私、由比鶴乃は数奇な運命に巻き込まれ、冗談みたいに類稀なる大冒険をすることになる。
奇妙奇天烈。常識と理解の範疇外にある、驚天動地の物語。
待ち受けるのは
そう、これは、二度と帰ってこない日常の話でもあるのだ。そして同時に、その先永劫に続く未来の話でもある。
ただ一つの『現実』を生きる私は、たった一人の女の子を救いに行く。
巷を未曾有の流行病が騒がせている頃、由比鶴乃は万々歳の手伝いで、てんてこ舞いだった。
まさかこんな流行病が世界中を席巻するなんて誰も思っていなかった。それは社会常識を変え、世界を変えた。多数の犠牲者を出し、しかしそれでもまだ世界は生きていた。
人類も。そして、――中華屋の娘もだ。
飲食店にとって、それが直接的なダメージになったのは言うまでもない。いっときは、本当に店が潰れるのではないかという瀬戸際まで追い込まれた。しかし、出前のサービスを拡張し、ネット上でもデリバリーを受け付けるなど工夫し、あるいは他にも、固定の団体客を探したりだとか、細々とした――それはもう精一杯の――努力のおかげで、なんとか、一時期に比べて危機を脱したと言えるほどにはなっていた。
世界は、正常への道を歩み始めていた。その度、揺り戻しのようにまた、感染が拡大したりもするが、それでも、少しずつ。
人類はしぶとかった。
中華屋の娘も、である。
「おとうさーん、出前、行ってきまーすっ!」
「おう、気をつけろよ!」
私は中華屋の娘として元気に声を出し、出前の配達に出撃する!
由比鶴乃は近所への出前を終え、河川敷に岡持ちを放り出して、草原で横になっていた。
頭の後ろで腕を組み、鴨の番が泳いでいるのを眺めていると、草をかき分ける音がした。
「おっ、キュゥべえ」
「やあ、由比鶴乃」
キュゥべえはしっぽをゆったりと振る。
「なんかあった?」
「実は、ちょっと問題があってね。こんなことは、きっとキミに話しても恐らく理解できないと思うが――大規模な重力子の発生が検知されたんだよ。それはおそらく、
私は笑いがこらえきれなくなりそうになった。
だけど、なんてことのないように装って、頬に力を込め、キュゥべえに聞く。
「ふーん、それはつまり、どういうことなのさ」
「大規模な世界線の改竄が起きたみたいなんだ。だけどそこで何が起きたのかはさっぱりわからない。改変後に何が起きたのか知るのは、まず不可能なんだよ。困ったものだね。もしかしたら、ボクらの預かり知らないところで、世界が終わり、多元宇宙が崩壊するような大事件が起きていたのかもしれないよ」
「そっかー、大変だねえ……」
大変だ。それはきっと、中華屋の店が潰れるかどうかってくらい、大変だったに違いない。
私はよくわからないフリをして、適当に相槌を打つ。
「宇宙には恒常性を保つ機能があるみたいなんだ。自己修復機能と言い換えてもいい。人間にある免疫機構みたいなものだね。それは宇宙が生存する過程で獲得したものなのかもしれないし、あるいは、そうでないかもしれない。宇宙はまだまだわからないことが多いね。――キミたち人類の感情みたいにね」
「キュウべぇって、すごいテクノロジーだかなんだかある割に、意外と知らないこと多いよねえ……」
宇宙、――修復機能、ね。
さっぱり理解の及ばない話だ。
……本来ならね。
でも、私は少しだけキュゥべえをからかってやりたい気持ちになる。
「ねえ、もしかしたら、こうやって考えることもできるんじゃないかな。――どこかに宇宙を、私たちを見守っている神様がいて、世界が壊れてしまわないように大事に守っているの!
壊れないように大切に優しく……そこには
キュウべぇはほんの少しだけ沈黙し、いつもどおり落ち着いて返答する。
「それが、なんらかの事実関係に基づいた予想ならば妥当性を評価できるけれど、そうでないならボクに言えることはないね。
――しかし、ボクらもキミたちの信仰の自由を否定するつもりはないよ。それは知的生命が生み出した文化の一側面だからね。そういった文化の豊かさが、知的生命の成熟度を測る物差しの一つとも言える。
知的生命、――いや、人類がボクらと違うのは物語を生み出し、感情を獲得しているということにある。ボクらは物語を
――そしてだからこそ、物語を生み出し、感情を持ちうるキミら
これでもボクらはボクらなりに人類に対して敬意を払っているんだよ。――ボクらなりの誠意を込めて、だけどね」
……ボクらなりの誠意、ね。
キュゥべえは、なんというか、よくわからないことも多いけれど、彼らなりに人類と友好関係を結ぼうとしているのかもしれない、――とは思った。
それがいい方向に進むとは限らないのが、痛し痒しなんだけれどね……。
キュゥべえは、言葉を続ける。
「だから、由比鶴乃。キミの紡ぐ物語をボクらは理解することができないが、キミ自身はそれを大切にするといい。物語を物語たらしめるのが、キミたち人類が持つ、認知能力。他の生命には無い、――ボクらでさえ持ち得ない――唯一の
キュゥべえは、丸い二つの瞳で私を見た。感情のないはずの瞳は、強く輝いた。
……ように見えた。
「キミがこの世界に
「ふーん……」
私は神妙な顔になってしまった。キュゥべえにそんなこと言われたってなあ……。
ま、いっか。
「キュウべぇ、私ね! 夢があるんだ」
私は、かねてよりの思いつきをキュゥべえに話す。いつからか、頭に浮かんだものだ。だけど話す相手もいなかったこと。
「また『仲間』を集めてね、チームを作るの! それにはね、色んな個性の子がいるんだよ。前のみかづき荘みたいにね! すっごく楽しいの。ねえどお!? 良さそうだと思わない!?」
「キミは、そのチームを作って、何がしたいんだい?」
「それ、は……」
私にはきっと、会いたい子達がいる。この世界で探すべき子たちが。でも、恐らく、――それだけではなくて……。私は口ごもる。
「キミは、そろそろ自分の本当の気持ちと向き合ったほうがいいのかもしれないね。――魔法少女の行く末は長いとは限らないんだよ?」
キュウべぇは揶揄うように言った。
しかしそんな感情はキュゥべえにないから、それも私が勝手に汲み取っただけだった。人類は、何も無いところからも感情を読み取る生き物なのだ。
思い出の品に感情を見出すように。慣れ親しんだ家電製品に親しみを持ってしまうように。
……なんだよ、キュウべぇのヤツ! 感情のない宇宙人のくせに知ったようなことを言っちゃってさ‼︎ ふん!
どれだけわかったような顔をしていても、私の中にある
「知~らない‼︎」
私は起き上がり、キュゥべえを置いて走り出した。どんなに頑張っても、口角が上がるのを抑えられなかった。
私の中にある
どうせきっと根拠のないものなんて信じてくれないし、それに。
私だけの、秘密の思い出――に、してしまいたい。それはなんだか、贅沢なことの気がする。
はあ。本当にやりたいこと、ねえ。まったく――本当に知ったようなこと言っちゃってさあ。感情も持たいない宇宙人のくせにさ――!
そんなの、――とっくに心当たりはついてるんだけど――!
私は河川敷を飛び出し、草原を登り、歩道をまっすぐ飛ばし、野良猫をジャンプして避け、交差点へと突き当たった。
私の目の前で、信号は青に変わった。
◇
寂れたみかづき荘で一人暮らしをしている七海やちよは、庭に出て、古いダンボールの中にしまってある品を整理していた。
暖かい日差しに誘われて、春の匂いにつられて、ちょっと片付けでもしたい気分になったから――ではない。
日頃の不摂生により、家は荒れ果てて久しい。
毎日くたびれたOLみたいな生活を送っていた。仕事、学校、魔法少女、その三つのローテーションだけのメリハリのない毎日。
昨日も仕事から帰ってきて、億劫な体をソファに埋めたら、シャワーも浴びずに寝入ってしまったくらいだ。そんな怠惰な日々。
今日は昼過ぎに目が覚め、――なんとなく、二階の窓を久しぶりに開けてみた。
それから、シャワーを浴びる。熱い湯に包まれていると、不意に悲しみが押し寄せた。
そういう事はときどきある。そんなとき、ただ、その衝動が過ぎ去るのを待つ。
バスルームで体を拭いていると、二階から物音がした。
そういえば窓をあけっぱなしだった。
二階へ上がり、窓を開け放していた手前の部屋に入る。ふと目をやると、片付けられていないダンボールの上に、一枚の桜の花びらが降りていた。
風に誘われて入ってきたらしい。
まるで、誰かがこの箱を見つけてくれと言っているみたいだな、と思う。
こんな埃とカビ臭い場所で開けるのも忍びない。そう思い、ダンボール箱を持ち庭に出る。
隣の家の桜は鮮やかに咲き誇り、この世の栄華を極めているようだった。
――なぁんだ、こんなに綺麗なら、酒の一本でも買ってこようかな。などと思う。花見にはいい時分だ。
七海やちよは高校を卒業したら飲酒してもいいと思っている質だが、別に普段から飲酒する習慣があるわけでもない。
だけど――そう、この家の家主は自分だし、住人も自分ひとりなので、何をしようが誰かに咎められることもないのである。
一段落したら本当に買ってこようかな、まあ、老けて見られる性質だし、顔見知りじゃなければなんとかなるだろう、そう思いながら、箱の中身を検める。
中身は遺品だった。
遺品というか、――かつてこの家に住んでいた者たちの思い出の品。
かなえのノートや、メルの書き置きだ。
そういった思い出の品は、人の記憶を揺り動かし、強いイメージを想起させるものだ。
ぐっと、胸にこみ上げてくるものを抑えられない。
かなえのノートの歌詞は、三つの点について語っていた。
それが指し示すものは、かなえとみふゆと私。
――だけど今はもう、点は私一つしかない。
メルの占いの覚書は、小さな円を予言していた。
小さな円から広がる関係。
――だけど今はたった一人で、そんな円、見えはしない。
ああ――くそ。どうしてこの世界はこんなに暖かいのに、空気は生命力に満ちているのに。
日差しは温かみは命の大切さを唄うのに、――こんなにも私は一人ぼっちなのだ。
こんなに暖かくていい日なのに、ここには誰もいない――一人きりなのだ。
この大きな家で、寂しく、世界と隔絶しているのだ。
私は、この家で仲間たちと過ごした、かけがえのない時間を忘れることが出来ない。
だけど、そんな奇跡はみたいな時間はもう起こらない。
魔法少女の起こせる奇跡は"一度"だけ。
それを使い果たした私たちは、『希望』なんて抱いてはいけないのかもしれない――。
ましてや、後輩たちに厳しく当たっていた私なんかが――。
"何事も必要なときに起こるべくして起こる"
それは、メル――、あなたの大好きな言葉だったけれど、でも、たった一度の『奇跡』を使い果たした私たちにはもう、
「……『奇跡』なんて、もう、――起こらない」
「――なーにやってんのさ。やちよっ」
庭へと続く戸を開いて、立っている少女がいた。
ジャージ姿で、活発な印象のサイドポニー、よく見知った少女。
中華屋の娘、――由比鶴乃。
「ドーナツ買ってきたんだ。一緒に食べない? ジュースも持ってきたんだよっ」
「鶴乃……あなた……」
「新作の桜ドーナツ、きっと美味しいよ。見て、すっごい可愛くて、美味しそうなんだから。きっと涙も吹っ飛んじゃう」
鶴乃は遠慮せず、ずかずか庭に入り込んでくる。開いてあるダンボールを見る。
「ふーん、何してるの? あー、片付けか。もう随分汚くなっちゃったもんね、ここ。やちよはさー、掃除しろって、昔はうるさかったのにねえ、へへ」
鶴乃は庭の片隅にある薄汚れたテーブルを引っ張り出してくる。
「よいしょ、テーブル汚いけど、これでいいか。……どれどれ……メルのノートじゃん? それ! へー。そっちはかなえさんの歌詞? もしかして!」
やちよは恥ずかしいから袖で目を拭い、だけどそれから呆けたように、鶴乃をぼんやりと見ていた。
「鶴乃――あなた、どうして……来たの」
「えー、どうして――かあ……。うーん、だって」
鶴乃は人差し指でやちよの鼻をつついた。
「泣いてる
やちよは、大粒の涙をこぼした。
「おおきく、でたわね」やちよは赤くなった瞼で、それでも笑った。
「なんたって、師匠の弟子だからね」
由比鶴乃は春の日差しの中で思う。
"人が人を助けるってのは、簡単なことじゃない"
例え、そうだとしても、この世界がどんなに厳しくても、私たちは寄り添うことをやめられないのだ。
例えいつか失う運命だとしても、人が『希望』を願う心を奪い去ることは、不可能なのだ。
誰かを愛し、共に歩み、同じ時間を共有すること、その価値が消え失せることは、ないのだと思う。
きっと。
「ねえ、やちよ。よかったらさ、またチーム組もうよ」鶴乃はなんてことのないことのように言う。
だけど内心は、愛の告白をするみたいに心臓がバクバクだ。断られるのは、ここに来るまでに数十回はシミュレーションした。
「…………私みたいな面倒なロートル捕まえても、ロクなことにならないわよ」
「ロートルね……。よく言うよ、まったく」
鶴乃は呆れたように言う。
「……それに、今の神浜は大変なの。魔女が強くなってるとも言うし、それに……『傭兵』を名乗って暴れてる厄介な子がいるとかも聞くわ。あとは……『透明人間』だとか、よくわからない噂とかがあるとも聞くし……」
「じゃあ、もうみんな、その子達も仲間にしちゃおう! 私が、交渉して、話をして、なんなら戦っちゃって! ぜーんぶ、なんとかしてみせるよっ! 自信はあるんだよね、……ふふ。それで……他には?」
やちよは逡巡するように、目を彷徨わせた。
「………………私は……」
「どうしたのさ、やちよ。もう、言い訳はないのかな?」
「だって……。――私のせいで、ごめんなさい、……迷惑を、かけ、て……うぅっ」
やちよはまた涙が溢れてくる。鶴乃は袖口で拭ってやる。
「ほらまた泣いた! もう、そういうのは、今日これっきりで終わりにしよう。……メルとかなえだって、そんなの望んでないよ。……やちよだってそれくらい、本当はわかってるでしょ?」
鶴乃は思う。
誰だって、このみかづき荘にいた誰一人だって、あなたがそうやって一人で泣いていることを望んでなんかいなかったんだよ。
みんな、あなたのことが好きだったから、ここに集まって、騒いで、楽しくて、その時間は大切なものだったんだ。
やちよはいつも厳しくて、強くて、その眼差しには鋭さが混じっていた。だけど、その中に優しさが含まれていることも、私達は知っていた。
やちよの頭を優しく撫でる。それは、私の手だけじゃない。
メルだってかなえさんだって、やちよのお婆ちゃんだって、……みふゆだって。きっとみんなおんなじ気持ち。だからこれは、皆の気持ちを代表してのものなんだよ。
――いろはちゃんだって。
きっと同じ気持ち。
あなたはもう、自分を責めなくていい。
あなたが疲れているのは、あなたが頑張ってきたからなんだよ。
私たちは、そうやって、ただ、しばらく、何も話さずにいた。
沈黙と、風の匂いだけを感じていた。
ただ、同じ時間を共有できるということが、私たちにとっては、とてつもなくかけがえのない、価値なのだった。
春の日差しは、新たな門出を祝福しているようだった。
新しい世界を祝いでいるかのように、優しく降り注ぐ。
「じゃあ、――チーム再結成の、祝杯といきましょうか!」
私はジュースの瓶を掲げてみせる。
「あなたねえ……。それはダメよ、未成年はお酒なんか。絶対飲んじゃ」
「これはジュースだよぉ……。ウチで出してるやつだし。はあ……。そうだねえ、新チームの名前も考えないとね。チームみかづき荘のままだと面白くないし。そうだなあ……やるなら、私がリーダーで……『チーム万々歳』とか!」
「それは辛気臭いから、パス一ね……」やちよは腕を組み、肩を落とした。
「辛気臭くないよ~……! 最近はデリバリーとか頑張ってるんだから! それにね、新サービスの魔法少女割ってのも考えていて……」
ピリッと背筋に静電気が走った。やちよと視線を合わせる。
魔女の反応だった。
やちよは徐に立ち上がる。
「じゃあ、行きましょうか」
「新生みかづき荘、デビュー戦だねっ!」
私は限りなく広がる蒼天に、力強く拳を突き出した。
こうして、私と《
そうだ、全ての物語には終わりがある。
そして終わりがあるということは同時に、また新たな始まりがあるということでもある。
私たち『魔法少女』はいつだって、この広い世界の中で惑っているのだ。
ときに、何が本当なのか分からなくなってしまうことさえある。
本当に叶えたかったの願いの意味さえ、分からなくなってしまうことだってあるのだ。
これはそんな迷子達の物語。
私達は不意に、どれだけあがいても抜け出すことの出来ない永遠の『絶望』という暗闇に包まれてしまったように思うことがある。
深い深い洞穴のような、視界がすべて薄靄で包まれてしまったような、まるで先の見えない『絶望』だ。
でもそんなときでも、いつだって、この世界に『希望』もまた同時に存在しているのだ。
喜びがなければ悲しみがないように、梅雨が明けないと夏がこないように。
少女の時代を通過しないと大人になれないように、『希望』を伴わない『絶望』というのもまた、この世に存在しえないのだから。
私にはあなたがくれた力が見える。
それはいつでも、どこにでも存在している。
私は知っている。
あなたのくれた『愛』はまるで真昼の恒星のように、意識することはなくてもこの世界の細部に満ちていることを。
どれだけ遠く離れても、私達は、あなたの存在を感じとることができるのだ。
そこに"いる"と識れば、いつでもそばにあなたは"いる"。
だから――
この完全には程遠く、危なっかしくも愚かしい、だけど不恰好で尚美しい――かつてあなたが愛した世界で、私達は生き続ける。
だって私達は、この儚く広い世界に『希望』を振り撒く
『
――――――《Magia Record : A PRIORI》is The END !!