かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~   作:木下望太郎

145 / 217
五ノ巻13話  黒

 

 階段の遥か上から、大威徳明王の声が降る。

「――黙って聞いておれば……貴様一人で拙者を倒そうなど、と。女子(おなご)の前とて良い格好はせぬことだ、な」

 

 百見は鼻で笑う。

「失礼な。あまり誰でもかれでも女子(じょし)呼ばわりすべきではない。そこにいるのはもちろん、女子呼ばわりするまでもない例だ」

 

「はあぁあ!?」

 賀来の(いきどお)る声を気にした様子もなく、百見は万年筆の先で明王を指す。

「ゆくぞ。我が広目天の筆先にて……添削してやる、お前の存在。【広目一矢(こうもくいっし)】!」

 

 黒々と墨を(たた)えた神筆を、広目天が上へと一筋振るう。空間を走ったその筆の後には黒々と、その墨跡(ぼくせき)が実体を持って浮かび上がっていた。

 と、見る間に。『一』の字、端を敵へと向けたその文字が。矢の速度を持って、明王を目がけて飛んだ。

 

「――ふん」

 意に介した様子もなく、大威徳明王は階段から身を躍らせた。向かい来る墨の矢を、壁を蹴って難なくかわす。

 さらに蹴った先の壁、それを六脚のうち別の脚が蹴る。その先の壁をまた別の脚が蹴って方向を変えつつ加速する、その先でまた、その先でまた。

 

「なるほど。まさにこの階段こそ、お前が用意したお前のための戦いの地形、か。だが、これはどうだ――【広目連筆(れんぴつ)】!」

 広目天が縦横(じゅうおう)に振るう筆、前後左右その先の壁に。いくつもいくつも、一の字が描かれた。ただし先ほどの技と同じく、実体を持って。壁から階段から、空間へ突き出た柱のように。大威徳の機動を阻害しようとするように。

 

 だが。明王はそれをも意に介さず、跳んだ。壁を蹴って墨の柱をかわし。向かう先に横から突き出た、黒いそれをも身をかがめてかわし。

 さらに跳んだ、その向こうの壁を蹴って。跳んだ、墨の柱さえ足場にして、次々と加速しながら、いくつもの残像を宙に残して。いや、もはやその残像すら朧に、目で追えないほどの速度に達して。

 

「な……」

 百見は口を開けていた。宙を見上げながらよろめくように後ずさり、その背が壁についた。

 つき従う広目天は口を引き結んではいたが、筆を持った手はただ床に垂らされていた。

 

 重く言葉が降る。宙を飛び交う、大威徳明王の残像の群れから。

「――これぞ拙者が秘技。【大威群影(たいいぐんえい)必滅(ひつめつ)(じん)】、よ……!」

 そして、それら像の群れから。いくつかの像が、百見目がけて降り来たった――実際にはその間を素早く行き交う、ただ一体の明王が――。多腕に武器を握り締めて。

 

 まさにそのとき、(はか)ったように。百見は口を開いていた。

「【広目連筆】!」

 壁を背にした自分の回り、その床から上へと広目天が筆を走らせる。縦一文字に幾筋も、幾筋も。

 床から垂直に伸びた墨の柱が百見を隙間なく取り巻き、壁を成した。左右から前方を半円に取り囲む壁を。背後は元より廊下の壁がある。

 百見は上を向く。自分の回りに唯一開いた隙間である、上を。

 

 いかに残像が多く見えようが、そこにいる敵はただの一体。向かってくる方向を限定させ、そこを待ち受ける。

 

 狭い目標を狙うのに難儀したか、宙を跳び交う残像が一つ減り、また一つ減り。やがてただ一つの実像が残る。

「ぬ……! だが同じこと、よ……!」

 

 壁を蹴り、さらに速度を増した明王が跳び来る。

 広目天は筆を構えるが。先ほどその筆を(ふる)って壁を築いたばかりで、再び揮うのに反応が遅れた。

 

 それでも、百見は声を上げていた。またも(はか)ったように。

「【墨龍撃屠(ぼくりゅうげきと)】!」

 

 先ほど百見が宙を見上げていたとき、広目天が垂らした筆。その先の床、すなわち百見の足下には。

 すでに描かれていた。筆先から落ちる墨、それらを点々とつなげて。小さくも確かに、飛沫(しぶき)の中を黒く躍る、龍の姿が。

 

 うるる、と低く(うな)りを上げて、描かれた龍が床上で身を震わせた。とぐろを巻くように身をよじらせたかと思うと、水中から跳ね上がるような動きで、空中へと身を舞わせた。

 厚みを(そな)えて実体と化したその長い胴は、水がうねるような動きで明王の刃をかわし。大口を開け、刃物のような牙を、敵の喉笛へと突き立て。引きちぎるような力を込め、()み締めた。

 

 が。貫けなかった、その牙は。明王の首、その骨どころか肉どころか、皮膚さえも。

 そればかりか。さらに力を込める龍の、牙がひび割れ。そのひびが駆け上がるように牙を、口を、龍の頭を胴を走り。そこから、砕けた。

 もはや龍の形を失った墨は黒い飛沫(しぶき)と化し、明王の体を黒く汚したのみで散っていった。

 

「なっ……」

 口を開ける百見。

 

()った、り……!」

 龍によってわずかに勢いを殺されるも、剣を構え跳び来る明王。

 

 その剣が届くかと見えた、その瞬間。

「いかん、任せる!」

「――承知!」

 賀来とアーラヴァカの声が響く。

 

 同時、百見の体は。

「――うおおおおぉぉっ!」

 雄叫びと共に、抱きかかえられていた。横合いから突進してきた、アーラヴァカの腕に。周りに巡らせた墨の柱ごと、引っこ抜かれるように。

 

 明王の刃は、雪崩(なだ)れ落ちるように倒れ込んだアーラヴァカの肩をかすめ、空を切った。

 

 百見を床に降ろし、賀来は――アーラヴァカは――即座に立ち上がる。百見をかばうように前に出、鬼神の腕を構えた。

 

 明王は武器を構え直すが、六面の口からまばらに舌打ちの音を響かせ。その六脚で床を蹴り、壁を蹴り、再び階段の遥か上へと戻った。

 

 倒れたまま、目を見開いたまま、百見がつぶやく。ずり落ちた眼鏡をかけ直しもせずに。

慕何(ばか)な……そんな。タイミングは完璧だった、なぜ、僕の力が……」

 

 応えるかのように大威徳明王の声が降る。

「――ふん……策はなかなか、よ。だが広目天、貴様の力、では……拙者に傷一つ負わすことは叶わぬ、わ」

 

「何だと……いや、そうか……しまった!」

 眼鏡がずり落ちたまま、傍らに落とした本を取る。ページを跳ね飛ばすような勢いで次々と()っていたが、やがてその動きが止まる。

 眼鏡をかけ直し、そのページの内容を読み上げた。

「『仁王念誦儀軌』にはこう記載があった……大威徳明王は『一切の諸悪の毒龍を摧伏(さいぶく)し、悪風と雨とで衆生を損なうものを調伏(ちょうぶく)』する、と。つまり――」

 

 大威徳明王の声が降る。

「――つまり。貴様の力は拙者には効かぬ……そうであろう、諸龍王の首領にして水神たる広目天、よ」

 

 百見は口を開けていた。両手は本を開いたまま動かなかった。目だけが、ぱち、ぱち、と瞬いていた。

 目を瞬かせるその度に、おぼろげに策が浮かびかけ、また消えていく。

 ――どのようにしてあの敵の機動を殺し、倒すにしても。とどめを刺すには広目天最大の力、龍の力と水の力が必要だった。それがそもそも無効なのでは。倒しようが、無い――。

 

 ふう、と息をつく音がした。

 百見の口からではない。未だ伏した百見の前に立つ、賀来がため息をついていた。

 

 賀来はかぶりを振ってみせる。

「やれやれだな。僕一人で倒す、などと意気込んでおきながら。その(ざま)ではな」

 自らの手は腰に当てたまま、鬼神の二腕が掌を上に向け、肩をすくませてみせた。

 

「ぐ……!」

 目を伏せ、拳を握る百見。

 

 それに取り合う様子もなく、賀来は言った。

「さあアーラヴァカ、我らだけでやってみせようではないか。早速……真の本気を出してもらうぞ」

「――無論承知。だが、あれは持っているのだろうな」

 

 そう問うた低い声に対し、賀来は小さくため息をついた。

「もちろんよ。そなたもずいぶん繊細なことだな……まあよい」

 そしてスカートのポケットから、丸めていた布のようなものを取り出す。

 広げたそれは、学校指定の体操服。そのズボンのうち、ごく短い丈のもの。

 

「さあ……本気でゆくぞっ!」

 盛大にスカートをまくり上げ、勢いよく短パンを履いた。

 

 彼女の背後で倒れていた百見は、そのお陰で拝むこととなった。

 賀来のスカートの下、短い丈のオーバーパンツ。黒い見せパンに覆われた、彼女の尻を。

 

「――さあて、往くか」

 つぶやいたアーラヴァカは、鬼神の腕で短パンの位置を直し、見せパンが隠れるようにした。手から離した短パンのゴムが、ぱつん、と強く音を立てた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。