かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~   作:木下望太郎

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六ノ巻8話  両頭愛染(りょうずあいぜん)

 

 両頭愛染(りょうずあいぜん)明王。それはあまりに奇妙、そして異様な姿だった――少なくとも、かすみにはそう見えた――。

 

 燃えるような赤い肌をした愛染明王の体。そこから伸びる、同じ色をした四本の腕。ただ、その間からさらに突き出す一対の腕、不動明王のそれはくすんだように青黒い。

 そうして右肩へ(かし)いだ、愛染明王の赤い顔。左肩へ(かし)いだ、不動明王の青黒い顔。それらはどちらも、憤怒(ふんぬ)の形相を浮かべていたが。あるいは手狭な場所に二つ並んだせいだろうか、まるで苦しみ、(うめ)いているようにも見えた。

 

 それは一体の怪仏であるにも関わらず、一体感がまるでなかった。赤と青、まるで二体の怪仏が、あるいは背後から片方を抱き、熱烈に絡みついているかのような。あるいはまた、一方が相手にしがみつき、無理に引き止めているかのような。まるで逆の印象を同時に受ける、ちぐはぐで不安定な姿。

 

「な……」

 渦生は口を開けたまま、組んでいた印すらも解いて。至寂の背後に現れた、その明王を見上げていた。

 

「『死を超克した世』、あのお方の望む新たな世の到来の前に、皆様方を殺めるつもりはございません。が」

 至寂は深く頭を下げる。

「手向かいなさるとあれば、こちらも加減は致しません……どうか、ご容赦願います」

 

 崇春が拳を握り鳴らす。

「望むところよ。たとえ至寂さんといえど、このような過ちをしでかしては見過ごせん……こちらこそ容赦はせんわ!」

 

 仁王像のように身構える崇春を、しかし百見が制した。

「待て。至寂さんの言ったとおり、瑜祇経(ゆぎきょう)の一節には愛染明王の強大さについて、四天王らをも絶命させると書かれている。業と因縁の塊である以上、怪仏は伝承の影響を色濃く受ける……ゆえに、僕ら四天王が戦うのは得策ではない。彼に当たるべきは渦生さん、そして――賀来さん、君だ」

 

「え。……ええぇぇっ!? 私ぃ!?」

 

 目を剥いた賀来へ百見はうなずいてみせる。

「もちろんだ。僕ら『天部』の怪仏とは違う、格上の『明王』同士……そして不動明王と同格かそれ以上ともいわれる、最強格の戦闘仏『大元帥(たいげん)明王』。またの名を荒野鬼神大将、アタバク、アタバカ……すなわち君のアーラヴァカ」

 

 頭を下げた後、続けた。

「正直、すまなかった……軽く見ていた。だが君はその力に振り回されることなく、怪仏と共存している。危険な戦いに臆することなく、立ち向かってくれている。もう、君を守るとは言わない……どうか、共に闘ってほしい」

 再び、深く頭を下げた。

 

 賀来は目をそらす。ツインテールの髪の先をいじり、指に巻きつけながら言った。

「うー……ま、まあ別に? そこまで言うなら、別に私、我もー? 闘うにやぶさかではないかなーって、いや頭を下げられるようなことでもないのだが……けど」

 

 目を向けた先は。にらみ合う渦生と、その視線を受け止める至寂。

 賀来は顔を引きつらせる。

「よく知らないオッサンの争いに割って入るのか、私……? 一人で……!?」

 

 そちらには返答せず、百見はかすみと斉藤に目を向けた。

「言うまでもないが、君たちは下がっていてくれ。できるだけ遠くに、巻き込まれない位置に。……言いたくはないが、君たちを守る余裕はない」

 

 かすみは口を開けたが。すぐにその唇を噛んだ。

 

 なんてことだ。なんていうことだ。

 戦う力を、最強の怪仏を――黒幕の思惑によるものだとしても――得たというのに。

 共に戦える力、皆を守れるだけの力を――あまりに危険な、強大なものだったとしても――得たというのに。

 それを、すぐに奪われるなんて。こんなとき、戦わなければならないそのときに、皆を守れないなんて。

それどころか、力を奪われたせいでこんなことに。――私のせいで。

 

 噛み締めた唇は、血の味がした。

 

「……、ス」

 うつむいた斎藤の拳は堅く握られ、震えていた。

 

 かすみは顔を上げる。

 そうだ、私だけじゃない。この人だって。

 

 そう思う間に誰かが、ずい、と前へ出た。

 それは華やかな衣に包まれた薄い背を、ぐ、と反らし、豊かな胸を張ってみせた。力強く腕組みをし、強く鼻息を吹いていた。かすみのもう一体の怪仏、吉祥天は。

 

 かすみは目を瞬かせたが、気づいた。――そうだ吉祥天、吉祥天がいた。宝輪を放って毘沙門天を助けてくれていた、その力でなら私も戦えるかも――

 

 口角を上げかけていたとき、崇春が声を上げた。

「気に病むことはないわい、元よりこれはわしらの務め。二人とも、充分過ぎるほどようやってくれた。……どうか、下がっちょってくれい」

 

 

 かすみの表情が固まる。

 その代わりのように吉祥天が頬を膨らませた。しきりに自分と至寂らを指差し、殴るような手まねをしている。噛みつくように歯を剥いた。

 

「……ウス。ここは、危険……ス」

 かすみらの前を塞ぐように、斎藤が太い腕を出す。

 

 そうだった、吉祥天が無力ではないとしても。それだけの力では自分の身を守れるかさえ怪しい。なら、かえって足を引っ張ってしまう。

だからこの場の正解は、かすみが崇春たちのためにできる行動は――『戦わない』。それしか、なかった。

 

 唇をまた噛み締めながら、吉祥天の背に手をやって――斎藤の腕をぽかぽかと叩いていたが――促し。斉藤と共に下がっていく。

「……あの、もし、怪我したら……私が、引き受けますから」

 その声は震えて、届いたか自信がなかった。

 

 

 一方。円次は(ほが)らかに帝釈天へ笑いかける。

「オイオイ、オッサンよォ? 人が超~悪ィぜ、やっぱお芝居だったじゃねェか。ええ?」

 

 帝釈天は肩を揺すって笑う。

「――いやいや、許せ! 我が立場も察してくれぬか、はいそのとおりです、とも言えぬであろうが! いやしかし、貴様も大した慧眼(けいがん)よ。さすがは我が見込んだ男よ!」

 

 へら、と円次は表情を崩し、全身から力を抜いていた。

「そっかァ? そう言われたらまァ、悪い気はしねェなオイ。それよりよ――」

 

 帝釈天は片手を衣の内側へ差し入れ、胸をかいていた。

「――くっははは、許せ許せ! どうだ、ここは一つ? 茶でも飲んで今一度話し合いと――」

 

 瞬間。互いに斬りかかっていた。全く同時に。

 円次は腰の刀を居合い抜きに放ち、帝釈天は懐から抜いた独鈷杵(ヴァジュラ)の刃を繰り出して。

 

 火花を散らして刃がかち合った後。刀身を(ひるがえ)してつばぜり合いの体勢となり、笑顔のまま円次が言う。

「それより。やっぱ先に、突き殺しときゃ良かったぜ……!」

 

 同じ表情で帝釈天が言う。

「――そのとおりよ、愚かなことよ……話し合いの余地など、徹頭徹尾どこにも無し……!」

 

 次の一瞬、円次が素早く身を引く。

 

 遅れて独鈷杵(ヴァジュラ)の刀身から電撃が爆ぜ、先ほどまで円次のいた場所で空しく火花を上げた。

「――勘の良い奴よ。だが逃がさぬわ!」

 電撃がさらに膨れ上がり、帝釈天の視線が円次を捉える。

 

 そのとき。

「【広目一矢(こうもくいっし)】!」

 矢のように飛ぶ一の字、墨で構成されたそれが電光に打ち当たった。弾ける音と共にそれらは火花と飛沫となり、互いに散る。

 

 その様を確認することもなく、百見は次の筆を(ふる)う。幾度も、幾度も。

「【広目連矢(こうもくれんし)】!」

 声と共に無数の矢が飛び、帝釈天を狙う。

 

「――ふん……【散雷の帝網(インドラジャーラ)】!」

 帝釈天が独鈷杵(ヴァジュラ)を握った手を地に叩きつける。同時、その体の周りを無数の電光が地面から宙へと走った。それらは縦横(じゅうおう)につながり、あるいは重なり。まるで帝釈天を包み守るかのように火花を散らした。彼を包む網のように、あるいは(かご)、あるいは(おり)のように。

 

 百見の放った墨の矢が、電光の網と打ち合って次々に散る。

網の隙間をくぐり抜けようとした幾本かの矢も、迎撃するように網から飛び散った火花に巻き込まれ、黒い飛沫となって地に落ちた。

 

 未だ自らを囲む(いかずち)の網の中、地に手をついたまま帝釈天は笑う。

「――天網恢恢(てんもうかいかい)()にして漏らさずとはよく言うたもの。帝釈天の宮殿を飾る網、その結び目一つ一つに付けられた宝珠。その表面には他の宝珠の輝きが映され、他の宝珠もまた他全ての宝珠の輝きを映し、渾然一体となっている……我が帝網(たいもう)の電光もまさにそれよ。全方位への防御、(うぬ)らが如何(いか)に――」

 

 だが。矢は電網に打ち落とされたものばかりではなかった。いくつかのもの、決して少なくない数が的から逸れ、ただ地面に打ち当たっていた。

 そして、その地面から――電撃に蒸発させられることなく落ちた矢が、元の墨となって溜まるそこから――水墨画に描かれるような、黒い龍が立体となって飛び出る。帝釈天を取り囲むように、四方八方から何体も。

 

「【墨龍縛鎖(ぼくりゅうばくさ)】」

 百見の声と共に、龍らは電撃の網へと絡みつく。我が身を火花に焦がしながらも、その体でその爪で電網をねじ切ろうと、その牙で咬み切ろうとするように。

 

 果たして、盛大な火花と、墨の匂いのする蒸気と共に。黒い龍と電撃の網はもろともに散っていた。

 

「――ぬう!?」

 その光景に眉根を寄せ、呻いた帝釈天だったが。次の瞬間、何かに気づいたように目を見開き、背後を振り向く。

 首元に振り上げた独鈷杵(ヴァジュラ)と、まさに振り下ろされていた円次の刀とがかち合い、甲高い金属音を上げた。

 

 円次はそのまま、刀を立てて身を寄せる。つばぜり合いに持ち込むかと思えたが、相手の足を踏み、動きを止めると同時。流れるような動きで柄頭(つかがしら)を打ち出し、帝釈天のあごをかち上げた。

 

「――が……!」

 

 そこへ背後から、広目天が筆を(ふる)う。

「【広目一筆】!」

 

 帝釈天はよろめきつつも横へ跳び、どうにか身をかわす。広目天の筆跡の端が、その衣の袖をちぎり飛ばした。

 

 円次と百見はさらに追撃しようとするも、独鈷杵(ヴァジュラ)から幾筋か電撃が放たれる。その間に帝釈天は大きく跳び退き、荒く息をついた。

「――おのれ、小憎(こにく)らしい……!」

 

 円次は無言で刀を構え、じりじりと帝釈天へ間合いを詰める。今このときも、攻勢を続けているかのように。

 

 百見は万年筆で帝釈天を指す。従う広目天は筆を構え、同じく帝釈天に視線を向けた。

「東条紫苑のために時間を稼ぐつもりだろうが、そうはいかない。手短に倒させていただくよ。……そういうわけで悪いが、仏法者としての救いは期待しないでくれ。広目天(かれ)の筆が引導(いんどう)代わりだ、迷わず手早く逝くがいい」

 

 視線を敵へ据えたまま、わずかに顔を横に向けて声を上げる。

「崇春! そっちは頼んだ、他と連携させるな! 頼むぞ、今こそ目立ちの時だ!」

 

 

 

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