夜明けを望むけものたち   作:メリケンです。

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‘狩人’という存在

 あの後、到着した警察に家族の引き渡しを行い、ブルースはすぐさまその場を離れた。

 担当した警察は3ヶ月前から妙に交友を持つようになったマルティネス巡査だった。ブルースを視界に入れた途端「うげっ」と嫌そうな顔をしたが、多少の世間話をするくらいは仲が良いつもりだ。

 

「蝙蝠の人、じゃあねー!!!」

 

 ブルースがそそくさと去ろうとしているのを見た少女は、真っ黒な後ろ姿にそう叫んだ。死んだ表情が嘘のように、花が咲いたような笑顔だった。

 家族3人が奇跡の感動を分かち合いながら抱きしめ合う様は、ブルースが一番望みながら決して得られない光景だった。ちらりと後ろを見るだけにし、その幸福が壊されないように願うと、軽く頭を下げた。

 後ろから事情聴取のため署まで立ち会えと叫び声が聞こえたが、そちらは全く無視して、急いで自身の愛車へと向かった。

 

 朝日が本当に眩しい。

 カウルにサングラスを仕込むか、と一瞬考えたが、そもそも活動時間の大部分は夜であるため無意味だと切り捨てた。

 

 疲労が完全になくなってしまったのかいつになく軽い身体を運転席に滑り込ませて、エンジンをかける。唸る機体に少しだけ笑みを浮かべて、ブルースはアクセルを思いっきり踏んだ。

 

 

     ◇

 

 

「お帰りなさいませ、マスタ・ウェイン」

「ああ、戻った。直ぐに記録を」

「承知しております」

 

 バットケイブに到着後カウルを脱ぎ捨て、目に仕込んだコンタクトレンズ型のカメラを取り出した。専用の読み取り装置にそれを乗せ、先程までの光景をアルフレッドと共に観察した。

 

「…これは、信じられませんな」

「父親と母親の怪我に加え、栄養失調かつ餓死寸前の少女も全快した」

「貴方様が妙に元気なのも?」

「…そうかもしれない。あの鐘の音を聞いたら疲労が全部吹き飛んだようだ」

 

 これが目の前で起こったことだ。とアルフレッドに語れば、彼は茫然とモニターを見て固まってしまった。フィクションのような現実に驚きのあまり思考を止めたようだ。ブルースは、彼が驚きすぎて心臓発作を引き起こさないか内心ハラハラしていた。

 

 ───実際は、少年のブルースに悪人を絶対許さないと決意させたあの日の事件に、シチュエーションがあまりにもそっくりだったため、アルフレッドは気が気でなかったのだ。

 あの時、狩人がいたら、同じ様に助けてもらえたのか。と自暴自棄になりかねない。

 

 だがモニターを見つめるブルースの目は心底穏やかで、アルフレッドの心配は実際杞憂だった。

 ブルースは、着実にあの日から成長している。安心したように目を細め、アルフレッドは目の前の問題に集中することにした。

 

「鐘に血を付着させることで奇跡が起こせるのでしょうか」

「鐘が特別なのか、奴の血が特別なのかは分からない。血の方は採ってきたから解析にかけてくれ」

「はぁ、いつの間に」

「溢れた血の量が多かったのか地面に液溜まりが出来ていた」

「本当によく周りを観察していますね。感心致しました」

 

 狩人の血液が入ったガラス瓶をアルフレッドに預けて彼を下がらせる。

 

「では、私はこれで。マスタ・ウェインも、早くお休みになられてください。なんせ今夜はパーティーへの出席があるのですから」

 

 思いっきり顔を歪めたブルースを見て、アルフレッドは子供らしい仕草だと微笑みながらエレベーターに乗り込んだ。

 その後ろ姿を憎々し気に睨みながらブルースは大きな大きな溜息を吐いた。僅かばかりの反抗だ。そうしたところで、パーティーが中止する訳がないが。

 

「いや、今は狩人の事だ」

 

 再びモニターに注視する。

 小さな薄い箱の中に映し出された狩人は、必死の表情で瓦礫を持ち上げているところだった。

 

『ちゃんと、ちゃんと今度は助けられるんだな』

 

「…今度は、か」

 

 狩人の内にも、大切な誰かを失った過去があるのだろうか。

 それは狩人の行動理念の元になるような、大きな出来事だった筈だ。ブルースにとっての両親の死のように、狩人にとっての大きな損失が。

 

 どことなく似ている気がした。

 

 そしてブルースとは違い、他に選択肢がなかったのだろう。

 

 涙を流しながら狩人は微笑む。

 この瞬間に、狩人の積み重ねてきた後悔が報われたのなら。

 途端に恥ずかしくなって頭を押さえた。らしくない。ブルース・ウェイン、らしくないぞ。自分に言い聞かせる。

 

 思考を切り替える。理由は何であれ‘殺人’という方法を取る狩人を放っておける訳がない。

 

 映像から顔がはっきり映っている瞬間を切り取り、コピー用紙に出力する。またAIを駆使し、サーバーに溜め込んだゴッサム中の人間の顔と一致するものがないか検索する。

 

「…最高で71%一致する者を発見。いや、だが別人だな」

 

 残念ながら、サーバーに狩人の顔は保存されていなかったようだ。もしされていたのなら、住居や職業、友好関係もある程度把握出来たのだが、仕方がない。新しく‘狩人’として登録する。そこで漸く、名前も性別も知らないことに気が付いた。

 

 プリントアウトした顔写真に、現在分かっている情報を書き込んでいく。

 白い髪、赤い瞳、病的な肌、細い手足、妙に怪力。

 謎の血液を用いた未知の青い薬品、少量の血が混ざった水銀の弾丸、血液を付着させ使用する鐘。

 独特なステップ、古めかしいマスケット、ノコギリのようなもの。

 ヴィクトリア朝を思わせる装飾品、獣への憎悪、…赤い、月。

 

 血液、赤、獣、月、白い花、血、血、

 獣狩りの夜。狩人。

 

 脳内に、何か引っかかるようなものがあった。

 それが何であるか、どのようなものかを引っ張り出そうと───して、止めた。理由は分からないが、まだ、理解してはいけない気がしたから。

 

 ふと目に入った、モニターの脇に置いていたノートPCには、昨今の話題である‘メタヒューマン’についてのWeb記事が映し出されている。

 実際に記録に残っている訳でもなく、また寄せられる証言も殆どが嘘のものだ。だが火のない所に煙は立たぬ。人智を超えた能力を持ち、それを行使する存在───それが、‘メタヒューマン’。

 宇宙人だとか、海底人だとか、半神だとか、サイボーグだとか、光より早く走るだとか、根も葉もない噂話ばかりだが───実在することを、ブルースはバットマンになる前から知っている。ヴィジランテとなるための情報収集の際、彼らの力も利用できないか散々調べつくしたからだ。結局、コンタクトを取る機会もないまま今日まできてしまったが。

 狩人も、この‘メタヒューマン’に分類される存在だろう。あれが真っ当な人間である筈がない。

 

 狩人がどんな能力を持っているか把握する必要がある。奇跡的にアーカム・アサイラムに収容できたとして、能力を使って脱出されてしまえば全く意味がない。少なくとも、死体を偽装して煙の様に消してしまうことが可能であるのだから。

 

「人間相手はまぁ平気だが…メタヒューマン相手だと、それなりに準備を整えなければまず勝てない」

 

 更に狩人は対人戦術においてブルースより遥かに高みにいる。その時点で狩人の拘束は難易度を上げるが、回復力も異常だということも考慮しなければならない。なんせ瀕死の状態から全快させる鐘に加え、半日は目を潰せる閃光手榴弾も数分で無効化したくらいだ。最新の技術をふんだんに使用したガジェットも、狩人の前では殆ど無意味だろう。

 

 考えれば考える程、狩人をアーカム・アサイラムに放り込むシーンがイメージ出来ない。

 

 数秒でも動きを拘束できれば、勝ち筋はいくつかある…かもしれない。

 踏むと電気ショックを引き起こす地雷型のガジェットはどうだろうか。それともトリモチのような粘着性のある物質を使用した罠だとか。しかし用意に時間がかかるため、手を付けるなら今の内から。

 

 釈然としないままモニターの電源を切る。脇に置かれていた小さめのサンドウィッチをもそもそと食べながら、上へと向かうためにエレベーターを起動した。

 

 歯車の軋む音が耳に入り込む。ブルースはこの音があまり好きではない。

 1人乗りの籠がゆっくり下りてくるのをぼーっと見つめ、パンのカスがついた口の端を袖で雑に拭った。

 

 ぼんやりとした思考のまま考える。

 狩人は恐ろしい相手だ。人を簡単に殺めてしまう程の残忍さを持ち合わせている。

 だがあの時見せた安らかな笑顔もまた狩人の本性だ。あの瞬間だけは、人の幸福を心から祝福出来る人間だった。

 

 ブルースが狩人に対して消極的になってしまっているのは、あの笑顔を見てしまったからだ。

 他者の幸福を喜べる心優しき人間だった筈だ。しかし、何かが狩人の綺麗な心を歪めて踏み躙ったのだろう。それは在り方を大きく変えてしまう程の、劣悪で残忍な何かだ。

 それこそ、正常に動く細工物に無理矢理粗悪品の歯車をねじ込んだような。

 結局、全部ブルースの妄想でしかないけれども。

 

 

 歯車の軋む音が好きではない。

 両親が殺されたあの瞬間、散々聞いた音だったから。

 

 

 到着した籠に乗り込み上昇させる。彼の頭の中では、既に狩人への対策でいっぱいだった。口に手を当て、視線を伏せて試行錯誤を繰り返す。会話での心理戦は有効か、相手の動きに対抗するガジェットの開発をするか、現在の装備でどこまでやれるのか。

 

 こうして考えることは嫌いではない。作戦を練って練って練って成し遂げた後の達成感も言わずもがな。

 ───それでも、いやそれ以上に、誰かを殴ることが嫌いで、しかし中毒者のように止めることが出来なかった。一種の自傷行為だと言われたそれが、心のどこかで恐ろしくなってしまった。

 

 死ぬのは怖くない。

 が、大切な人が死ぬのはとても怖い。

 

 たまに思う。今の自分は、本当に人間なのだろうかと。徒らに人を傷付ける野獣と変わらないのではないかと。

 

 『獣だ、殺す』

 

 そうか、獣か。

 瞳に宿った憤怒と憎悪を理解できた。

 

 狩人は、自身が進むかもしれなかった数ある可能性の内の1つ、その成れの果てだろう。

 

 狩人の感情に、漸く触れることが出来た。そんな気がした。

 

 

 ガシャン、とエレベーターが停止する。

 僅かに眠気がこみ上げてきたので時計を見れば、午前9時を僅かに過ぎていた。夜行性の自分にとって正しく就寝時間である。ドリーが整えたであろう自身のベッドに潜り込むため、寝室へと向かおうとする。

 決して、目の前の光景に対して現実逃避している訳では無い。決して。

 

「アルフレッド。人間は寝ないと死ぬ」

「常識ですからね、勿論承知しております。ですから就寝なさる前に着ていくスーツを決めていただきたいのです。ええスーツだけで良いです。合わせる小物は私と彼女で決めますから」

 

 ニッコニコ。そうニッコニコだ。

 アルフレッドとドリーは嬉しそうにスーツのかかったハンガーラックを押している。キャスターが回る軽い音に、逃げ場はないと悟った。

 

「行かなければならないのは分かっている。だが着飾る必要があるのか」

「何を馬鹿なことをおっしゃいますか。碌なコーディネートもせずに行ってごらんなさい。ウェインの名に泥を塗るばかりか、下に見られて余計な汚名を被ることになります」

「いや大丈夫だ分かっている。分かってはいるが、何もこんなに用意しなくても」

「出来れば動きやすい方が良いでしょう?色々試着なさって、1番身体にフィットするものを選んでください。後はペニーワースさんと私で、頑張りますから」

 

 試着。試着と言ったか。

 50着近くもあるスーツを全部か。正気か。

 流石にドレスコードを無視する訳ではない。昔からそう教育されているし、そもそもとして当然の常識である。上級層のパーティーにラフなスーツだけで済ませるなど、要人の葬式にジャージ姿で出席するくらい常識がない。靴やネクタイ、それにシャツやチーフなど、合わせる小物にまで気を使わなければならない。

 だが多い。スーツがとにかく多い。試着の途中で寝てしまわないか、俺が。ブルースは諦める様に溜息を吐き、両手を上げて降参の構えを取った。

 アルフレッドとドリーは益々笑みを深めて、各々がブルースに似合うと思ったスーツを手に取り始めるのだった。




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