夜明けを望むけものたち   作:メリケンです。

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朝日と希望

「まだ、着かないか」

 

 頬を伝った汗を拭う。あちこちから野鳥の囀りが響き渡り、木の葉の擦れ合う音と共にブルースの耳に入り込む。

 

 森に入ってから、既に2時間は経過していた。

 

 ブルースは遭難している訳ではない。調べた資料を基に目的地の座標を割り出し、仕事の都合ではあったがやっと近場の街に来られたので、休日である今日をこの探索に費やしていたのだ。

 

 探しているのは街、だったものだ。

 街の名はヤーナム(Yharnam)。狩人がいた場所だ。

 

 ずっと頭に引っかかっていたものの正体は、まだ彼の両親が健在だった頃に読んだ、世界の怪談を集めた短編集だった。

 その本は既に失くしてしまったから、記憶を頼りにサーバーを掘り返し、該当しそうな情報を片っ端から集めた。必要なものが揃ったのが、つい最近。

 

 医療の街、ヤーナム。

 人里離れた山間にポツンと存在するこの街は、‘血の医療’という奇跡を求めて来訪者が絶えなかったそうだ。だがその場所がとにかく辺鄙らしく、辿り着けずに道中で死んでしまうのが大半だったそうだ。というのも、ヤーナムを目指して旅をしたものは絶対に帰ってこなかったのだ。だから誰もヤーナムを見た事がないし、存在すら疑われていたらしい。

 

 栄華極まるヴィクトリア朝。真偽も定かではない、当時の噂話だ。

 

 呪われた、しかし不治の病も癒せる街。

 ヤーナムがあるであろう方角からは、獣の遠吠えが絶えなかったらしい。

 

「───これか」

 

 蔦だらけになった鉄柵を見つけた。長年雨風に晒され、表面がびっしりと錆に覆われていた。

 その柵に取り付けられたプレートも劣化が酷く、刻まれた文字を読むことが出来ない。

 ブルースは背負ったバッグから小型の解析装置を取り出しスキャンする。液晶画面に、嘗て刻まれていただろう文字が浮かび上がっていた。

 

‘Yharnam’

 

「大当たりだ」

 

 漸く辿り着いた、と笑みを浮かべた。水分補給をし、気合を入れ直して柵を飛び越えた。

 

 

     ◇

 

 

 狩人の狂行がパタリと止んでから、1年が経っている。

 

 ゴードンには、狩人がもういないことを直ぐに話した。そんな筈はない、また現れるぞと彼は激高したが、現在はもう狩人の事など思い出すこともないだろう。ゴッサムの街は、常に新しい犯罪者を生み続けるのだから、現れない者に構ってる暇などないのだ。

 ゴードンに限らず、街の住人もそうだった。いつ自分が逆さ吊りにされるのかと恐怖する日はもうない。遠い過去の恐怖より、入れ替わるようにやってくる新しい死の脅威に備えることの方が大事だ。

 

 それが少しだけ、可哀想に感じた。

 

 直ぐに狩人を思い出せるのは、今やブルースとアルフレッドだけだった。それ以外は、一時の悪夢のようなものだったと認識し、次第に完全に忘れていく。

 

「…これが、ヤーナム」

 

 鉄柵を飛び越えて30分。漸くヤーナムの入り口に辿り着いたブルースは、そのあまりの美しさに感嘆の息を漏らした。

 

 100年以上も人の出入りがなかったためか、街の大半は雑草やら蔦やら樹木やらで荒れに荒れていた。だが残っている建物は当時の姿を殆ど保っており、荘厳な雰囲気は建築技術の精密さを語っていた。

 

 衛星を駆使しなければ見つかることはなかったであろう山奥に、人が辿り着ける筈もない。だが万が一野盗が住み着いている可能性も考慮し、手甲を装備しておく。

 

 ごくりと唾を呑み込む。

 緊張から、喉がいやに乾いた。

 

「本当に、美しいな」

 

 歴史的にも、美術的にも価値がある。密集するような街並みは圧巻の一言に尽きた。

 遠くに見える崩れた建物は、周辺に比べて一際大きかった。時計の針のようなものがぶら下がっているから、時計塔だったのだろう。

 ひとまず、その時計塔を目指すことにした。

 

 歩みを進める中でも、周囲へ視線を向けることを中断しない。

 内側から壊されたような壁があった。不自然に崩れた屋根があった。妙に黒い染みが出来ている祭壇があった。一部分だけ酷く湾曲する鉄柵があった。何かを磔にした痕跡があった。狩人の言葉を信じるなら、これらが獣狩りの夜の名残なのだろう。

 

 遠くから、オルゴールの音色が聞こえた気がした。

 弾かれたようにその方向を見る。何もない。

 どうやら疲れているようだった。再び水分補給をして、ペチンと頬を叩いた。

 

 大きな橋に辿り着く。街の上の方に繋がる橋だ。苔だらけで、敷かれている石の間からは雑草が伸び放題だ。

 

 途中にある金属製の箱は、鉄柵と同じように錆塗れだった。

 

「棺桶?」

 

 それは棺桶だ。鎖で雁字搦めにされているそれが、何故こんなところに。

 積み上げられるように所々に乱雑に置かれている。弔いが追い付かない程多くの死者が出たのか、埋める場所がなかったのか。とにかく、ヤーナムの街のそこかしこに棺桶が放置されていた。全て、鎖で封をされていた。

 

 開けたら吸血鬼が出てきそうだ、と心の中で思いながら、上へ上へと登っていく。

 ヤーナムの街は、縦に積まれていると錯覚させるほど高低差が激しい。山を切り開き、斜面を利用してそのまま街を造っていったからだろうか。

 いくらブルースが鍛えていても、流石に息が上がってくる。特に最近は寝不足に拍車がかかり、少しでも気を抜けば倒れてしまいそうだ。

 気力で何とか耐え、橋の先の大きく歪んだ鉄格子を潜り抜けた。

 広々とした階段が目に入る。今からこれを登るのか、と顔を顰めたが、覚悟を決めて足をかけた。

 

「流石に、堪える、な、っぐ、」

 

 早く事を済ませなければ、という焦りが生まれる。日没までには森を抜けないと、本当に遭難してしまう。

 

 階段を半ばまで登って、一際大きな建物が正面に鎮座していたのが見えた。

 教会のようだ。遠くからでも分かる華々しい装飾は、迷える人々を優しく迎え入れるためのものだろう。やけに浮いている、と思った。

 

 階段を上っているとき、道中に空っぽの乳母車が捨て置かれているのが目に入った。それだけ、何故か綺麗に形を保っていた。勿論、中は空っぽだ。

 

 美しいが、不気味な街だ。

 

 

 ───ふと、狩人の匂いがした。

 1年たっても忘れることはない、独特な匂いだ。別の何処かで嗅いだようなないような、朧気ながら手が届きそうで、しかし決して届かない、不思議な匂い。

 

 弾かれたように走り出した。

 風の方向を読む。右側からだ。丁度脇に繋がる階段を見つけ駆け降りると、墓地に囲まれた広場に出た。

 

 奥には巨大な建築物。階段の上の教会よりは一回り小さいが、此方も教会のようだった。

 

 広場にゆっくりと足を踏み入れる。墓が乱立していて歩きづらいことこの上ない。教会の近くだからなのか、捨て置かれている棺桶の量も先程より多かった。

 中心には、ポツンと井戸だけがあった。恐る恐る近付く。

 井戸にもたれかかるように何かがあった。白く細長いものが見えて、骨だと確信した。気を引き締める。井戸を中心に回り込み、その何かと相対する。

 

 やはり骨だ。丁度、大人1人分の。

 

 骨を包む衣服には見覚えがある。いやに長いサスペンダーに、丈の短いフード付きのマント。狩人のものだった。

 

 やっと、見つけた。

 

 右手があったであろう位置に、なにか光るものがあった。

 心の中で断りを入れ、拾う。真鍮製のロケットペンダントだった。

 中を見るために開く。錆びて開かないかと思ったが、予想に反してすんなりと開いた。

 2人の肖像画が入っていた。男と女。雰囲気が狩人によく似ていた。

 

 息を吐き、ロケットペンダントを元の位置に戻す。ついでとばかりに、取り出した可愛らしい封筒を狩人の懐にねじ込んだ。

 

「お前が助けた家族からだ。お前に届けてほしいと。…随分時間がかかって申し訳ないが、黙って受け取ることを推奨する」

 

 彼らの顔が浮かぶ。久々に会ったときは真っ先に父親に抱き付かれて暫く思考が停止した。その後に娘、母親、家族の親戚の順で更に抱き付かれて混乱した。後ろにいたゴードンは呆けていたが、事情を知るマルティネスはうんうんと涙を浮かべていた。

 暫くは感謝の言葉の洪水だった。突然の出来事に固まっていると、あれよあれよという間に封筒を託された。どうか、もう1人に届けてほしいと。

 確実に、とはいかないが、約束しよう。そう言ったら、泣き出してしまった。本当にありがとうございます、という言葉を受け止め、そのまま別れた。彼らは既に、ゴッサムを出ていったのだろう。

 

 狩人に会ったら、色々な文句を言ってやろうと思っていた。

 青い秘薬を飲んだら本当に半日意識が吹き飛んだ。

 酷く疲れたように目を覚ました。

 貰った狩人呼びの鐘は(ぜつ)が付いておらず、叩いてもくぐもった音しかならない不良品であること。

 狩人が殺した富豪が裏で人身売買の市場を取り仕切っており、元締めがいなくなったことで市場が自然消滅したこと。

 だが結局は全て飲み込んで、ブルースは何も言わず立ち去ることにした。太陽の位置と時計が指し示す時間を照らし合わせて、日没の時刻を計算する。

 

 あ、と気付く。

 日没までは3時間程だ。太陽は真上をとうに過ぎ去り西に傾いている。丁度、井戸を挟んで狩人の後ろ側に。

 

 狩人がいる位置からだと、朝日がきっと良く見える。

 

「なあ、狩人」

 

 発した声は穏やかだった。

 狩人の匂い───月の香りは、もうしなかった。

 

「お前の夜は、明けただろうか」

 

 分からないし、知る術もないけれど。

 狩人が何処かで、あの小さな笑みを浮かべている気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 おわり〈?〉




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