サクラを枯らすな! ~北の大地の線路守は、桜吹雪と共に駆ける~   作:矢神敏一

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「昭和39年 一般旅客運送従事ウマ娘認定試験 過去問題」

問54
 夜間の走行においても、昼間と注意する点は変わらない。

答え:×
 夜間の走行においては、視力の低下などにより昼間見えていたものが見えなくなります。そのため、不意に驚いて転倒したり、躓いたりする危険性が向上します。
 夜間の走行はできるだけ避け、やむを得ず走行する場合はできるだけ街灯の多い道を、ゆっくり走りましょう。

問55
 夜間の走行は、昼間の走行に比べ死亡率が高い。

答え:〇
 夜間は転倒、衝突などの危険性が高くなるうえ、心理的圧迫感から冷静な判断が難しくなり、重大事故につながりやすくなります。
 むやみな夜間走行は、避けましょう。


4:常闇を走れ、超特急

「盲腸ですね」

 

 先生の所見を聞いて、グロリアは安堵のため息をこぼした。

 

「下腹部に筋防御(デファンス)、そして高熱……。検査をせずとも、これは盲腸で間違いありません」

 

 盲腸なんて、東京ではありふれた病気である。グロリアの心は楽観的だった。

 

「なんだぁ……。それじゃあ、すぐに病院に連れていけば治り……」

 

 そこまで口にしてから、グロリアはとんでもない事実にぶち当たる。

 

「ちょっとまってください。先生はお医者様ではないのですよね?」

 

「ええ、残念ながら」

 

「この辺りで一番近いお医者様は?」

 

 先生は、静かに首を振る。

 

「このあたりで盲腸を手術できる医者は、徒歩で峠を越えて夕張まで行くか、汽車で札幌に運ばないといないでしょう」

 

「そんな……ッ!」

 

 近隣の民家は数キロ先。他に頼れる人もいない。今この場に居る、先生とグロリアでこの場を何とかしないといけない。

 そのことに気が付いた時、グロリアの血の気がサァーっと引いていく。

 

「先生、どうしよう!」

 

「落ち着きなさい、サクラグロリア」

 

 先生は、言い聞かせるようにグロリアの肩をつかむ。

 

「次の汽車は、小祝内の駅を30分後に出る。この札幌行の汽車に乗せれば、助かる可能性は十分にある」

 

「30分後……」

 

 グロリアは知っている。ここから小祝内駅まで最速でも30分程度を要する。

 

 いや、中央でレース場を駆けていたサラブレッド三勝クラス級ウマ娘のサクラグロリアには、正確な商用時間が割り出せている。

 無風・天気明朗・馬場状態良しの好条件で、先生宅前から駅前入口が凡そ32分10秒51。

 

 国鉄の汽車が発車するのが、今から30分33秒後。国鉄の汽車が恒常的に遅延することを鑑みれば、十分に間に合うはずである。

 

「頼めますね、グロリア」

 

「当然です」

 

 グロリアは弾かれるように玄関から飛び出すと、貨車を引っ張り出して線路上へ載せる。そして再び家の中に駆け戻り、リョウコの身体を貨車へ載せようと……。

 

「まて」

 

 したとこころで、リョウコはそれを拒絶した。

 

「今の、お前には、任せられねえ」

 

 リョウコを抱きかかえようとしたグロリアの手を、リョウコは払いのけた。

 

「そんなことを言ってる場合では……!」

 

「今日一日、オマエは、ずっと、走り回ってた、わけだ」

 

「だからなんです!?」

 

 グロリアは明らかな憤怒の表情を込めてリョウコに食って掛かる。

 

「バカヤロウ……」

 

 リョウコはそう言いながら、グロリアの二の腕に触れた。

 

「ウッ……!」

 

 グロリアの身体が少し、痛そうに歪む。

 先生は全てを察したように、リョウコの言葉を引き継いだ。

 

「走るという行為は、想像以上に上半身への負担になります。確かにグロリアの身体は、かなり疲弊しているようですね。この状態では、リョウコを後ろに乗せながら走るのは……」

 

「できます!」

 

 グロリアは負けない。

 

「私、できます。」

 

 グロリアは有無を言わさず、リョウコを抱える。その瞬間少しよろけ、先生が助けに入る。

 

「サラブレッドが、カッコつけてんじゃねえ……!」

 

 リョウコはその身体を無理やり起こすと、グロリアの胸倉をつかんだ。

 

「いいか、サラは、無理をしたら、死ぬんだ」

 

「死にません」

 

「死ぬんだ……!」

 

 息も絶え絶えに、グロリアの身体を壁へ押し付ける。

 

「やめろ()()()、今のアタシに、オマエは救えない」

 

 その眼はあまりにも苦しそうで、既に焦点が合っていない。

 

 時間は刻一刻と過ぎ、これ以上の議論を行う余地も無い。

 

 グロリアは強引にリョウコを貨車へ投げ入れると、リョウコの薄れゆく意識へ向けてしっかりと告げた。

 

「私は死にません」

 

 リョウコの顔がゆがむ。それでもグロリアは続ける。

 

「あなたは私のことがキライかもしれない。信用できないのかもしれない。けど」

 

 もうほとんど閉じられているリョウコの目をしっかりと見据えて、グロリアは言う。

 

「私はリョウコさんの事、信用していますし、大好きです」

 

 グロリアは貨車の前に立ち、ハーネスをしっかりと握る。

 

「私は生きる。走り切る」

 

 足で土を均す。蹄鉄と線路が触れ合い、金属音が鳴り響く。

 

「あの日、あの時、私は走り抜けたんだ。私は走り抜けなきゃいけない。あの娘の分まで」

 

 ひときわ大きく、線路が鳴る。グロリアはその足元を確かめるように、ゆっくりと走り出した。

 

「大丈夫です、リョウコさん。今、助けます」

 

 ゆっくりとゆっくりと、グロリアは加速する。後ろに重さは感じない。不思議なくらいに身体が軽い。

 

 その足が、制御不能なくらいに前へ進もうとする。

 

 グロリアは歯を食いしばった。

 

 その後ろで、リョウコはうわごとのように呟いている。

 

「ああ、()()()……。お前はいつもそうだ……」

 

 その閉じられた瞳からは、痛みからだろうか、わずかに滴り落ちるものがあった。

 

()()()、どうか、見守って……」

 

 リョウコの意識は、ここでパタリと消失した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寒村の夜道に、電灯などあるはずもない。

 

 新月の夜、どこまでも続く天の川の光だけを頼りに、私は土を踏みしめる。

 

 車輪と蹄鉄から、線路の上を征く音がしっかりと聞こえている。これが聞こえなくなった時、私だけでなくリョウコさんの身体すら怪しいことになる。

 

 慣れない()()()()をしたためか、リョウコさんの言う通り私の上半身は悲鳴を上げている。走るという行為はただでさえ上半身の筋肉を消耗するのに、後ろにモノを背負った状態ではそれは更に顕著だ。

 

 上半身の筋肉が使えないと、理想的なフォームを取ることができない。すると、速度は落ちる。

 

 落ちた速度を無理やり回復させようとして、今の私の足は無理に回転を上げていた。

 

 心臓の鼓動が、いつもより早い気がする。そのせいか、はたまた疲労の為か、うまく全身に力が入らない。

 

 足腰にも当然、力が入らない。ひざは既に笑いそうになっている。

 

 まったく踏ん張れていない足をただただ回転させている。これはもはや、走っているというより”永遠に転び続けている”と言った方が正しいか。

 

 もし、脚を踏み外したら。

 

 力の入っていないこの身体は、容易に崩れ落ちる。

 

 速度は既に、70キロを大幅に超えているはずだ。こんな状態で転倒すれば、死亡事故になることは間違いない。

 

 もし、この線路の上に、予想だにしない支障物があったら。

 

 もし、犬猫が飛び出して、それに驚いてしまったら。

 

 もし、今この瞬間、足の爪が割れて、その痛みに反応してしまったら。

 

 どんなきっかけで、脚を踏み外すかわからない。そして踏み外したら、喪われるのは私の命だけでは済まない。

 

 今までに走ったどんなレースよりも、私の心は乱れている。

 

 なるほど、サラブレッドには無理だと、リョウコさんが言うはずだ。こんな緊張の中で走ることなんて、サラブレッドには殆どないだろう。

 

 でも、それでも。

 

 私はリョウコさんを救いたい。

 

 救った後に何があるとか、無いとか、今は分からないけれど。

 

 とにかく、私は彼女を助けたい。

 

 不思議と、頭の中がスッキリしている。

 

 何も見えない夜なのに、全てが()()()いる。

 

 土砂が流れ出て、線路が少し陥没しているところがある。私はそれを飛び越える。

 

 貨車がガタンと揺れる。脱線しないように、貨車の動揺を腹筋だけで押さえつける。

 

 駅へと至る道筋が、まるで自分を遠くから見ているような、そんな気持ちで全て理解できる。

 

 そして、未来に起こるであろうことが、おぼろげに予知できる。

 

 30秒後、その草むらの陰からキツネが飛び出す。

 

 カサカサ、という音と共に、私の音に驚いたであろうキツネが線路上へ飛び出した。

 

 予知できていた私は、特に驚くことなくそのまま走り去る。

 

 キツネは、すんでのところで私を避けてくれたらしい。いや、避けてくれることも、私は何故だか”知っていた”。

 

 私は不意に、脚を突っ張ってレールと蹄鉄を擦り合わさせる。あとで気が付いたが、これはブレーキだ。私の身体は、私が思うよりも前に、もう駅に着くことを知っていた。

 

「駅だ……!」

 

 私の表層意識は、少し遅れてそこに駅があることを知覚した。

 

 私の顔がほころぶ。とたんに、息苦しさを思い出して、辛くなる。

 

 それでも私は、最後の力を振り絞って、リョウコさんを汽車に……。

 

「そんな」

 

 ここで私は思い出す。駅に、汽車の息遣いがないことを。

 

 煙を吐きだしながら呼吸している黒鉄の機関車が、そこに居ないことを。

 

「なんで、なんで!」

 

 間に合わなかった。私はそう思った。

 

 貨車を完全に停止させた後、私は悔しくて地面を蹴っ飛ばした。

 

 脚がとうとう悲鳴を上げて、この身体が崩れ落ちそうになる。

 

 でも、それでも。

 

 私はリョウコさんをあきらめきれない。

 

 そこへ、芦田さんがやってきた。

 

「ああ、ウマ娘ちゃん!」

 

 笑顔でやってくる芦田さんに、私は詰め寄った。

 

「芦田さん、手伝って! リョウコさんが大変なの!」

 

 そう言うと、私は貨車ごとリョウコさんを担いで国鉄の線路へ載せようとする。

 

「ちょっと、何してるの!」

 

「国鉄の線路をずっと行けば、札幌に着くんですよね。私、このまま走って札幌まで……」

 

「ダメだよウマ娘ちゃん!」

 

 芦田さんは私の身体を抱き留めるようにして制止する。

 

「やめてください! リョウコさんがどうなってもいいんですか?」

 

「そんなことをしたって、リョウコさんは助からない!」

 

「でも、でも!」

 

 このわからずや! 私が声にならない声で叫ぶ。芦田さんは、そんな私を押し倒した。

 

「やめて! 私は助けるんだ!」

 

「どうしようもないおてんば娘だ! コラ、聞き分けなさい!」

 

 もがく私に、芦田さんは水をぶっかけた。

 

 驚いて、そして同時に悲しくて、黙り込んでしまった私。芦田さんは、そんな私の前で、札幌とは逆の方向を指さした。

 

「落ち着け、アレを見ろ!」

 

 その瞬間、鉄と鉄が擦れる甲高い音がする。

 

 線路がわずかに、震えはじめる。

 

 私は慌てて、芦田さんの指さす方向を見た。するとそこには、ぼんやりと光る何かがあった。

 

 そしてそれは、だんだんと輝きを増しながら近づいてくる。

 

 蒸気の息遣いが、聞こえてくる。

 

「ああ、なんだ……」

 

 夜と全く同じ色をしたそれが、私たちのそばを通り過ぎて止まる。後ろにつながれている茶色の客車から、白衣をまとった人たちがたくさん降りてくる。

 

「クランケはどこだ!」

 

 男の人がそう叫ぶと同時に、女の人がリョウコさんを見つけた。

 

「いました!」

 

「よし、そぉっと運び込め! 車内で処置を開始する!」

 

 急に私の全身から力が抜けて、同時に堪えていたものがドッと噴き出した。

 

「ああ……」

 

 私はやっと理解した。それを、芦田さんは言葉にしてくれた。

 

「大丈夫だ。間に合ったんだよ」

 

 貨車から、看護婦さんたちと国鉄マンの手で寝台車へと運ばれていく。

 

「ルートを取って抗生物質。それから生食(生理的食塩水)を!」

 

 お医者様が、的確に指示を飛ばしていく。

 

 その途上で、私と目が合う。線路際に崩れ落ちた私の所へ、お医者様は近寄ってきた。

 

「キミは素晴らしいウマだ。まさに千里を駆けるウマ娘と言ったところだね」

 

 その言葉の意味は良くわからなかったが、とにかくリョウコさんが助かるという事だけは理解できた。

 

 私の視界は、ライトと星空の区別がつかないくらい、ぐしゃぐしゃに歪んだ。




・日本国有鉄道北海道支社 道央本線
 安庭古丹方面への石炭輸送を目的として建設された。道南線が安庭古丹へ開通、更に蝦夷府中・小平別方面へと延伸をしてからは、貨物輸送は道南線経由となった。が、旅客列車は相変わらず道央本線を経由する。
 小平別方面への列車は、古丹駅で向きを変えて運転される。
 昭和10年代ごろまで小祝内と蝦夷府中を短絡する路線の建設が推し進められていたが、計画は凍結。
 現在、確保された用地や設備は、庁道304号線及び庁道304号線上を走行する小祝内村営軌道へ転用されたほか、蝦夷府中側は北府中町営軌道の林線へ転用された。
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