サクラを枯らすな! ~北の大地の線路守は、桜吹雪と共に駆ける~   作:矢神敏一

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全日本ウマ娘協会 昭和40年度 第 221 号 通達

宛 全ウマ娘関係者

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園(東京)より、一名のウマ娘生徒が行方不明。
 生徒氏名:サクラグロリア(東京・美浦寮)
 担当教官:浜口一郎

 目撃者並びに保護をしたものは、速やかに下記まで連絡してください。

 直通:市外局番×××(××××)××××


2:桜葉萌ゆる初夏へ

「申し訳ありませんでした!」

 

 あわや食い逃げ未遂である。

 グロリアは、店に戻るなり折り目正しく腰を折った。そのうえで、代金の清算をしようと財布を出す。

 

「いやいや、謝るこたぁねえ。なぁ?」

 

 蕎麦屋の店主は、ちょっと冷や汗をかきながら努めて快闊にそれを許した。

 

「あ、蕎麦代はいらねえ。今日はこの街でゆっくりしていけばいい。()も飲み屋も無いチンケな町だが……、それは嬢ちゃんにはイラン心配だったか!」

 

 店主がそう口走った瞬間、リョウコの尻尾がまるで鞭のようにしなり、店主の横っ面をビンタする。

 

「黙ってろクソジジイ! 次は手、その次は足だぞ!」

 

 リョウコに叱られて、流石の店主も口を閉ざした。

 

「いやはや、災難でしたね。身体の方は特に異常ありませんでした。どうかお気をつけて」

 

 先生は、グロリアの身体を一通り確かめてそう太鼓判を押した。

 

「ええっと、貴方は……」

 

「この人は先生。私の”飼い主”さ」

 

「リョウコ、滅多なことを言うもんじゃありません」

 

 先生はピシャリと言うと、グロリアの方へ向き直った。

 

「申し遅れました。私は水田と言います。皆は私を先生と呼びますが、貴方はご自由にしてください」

 

「せん、せい?」

 

 先生、と呼ばれる立場の人間は数少ない。グロリアは水田のことを医者か何かだと思った。

 

 だが、それにしては医者の雰囲気ではない。もっと厳格で、力強いイメージが彼のタマシイから溢れている。そんな感覚をグロリアは持った。

 

「勘が鋭いんだな」

 

 リョウコはポツリとつぶやいた。

 

「え?」

 

 グロリアはその言葉の意味を問いただすが、リョウコは答えなかった。

 

「ともかく、北海道の片田舎、小祝内村までよくぞおいでになりました。しかし一体、何用でこちらにいらっしゃいましたか?」

 

 先生はグロリアに問いかける。だがグロリアは、何かを口にしかけて、でもそれが言葉に出なくてもがいていた。

 

 先生は手でそれを制すると、優しい顔を作った。

 

「ずいぶんとお疲れの様だ。今日は私の家を案内しますから、そこで休んでいきなさい。いいですね?」

 

 グロリアは、そこまでお世話になるわけには……、と固辞しようと考えた。だが、先生の有無を言わさぬ気配に何も言い出せず、ただただそれに頷いた。

 

 

 

 先生の家は、先ほど駆けた道のさらにその先にあった。

 

 その家は医院ではなく、普通の家屋だった。

 

「先生はお医者様ではないのですか?」

 

 グロリアの純粋な問いに、先生は破顔した。

 

「いえいえ、私は医者ではありません」

 

 ほかに先生と名の付く者を考える。するともう、グロリアの頭には学校の教師ぐらいしか思いつかなかった。

 

「それじゃあ、学校の先生なんですね」

 

 グロリアの言葉に先生はちょっと目を見開いた。それから、また目を細めてこういった。

 

「そうですね。似たようなものです」

 

 先生の家は、とても大きくてたくさんの部屋があった。

 

 でも、不思議と人の気配があまりしない。まるで、この広大な空間にこの三人以外存在しないかのような……。

 

「今は、リョウコと二人で暮らしております」

 

 グロリアの疑問を知ってか知らずか、先生は勝手に口を開いた。

 

「リョウコさんと先生のご関係は?」

 

 しようと思っていた質問を先回りされてしまい、手持ち無沙汰になった心を埋めるために次の質問をする。その後で、少し突っ込みすぎた問いかけだったかと自省したが、もう遅かった。

 

 その質問には、リョウコが答えた。

 

「前も言っただろう。アタシャこの人の()()()さ」

 

「リョウコ!」

 

 先生が声を荒げる。グロリアがびっくりして肩を震わせると、リョウコはバツが悪そうな顔になった。

 

「あー……、冗談だよ。アタシャ雇われてんだ、この先生に」

 

「雇われている、ですか?」

 

「さっきの鉄道の、運転役で」

 

 グロリアはここで首を傾げた。先生は鉄道会社の社長さんなのだろうか。それにしても、イチ社員を家にあげてあまつさえ家族のように接するというのは、おかしな話だ。

 

 そういえば先ほどからしきりに、飼い犬・飼い主と言った言葉が出てくる。

 

 もしかしたらこれは、社長とウマ娘社員との間の禁断の……。

 

「別に変なことは一個も無いぞ」

 

 悶々とした思春期の妄想が頭の中を駆け巡っているグロリアに、リョウコがストップをかけた。

 

「あの線路は別に、誰でも使っていいんだ」

 

「そうなんですか?」

 

「ああ、使いたいときに、自前で持ってる貨車を線路に乗せて、ヒトやウマ娘に引かせたり押させたり。それだけだよ」

 

「時刻表は? 順番の決まりは?」

 

「そんなものないよ」

 

 グロリアは呆気に取られている。都会では考えられないようなことがここでは起きている、という事までは理解が及んではいるが。それ以上のことはまったくもって意味が分かっていない。

 

「もし、向こうから”列車”が来てしまったらどうするんですか?」

 

「その時は、荷物が軽い方が貨車をどかして道を譲る。当然、譲られる方も手伝ってやるぜ」

 

 そんなめちゃくちゃな話があってたまるのだろうか。と、グロリアは混乱するが、すぐに深く考えることを止めた。

 

「そういう感じの所なんですね」

 

「ああ、そういう感じのところだ」

 

 そう理解してしまえば、リョウコの存在もなんとなく理解ができる。

 

 ようするに、この先生専属の運転手という事だろう。

 

「この街には、数軒に一人はウマがいるぜ。北海道はどこもそうじゃないかな」

 

「北海道にはそんなにたくさんウマ娘が居るんですか?」

 

「ああ。まあちょっと大きな簡易軌道だとディーゼル車を入れたりしているところもあるんだろうけれど、基本はウマが牽いてるよ」

 

 北海道の人口はおおよそ500万、世帯に直すと200万程度。

 

 ある程度は人口密集地に居住しているとして、北海道で運転役を担っているウマ娘の総数は……。

 

「ざっと、3万人程度、でしょうか」

 

 グロリアは仰天した。トレセン学園の生徒数が2000人程度。これでも膨大な数なのに、それを10倍以上超えるたくさんのウマ娘たちが、ここでは生きているのだ。

 

 そしておそらく、そのウマ娘たちは、グロリアのような”サラブレッド”ではない。

 

 信じられない世界が、ここに広がっている。

 

 同時に、この広い世界を全く知らずに走ってきた自分を、グロリアは少しだけ恥じた。

 

「そりゃあ、速くないわけだ」

 

 ちっぽけな世界で、ちっぽけなレースを繰り広げていた自分が、強くなれるわけがない。いつのまにか、グロリアの心はそんな思いに憑りつかれていた。

 

 だから、彼女の口から次の言葉が出てくるまで、そこまでの時間を要さなかった。

 

「私も、ここで働かせてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サラなんかにできるわけないだろ」

 

 昨晩、私の口から唐突に出た申し出は、リョウコさんに否定された。

 

 だが、先生は少し考えてから、遠回しに許可をくれた。

 

「この付近は、ウマ娘が家に居なくて困っている家庭がたくさんいますから」

 

 そんな家庭の足になってあげなさい、と言外に告げ、先生は私をここで雇ってくれた。

 

 私がここに来た理由は、全く聞くことなく。

 

「先生がああいうから一応教えてやるけどよ」

 

 リョウコさんはそう言って、私の為に荷車―――いや、鉄道だから貨車だろうか―――を用意してくれた。

 そしてそれは、まるで人力車やウマ力車のようなハーネスがついていた。

 

「バ車みたいですね」

 

 私がそう言うと、リョウコさんは少し顔を曇らせた。

 

「あのなサラ、バ車は牛車と同じで、ウマ娘を人間扱いしないヤツラが使う言葉だ。ウマ娘ならきちんとウマ力車って言え。あ、バ力車とは言うなよ。文字起こしするとバカ車に見えるから」

 

「え、あ、はい」

 

 リョウコさんは、変なところで厳しい人だな、と少し思った。

 

「あの、一つ聞いていいですか?」

 

「なんだ」

 

 それなら、と。私も少し細かいことを、彼女に問いただしてみようと思った。

 

「なんで私の事、サラって呼ぶんですか?」

 

「ハァ?」

 

 リョウコさんは眉間にしわを寄せて怖い顔になる。

 

「なんでってオマエ、サラブレッドだろ?」

 

「ええ、そうですけど……」

 

「なら、サラブレッドで”サラ”じゃねえか」

 

「私の名前はサクラグロリアです」

 

 私の口答えが唐突だったのか、リョウコはプッと噴きだした。

 

「おもしれーサラ」

 

「だから私は―――」

 

「グロリア、だろ。わぁってるよ」

 

 はいはい、とあしらいながら、リョウコさんは私に貨車のハーネスを渡した。

 

「ほら、牽いてみろよ。グロリア」

 

 初めてちゃんと、私のことをグロリアと呼んでくれた。

 

 それがちょっと嬉しくて、私は全身に力を込めた。

 

「出発、進行!」

 

 勢いをつけて、前に進む。

 

 すると、貨車は思ったよりも軽くて、私は前につんのめりそうになる。

 

「だから、思ったより軽いって前にも言っただろ、バカ」

 

 リョウコさんはあの時みたいに、私の首根っこをつかんで支えてくれた。

 

「思った以上でした」

 

「想像力がねぇな」

 

 レールの上を、しっかりと踏みしめる。鉄と鉄が、こすれて響き合う。そんな音も、どこか美しかった。

 

 小祝内村の今日の天気は快晴。涼しい太陽が顔を出している。

 

 重くも無い荷物を牽いて、自分の歩幅で歩く、走る。

 

 こんなにも蹄鉄の音が楽しいと思ったのは、いつ頃以来だったろうか。

 

 胸の奥に固まっていたものが、ほぐれていくような気がした。

 

 

 

 

 

 

「あと、出発進行は言わねえから」

 

「え、そうなんですか?」

 

「国鉄の汽車屋以外で言う人見たことねえよ。都会クサイから二度と言うなよ」

 

「は、はい……」




・放バ
 URAに所属するウマ娘が、URAが管理する施設から無許可で脱走すること俗に「放バ」と呼ぶ。
 この場合、全国のウマ娘関係者だけでなく、警視庁を通じて全国の警察、あるいは脱走経路近くにある消防に連絡される場合がある。
 また、遠くへ脱走した場合は公共交通機関の利用が考えられるため、鉄道駅などにも通報されることがある。
 ウマ娘は北海道出身であることが多いため、特に上野駅、青森駅、函館駅の駅員は、重賞・非重賞に関わらずウマ娘の顔と氏名を良く把握しているとされる。
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