サクラを枯らすな! ~北の大地の線路守は、桜吹雪と共に駆ける~ 作:矢神敏一
ところで、簡易軌道の中には、主要な街と街を結ぶようなもの、もしくは、結ぶことが計画されていたものがいくつかあります。そういったものが簡易軌道の廃止と共に消滅しては、これは住民の不便となり、なんのための行政かわからなくなります。
国鉄が、簡易軌道とほぼ重なるルートで新線を検討していたとしても、おかしくないと思うのですよね。
鉄道建設機構の皆様も、そうは思いませんか? いえいえ、そう思っていただいているからこそ、今皆さまはこの街にいらっしゃっているわけだ
ようこそ、小祝内へ」
鉄道建設機構と飯野牧場 非公式の会合
浜口教官は、グロリアと会ってすぐ、頭を下げた。
「すべては、私の力不足だ」
高圧的な容姿からは想像できなかった誠実な態度に、リョウコは驚かされた。
「彼は見かけによらず、小心者でね」
先生は笑みを見せた。
「先生、コイツと知り合いか?」
リョウコがたまらず追及すると、先生は苦笑しながら教えてくれた。
「ええ。……もっとも、彼に告げ口をしたのは私ではありません。おそらく、日ウ協の方から国鉄へ圧力がかかったのでしょう」
それにしても、ずいぶんと早く見つけ出しましたね、と先生は教官を褒めそやした。
「よしてください先生。私は……」
冗談のような先生の賛辞を得てもなお、教官の顔は固かった。
「……まぁ、無理もありませんか」
先生は一人で納得したように頷くと、リョウコに席を外させた。
「さて、ここからは二人だけの話です。我々はいったん外に出ましょうか」
「グロリアはアタシの家族だ!」
リョウコは、先生に食って掛かった。
「家族なら、進路の相談に同席してもいいだろ」
「それは時と場合に寄りますよ、リョウコ。今回ばかりは聞き分けなさい」
先生は、優しく諭すように、それでいてピシャリとリョウコを締め出した。
リョウコは最後まで不安と悔しさに押しつぶされそうな顔をしていた。
グロリアにとっては、それだけで十分だった。
「教官、私は怖かった」
結論の前に、私の話を聞いてください。と、グロリアは口を開いた。
結論とは当然、彼女の進退についての答えである。
「あれだけの事故だ。ボンドもああなってしまった。レースに恐怖を覚えるのは無理もない。しかし、それでも君は良く走った」
「いえ、そうではありません」
グロリアは首を振る。
「私が怖くなったのは、『勝とうとする意志』そのものに、なのです」
ウマ娘を、最後に勝たせるのは「意志」だ。誰よりも抜きんでて、ハナの差でもいいから先にゴール版を駆け抜けたいという、渇望、欲求、決意。
それを全てひっくるめた「意志」こそが、最後にウマ娘を勝たせる力なのだと、グロリアは認識している。
そして、だからこそ、それが欠落してしまったらグロリアはウマ娘ではなくなるのだ。
「私が最後に負けた日、私は私が負けた理由を探そうと東京を飛び出しました。しかし、そんなものは上野発の汽車に乗らずともとうに理解できていたことなのです」
グロリアの自白を、教官は黙って聞いているだけだった。それは、彼女の成長を見届けようとするそれではなく、どれだけ探しても言葉が見つからないそれであった。
彼の表情は、沈痛だった。
「最後のレース。私は、先行策を選びました。ほとんどのウマより前を走っていれば、勝気など出さなくても自然と勝利が転がり込んでくると踏んだ、浅はかな策でした」
「いや、アレは君の脚質を見込んで……」
「私は脚力を頼りに、後半を勝負するウマです。教官もご存じでしょう」
「それは……」
教官の顔は、可哀そうなくらい悲嘆に暮れていた。
「先行策とは、そんな阿漕なものではない。ボンド先輩の背中を見ていれば、知っていたはずなのに、それすら忘れてしまうほどに。ボンド先輩の声すら届かないほどに、私は”逃げ”ていた」
息を入れて、彼女は言葉を紡ぐ。
「あの競争で、私は逃げ・先行策を選んだのではありません。競争から逃げていたのです。勝つことから、逃げていたのです」
「グロリア、もう言うな」
そんな教官の声も、もう届いていない。グロリアは、全てを自白した。
「アレは競争ではありません。ただ、走っていただけ」
「それは―――!」
違う。などという言葉は、教官の口から出てこなかった。
この課題にいち早く気が付いていたのは、他ならない教官自身であった。そして、彼女の精神を慮ってこの問題を先送りにしたのも、教官だった。
「教官、感謝します。尋常の教官のように、厳しく懇切に指導してくださっていたら、とてもではないが私のこころは持たなかった。今、この大地で自分と向き合うことができたのは、教官のおかげです。本当にありがとうございます」
グロリアは立ち上がり、深々と頭を下げた。
教官はその瞬間、何かを悟ってしまった。
「そうか、グロリア。君は……」
「ここへきて、たくさんのことを学びました」
グロリアの表情は、憑き物がとれたように晴れやかだった。
「たくさんの、
グロリアは笑顔のまま、自分の身体を抱く。
「あの時の恐怖が、まだこの身体に残っていることも」
グロリアは震えている。その拳には力が入って、長く伸びた爪が掌を切り刻もうとしている。
教官は、思わずその手のひらを、自分の手のひらで包み込んだ。
「消えないか」
「はい、消えません。そしてたぶん、消してはいけないのです」
「そんなことは」
「あるんです。ボンドさんが苦しんだ分だけ、私も苦しまなければ。そうでなければ、私は私を許せない」
「グロリア……」
教官は、何かを言いかけて口をつぐんだ。それは言ってはならないことだと思ったからだ。
全てをあきらめて、教官は椅子に沈んだ。
「グロリア、これからどうするんだ」
もう、そんな話ぐらいしか、口にすることができなかった。
グロリアの表情は、相変わらず明るかった。そして、一つの決意に満ち溢れていた。
彼女は、胸を張ってこう答えた。
「この街の、それはつまり、小祝内。そして、蝦夷府中の皆さんのためになりたいと思っています」
教官は、知っていた。
ここへ来るまでに、ウマ娘たちから熱弁された。どれだけグロリアが頑張って来たか。どれだけグロリアが懸命に努力を積んできたか。
サラということを鼻にかけず、一から努力をして、一人前の軌道ウマ娘になったか。
この街の、この地域の交通に、グロリアが欠かせない存在であるという事、伝えきれないほどに伝えてきてくれた。
「そうか。もう、決めたんだな」
教え子の生きる道が決まったのである。それが、当初に比べて不本意な形だったとしても、教官としてはそれを受け入れるほかない。
「教官、ひとつだけ、我儘があります」
「なんだね、言ってみろ」
教官は、悔しかった。でも、これを祝福できないようでは教官になった価値がない。と、自分に言い聞かせた。
だから、教え子の最後の我儘なんて、笑顔で聞いてやろうと思った。
「なんだってしてやるさ。君の為ならね」
できれば……。当初の願い通り、重賞を獲らせてやりたかった。
そんな言葉は、胸の中にしまって。
グロリアは教官の優しい笑みに向かって、我儘を言う。
ひどく怒られるかもしれない。
それでも、これだけは叶えたかった。
当初とは、全く違う理由で。
グロリアはその我儘を教官に告げる。
それを聞いて、教官は愕然とした。
次に、涙があふれてきた。男が涙を流すなどだらしがないと、自分では思っていても、それを止めることはできなかった。
「ああ、グロリア。本当にいいのか」
「はい、構いません」
グロリアの決意は固かった。
「それが、今私に求められていることであり、私が成し遂げたい事であり、そして……」
彼女の眼は、鋭く、そして、輝きに満ちていた。
「次の人生に、必要なことですから」
次の日、グロリアの姿は小祝内に無かった。
先生の家に書置きだけを残して、グロリアは旅立った。
突然の別離に戸惑う小祝内と蝦夷府中は、数週間後に飛び込んできたもう一つのニュースで、更に混乱させられることになる。
「サクラグロリア、札幌記念に出走登録」
・日本ウマ娘トレーニングセンター学園規約(卒業)
1.卒業は、期間の満了または本人からの申し届けを以て卒業とする。
(中略)
5.卒業に際し、重賞勝利者以上にその戦績に応じて重賞勝利褒章金を進呈する。
6.支払額及び支払方法は、卒業時期一か月前若しくは卒業申請が受理された際に、理事会若しくは理事会から委任を受けた機関により決定される。
9.(追記)卒業後、日本ウマ娘トレーニングセンター学園の指導者名簿に登録を受ける者は、指導者奨励金を受け取ることができる。
10.(追記)事故等で今後の走行が困難になった者などは、重賞勝利褒章に準ずる見舞金を受け取ることができる。
また、怪我をしてから卒業までの在籍期間で、後進の育成に協力したものは、指導者奨励金に相当する報奨金を受け取ることができる。