サクラを枯らすな! ~北の大地の線路守は、桜吹雪と共に駆ける~ 作:矢神敏一
ですから、国鉄や民鉄さんに無理を言って改札でウマを見つけてくれだなんて、無駄なことをする必要はないと私は考える次第で……
ああいやいや、別に国鉄に話を通すのがイヤだとかそういう話では
いやまあね、過去には脱柵から帰ってくると憑き物が落ちたようになって調子を上げるウマも居ましたが、そういうウマは自分でも帰ってきますからね
ともかく、国電の競バ場駅にも本町駅にも、電話をするのはゴメンだという話ですよ浜口君」
詳細不明 旧NCU(日本中央ウマ娘協会)役員と浜口一郎トレーナーの電話
「ここで働かせてください!」
そのウマの名前は、サクラボンド。グロリアと同じ、サクラの名前を持つウマ娘。
ヤツは突然、この街にやってきた。
「ここは速くて強いウマ娘さんがたくさんいるって聞きました!」
ヤツは呆気に取られてるアタシたちにこう言いやがった。
「私、強くなりたいんです。将来は重賞レース、いや、八大競争を総なめできる様な強いウマになりたいんです。そのためには、皆さんのような強いウマ娘さんと勝負して、強くなりたいんです!」
だから、ここで働かしてください!
なんの冗談かと思えば、本気だったんだ。アタシらは笑っちまった。意味も分からなかったしな。
バカバカしい。おとといきやがれって、みんなで追い返した。そしたらあのヤロウ、アタシらが仕事で走ってる隣で並走してきやがる。
最初の頃はすぐに疲れてついてこれなくなってたが、だんだん始発から終点までずっと涼しい顔で走る様になりやがる。
最終的には、うちらの前をまるで先導するかのように軽く飛び跳ねながら転げまわるようになってった。
こうまでされちゃあ黙ってらんねえ。アタシらもトサカにきて、じゃあ勝負してオマエが勝ったら働かせてやるって言ったんだ。
小祝内駅から飯野のおじさん家まで、先に着いた方が勝ち。そんなルールで、ここで一番速かったアタシとレースした。
そしたらよ、完敗だよ。サラのクセにいくら走ってもバテてこない。
それを見てたアヤがアタシの体たらくにトサカに来て「じゃあオレと勝負しろ!」って騒ぎ始めて、グロリアと同じように軌道レースをしたさ。
結果は、グロリアがやって見せたように、掟破りの追い抜きを使って快勝。とんでもねえ奴がいるもんだと思ったよ。
それでヤツは、アタシたちと一緒に、貨車を牽いて走るようになった。
するとやっぱり、最初のうちは思うように走れないんだ。けれどしばらくすると、貨車なんか関係なく走れるようになる。
そのうち、速達の荷物は全部ヤツの仕事になった。
峠を越えて蝦夷府中町まで届けなきゃいけない荷物も、ヤツが全部やってくれた。
でも、ヤツのいい所は、そんなところじゃなかった。
ヤツはどんな時でも笑顔だった。アタシたちに睨まれてた時も、アヤに勝負を吹っ掛けられた時も。
いつもいつも笑顔だった。
その笑顔に、たくさんの人が救われたさ。
例えば、蕎麦屋の親父。
ヤツがこっちに来た時、ちょうど奥さんが死んじゃって、ずっとふさぎ込んで誰とも会話をしなかったんだ。
それが毎日ヤツと会ううちに、今じゃうっとうしいくらいに元気な親父になりやがった。
ヤツは。ボンドは、そんなウマだったよ。
ヤツがここを離れる時、誰もが寂しがったさ。ヤツにとっても、ここはもう故郷みたいなものだからって、泣いてたっけな。
約束したんだ。八大競争のウチ、一個でも獲ったら一回帰ってこいって。そして、引退したらこっちに戻ってこいって。
約束……。してたんだけどな。
中々重賞を勝ててないことは知っていた。
でも、最後に来た手紙には、こう書いてあったんだ。
『こんな私にも、後輩ができました。今度、その後輩と一緒にまた重賞に挑戦します。今はまだ、こんなとこで藻掻いているけれど、いずれ冠を獲ってそちらに帰りますから、私のことを忘れないでね』
むこうでの苦労や挫折は絶えなかった。けれど、可愛い後輩ができて、その後輩と一緒に夢を追いかけて走る。それがヤツにとってとっても幸せなんだってわかった。
それが分かって嬉しかった。
このレースか、その次のレースあたりで勝って、八大競争なんて軽くかっさらってくれるって、アタシは信じてた。
ああ、信じてたよ。
だって、サクラは……。ボンドは、強くて速いウマ娘だったから。
……誰が忘れるかってんだよな。忘れらんねえよ、ヤツの事だけは。
この手紙にすぐに返事を返したんだ。
『あんまりのんびりしてると、忘れっちまうぞ』
ってさ。
こんなこと、書かなきゃよかった。
そのレースで、ボンドは故障した。
ゴール手前でずっこけて、そこから音信はない。
走り屋が競走中に故障して、そっから音沙汰ねえってことはよ、現実はたった一つさ。
だからみんな、今でもヤツのことを……。
ってオイ、グロリア。おまえ顔色が―――!
「わたし、わたし……!」
ふと気が付いた時には、グロリアは真っ青な顔をしていた。
いつからそんな顔をしていたのか、リョウコにはわからない。もしかしたら、最初からこんなひどい顔をしていたかもしれないし、今まさにこの顔になったのかもわからない。
でも、なぜ彼女がこんな顔になっているか、リョウコが分からないわけがなかった。
―――あゝ、なんでこれに気が付かなかったんだ……!
リョウコは自分の顔面を強く殴打したかった。
そうでなければ、今目の前で絶望している彼女に、申し訳が立たないと思った。
「サクラ、違うんだ、聞いてくれ」
「わたし、もうここには居ません」
「やめろ、そうじゃ……」
「本当に、ごめんなさい、わたし、しらなくて」
「まて、サクラ!」
リョウコの言葉は、届かなかった。グロリアは弾かれたように走り出す。
「ああ、畜生!」
リョウコもその後を追いかける。
だが、お利口なスタート、優秀な加速、抜群のトップスピード。そして、取り戻したレース勘に支えられたスタミナは、病み上がりのリョウコを突き放すには十分だった。
その背中が、どんどん遠くなる。
―――ああ、やっぱりオマエは、サクラだよ―――
リョウコは膝を折った。それから、意味も無く地面を殴りつける。
「アタシはまた、サクラに―――」
柄にもなく涙が零れ落ちる。それを自分で知覚した瞬間、リョウコは自分の顔面を殴りつけた。
鈍い痛みと共に、鼻から血の匂いが上がってくる。
唇を切ったらしく、鉄の味が不愉快なほど口の中に広がる。
それを路傍に吐き出すと、グロリアが去った方へ向けてつぶやいた。
「こんどは、絶対に助けるからな」
ボンド(bond)
[自動詞]固着する・接着する/心が触れ合う
[他動詞]接着させる・くっ付ける・接合する
[名詞]
・接着
・接着剤
・契約
・保障
・保釈金
・約束
・絆
・契り