人を指差しながら、虚ろな目でそう言った。

 この少女は狩人の娘なのか?眉を潜めて少女を見る。

 

「と、ママ」

 

 いや、違う。少女が指差していたのは瓦礫の山で、それをパパとママと呼んだのだ。

 ───そして瓦礫の山を崩している狩人の様子から、何が起こっているのかを漸く正確に察することが出来た。

 

「おい、」

「……」

「私も、手伝おう」

「…好きにし給え」

 

 本来なら、一刻も早くゴッサム・シティ警察に通報して狩人を突き出し、少女を保護してもらうのが正しいのだろう。だがブルースはそうすることはせず、ただ黙々と作業に徹することにした。きっと正解を取ると、少女と両親は2度と会うことはないだろうから。

 疲れた体に鞭を打ち、山の上から順に崩していく。瓦礫程度だったらバットモービルを特攻させれば直ぐ片付くが、少女の両親が原形を留めることはないだろう。同じ理由で、脇から崩していくこともできない。

 突然大きく崩れて自分や少女が生き埋めにならぬ様、バランスを見ながら慎重に瓦礫を放り投げていく。

 

 ブルースも狩人も口数が少ないため、会話らしい会話もせずに瓦礫を投げ続ける。

 暫くは瓦礫の崩れる音だけが響いていたが、沈黙に耐えられなくなったのか、少女はぽつりぽつりと話し出した。

 

 

 ───黒い蝙蝠の人、テレビに出てたよね。

 すごいなあ、本物だ。パパがね、アナタの事悪く言ってる人にね、「偽善と罵られようとも人を助けるのがヒーローだ!彼はあの場において、誰よりもヒーローだった!」ってね、怒鳴ったの。怖かったけど、パパ、アナタのファンになったみたい。きっと喜んでるよね。憧れの人に助けてもらってるんだもん。ママもね、絶対、ありがとうって言ってるよ。

 

 

 ちらりと少女を見た。急に向けられた視線に肩を跳ねさせ、怯えた表情を形作った。だが直ぐに引き攣った笑顔を見せる。

 そのあまりの痛々しさに、ブルースは今にも泣き出してしまいそうになった。胸を食い破られるような痛みが息を詰まらせ、自分の無力さを思い知らされる。

 

 それから、少女は色々話してくれた。

 

 3ヶ月前の津波で、住む場所を失ったこと。

 急遽建てられた仮住居に今まで住んでいたが、4日程前に音信不通だった親戚と漸く連絡がとれ、その家に間借りすることになったこと。

 インフラの整備が追いついておらず、バスやタクシーでは辿り着けないため、少し遠回りだが悪漢に襲われる心配のないこの区域を通ることに決めたこと。

 

 ───そして2日と半日前、父と母が瓦礫の崩落に巻き込まれ、少女だけ助かったこと。

 

 それきり、少女は黙った。虚ろだった目に、全てへの諦念を宿して。

 

「狩人。お前はいつから?」

「───丁度、昨日だ」

「丸1日ずっと作業を?少し休め、効率が落ちるぞ。何か食べるものを」

「必要ない」

 

 ブルースの提案を突っぱねて、狩人は身の丈程の瓦礫を軽々と持ち上げた。

 絶対に500㎏を超えているのに何故持ち上げられるのか小一時間程問い詰めてやりたいが、どうせ答えてくれないだろうと口を閉ざすことにした。

 

 空が白み始める。

 その光景を見ると、狩人が見せた狂気を思い出して気分が悪くなる。

 頭を切り落とされた逆さ吊りの死体。

 衣装と装備を古い様式のもので揃えていたぐらいだから、あれも当時の儀式の再現なのだろうか。一応調べたが、似たようなものは見当たらなかった。

 

 ああ、くそ、

 

 悪態を吐きそうになる。何もかも嫌になってくる。この状況にも、目の前の狩人にも、今も何処かで誰かを脅かす犯罪者共にも。

 

 何も出来ない自分にも。

 

 朝日が昇る。

 今日のゴッサムはどうやらご機嫌らしく、珍しく快晴であった。水平線の向こうから、眩しい光が良く見える。

 思わず目を細めて朝日を見た。息を細く吐き、頬に付いた泥を拭おうと手を上げる。その拍子に、生体感知センサが起動してしまった。

 

 ピピッ、という起動音が気に障ったのか、狩人が強く睨んでくる。きっと頭の中では、同じ様な起動音を発した閃光手榴弾が浮かんでいることだろう。

 

 作業を再開しよう。

 そう思いながら何となしに視線を下げ、──────驚愕に、目を見開いた。

 

 

「生きてる」

 

 

 一瞬、時が止まったようだった。

 ただ空中を眺めていた少女も、既に視線を下げていた狩人も、全く同じタイミングでブルースを見て固まった。ブルースはというと、それらに気付かぬまま自身の足の下を見つめている。

 生体反応が2人分、大人のものだ。

 

「何処だ」

「私の下だ。妙に空洞になっていて、そこに上手く収まって、ああ待て君はそこにいてくれ、危ない」

 

 目を限界まで見開いたまま駆け寄る少女を声だけで制し、離れるように指示をする。悔しそうに顔を歪めたが、ブルースに従い数歩下がってくれた。普段から聡明なのか、分別のついている利口な少女だ。

 

「少しでも順番を間違えればすぐ崩れてぐちゃぐちゃになる。だから私の指示通りにしてくれ」

「承知した。先ずは何処からだ」

「そこの瓦礫と、それ、ああそれだ。次はあの瓦礫で、───」

「よしこれだな、分かった、うん、ああ、大丈夫だ。ちゃんと、ちゃんと今度は助けられるんだな」

 

 ブルースの観察眼は瓦礫除去の適切な順番を導き出し、狩人はどれ程重い瓦礫だろうと難なく持ち上げて放り投げる。

 見つめる少女の虚ろな目は、徐々に光を取り戻していった。

 

「次はそこと、それと、ああ手が見えた!いや待て慌てるな、ここで無理に動かせば全部崩れるぞ。次はそれだ」

「ああ、ああ、大丈夫だ。あと少しだ。あと少し、漸く届く」

「よし、これと、あれと…これで最後だ、引っ張り上げるぞ!」

 

 狩人は常に何か言葉を発していた。少女や、少女の両親に語り掛けているのだろうと思ったが、違う。狩人はずっと、自分に言い聞かせるようにしているのだ。絶対助ける、と。

 

「よし、丁寧にだ。無茶をさせるなよ、相手は、───、あ、」

 

 砂埃が舞う。

 ブルースは父親を、狩人は母親を抱え、瓦礫の山を飛び越えて少女の前に辿り着く。

 

 これでは、もう。

 

 あまりの現実に目を逸らしたくなった。

 確かに少女の両親は生きている。だがそれも、きっと数分しかもたない。

 身体のあちこちは瓦礫で潰され、骨まで飛び出ている個所もある。これだと内臓までミンチだろう。

 息もろくに出来ていないのだろうか、ヒューヒューと、呼吸音にも満たないか細い音が聞こえる。当然、両名とも五体満足ではない。

 

 ゆっくりと地面に横たえさせる。彼らの血は既に色褪せていた。

 

「ありがとう、」

 

 少女は、とうに枯れていると思われた涙を静かに流す。

 

「生きてるうちに、パパとママに会えた」

 

 ブルースは何が何でも自分を呪いたくなった。

 少女は両親の手をぎゅっと握る。彼らはそれに応えられず、ただ鼓動の止まる時を待っていた。

 

 朝日はあと少しで昇り切る。

 柔らかな光がこの家族を包み込み、そして奪っていくのだろう。

 待ち望んでいた筈の夜明けを、今は憎々しく思った。どうか今は、時間が止まってくれたならば。

 

「ああ、ああ!」

 

 ブルースの隣で、狩人が少女以上に涙を流しながら蹲っていた。

 両手を祈るように組んでおり、家族に向かって嗚咽を漏らし続けていた。

 

「良かった、生きていた、良かった。ありがとう、生きていてくれてありがとう、」

「お前、」

 

 この状態を、果たして‘生きている’と軽々しく形容する冒涜者がいるだろうか。

 ブルースの頭は一瞬で怒りに染まった。衝動のまま目の前の顔をぶん殴ってやりたかった。だが少女を見て、家族の最期の安らぎの時間を邪魔しないよう思い留まる。その代わり、狩人を連れて早く此処から立ち去ることに決めた。

 

 しかし狩人はブルースなど気にも留めずに両手を解くと、懐から鐘を取り出した。ゴシック調の小さな呼び鈴のようだ。

 

「生きているのなら、助けられる」

 

 瓦礫の中から見つけ出したのか、鋭利なガラス片を左手に持つ。右手の甲に滑らせると、当然ながら皮膚が裂かれて血が溢れる。

 狩人は啼泣の声を止ませることはなかった。それでもブルースが今まで見てきた狩人の表情の中で、一番安らかな、希望を湛えた笑顔だった。

 

「もう痛むこともない。大丈夫だ」

 

 

 

 リィィ…… ィ… …ィン

 

 

 

 澄んだ音が響く。

 血塗れになった鐘からは、心が安らぐような優しく澄んだ音が発せられた。

 鼓膜を通り過ぎ、脳に到達する。ふわりと包み込むような温かさを感じ、妙な安心感が胸の内を支配した。

 唐突な心地良さに目を瞑り、身を委ね───ようとして、流石に不味いとハッと目を覚ます。

 

 何が起こったか理解出来なかったが、ひとまず正体不明の心地良さを頭の隅に追いやって、

 ───そうして、目を見張った。

 

「は、」

 

 …嘘だろう。これは現実なのか。

 両親が、少女の両手を握り返していた。

 握り返しただけではない。潰れた身体も、突き出た骨も、ミンチになった内臓も、失われた四肢も、全てが夢であったかのように綺麗さっぱりなくなっている。

 

「生きてる」

 

 母親が声を発した。掠れていたが、先程まで死にかけていたとは思えないようなはっきりとした口調だった。

 そのまま茫然とした表情でゆっくりと起き上がり、身体を捻って少女をその目で捉え───思いっきり、抱きしめた。

 

「ああ、アリア、アリア!!」

「ママ!ママが、生きてるよぉ!!!」

 

 2人はそのまま、大きな泣き声を上げた。

 

 未だ現実を受け入れられないのか、父親の方は寝そべったままだ。

 徐に左手を上げ、開閉を繰り返す。何度かやっている内に、指の隙間からブルースの姿を捉えたようだ。

 手をどけて、ブルースをじっと見る。その視線に耐えられなくて、ずっと泣いている少女と母親を見るよう目線で促した。

 父親は漸く起き上がる。数回頭を振って己の状態に全く問題ないことを確認し───少女と母親を纏めて抱きしめ、同じ様に大声で泣いた。

 

 その光景を、ブルースは少し離れて見守るだけ。

 狩人が齎した奇跡を噛み締める様に。

 

 遠くから近づいてくるサイレンを、今ほど待ち遠しく感じたことはない。

 いつの間にか姿をくらました狩人のことは考えないようにした。数時間後の自分が何とかするだろう。多分、きっと。

 

 朝日は既に昇り切り、暖かな温もりを与えていた。




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