私はけれど、それを忘れてしまう。
桃色の髪をした
あの優しい光を私はどこかで、見たことがある。
だから私は、彼女へ会いに――
「おい起きろよ!
「ぐえっ……! なんで朝からいるの……?」
私が衝撃で目覚めると腹の上に馬乗りになっている少女がいた。
「お前が店の手伝いやるか? って言うから来たんじゃねーか! 今日休みの日だぞ!」
ああ、そうだっけか……?
あれから『仲間』になった私とフェリシアはチームを組んで、一緒に魔女退治に行くことが多くなった。魔女退治に行って、それから、帰りに商店街の駄菓子屋でアイスを買って食べる。話を聞くとフェリシアと私には共通点があった。少年漫画が大好きだったのだ。デカゴンボールシリーズの話なんかは鉄板だ。どのキャラクターが最強なのかの議論から、取っ組み合いの喧嘩にもなった。うちにある漫画を貸してあげたり、返しに来たりしているうちにお父さんと顔見知りになり、たまにご飯を食べていくようになった。お父さんには複雑な家庭の事情があるとだけ伝えている。うそじゃなくて、本当だから説明しやすい。
そんなわけで食い扶持の稼ぎの足しにするために万々歳でバイトを始めたフェリシアは、結果から言うと接客は雑だった。敬語は使えない、
水着で接客とか。注文があるたびにカンフーを披露するとか。挙句に茶芸師の技を習得したりとか。
そんなんでいいのか……⁉ 私⁉
いや、よくないのか……⁉ アイデンティティ崩壊の危機⁉
「何一人で喋ってんだよお前」
パトロールの合間、フェリシアにツッコミを入れられつつ今後の接客方針を練っていると、今日は先客がいた。白い毛玉。キュゥべえだ。
「やあ、鶴乃。調子はどうだい?」
相も変わらずキュゥべえとは親交があった。
「うーんまあ、ぼちぼちかな。そっちはなにか進展があった?」
「今日はキミたちに報告があってきたのさ」
「まーた例の並行世界がなんたらかんたらとか、わけわかんねー話かよ」フェリシアは不貞腐れたようにする。
フェリシアには前にざっと説明したけど、意味がわからないと一蹴されてしまった。私もはっきりと理解してるとはいい難いし、フェリシアには難しすぎるんだろう。
「キミ達には前に話をしたよね。並行世界を増やし続けている、
「それ、大丈夫なの……⁉」
なんだかよくわからないけど、とてつもなく大変なことが起きている気がする!
なんだかよくわからないけど、とてつもなく大変なことは起きていた。キュゥべえは無慈悲に告げる。
「大丈夫じゃないね。最悪の場合、干渉しあった両方の宇宙が消滅してしまうだろう。あるいは、連鎖的に複数の宇宙を巻き込んで破壊するのかも。ボクたちにも予測のしようがないね」
「どーすんだよ、それ! なんとかしねーとやべーんじゃねーのか⁉」さすがのフェリシアも、理解しないなりに事態の深刻さを察して慌てた。
キュゥべえは冷静なままだった。キュゥべえが慌てたり、驚いたりするのを私は見たことがなかった。もっと慌ててくれないと、こっちが余計にハラハラしてしまうじゃないか!
「なんとか、……と言っても現状ボクたちにできることはないよ。経過を観察して、様子を見るしかない。まだ情報が足りなさすぎるんだ。今のところ打てる対応策はないね。……だからキミたちにも引き続き調査をお願いしたい」
そんなゾッとするようなことを説明するためだけに来たのか……。と思ったが、本題はそれではなかったようだ。キュゥべえの話は続く。
「そう、キミたちに報告があると言ったね。ここからが本題なんだけど――実はね、平行世界の増殖の原因がわかったんだ。その中心の特異点のような存在について、突き止めることができたんだよ」
「おお。すごいじゃん!」それで全部解決できるかも!
解決の糸口が見つかった喜びにより、私は心の中で快哉を叫んだ。
けれど、キュゥべえの答えは私が事前に予想していたものとは少し違った。私はその原因が、何か事故だとか、事件だとか、あるいは実験の失敗だとか、そういう歴史的な意味のある出来事となんとなく予想していたのだ。宇宙的な大事件が、何かを引き起こしたんだと。
だけど、キュゥべえが言ったのはたった一人の人間の名前。一人の
「その存在はね、
「あっ……‼」
私が思わず漏らした声にフェリシアが反応する。
「なんだよ鶴乃? なんかわかったのか⁉」
「あっ……ううん、なんでもない」
「はあ?」フェリシアは呆れたような声を出した。
「まあ、うん。……キュゥべえ、続けて?」私はキュゥべえに話を促す。
「それで、なんだけど――困ったことにその魔法少女、環いろははボクたちの探索にも引っかからない謎の魔法少女でね。……そんなことは原理的にありえないはずなんだけど。だから、もしキミたちが先に見つけたら、教えてほしいんだ。それじゃあ、引き続きよろしく頼むね」
それで全ての話が済んだらしく、キュゥべえは尻尾を振るって路地へと姿を消した。
実際、環いろはというのは初めて聞く名前だった。しかし、その感触はどこかで知っているような気がした。その名前をどこかで聞いたことがる、いや、口にしたことがある、という錯覚。
「私、……その子に会ったことがある気がする…………」ぼそりと呟く。
「んっ⁉ マジで⁉ 当たりじゃん‼」フェリシアはすごい勢いで食いついた。
「…………夢の中で、だけど」
しかし私はいくらか自信がなく、小声になった。
フェリシアは私の返答に、肩を落として露骨にがっかりした。その仕草は私をバカにしているニュアンスがはっきりと込められていた。
「アホくさ…………。……もういいよ。さっさと今日のパトロール行こうぜ」ぶっきらぼうに言って、そのまま立ち去ろうとする。
「アホくさとはなんだーっ⁉」
「はん。……自分の頭ン中にしかいない女を探そうとするとか、どうかしてるぜ……」
はあーやれやれ、こいつはいつもそうなんだから、あてになりゃしやしねえ、とあからさまに呆れた態度を取るフェリシア。私は憤った。
「なにをー⁉ 真面目に聞いてよっ‼」「鶴乃はゼッタイ、アホだろ」「アホとはなんだっ‼ 私は年上なんだぞ! 敬いなよっ‼」「年齢持ち出すところが尚更バカっぽいんだよ!」「なんだってぇー……‼⁉」
こうなると止まらない。些細なことから喧嘩するのもよくある事。私の両腕がキャットファイトの構えを取り、フェリシアの両頬を挟んでつねりだし、フェリシアも反撃で私の頬をつねる。お互いに絡み合って身動きが取れなくなる。はた迷惑にも路上で立ち往生した。道を塞いで程度の低い争いをしている私達がそこにいた。
ああだこうだと揉み合っている私たちの前に、人影が止まった。
「あ、あの……初めまして。由比鶴乃さん」
「え、えっひょー……」右頬をつねられたまま返事をする。
「あ、あの、夏目かこです。フェリシアちゃんのこと、ありがとうございます……とお礼を言おうと思っていたんですけど……」
その子は緑の衣装を来た可愛い子だった。挨拶をしようとしたら私達の惨状を見つけたようだ。どういう反応をしていいのかわからない様子で困っていた。
私たちは空き地へ場所を移動して、仕切り直し向き直った。
「あっあの! あらためて初めまして! 夏目かこですっ。フェリシアちゃんのこと、ありがとうございます」
「なんだよ、かこか」彼女はフェリシアの知り合いらしかった。
可愛らしく優しそうな子だった。和服の上に制服と軍服を重ね着をしたような、複雑な衣装を着ている。しかし、フェリシアに友達がいたとは。
「友達とかじゃねーっつの、ちょっとした知り合いってだけ。前に戦ってたときにちょっとな」
「ふぇ、フェリシアちゃんはいつもこんな感じなので心配してたんです。……元気そうにしててよかった。鶴乃さん、ありがとうございます」
「なんだよーフェリシア! 気にかけてくれる子いたんだね‼」私は嬉しさで声を弾ませ、フェリシアに絡む。
「うるせーなまじで……。そんなんじゃねーよ。……まあ、かこは性格悪いあの
「あの、ななかさんのことは、フェリシアちゃんも悪いとこあったというか……」かこちゃんは一筋縄で説明できない事情を醸し出してフェリシアをちらりと見た。
「あん?」
「ひぇっ」
私としては、フェリシアを気にかけてくれる子がいてくれるだけで、嬉しかった。
フェリシアは方々で揉め事を起こしているから知り合いも色々いる。そしてたまには、気にかけてくれる子もいるみたいだった。
話題はフェリシアの近況報告から、近頃の神浜の時世にシフトしていった。どこに厄介な魔女が出て、どこそこのグループの誰それが揉めて被害が出たとか。
それからかこちゃんは面白い話を聞かせてくれた。
「今、いろんな噂が流行ってるんですよ。……電波塔がどうとか……ひとりぼっちの最果てのウワサとか、透明人間のウワサとか」
「噂ねえ、魔女じゃねーんだったら、どうでもいい話だろ? くだらねえ」
それらは女子中学生の間では真実のように、まことしやかに語られているらしい。あるいはそれは真実でなくても、面白がられ、消費されている。噂とはいつもそんなものだ。
「透明人間のウワサって、知ってますか?」
かこちゃんはその中の一つを話してくれた。
曰く、それは、透明人間のように誰にも見つからない少女なのらしい。
その子は元々は影が薄く、存在感があまり無いというだけの子だった。しかしそんな愛想が悪い子に、クラスみんなも、あまり話しかけなくなった。すると、その子はどんどん透き通り、本当に誰にも見つからない透明人間になってしまった、のだと。
そこにいても誰も気づかれない、誰も話しかけられない、空気みたいな存在に。
話としては面白い。……まあ、その手のウワサって、いったいなんでそんなことを知っているんだよ、とツッコミをいれたくなるのも定番なんだけどね。
「そんな妖怪だか、バケモノだか、わかんねーウワサがどうしたんだってよ」
「"噂が立つということは、それに先立つ不思議な出来事や、無意識な欲望がある。故にその影には、邪悪な魔女が潜んでいるんです"」
フェリシアの疑問に、私は昔よく聞いた言葉を暗唱した。みかづき荘に、そういった不思議な現象をまとめてファイルにしていた先輩が、かつていたのである。
「それは誰の言葉ですか……?」
「んだよ、いみわかんねー」
「みふゆ。私の先輩だよ! つまり、かこちゃんはそれが魔法少女か、もしくは魔法が何か関係しているんじゃないかって思ってるわけだね!」
「そ、そういうことです……!」
「ふーん」
私は頭の中でなにか引っかかる気がした。さっき話していたこと……。
「あっ、ていうかフェリシア!
「あん……? ……あっ――」
「「――環いろは‼」」
私たちはお互い指をさして声を揃えた。かこちゃんだけがぽかんとしている。
見つからない少女、キュゥべえにも発見できない子。
もしかしたらその透明人間が、環いろはちゃんなんじゃないだろうか。誰にも見えないし見つからないのなら、謎の存在だというのも頷ける。
これは我ながら冴えたアイディアだという気がした。私たちがその透明人間を見つければ全部バッチリ解決! というわけだ。
それから私達は透明人間探しを始めたけれど、結果は芳しくなかった。
フェリシアは元々そんなに興味があったわけではないので、すぐに調査に飽きてしまった。
それでも私はその子を見つけようと拘泥していた。いったいどういうことなんだろう。私はまた何かのやり直しをしようとしているのだろうか。師匠が私に吐いた弱音の続きをどこかでやり直そうとしているのだろうか。
――
みかづき荘の空気が濁っていたのを察して、師匠が遊園地に行こうと提案したのだ。メルが死んで一月ぐらい経ってのこと。
師匠は言った。
楽しかった。忘れるのは無理だったけど、あの子と一緒に遊びに来ていると思うと、気が楽になった。気が緩んで、安心できた。
遊園地の喧騒の中で、私が師匠に言われたとおりにキャラメル味のポップコーンのお使いをしてベンチに戻ると、師匠はうとうとしていた。
私達の前で疲れを見せないようにしていたけど、師匠も疲れていたんだ。
師匠はモデルの仕事をしている。それで尚且つ、魔法少女として随一の長生きをして、めっぽう強いというのだから、すごい。
それだけじゃなく、こうして私たちの面倒まで見ている。今日だって、本当は師匠も弱音を吐きたいはずなのに。
透き通った鼻筋を間近で眺める。よくできた彫像みたい。怒られずに見る機会もないから、まじまじと観察する。
「メル……」一筋の涙がこぼれた。
私はそれを拭った。師匠は目が覚めた。
「ごめんさい……こんなところ」恥ずかしそうにはにかみ、取り繕う。
「いいんだよ、師匠。いっつもみんなが師匠に甘えてるんだから、たまには師匠が甘えても」
やちよの頭を撫でた。いつもだったら抵抗するのに、やちよはされるがままだった。
それどころか、体を寄せ、身を預けてくる。
「鶴乃、……………………私は」
「気にしなくていいんだよししょー。今日は楽しむ日なんだから。楽しんで、リラックスして、そして吐き出して全部スッキリしちゃおう」
「私は……」
師匠は私の胸に顔を埋める。
――私は貴方達を殺すことになるかもしれない。
あの日、たしかにそう聞いたはずなのに。
だから、私は拘泥してるのか? そんないるかもわからない人間を探せばまた師匠と関われるきっかけになるとでも思っているのか?
どんな小さなきっかけでもいい、師匠とまた前みたいに話したいのか、私は。
そういえば、遊園地に行った帰りに、水名の甘味処に寄ったな……。そう思いつつネットで検索を書けていると、思いも寄らない情報が目についた。
「これ、どう思う?」
私はフェリシアに水名区の観光掲示板を見せた。
フェリシアは朝から私の部屋で漫画を読みながらくつろいでいた。ベッドに頭を載せて漫画を読み散らかしている。まるで完全に自分の
私がフェリシアに見せるため表示したページは、水名区関連の掲示板の書き込みだ。
――私を探してください。
――私を見つけてください。
――今日の昼、私はそこにいます。
――私は、最期のチャンスをかけます。
不思議な書き込みだった。周囲の書き込みから明らかに浮いているのに、その書き込みに反応するレスポンスはない。まるで他の人には見えていないみたいに。あからさまに場違いなのに、まるで他の人からは、
昼って何時だ、12時か? 私は壁掛け時計を見る。針は11時の5分前を指し示す。もう一時間少ししかない。私はその短い文面に切羽詰まったニュアンスを感じた。なんだか嫌な予感がした。昼までに見つけないと、取り返しのつかないことが起きるような胸騒ぎが。
「イタズラかなんかじゃねーのか……」フェリシアは半信半疑という感じだった。
「だって、明らかに流れを断ち切っているのに、見えてないの、違和感ない……? 透明人間。もしそれがインターネットの中でも、透明人間だったら?」
「オレたちには、見えてるじゃねーか……」
「私達は
「つっても、どうするんだよ」
フェリシアの言いたいことは自明だった。
水名関連のサイトに出没しているんだから、多分水名に近いんじゃないかな。
私はもう一度掲示板にリロードをかける。最新の投稿が表示された。
――神浜で最も空に近い場所に私はいます。
神浜で最も空に近い場所………………。
"神浜セントラルタワー"?
「フェリシアっ! いくよっ!」
私は財布だけ持ってすぐに家を飛び出した。
頭の中で路線図にアクセスする。
神浜セントラルタワーまでの最短距離を算出する。
ここからだと乗り換えを含めてセントラルタワーの最寄り駅まで十五分。駅を降りて展望台の頂上まで、急いで十分以上かかるだろうか。まだ時間はあるが、不測の事態が起きないとも限らない。
セントラルタワーは中央区にある。ここからなら水徳寺駅から環状線を使って南下し、水名城駅で東西線へ乗り換え、神浜市駅で降りるのが一番近いだろう。正確にはその次の電波塔駅で降りたほうが距離的には近い。だけど魔法少女の脚力を加味するなら、一つ前の駅で降りてから走ったほうが早い。
フェリシアは転げるように家から飛び出してきた。
よし、いくぞっ。
私が神浜セントラルタワーだと思ったのは、神浜セントラルタワーの展望レストランが、"神浜で最も天に近いレストラン"というキャッチコピーを宣伝していたからだ。前に観光パンフレットで見たことがある。
私たちは家の最寄りの水徳寺駅へと滑り込む。
走って改札へ向かい、ICカードをかざして通る。
後ろでピンポーンと不通の音。
「おいっ! 鶴乃っ! オレカード持ってねえ!」急いで切符を買ってこさせる。
電車が発車する前に滑り込みで乗り込んだ。
時計を見る、もう残り30分もない。
メッセージでかこちゃんに連絡を送る。幸いなことにかこちゃんはいま中央区にいるようだ。先にセントラルタワーへ向かうように連絡をした。
「なあ、本当に透明人間なんていると思うか……?」フェリシアはドアに寄りかかり、外を眺めていた。中央区の摩天楼の方向を透かし見るように。
「わかんない。だけど、……もしいるのなら、きっと孤独だったんだと思う。……誰にも見つけてもらえずに、一人ぼっちで、きっと友達もいなくて……」一人ぼっちの魔法少女を想像する。可哀想なようで、割とありふれている。魔法少女なんて、そんなものだ。
「……前のオレと同じだな。なあ、鶴乃。もし本当にいるならさ。それがいたずらとかじゃなくて、本当のメッセージだったらさ、オレたちで絶対に見つけてやろうぜ」
フェリシアは、私と出会う前の自分と重ねていたんだと思う。言われなくてもわかってるよ。
「ああ、もちろんだよ」
水名城駅で東西線に乗り換える。ホームへ駆け込んだ私たちの耳に、アナウンスが響く。
――えー人身事故が発生した影響で、只今列車が遅れています。――申し訳ございません。発車までしばらくお待ち下さい――
無情にも遅延を伝える電光掲示板。突然のことにざわめく人だかり。
こんな時に――‼ どうする、ここから走ったほうが早いか? 改札を出て全速力で――魔法少女の脚力で走ったらすぐに着くだろうか? だけどいまは真っ昼間だ。無用なトラブルは避けたい。セントラルタワーに到着する前に捕まるのは困るのだ。
さいわい、すぐに電車は動き出した。のりこみ、神浜市駅へ向かう。
焦っていて気が付かなかったが、かこちゃんからメッセージが来ていた。
――本当にセントラルタワーであっているんですか……?
どういうことだ。確認すると神浜で一番高い建物はセントラルタワーではなく、電波塔なのだという。
セントラルタワーのほうが商業施設としての規模が大きいが、電波塔のほうがその役割を果たすため全高が高い。
どっちだ……? どっちにいる……?
セントラルタワーか? それとも電波塔か?
両方、網を張ることにする。かこちゃんにはそのままセントラルタワーの屋上へ向かってもらい、私達は、電波塔へと走る。
神浜市駅を降りると、昼の十二時を回るまであと十分しかなかった。もう一つ先の電波塔駅で降りたほうが良かったか? だけどもう後悔している時間はない……! 人波をかき分け突き抜け飛び出すように走る、走る。歩行者信号の点滅するスクランブル交差点へ飛び出し強引に渡る。
汗を流しながら、電波塔の骨組みの足元へとたどり着く。エレベーターを使うより外階段のほうが都合がいい。というか、観光客も利用するエレベーターなんてどれだけ待ち時間がかかるかわからない。私達は何百段とある階段をすぐにかけ上がる。限界まで足を使う、まどろっこしくなって踊り場から踊り場へと跳躍する。それでも頂上はまったく見えてこない。うんざりするような長い道のりの後、八割程度登り切る。
私は、突然立ち止まった。
十二時まで、時計の時刻は残り五分を示していた。
「もう、諦めよう」
「なっ……! 諦めるって、どういうことだよ! 話が違うだろ! オレたちで絶対に見つけ出してやろうって、言ってたじゃねえかよっ‼」フェリシアは本気でその子を見つけようとしていた。
私は、フェリシアに向き直った。
「展望台の上にある上方デッキへいくのは諦めるってこと」
電波塔には一般公開されている『展望台』がある。普通のお客さんが行けるのはそこまでだ。だけど、その上に、普段は一般公開していない『上方デッキ』がある。機材や観測機器などが設置してある、電波塔としても機能を保つためのものだ。
私たちの脚力なら『展望台』の上部まではたどり着けるだろう。だけどその上の、最上部にある観測機器やらが設置されている『上方デッキ』までは間に合わない。
『展望台』の上部で網を張る、ということ。
「そんなことして、てっぺんに現れたらどうすんだよ! なんか考えはあんのか⁉」
「それはもう……出たとこ勝負で」いくっきゃないよね。ここまで来たら。
「ったく! 頼りねーなあ、もう‼」
私たちは最後の数十段をかけあがり展望台の上部へと繋がる扉を開ける。
想像よりもかなり風が強い。林立していたビル群を見下すような位置に私たちはいた。
足元を見ると落下感でクラクラする。
「フェリシア、やっぱり、こっちで正解だったんだと思う」
「ああ? なんだよ?」
「ひとりぼっち最果てのウワサ」
それはただの都市伝説。ありっこないただのウワサ。でも、彼女にとっては唯一信じる道標だったのかもしれない。
電波塔から飛び降りたら、不思議な世界に行けるってもっぱらのウワサ。
だけどそんなこと、ありっこない。あるのは墜落死だけ。
それでも、唯一頼れる道標だったのだ。きっと、この世界との接点を失った彼女にとって。
電波塔のウワサに惹かれて来たのなら、セントラルタワーじゃなくて、電波塔に来るに決まっていたのだ。私はその噂の存在を、ここに来るまですっかり忘れていたけれど。
上部を仰ぎ見る。人影があった。
大きな声を出して呼びかけてみる。聞こえた様子がない。風が強すぎて聞こえないのか、距離が遠いのか、なんだか反応もぼんやりとしている気がする。
私はあたりに使えそうなものがないか見渡した。電波を発信するのに使うだろう大きな機材がモーターの駆動音を響かせて存在感を誇示している。フェンスの向こう側で筐体が光と共に稼働している。だめだ、そんなんじゃなくて……。
「フェリシア、なんかロープとか出せる⁉」
「ロープって、そんな……。…………ハンマーについた鎖くらいなら、出せるけど!」
「それでいい! 早く出して、お願い‼」
フェリシアが鎖付きハンマーを生成する。私はお腹に、自分の衣装の余った布地を巻き、その上から鎖をハンマーごとぐるぐると巻きつけた。
「おい! お前どうすんだよっ!」
「私が飛び降りるから、フェリシアは鎖の端っこを捕まえてて」
私は安全対策フェンスを蹴破り、手すりの上に飛び乗った。上を見ると、その子も飛び降りようとしている気配がする。角度的に私たちのことは見えていないみたいだ。
「お前っ、……鎖が食い込んで腹からちぎれるぞ⁉」
「だいじょーぶ。最強の鶴乃ちゃんの腹筋は、そんなにやわじゃないよ」フェリシアを安心させるように言う。
腹を
「フェリシア、信じてるよ」手すりを蹴って、宙へ飛び出した。
「おい、つる――――」
その先にフェリシアが何を言ったのかは私にはわからなかった。体は既に中空にあった。
落下している物体を自分も落下しながら空中で捕らえるなんて、常識的には不可能だ。だけど魔法少女の動体視力と反射神経、運動能力を駆使すればそれは不可能ではない。――だけどそれは理屈での話。実際にできるかどうかなんてわからない。私は空中に飛び出してから後悔した。これじゃあ単なる飛び降りじゃないか。
それはコンマ数秒の僅かな間。私は摩天楼の狭間を飛んでいた。――落ちていた。か細い鎖一本を命綱に数百メートルのタワーから空中へ飛び出すなんてどうかしている。それは、ほとんど自殺だ。
私は落ちてきたその子へ向けてまっすぐ飛んでいく、鉄扇を使ってさらに弾丸のように加速する。
人の死ぬ間際には走馬灯が見えるという、
『人が人を救うってことはそんな簡単なことじゃないのよ』私はやちよの言葉が引っかかっていたのだろうか?
だから命を投げ出すような真似を?
こんな無茶を?
それ以上考える時間も、答えを出す時間もなかった。
接触の瞬間、両腕でがっしりと捕まえる。……よかった、幽霊じゃなくてちゃんと重みのある、生きている人間だったみたいだ。
遠く上の方で鎖が手すりに当たるジャリジャリジャリジャリという音がしていた。
私は絶対に離さないようにその子を抱きかかえる。衝撃は突然やってくる。伸び切ったのだ。
「っぐぅ――‼」
鎖が胴体を引きちぎる方向にグンと衝撃を伝えてきた。上へと引っ張り上げられるような錯覚。
腹部から切断されそうだ。痛いを通り越して、苦しい。じんじんと熱い。しかし、捕まえた手を何がなんでも離すわけにはいかない。鬱血するくらいに抱きしめて、腕の感覚はしびれ始めていた。
正直、そこからしばらくの意識は途絶えた。気がついたら、フェリシアが汗だくになりながら一生懸命に私とその子を引き上げたあとで、展望台の上部に横たわっていた。
「あ、あのっ、あのあのあのあのっ! ご、ごめんなさいっ! 私! 私のせいでっ……!」
傍らにボロボロと涙をこぼす二つ結びの子がいた。癖毛の優しそうな子だった。受け止めた時は顔を見る余裕すらなかったが、そうか、この子が。
「気にしないで……。最強の鶴乃ちゃんはこのくらい……平、気っ……げほっ、お、うぅっ……かはっ」
「ばかヤロー! 鶴乃! カッコつけてんじゃねえよ! こんな時にっ!」
「はあ……はあ……。まあ、大丈夫だよ。舐めておけば傷も治るって……」
無意識に腹部に触れた手がぬるりと滑った。トマトを握り潰したみたいに真っ赤に染まっている。あれ……これ結構やばい……のか?
雲に覆われた空が、遠い。かなり気分が悪い。想像したくないが、内蔵がいくつか破裂している感じがした。このまま死んだほうが、いっそ楽になるのではないかと現実逃避気味の思考が走る。
私はすんすんと泣いているその子に語りかける。
「ねえ、名前を聞いてもいいかな……。あなたの名前は、なんていうの……?」
「あ、わ、私は、さな……。二葉さなです」
「そっか……よかったね、さなちゃん。……助かったんだ」
私は満足して目を瞑る。今日は、ぐっすり眠れそうだ……。
「死ぬな、死ぬなーっ! 鶴乃ぉーっ⁉」
むっつりとした曇天にフェリシアの声が響き渡った。何機も据え付けられた白い円形のアンテナが風に揺さぶられてひゅーひゅーと音を立てている。後ろで室外機がブゥーンとうなっている。
「死なないよ」
「うわっ生きてた!」
「騒ぐ前に治癒を手伝ってくれると助かる。……得意じゃなくても二人でやればいくらかマシになるでしょ……」
フェリシアが私の生暖かくぐっしょり濡れているお腹に手を翳す、その上にもう一組の手が重なった。
「私も、手伝いますっ‼︎」
さなちゃんの手は力強かった。そして、ちゃんと生きているから暖かかった。
空は限りなく遠い。近くにないということは、あんなに遠く見えるということは、お迎えがくるのはまだ先なんだろう。
――この世界には、実体を持ったウワサなんかない。噂はただの噂なだけ。ふわふわ漂う風聞に実体が与えられることはない。
ここにいるのは魔法少女だけ。
誰に顧みられることもない、誰にも気に掛けられることのない少女たち。
世界の消耗品の少女たち。
魔法少女なんて、そんなものだ。と、きっと師匠なら言うだろう。
――だけど。
"今度こそ"間に合ってよかった。私はそんな安堵に包まれていた。めちゃめちゃ具合悪いけど、よかった。それでも本当によかった。
私は、助けられた。
二葉、さなちゃんを。
こんな世界にも『希望』はあるのかもしれない。
「っていうか、環いろはじゃなかったなっ‼‼」
フェリシアの言葉に、さなちゃんはぽかんとしていた。
フェリシア……。それは言わないの。
電子の妖精がいない世界で、透明人間が目を細める。