かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~   作:木下望太郎

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六ノ巻5話  業曼荼羅(ごうまんだら)

 

 百見が表情を歪める。

「『業曼荼羅(ごうまんだら)』……やはりそれか……!」

 

 渦生も同じく表情をこわばらせた。一方、崇春は目を瞬かせて二人と至寂とを見回している。

 

 かすみは思い出していた、百見が以前口にしたことを。『怪仏の力にはまだ先がある』。そして『毘沙門天は、そのうちいくつかの鍵となり得る存在』。

 さらにはこれまで、紫苑との会話で『七福神のように特定の組み合わせを揃えることで、怪仏はさらなる力を得る』という話題が出たときの、ただならぬ百見の表情。

 

 かすみはつぶやく。

「つまり。『特定の怪仏らを揃えることで特別な力を得ることができる』、それが業曼荼羅(ごうまんだら)……。そして『毘沙門天はそれを実現するために必要だった』、そういうことですか」

 

 至寂はにこやかにうなずく。

「さすがは谷﨑殿、理解が早い。密教における『曼荼羅(まんだら)』を怪仏にて再現したもの、それが『業曼荼羅(ごうまんだら)』」

 

 崇春が目を瞬かせる。

「むう……しかし、怪仏を何体か揃えたところでどうじゃというんじゃ。そんなもん、いくらでも打ち破って――」

 

 至寂はゆっくりと首を横に振った。

「いいえ。結論から申しましょう、『曼荼羅(まんだら)』が示すものは一言でいえば『宇宙』『つまりはこの世界全て』。そしてそれを、業と力の化身たる怪仏にて再現してみせることで『業のままに、つまりは欲望と執着のままに』『この世全てを再現し直す』『つまりは“世界を変革する力”を、その再現者に与える』……それこそが、業曼荼羅(ごうまんだら)――そのように、南贍部宗(なんせんぶしゅう)には伝えられております」

 

「むうぅ……!?」

 

 目を()く崇春にほほ笑みかけ、それから至寂は順に辺りを見回す。かすみを、平坂を、賀来と斎藤を。

「とはいえ、そもそも曼荼羅(まんだら)がどういったものか、ご存知ではない方もいらっしゃる様子。まずはそちらから説明させていただく方が、いわば公平、公正と申せましょうか」

 

 辺りをゆっくりと歩き回りながら続けた。まるで授業でもするように、その場の全員に語りかけるように。

「何となくは思い浮かぶでしょうか、密教の儀式に使われる、無数の仏が描かれた図画。それがつまりは曼荼羅(まんだら)。これにもいくつか種類がございますが、まず正統なものとされるのが『両界曼荼羅(まんだら)』――すなわち『胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)』『金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)』、この一対のものでございます」

 

 かすみたちの目を確かめるように見回す。

「詳しいことは省きますが。大日如来を中央に据え、その周囲を中台八葉(ちゅうだいはちよう)の四如来・四菩薩が囲み。さらにそれを数多(あまた)の諸仏・諸菩薩・諸神仏が幾重にも囲む、しめて三百九十尊あるいは四百九ないし四百十尊の図画。それが『胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)』、仏の『慈悲』を示したもの。一方、仏の『智慧(ちえ)』――知力・知識ではなく、悟りへと至るための真の智恵――を示す『金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)』は、九つの正方形に区切られた形で描かれ、千四百五十八尊あるいは千四百六十一尊から成ります」

 

 もう一度かすみたちを見回す。賀来が半ば口を開け、平坂と斎藤が険しい顔をしているのを見て、頭巾をかぶった頭に手をやる。

「恐縮です。省くと言いながら、どうも煩雑(はんざつ)な話し方になってしまった様子……申しわけございません」

 

 律儀に深く頭を下げ、その後で続けた。

「ともかく。曼荼羅(まんだら)、言葉としてのその意味は『真髄(しんずい)を円満するもの』『輪円具足(りんえんぐそく)――円輪のように全てが備わっているもの』。つまりは『全てが一つにつながり、一つが全てにつながり、満ち満ちている』。仏教、特に密教の視点から解釈した『この世全ての姿』『悟りの姿』。それを視覚化したものが『曼荼羅(まんだら)』」

 

 賀来が何度も目を瞬かせ、傍らの百見に話しかけた。

「え? ん? いや、ちょっと待って……その、マンダラというのには何百だの千だのと仏がいるんだろう? ……それを怪仏で作るとか、できるのかそんなの? だって東条は、五体の怪仏を集めるとか言ったんだろう?」

 

 これまでの話を聞く限り、そのとおりだとかすみも思った。

 紫苑は大暗黒天の力で大黒袋に怪仏を収めているというが。それでも四百以上、あるいは千四百以上もの怪仏を揃えることなどと、できるものだろうか? 

 

 百見は深くうなずく。

「さらに言えば、胎蔵界・金剛界双方の中心存在たる最高尊格『大日如来』。これを怪仏により再現することは不可能とされている。なぜならその存在はまさに執着から解き放たれた『悟りそのもの』『仏法そのもの』。執着と欲望、『業』の塊たる怪仏とは真逆の存在……ゆえに、怪仏とはなり得ない」

 

 平坂が顔をしかめる。

「あ? だったら話がおかしいだろ、『中心になる仏が怪仏たり得ない』ンなら。そもそも『曼荼羅(まんだら)を怪仏で造ること自体が無理』じゃねェか」

 

 百見はうなずく。

「ええ、不可能です。……正直、業曼荼羅(ごうまんだら)によってこの世が変革される、などという伝承が残っていること自体が不可解。ただ、警戒は払う必要があます。胎蔵界(たいぞうかい)金剛界(こんごうかい)の両界曼荼羅(まんだら)ではなく、『別尊曼荼羅(べっそんまんだら)』を造られることに対しては」

 

「むう……?」

 

 目を瞬かせる崇春に渦生が言う。

「……必ずしも仏教の理念を表現することを目指したわけじゃない、『密教儀式に用いるための、特定の仏を描き奉った図画』『小規模な曼荼羅(まんだら)であるかのように、複数の仏を描いたもの』。それが『別尊曼荼羅(べっそんまんだら)』だ。阿弥陀曼荼羅(あみだまんだら)釈迦曼荼羅(しゃかまんだら)弥勒曼荼羅(みろくまんだら)虚空蔵曼荼羅(こくうぞうまんだら)、歓喜天や閻摩(えんま)曼荼羅(まんだら)、吉祥天に毘沙門天と、色々あるが――」

 

 後を受けるように百見が言う。

「そう、毘沙門天。戦力として見れば最強格の神仏ともなり得るそれは、多くの別尊曼荼羅(まんだら)に描かれる存在」

 

 かすみはつぶやく。

「じゃあ、百見さんが毘沙門天を探していたのは――」

 

「お察しのとおり、封じるためさ。毘沙門天さえ押さえておけば、それだけで多くの別尊曼荼羅(まんだら)が造られることを防げる。とはいえ、そもそも別尊曼荼羅(まんだら)は必ずしもこの世全てを示すものではない……特定の仏を奉るためのものに過ぎない」

 

 眼鏡を押し上げて続けた。

「よって、別尊曼荼羅(まんだら)を怪仏で再現したところで『この世を変革するような力が得られるわけではない』。『奉られる怪仏を劇的に強化する効果がある』ものの、それ以上のものが得らるわけではない……もちろんそれはそれで厄介だ、その点においては警戒を重ねていたわけだが」

 

 至寂を指差す。

「至寂さん。あなたほどの方が忘れていたはずはない、怪仏の力でこの世を変革する――いわば『願いを叶える』――ことなどは無理だと。おそらくは別尊曼荼羅(まんだら)によって強化した怪仏の力で、何らかの目的を達成しようというのでしょうが。それはいったい――」

 

「いいえ」

 至寂は薄く笑みを浮かべ、首を横に振った。

 

「いいえ。できるのですよ、それは。この世全てを示す曼荼羅(まんだら)を、怪仏によって創り上げることは。……百見殿、あなたほどの方なら、宗派(しゅうは)は違えどこの言葉をご存知のはずです。浄土宗に伝わる、宗派を象徴するともいえる言葉――『広げれば浄土三部経、畳めば選択本願(せんちゃくほんがん)念仏集。要は一枚起請文(いちまいきしょうもん)』」

 

 百見が言う。

「……無量寿経(むりょうじゅきょう)阿弥陀経(あみだきょう)観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)の三つの経典、『浄土三部経』。阿弥陀(あみだ)如来とその(つかさど)る極楽浄土について語られた、浄土宗系宗派の根本経典。――それらに語られる信仰は突き詰めれば、浄土宗開祖たる法然上人(ほうねんしょうにん)の著作、『選択本願(せんちゃくほんがん)念仏集』に記されているとおり。さらに突き詰めれば法然上人(ほうねんしょうにん)が死去される二日前に記された、『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』のわずか二百数十字に、その真髄が表されているという」

 

 至寂は深くうなずく。

「そのとおりです。大般若経六百巻超の真髄が、般若心経のわずか二百六十二文字にて表現されたように。まさに『一、即、一切――一つのものは(すなわ)ち全てである』『一切、即、一――全てのものは(すなわ)ち一つである』、仏教の真髄がそう言い表されるように。――そして、密教において拙僧はこう表現させていただきましょう。『広げれば大宇宙、畳めば(こん)(たい)、両界曼荼羅(まんだら)。さらに畳めば大日如来』」

 

 思いにふけるようにうつむき、歩き回る。

「大日如来……密教における最高尊格たるそれは、仏法の理念を説くための大変優れた概念であり、他の宗教には類を見ない存在です。それは多くの宗教における最高神のように、世界を生み出しなどはしない。『それ自体がこの世であり』『それ自体が仏法であり悟りであり、我々一人一人である』『曼荼羅(まんだら)において表現されたように全てはつながっており、一即一切、一切即一』。『即身成仏(そくしんじょうぶつ)即身即仏(そくしんそくぶつ)――この身そのままで仏となる、この身そのままが仏である』。いみじくも弘法大師空海様が著作『般若心経秘鍵(ひけん)』において説かれたように『()れ仏法遥かに(あら)ず、心中(しんちゅう)にして(すなわ)ち近し――仏法は決して遠くにあるものではない。我々のすぐ近く、心の中にこそある』という、このことを端的に――」

 

 刀の柄に手をかけ、円次が隣の渦生にささやく。

「このクソ坊主……ワケ分かンねェこと並べ立てて時間稼ぎしようって腹じゃねェのか? 今のうちにブッ飛ばした方が――」

 

 渦生は貫くような目つきで至寂をにらんだまま、答えなかった。

 

 代わりのように百見が言う。

「一理あります。ですが、黒幕が何をしようとしているのか分からないままでは、それを止めることも難しい……ある程度は聞いておく必要があるでしょう」

 

 崇春が前に出る。

「至寂さん。……まっことためになる説法なれど、今うかがっておる時間はないわい。全て終わった後でゆっくりと聞かせていただきたい……東条らの責と、至寂さんの責を問うた後での。まずは一言にて教えてくれんか、黒幕はいったい何をしようとしちょる?」

 

 至寂は語る口を止め、頭巾をかぶった頭に手をやった。

「これは恐縮です、拙僧(せっそう)としたことがついつい長話を。ご容赦(ようしゃ)下さい」

 

 深く頭を下げた後、言った。

「つまり、突き詰めれば。『曼荼羅(まんだら)を表すには、究極的には大日如来一尊にて足る』。つまりは『怪仏・大日如来を創ることさえできれば、それだけで業曼荼羅(ごうまんだら)は成立し得る』ということ。あのお方はそれを成そうとしておられます」

 

 円次が鼻で笑う。

「堂々巡りだな。その怪仏なんか創れない、って話だったろ。もういい、やっぱりブッ飛ばして――」

 

 百見が考え込むように、あごに手を当てる。

「いや……逆に考えれば、あらゆる神仏(ほとけ)は大日如来の化身、姿を変えた存在とされてもいる……つまり『別の怪仏を大日如来に見立てる、大日如来に仕立て上げる』と?」

 

 渦生はそこで息をこぼした。

肩を揺すってまた息をこぼす。笑った。

「は、はは……ははは。何だ、何だそりゃ、ビビらせやがって……無理だろそりゃ、計画倒れだろ至寂ちゃんよぉ?」

 

 渦生は視線をそらすようにうつむいていたが。笑っていた。

「大日如来の直接の化身とされる神仏(ほとけ)。そりゃ伝承によっちゃ、大黒天だの歓喜天だのもあるがよ。まず第一に不動明王だろ、大日如来の教令輪身(きょうりょうりんじん)――力を以てでも人々を教え導くために姿を変えた存在――、大日大聖(だいにちだいしょう)不動明王! てめぇの守護仏だよ、そのてめぇがここにいてどうすんだよ……!」

 

 また息をこぼして笑った後、続けた。

「一番の可能性をてめぇらで潰してんだよバーカ。だいたい、怪仏は『執着』から生まれたもの……それ自身の姿形や力への執着を越えて、別のものになろうなんてよっぽどのことだぜ」

 

 かぶりを振って、至寂の目を見た。

「もういい。もういいだろ悪ふざけは。今ならギャグで済ませてやる。……謝れよ、東条の奴も連れてきてよ。そうしたら――」

 

「いいえ」

 さえぎるように至寂が言った。

「いいえ。成るのです、それが。……あなたにも思い当たるはずです。『大日如来が』姿を変えた神仏でなく。『大日如来に』姿を変えた、一説にそう語られる神仏がいると。それが(すなわ)ち、あのお方の求める残り一体」

 

 かすみは考えていた。

 至寂の話は正直、全てを理解できたわけではない。それでも、このことは分かる。

 今まで紫苑が奪った怪仏――かすみの毘沙門天。斎藤の閻摩(えんま)天が姿を変えた地蔵菩薩。品ノ川先生に憑いていた馬頭観音菩薩、それと同体たる如意輪観音菩薩。そして歓喜天、これは華森という生徒に憑けられていたと、ここに来る途中に渦生から聞いた。

 つまりそれらは、今日を含む怪仏事件において生徒や教師に憑けられていたもの。

 

 円次の持国天や賀来のアーラヴァカは――あるいは黒幕の意図していない怪仏だったのか――、奪いに来ていない以上除くとして。

 だとすれば、残るは――

 

阿修羅(あしゅら)……」

 

 円次の親友、黒田に憑けられていた『阿修羅王』。それしかなかった。

 

 至寂がかすみの目を見、重くうなずく。

「そのとおりにございます。阿修羅王を別尊曼荼羅(まんだら)にて、大日如来を越えた大日如来たらしめる……その力を以てこの世を書き換える。それがあの御方の目論見(もくろみ)

 

「な……!」

 そんなことができるものなのだろうか、そうもかすみは思ったが。怪仏という存在自体が常識の範囲外にある以上、あり得ないと切り捨てることはできなかった。

「だったとしても、その力でいったい何を……」

 

 至寂は空を見上げた。遠い目をしていた、ここではないどこか、あるいはいつかを見るような。

「……彼はその力にて、仏法の欺瞞(ぎまん)を正します。この世全ての命を救う。(すなわ)ち……『死を超克(ちょうこく)する』。この世全てにおいて」

 

 

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