「まあなんじゃ、気を取り直して行くか!」
放課後、席を立った崇春は声を上げた。
倒れたクラスメイトの家族からはいずれも訪問の許可が得られ、品ノ川先生から住所は聞いている。崇春もすでに僧衣から着替え、体育用のジャージ――サイズが合っていないのかはち切れそうで、ぴちぴちと筋肉が盛り上がって見える――を身につけていた。
「そうですね……」
言ったものの、かすみはどうにも気乗りがしなかった。
横目で賀来の席を見る。彼女は早退したらしく、午後の授業からは姿が見えなかった。
大きく息をついた。
「まったく……何だったんですか、お昼ご飯のときの。あんな風に言わなくても」
百見が言う。
「あれではただの嫌がらせだ、って?」
「……そうですよ、こっちからお昼に誘っといてあれじゃ、機嫌も悪くしますよ」
「そう見えるなら上々さ。何にせよ、彼女のことはもう少し調べる必要がありそうだ。その辺も考えてのことだよ」
「そう、ですか」
もう少し何か言ってやりたかったが、倒れたクラスメイトを訪ねる約束もある。あまりぐずぐずもしていられない。気を取り直し、かすみも自分の荷物を取った。
三人で教室の出入口へ向かったとき。
「……ウス」
斉藤
崇春が言う。
「おう、お
斉藤は目を伏せたまま言う。
「……ウス、オレ、今日はちょっと、故障で……ウス」
見れば、いつもかついでいる大きなスポーツバッグはなく、鞄だけを提げていた。見たところ包帯などは巻いていないようだが、足腰などの怪我だろうか。
「……それより。行くんス、か。なら、皆、心配してる、と。よろしく……ウス」
それだけ言って大きな背を向け、去って行った。相変わらず、巨体に似合わぬ滑るような足取りだった。
崇春がその背に声をかける。
「うむ、承知した! 必ず伝えておくわい!」
かすみと百見に向き直る。
「さて。とにもかくにも、ご挨拶に行くんが人の道っちゅうもんじゃ。行くとするか!」
結果から言えば、これといった情報はなかった。共通点として『学校から遅く帰って、霧の出ていた夕方から夜、一人で倒れていた』ということだけは分かったが。
「手口であって動機ではない……犯人の人間像を探る手がかりにはならない、か」
夕暮れの帰り道、歩きながら百見はそうつぶやいた。日はすでに沈みかかり、空の色は薄い。薄い空色とも薄い茜色ともつかない、あいまいな色だった。
かすみは歩きながら足元を見ていた。その足にも丸まった背にも、妙な力がこもっていた。
思い出していた。実際に目にした、目を覚まさないクラスメイトと、その家族の――憔悴した、疲れ切った、それでいて訪問を喜んで、笑顔を向けてくれる――姿を。
「……だとしても。見つけないと、必ず」
唇を噛んだ後そう言った。
崇春が言う。
「さあてと。どうすんじゃい、百見。考えがあるんなら何でも言うてくれ。覚悟はできちょる」
百見はうなずく。
「やることは変わらない、エサに食いつかせよう。遅く帰って襲撃される状況を作る、ただし。二手に分かれよう。谷﨑さんと崇春、そして僕一人」
「え?」
目を瞬かせたかすみに百見は言う。
「カラベラ嬢に嫌がらせをした訳、説明してなかったね。つまるところはこのためさ。もしも彼女が正体だったとして、そして仮に、気に入らない者を襲うといった単純な動機だったとしたなら。……次の標的は僕になる」
「……え」
「そして彼女ではなかったとしたなら、あるいは彼女であっても、何か別の動機があるのなら。標的は僕ではなく、谷﨑さんのままだろう」
「でも、それじゃ」
「僕が危険だって? そんなことはないさ、どの道戦力になるのは僕と崇春。むしろ君たちの方が危険なぐらいだ」
確かにかすみは何もできないだろう。そう考えればかすみを守らなければいけない分、襲われたなら崇春の方が危険だ。
それが事実であることは分かっているが。かすみはうつむいて唇を噛んだ。
百見は微笑んで言う。
「気にすることはないさ。現状これぐらいしかできないからこうしたんだ。それに何か別の動機があった場合や、よほど警戒した場合は襲ってこない可能性もある。もちろん、別の標的を狙う可能性も。それも含めて、少しでも相手の情報を引き出していきたい。……それと、彼女を疑う理由はもう一点ある。これだ」
スマートフォンを取り出して操作し、こちらに向ける。映っていたのはツイッターの画面。ユーザーの名前は、カラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス。
「これって、賀来さんの?」
百見が肩をすくめる。
「自称をそのまま使う辺り、セキュリティ意識の低さも気になるところだが。それより気にすべきはこの内容だ」
画面を見れば、そこには奇妙な文が――というより、文章の体をなしていない何かが――書き込まれていた。
『おほほよかけさはわのわもすみ』『しむぬすけかあがせよめをばなさがゆ』『よこさけお とのうわてずを』
背筋に毛虫が這いずったような感覚を覚え、かすみは自分の手を握り合わせた。
「これ……は……?」
百見はまた肩をすくめる。
「さてね。確かなのは書き込み時刻の表示から、これが今日の昼休み以降に書かれたということ。そして過去の書き込みを見れば、ほぼ同様の文が書かれていること……どれも、生徒が倒れたのと同じ日に」
「っていうことは……」
「ああ、偶然とは考えにくい。彼女が、そしてこの書き込みが、この件に関係している可能性は非常に高い。まあ、文の内容を検証している時間はないが……その辺は別の知人に頼んである。とにかく、今日囮を出す意義は充分にあるというわけだね」
そこまで言って百見は笑う。
「まあ、気負い過ぎないことさ。僕一人で戦ったとして、決して遅れを取ることはない。昨日も見たとおりにね。それに谷﨑さん、君の方も大丈夫だ。断言してもいい……この地球上で、崇春に勝てる奴などいやしないさ」
かすみは目を見開いた。百見がそうして崇春を誉めるなど、珍しいことに思えたが。その口調はいたって素直で、皮肉る様子も冗談のような響きもなかった。
崇春が大きな拳で分厚い胸を叩く。
「がっはっはっは! おうよ、そんとおりじゃあ! このわしに万事任さんかい!」
「その意気だ。さて、ここまでで分かれよう。こちらで準備してから崇春の野宿場所に向かう、そこで落ち合うとしよう。ああ、それと」
眼鏡のフレームに指を当て、視線をうつむけて続けた。
「もし無関係だったなら、だが。……カラベラ嬢にも、悪いとは思ってる。そのときは菓子折でも持って謝るよ。最高のバームクーヘンをね」
それは向こうがどう思うんだろうか。そう思ったが、かすみはうなずいておいた。