サクラを枯らすな! ~北の大地の線路守は、桜吹雪と共に駆ける~ 作:矢神敏一
URA創設に大きく寄与した辰野剛三氏は、そのように語った。
「間違っても、ノラレースを始めたりするようなウマが、中央のサラブレッドを名乗るようなことがあってはならないと。私はそう思います。だた、これを言うと水田先生は怒るんですよね」
(週刊ウマ 辰野剛三が語るウマ娘の未来)
「先生が国鉄に掛け合って、古丹の駅から医者を乗せてくれていたらしいんだ」
数日で退院したリョウコは、出迎えたグロリアにそう言った。
「ああ、だから列車が遅れていたんですね」
「たまたま、古丹町から札幌に帰る医者が居たらしい。そんで、そのお医者が寝台を手術台代わりにするよう指示したんだとか」
リョウコは呆れたようにため息をついた。
「汽車の中で腹を搔っ捌く医者だなんて、狂気の沙汰だよまったく」
「でも、おかげで助かりましたね」
快活に笑うグロリアの、その広いおでこを、リョウコは指でピンと弾いた。
「いたっ!」
「ばーか」
リョウコはプイと他所を向きながら、少し口ごもる。
「助けたのは、オマエだろ」
耳まで真っ赤にしながらつぶやいたその言葉に、グロリアは飛び上がった。
「リョウコさん!」
「だー!」
リョウコはいきなり叫ぶ。それから自分の頭をぐしゃぐしゃにかきむしると、改めてグロリアに目線を合わせた。
「ありがとな、
その瞬間、グロリアは破顔する。
「リョウコさん、今私のことをグロリアって!」
「オマエの名前、サクラグロリアなんだろう?」
「はい! サクラグロリアです!」
「だからグロリア。いいだろ?」
「はい! うれしいです!」
グロリアの尻尾はピンと立って、一心にその喜びを表している。対照的に、リョウコの尻尾は恥ずかし気に揺れていた。
「ああ、オマエはホントに……」
「昔、さ」
リョウコさんは、唐突に昔話を始めた。
「サラブレッドが居たんだ、この街に」
「そうだったんですか」
なんとなく、だけれど。
それは、この街の人の空気で察していた。
とても綺麗で、強い。そんなサラブレッドが、この街に居た。そして私は、そんな誰かと、ずっと比べられていた。
たぶん悪気無く、無意識に。
「どんな方だったんですか?」
私は、そのサラブレッドに興味があった。
たぶん、私よりとっても優秀で、速くて、強かったんだと、私は勝手に思ってる。
そして、同時に。彼女に有って私に無いモノ。それを手に入れたら、私はもっと強くなるんじゃないかって、勝手に思っている。
だから私は、そのサラブレッドのことを、良く知りたかった。
でも、リョウコさんから出てきた答えは、よくわからないモノだった。
「オマエみたいなやつだったよ」
リョウコさんは、一言。そう言い現わした。
「私、みたい?」
「ああ。グロリアみたいなやつだった」
リョウコさんはそう言って笑った。
「だからきっと、オマエも速いんだろうな」
リョウコさんの目は、どこか慈しむような色をしていた。
「その方は、今どうしてるんですか?」
会ってみたら、何か変わるかもしれない。そう思って、私は何の気なしに尋ねた。
その瞬間、リョウコさんの表情が変わる。
悲しそうな顔になって、目が険しくなる。ギリリって、歯を食いしばる音が聞こえてくる。
私は思わず、リョウコさんの手を取った。
「ゴメンナサイ!」
私の心臓は、バクバク言っている。
「私、無神経で……」
「グロリアは悪くない」
リョウコさんは、私の頭を撫でてくれた。
「いいか、グロリア」
リョウコさんは静かに言う。
「乗り越えられない痛みなんて、きっと無いんだ。あるはずが無いんだ」
だからアタシは、きっと大丈夫。
リョウコさんは、自分に言い聞かせえるようにつぶやいた。
「ヘェ、小祝内にまたサラブレッドが来たってウワサ、本当だったんだな」
唐突に、玄関のドアが開かれる。ずかずかとおっきな身体のウマ娘たちが入ってくる。
「……北府中町!」
グロリアさんが牙をむく。同時に玄関の外から、怒鳴り声が聞こえてきた。
「蝦夷府中のばんえい野郎! 何の用だ!」
近くを通りかかったタバコのウマ娘さんが、歓迎されてないお客さんを止めようとしてくれているらしい。
だが、強面のタバコのウマ娘さんに対しても、このおっきなウマ娘さんは強気だ。
「サラが来たって言うから、可愛がりに来たんだよ」
「んだとぉ!」
おっきなウマ娘さんとのにらみ合い。タバコのウマ娘さんもかなりがっしりとした体躯の持ち主だが、それを優に超える体格。
明らかにこちらの分が悪かった。
「じゃ、もう用は済んだな。帰ってくれ」
それでも怯まず、リョウコさんは私を守ってくれようとする。
まだ痛む手術跡を庇いながら、おっきなウマ娘さんたちを追い出そうとする。
「おいおい、まだ名前も聞いちゃいねえよ。なあ、サラ野郎。東京人でも、アイサツぐらいできるんだろう?」
少しバカにしたような口ぶりに、私はカチンと来てしまった。
私は胸を張って答える。
「私の名は、サクラグロリアです」
その瞬間、おっきなウマ娘さんの顔が変わる。
「サクラ、グロリアぁ?」
まるで値踏みをするように、その大きな身体が近づいてくる。
「おい、もういいだろう」
「なあリョウコ。お前のとこはまたこんな生意気な名前のウマを寄越したのか」
彼女は笑う。
「ちゃんとかわいがってやったんだろうな? 近頃のお前は、腑抜けてるから心配なんだ」
「帰れ」
リョウコさんは震えながら、ただ一言それだけを言う。
「まったく、本当に腑抜けやがって」
「おい、いい加減にしろ!」
タバコのウマ娘さんがとうとう怒り出した。
「言っておくが、グロリアは速いぞ」
「シキ、それくらいにしろ」
リョウコさんが、タバコのウマ娘さんを止める。でも、止まらない。
「オマエなんかより100倍速い。この街の誰よりも、いや、道央の誰よりも早い!」
「シキ!」
シキさんが勝手に売ったケンカを、見逃すおっきなウマ娘さんではなかった。
「ヘェ、速いのか。”ヤツ”と一緒で」
ニヤっと、彼女は笑う。
「じゃあ、勝負して見なきゃなァ」
リョウコさんを強引にどかすと、彼女は私に迫った。
「当然お前は逃げねえよな?
なぜだか知らないけど、私はその物言いにカチンと来た。
だからつい、売り言葉に買い言葉。
「当然です。私の名は、サクラグロリアですから」
言ってしまった。
リョウコさんが奥で、絶望的な顔になっている。
やってしまった。私は一瞬そう思った。でもすぐにそんな気持ちは吹っ飛んだ。
このまま、お世話になった皆をバカにされて終わるのは、納得がいかない。
「逃げんなよ」
「あなたこそ」
・私走禁止措置(農林省令)
ウマ娘が私的な目的の為に競争等を行うことは、これを禁止する。
能力技能の向上又は切磋琢磨等といった言い分は、私的な目的であるとする。
走行場所が公道上であるか、あるいは私有地であるかは、この際関係ないものとする。
ウマ娘は努めて、本来の業務のみに専念し、私的な感情の発露による暴走などは自制しなければならない。