サクラを枯らすな! ~北の大地の線路守は、桜吹雪と共に駆ける~ 作:矢神敏一
宛 全ウマ娘関係者
日本ウマ娘トレーニングセンター学園(東京)より、一名のウマ娘生徒が行方不明。
生徒氏名:サクラグロリア(東京・美浦寮)
担当教官:浜口一郎
目撃者並びに保護をしたものは、速やかに下記まで連絡してください。
直通:市外局番×××(××××)××××
「申し訳ありませんでした!」
あわや食い逃げ未遂である。
グロリアは、店に戻るなり折り目正しく腰を折った。そのうえで、代金の清算をしようと財布を出す。
「いやいや、謝るこたぁねえ。なぁ?」
蕎麦屋の店主は、ちょっと冷や汗をかきながら努めて快闊にそれを許した。
「あ、蕎麦代はいらねえ。今日はこの街でゆっくりしていけばいい。
店主がそう口走った瞬間、リョウコの尻尾がまるで鞭のようにしなり、店主の横っ面をビンタする。
「黙ってろクソジジイ! 次は手、その次は足だぞ!」
リョウコに叱られて、流石の店主も口を閉ざした。
「いやはや、災難でしたね。身体の方は特に異常ありませんでした。どうかお気をつけて」
先生は、グロリアの身体を一通り確かめてそう太鼓判を押した。
「ええっと、貴方は……」
「この人は先生。私の”飼い主”さ」
「リョウコ、滅多なことを言うもんじゃありません」
先生はピシャリと言うと、グロリアの方へ向き直った。
「申し遅れました。私は水田と言います。皆は私を先生と呼びますが、貴方はご自由にしてください」
「せん、せい?」
先生、と呼ばれる立場の人間は数少ない。グロリアは水田のことを医者か何かだと思った。
だが、それにしては医者の雰囲気ではない。もっと厳格で、力強いイメージが彼のタマシイから溢れている。そんな感覚をグロリアは持った。
「勘が鋭いんだな」
リョウコはポツリとつぶやいた。
「え?」
グロリアはその言葉の意味を問いただすが、リョウコは答えなかった。
「ともかく、北海道の片田舎、小祝内村までよくぞおいでになりました。しかし一体、何用でこちらにいらっしゃいましたか?」
先生はグロリアに問いかける。だがグロリアは、何かを口にしかけて、でもそれが言葉に出なくてもがいていた。
先生は手でそれを制すると、優しい顔を作った。
「ずいぶんとお疲れの様だ。今日は私の家を案内しますから、そこで休んでいきなさい。いいですね?」
グロリアは、そこまでお世話になるわけには……、と固辞しようと考えた。だが、先生の有無を言わさぬ気配に何も言い出せず、ただただそれに頷いた。
先生の家は、先ほど駆けた道のさらにその先にあった。
その家は医院ではなく、普通の家屋だった。
「先生はお医者様ではないのですか?」
グロリアの純粋な問いに、先生は破顔した。
「いえいえ、私は医者ではありません」
ほかに先生と名の付く者を考える。するともう、グロリアの頭には学校の教師ぐらいしか思いつかなかった。
「それじゃあ、学校の先生なんですね」
グロリアの言葉に先生はちょっと目を見開いた。それから、また目を細めてこういった。
「そうですね。似たようなものです」
先生の家は、とても大きくてたくさんの部屋があった。
でも、不思議と人の気配があまりしない。まるで、この広大な空間にこの三人以外存在しないかのような……。
「今は、リョウコと二人で暮らしております」
グロリアの疑問を知ってか知らずか、先生は勝手に口を開いた。
「リョウコさんと先生のご関係は?」
しようと思っていた質問を先回りされてしまい、手持ち無沙汰になった心を埋めるために次の質問をする。その後で、少し突っ込みすぎた問いかけだったかと自省したが、もう遅かった。
その質問には、リョウコが答えた。
「前も言っただろう。アタシャこの人の
「リョウコ!」
先生が声を荒げる。グロリアがびっくりして肩を震わせると、リョウコはバツが悪そうな顔になった。
「あー……、冗談だよ。アタシャ雇われてんだ、この先生に」
「雇われている、ですか?」
「さっきの鉄道の、運転役で」
グロリアはここで首を傾げた。先生は鉄道会社の社長さんなのだろうか。それにしても、イチ社員を家にあげてあまつさえ家族のように接するというのは、おかしな話だ。
そういえば先ほどからしきりに、飼い犬・飼い主と言った言葉が出てくる。
もしかしたらこれは、社長とウマ娘社員との間の禁断の……。
「別に変なことは一個も無いぞ」
悶々とした思春期の妄想が頭の中を駆け巡っているグロリアに、リョウコがストップをかけた。
「あの線路は別に、誰でも使っていいんだ」
「そうなんですか?」
「ああ、使いたいときに、自前で持ってる貨車を線路に乗せて、ヒトやウマ娘に引かせたり押させたり。それだけだよ」
「時刻表は? 順番の決まりは?」
「そんなものないよ」
グロリアは呆気に取られている。都会では考えられないようなことがここでは起きている、という事までは理解が及んではいるが。それ以上のことはまったくもって意味が分かっていない。
「もし、向こうから”列車”が来てしまったらどうするんですか?」
「その時は、荷物が軽い方が貨車をどかして道を譲る。当然、譲られる方も手伝ってやるぜ」
そんなめちゃくちゃな話があってたまるのだろうか。と、グロリアは混乱するが、すぐに深く考えることを止めた。
「そういう感じの所なんですね」
「ああ、そういう感じのところだ」
そう理解してしまえば、リョウコの存在もなんとなく理解ができる。
ようするに、この先生専属の運転手という事だろう。
「この街には、数軒に一人はウマがいるぜ。北海道はどこもそうじゃないかな」
「北海道にはそんなにたくさんウマ娘が居るんですか?」
「ああ。まあちょっと大きな簡易軌道だとディーゼル車を入れたりしているところもあるんだろうけれど、基本はウマが牽いてるよ」
北海道の人口はおおよそ500万、世帯に直すと200万程度。
ある程度は人口密集地に居住しているとして、北海道で運転役を担っているウマ娘の総数は……。
「ざっと、3万人程度、でしょうか」
グロリアは仰天した。トレセン学園の生徒数が2000人程度。これでも膨大な数なのに、それを10倍以上超えるたくさんのウマ娘たちが、ここでは生きているのだ。
そしておそらく、そのウマ娘たちは、グロリアのような”サラブレッド”ではない。
信じられない世界が、ここに広がっている。
同時に、この広い世界を全く知らずに走ってきた自分を、グロリアは少しだけ恥じた。
「そりゃあ、速くないわけだ」
ちっぽけな世界で、ちっぽけなレースを繰り広げていた自分が、強くなれるわけがない。いつのまにか、グロリアの心はそんな思いに憑りつかれていた。
だから、彼女の口から次の言葉が出てくるまで、そこまでの時間を要さなかった。
「私も、ここで働かせてください」
「サラなんかにできるわけないだろ」
昨晩、私の口から唐突に出た申し出は、リョウコさんに否定された。
だが、先生は少し考えてから、遠回しに許可をくれた。
「この付近は、ウマ娘が家に居なくて困っている家庭がたくさんいますから」
そんな家庭の足になってあげなさい、と言外に告げ、先生は私をここで雇ってくれた。
私がここに来た理由は、全く聞くことなく。
「先生がああいうから一応教えてやるけどよ」
リョウコさんはそう言って、私の為に荷車―――いや、鉄道だから貨車だろうか―――を用意してくれた。
そしてそれは、まるで人力車やウマ力車のようなハーネスがついていた。
「バ車みたいですね」
私がそう言うと、リョウコさんは少し顔を曇らせた。
「あのなサラ、バ車は牛車と同じで、ウマ娘を人間扱いしないヤツラが使う言葉だ。ウマ娘ならきちんとウマ力車って言え。あ、バ力車とは言うなよ。文字起こしするとバカ車に見えるから」
「え、あ、はい」
リョウコさんは、変なところで厳しい人だな、と少し思った。
「あの、一つ聞いていいですか?」
「なんだ」
それなら、と。私も少し細かいことを、彼女に問いただしてみようと思った。
「なんで私の事、サラって呼ぶんですか?」
「ハァ?」
リョウコさんは眉間にしわを寄せて怖い顔になる。
「なんでってオマエ、サラブレッドだろ?」
「ええ、そうですけど……」
「なら、サラブレッドで”サラ”じゃねえか」
「私の名前はサクラグロリアです」
私の口答えが唐突だったのか、リョウコはプッと噴きだした。
「おもしれーサラ」
「だから私は―――」
「グロリア、だろ。わぁってるよ」
はいはい、とあしらいながら、リョウコさんは私に貨車のハーネスを渡した。
「ほら、牽いてみろよ。グロリア」
初めてちゃんと、私のことをグロリアと呼んでくれた。
それがちょっと嬉しくて、私は全身に力を込めた。
「出発、進行!」
勢いをつけて、前に進む。
すると、貨車は思ったよりも軽くて、私は前につんのめりそうになる。
「だから、思ったより軽いって前にも言っただろ、バカ」
リョウコさんはあの時みたいに、私の首根っこをつかんで支えてくれた。
「思った以上でした」
「想像力がねぇな」
レールの上を、しっかりと踏みしめる。鉄と鉄が、こすれて響き合う。そんな音も、どこか美しかった。
小祝内村の今日の天気は快晴。涼しい太陽が顔を出している。
重くも無い荷物を牽いて、自分の歩幅で歩く、走る。
こんなにも蹄鉄の音が楽しいと思ったのは、いつ頃以来だったろうか。
胸の奥に固まっていたものが、ほぐれていくような気がした。
「あと、出発進行は言わねえから」
「え、そうなんですか?」
「国鉄の汽車屋以外で言う人見たことねえよ。都会クサイから二度と言うなよ」
「は、はい……」
・放バ
URAに所属するウマ娘が、URAが管理する施設から無許可で脱走すること俗に「放バ」と呼ぶ。
この場合、全国のウマ娘関係者だけでなく、警視庁を通じて全国の警察、あるいは脱走経路近くにある消防に連絡される場合がある。
また、遠くへ脱走した場合は公共交通機関の利用が考えられるため、鉄道駅などにも通報されることがある。
ウマ娘は北海道出身であることが多いため、特に上野駅、青森駅、函館駅の駅員は、重賞・非重賞に関わらずウマ娘の顔と氏名を良く把握しているとされる。