サクラを枯らすな! ~北の大地の線路守は、桜吹雪と共に駆ける~ 作:矢神敏一
第46回国会 参議院 運輸委員会質問 民和党 戸塚ひばり議員
「くそッ! やっぱり思った通りだ!」
蝦夷府中の夜空に、アヤの悲鳴がこだまする。
「オマエたち、
「アヤ姐ェ、やるんですか」
「あたぼうよ!」
アヤのその眼は、本気だった。
「アイツはもう、オレたちの仲間じゃねえか。そうだろ?」
「ああそうだ。一度走ったら、一生アタイらの仲間さ」
「じゃあ、仲間の為にサンパチ撃つのが怖ェヤツおるか? おらんよなぁ!」
アヤの咆哮に、怖気づく者はいない。
「サクラを……。いや、グロリアを助けに行くぞ」
「おう!」
蝦夷府中のウマ娘たちが、一斉に走り出す。危険な夜が始まろうとしている。
その頃、小祝内側では、既に捜索が始まっていた。
「この辺りまで蹄鉄の跡がある」
「じゃあやっぱり、ここまで来てるんだ」
グロリアは、先生の家から飯野のおじさん家の方向へ走っていった。簡易軌道は飯野のおじさん家で途切れてはいるが、道はその先の蝦夷府中までつながっている。
そして、蝦夷府中との間には、峠がある。
グロリアのモノと思しき蹄鉄の跡は、その峠付近で途切れていた。
「たぶん、本道と間違えて山道へ入ったんだ」
「ああ……。クソッたれ、この時間になったらもう」
「クマ公が出てもおかしくない」
別に、羆は夜行性ではない。昼間でも不用意に出歩けば襲われることだろう。
問題は、羆が学習をする生物だという事である。
この付近の羆は、昼間に出歩けば駆除部隊がやってくることを知っている。
逆に言えば、視界の悪くなる夜間は駆除部隊がやってこない、すなわち自分たちが行動できる時間帯だと分かっている。
そんな時間帯に出歩けば、まず襲われることは間違いない。
この期に及んで、リョウコは逡巡していた。
グロリアのことは助けたい。でも、仲間を巻き込みたくはない。自分の不手際のせいで、仲間を危険に晒したくはない。
だが、リョウコだってわかってる。今の自分に、できる事は少ないということ。だからこそ、リョウコは仲間を呼んだのだ。
「リョウコっ!」
タバコのウマ娘は、そんなリョウコの葛藤を知ってか知らずか、努めて明るい声をかける。
「……ああ、分かってるさ。でもよ」
この近隣のウマ娘は、全員家族みたいなものだ。もちろん、グロリアだってもう家族だ。
この二つを天秤にかけたとき、やはり自分一人で何とかするという第三の選択肢が頭をチラつく。
「なあ、やっぱり」
「オマエ一人で山へ潜るか? リョウコは昔っからヘタれるよなぁ!」
背中を後ろから蹴られる。驚きと怒りを込めて振り返ると、そこにはアヤたちが居た。
「北府中町……!」
「家族の為に命かける覚悟なんてよぉ、この大地に生まれたウマ娘なら、生まれたときに持ってるんだ」
アヤは、右手に持ったサンパチ、三八式歩兵銃を高々と掲げる。
「それは、小祝内も同じじゃねえのかよい」
「同じだぜ、リョウコ」
タバコのウマ娘だけじゃない。小祝内中のウマ娘が、そこには居た。
「そこに羆が居るなら斃しゃぁいい。尾根があるなら昇ればいい。谷があるなら下ればいい。家族がいるなら、共に戦い守り合えばいい。こんなとこでカッコつけるのはよそうぜ、ホモサピエンスじゃあるめぇし」
アヤはセリフと共に、サンパチに弾を込める。
「じゃ、やろうぜ」
「ああ」
リョウコは、ここでアヤに頭を下げようとした。グロリアの為にありがとう、すまない、と。
だが、すぐにそれを止めた。
その代わりに、リョウコは皆の先頭に立って、一言吠えた。
「グロリアを、助けるぞ!」
返事は、女にしては野太い咆哮だった。
もはや、自分が今どこを彷徨っているかさえわからない。グロリアの焦りは、どんどんひどくなるばかりである。
グロリアは、東京の裕福な家に生まれた。裕福な家に生まれるとどうなるかというと、様々な危険から切り離されて生きることになる。
正確には、危険があったとしても、最終的にそれは命に直結しないのだ。
終わってしまえば、「ああ怖かったね」ですべてが済まされる。
死を、死の恐怖を意識することなく生きて行ける。それが東京山の手に暮らす富裕層の生き方だ。
グロリアが初めて死を意識したのは、あのレースでの交錯だ。
転倒の瞬間、冷や汗と共に悔悟と恐怖がこみあげる。これが夢であったらいいのになんて思いが、永遠と続くように感じられる。
だが、この時はすぐに痛みがやってきた。それが頭を冷静にさせた。感情だけが浮遊して、身体から離れていってしまうようなことはなかった。
そして、その痛みが、しばらくしてからグロリアの意識を刈り取った。
だから、グロリアの頭の中に残っている”死”は、ほんの一瞬だけ。
けれど今は違う。
死が、ずっと続いている。恐怖が、後悔が、やるせなさが、ずっと心を気味悪く浮遊させている。
どれだけ逃げるように走っても、いや、走れば走るほど、それは強く酷くなっていく。
泣き出したいという感情はあるのに、身体がそれについていかない。
心臓がバクバクと騒々しく、喉は異様に乾いている。
助けて、と叫び出したくて仕方がない。
それをしても仕方がないこと、むしろ事態を悪化させるであろうことを、グロリアは脳ではなく身体でわかってる。
だから声が出ない。
それが、グロリアの恐怖を増幅させる。
出ないはずの声を出そうとする行為は、体力を消費する。
そのうちに、グロリアは疲れ果ててへたり込んだ。
もはや物思いにふけることすらできない。今、グロリアの精神の中にあるのは、完璧な”無”だ。
静寂と暗闇に包まれ、自分が今、どのようであるかさえわからない。
孤独。
その二文字ですら、グロリアの頭の中にはない。
ところが、不意に周囲からガサゴソと物音がする。
グロリアは顔を見上げる。月明かりに照らされて、周囲の様子が少しばかりうかがえる。グロリアは初めて、自分が下を向いていたことを知った。
音の主を探す。
リョウコが、助けに来てくれたのだろうか。それとも、他の人か、風のイタズラか。
物陰から、音の主が顔を出す。
グロリアは、事態を飲み込めなかった。その頭では、今自分がどのような状況であるのか、理解できなかった。
だが、身体は理解していた。
何もできずに、強張ったまま。
目の前に現れたのは、腹を空かせた羆だった。
「リョウコさ……っ!」
羆の前足による打撃は、その鋭利な爪による斬撃も相まって、喰らえばおおよその人間はひとたまりもないだろう。
だから、グロリアの背後から飛び出た影は、それを受け止めるような真似はしなかった。
その代わり、素早く羆の間合いに潜り込んだソレは、肥後守をヒグマの眼に突き立てた。
突然の激痛と失明に、羆は狂ったように暴れる。
その腕が当たらないうちにその影は羆から距離をとり、とっさにグロリアを羆から離れさせた。
「あ、ああ……」
その影の正体は、もう一人しかいない。
少しだけ目じりに涙を溜めた、リョウコだ。
「リョウコさん……」
「この辺りをグルグル迷いながら、力尽きてどこかでヘたれてるだろうって予想は大当たりだ」
リョウコは強気な顔でにやりと笑った。
「なあ、グロリア」
羆は目が見えない中、その気配だけでリョウコに狙いをつける。
武者震いしながら、リョウコは言い放った。
「オマエがどう思ってようがアタシには関係ねえ。オマエは、アタシの家族だ!」
リョウコの叫び声とほぼ同時に、羆が突進を始めた。
リョウコは吠える。その身一つで、羆に立ち向かう。
「こんどは、アタシがサクラを護るんだ。アタシが、グロリアを護るんだ!」
リョウコは握りこぶしを作る。
「くたばれクマ野郎!」
両者の拳が交錯しそうになったその時、横から声が飛ぶ。
「リョウコ、避けろ!」
その声を聴いて、リョウコは拳を解除する。そして羆の突進を上に飛んで回避すると、羆の上に乗っかった。
「おせえよ、アヤ!」
「バカヤロウ、オマエが早いんだ! 避けろリョウコ、一斉射撃だ!」
「あいよ!」
リョウコは「これは宝モンだから」と羆の眼に刺さったままだった肥後守を引っこ抜き、そのまま羆から降りる。そしてもう片方の手で軽々グロリアを抱えると、一目散にその場から離れた。
羆はなおもリョウコとグロリアを追おうとする。
だが、アヤがそうはさせなかった。
「おい、クマ公! 北海道開拓始まって100年のお礼は、オレからするぜ!」
蝦夷府中のばんえいバ達が、サンパチを構える。
「受け取りな、これが鉛玉だ!」
一斉射。弾丸の雨が羆に降り注ぐ。
うめき声を上げて崩れ落ちる。それでも、羆の動きはまだ止まらない。
もう一斉射。
更にダメージが与えられる。それでも、まだ息の根は止まらない。
最後は、タバコのウマ娘が鉈で仕留めた。
羆はそれで、ばったりと動かなくなった。
グロリアは暫く泣きじゃくっていた。それを、リョウコとアヤがいつまでの抱きしめていた。
「そっか、東京に羆はいねえんだもんな」
アヤの射程は呑気にそんなことを言いつつも、体力を消耗したグロリアの為におじやを作っている。たくさんの人々の優しさに触れて、グロリアはとうとう涙か止まらなくなってしまった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
泣きながら、グロリアは謝罪を口にする。その口に、タバコのウマ娘がおじやを突っ込んだ。
「ごふんなふん、ぐふんなふん」
「泣くか詫びるか食べるか一個にしろ! そそっかしい!」
アヤはそう言いながらゲラゲラ笑っていた。
リョウコもさすがに笑いをこらえられず、片を小刻みに揺らしていた。
「ま、謝ることはないって。ねえ?」
タバコのウマ娘がリョウコの方を見る。
リョウコはしっかり頷いた後で、こんどはこちらが申し訳なさそうな顔になる。
アヤはそれを見て、リョウコのおでこにタバコを押し当てた。
「イってぇ! 何しやがんだ!」
「謝ることねえのはお前もだぜ、リョウコ」
何事も無かったように、アヤは紫煙をぷかぷか浮かべる。
リョウコはバツが悪そうに頭を掻いた。
「ま、なんだ」
リョウコは首をかきむしる。グロリアは、これがこっぱずかしくって言いにくいことを言おうとするときのクセだと、知っていた。
「ありがと、だけでいいんだよ。家族みたいな仲間には、な」
言い切ってから、リョウコは自分の髪の毛をぐしゃぐしゃとかきむしる。恥ずかしくって火が出そうとばかりに、顔を両手で覆った。
そんなリョウコに、グロリアは抱き着いた。
「はい……! ありがとうございます!」
・三八式歩兵銃
日露戦争で使用された三〇式歩兵銃の改良型として、第一次世界大戦頃から使用された歩兵銃。
ボルトアクション式と旧性能ながら、第二次世界大戦終戦まで前線で使用されたほか、戦後も接収されたものなどが諸外国にて使用されている。
また、一部では払い下げ品が狩猟用に使用されている。