かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~   作:木下望太郎

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六ノ巻33話  誰の人生だ

 

 気づけばそこに、かすみのいる場所に雨は降っていなかった。夜ではなかったし、かすみはその場に立っていた。

 紡の記憶の中の、夜の庭ではなく。元の、小さな神社の境内――それを模した異界の一角――にいた。

 

 紡の記憶を体感してから、かすみのひざは震えていた。

 

 そして、広目天につかまれたままの紡自身もまた、ひどく震えていた。

 小刻みに速まった呼吸の下から、時折かち合って鳴る歯の向こうから、彼女は言った。

「どうだ……見たか。見たか!」

 

 誰も何も言わなかった、目をそらし、うつむいたままでいた。

 

「おう。確かに、見せてもろうたわい」

 だが。崇春だけが、紡へ深くうなずいた。

 

 未だ唇をわななかせながら、紡は無理のある笑顔を浮かべる。

「どうだい、まあまあの見世物だったろ? 見物料取るとこだぜ」

 

 崇春は重く、首を横に振る。

見世物(みせもん)などではない。お(んし)の、人生よ」

 

 紡の震えが止まり、頬が引きつる。

「人生? お(んし)の、じんせえだって? それは誰のだ。誰の人生だって言うんだよ!」

 

「むう……」

 視線をそらすことはなかったが、崇春も口を横一文字に結ぶ。

 

 ややあって紫苑が口を開いた。

「……あの頃。僕は大暗黒天を完全なものとすべく、片割れたる伊舎那天(いしゃなてん)を探していた――挨律(あいりつ)が妻の腹にいる紫苑に憑けた、大暗黒天は不完全だった。大黒天と大自在天、その二体の力を持つのみだった――。そこで僕は、大暗黒天の使いたる(ねずみ)に模した分霊を放ち、広範囲に探索を続けていた。同体たる怪仏ゆえ、(分霊)を近づければその存在を感じられるのでね」

 

 視線をうつむけたまま続ける。

「そしてあの夜。斑野(まだらの)町の山中、まばらに人家が見られる辺り、そこで伊舎那天の存在を感知した。(分霊)は視界に映った映像を送ってきたよ。車通りの少ない夜道を歩く会社員風の酔っ払いと、彼に憑いた伊舎那天の姿を。それで僕は、ジョギングを装ってジャージ姿で走っていった。息が切れないようのんびりと、ね。近くまで来たものの、大雨に降られて参ったもんさ。正直一日泳がせておいて、明日にしようかとさえ思った」

 

 紫苑の言葉が止まる。うつむいたまま、小さく唇を噛んでいた。

「……そんなこと言ってる場合じゃなかった。僕がもう一度(分霊)の目から、伊舎那天と結縁者(けちえんじゃ)の様子を見たときには。……すでに、紡と、母親は」

 

 かぶりを振る。

「それからそこへ走ったが。よほど慌てていたんだろうね、間抜けなことに僕も刺された。まあその傷はどうとでもなる、だが紡は。僕が父親を打ち倒し、伊舎那天を回収したときには、呼吸をしていなかった。脈拍は……どうだろうね。一応手首を触ってはみたが、分からなかった。僕自身の鼓動がひどく打つばかりでね。……とにかく無理やり弁才天を憑けた、大暗黒天の一部と共に。だが、もしかしたら。あるいはその直後ぐらいには、死んでいたんじゃないかな。医学的なことは分からないが」

 

 小さく、長く息をついた。

「……それでも、無理やり外から弁才天を操り、大暗黒天の力を使わせ。虫の息だった母親と、打ち倒されていた父親を、吸収させ。後はとにかく、心臓マッサージをしていたよ。生きているようには見えなかったんでね」

 

 むうぅ、と低く(うな)った後、長い沈黙の後。崇春は言った。

「……わしが、わしらがお(んし)らに、言える言葉があるのかは分からん。あったとして言うべきか、共感を抱いてよいのかも分からん。それでも、これだけは言わせてくれい」

 

 紫苑の目を見、紡の目を見て言った。

「……つらかったの。いや、今もつらいじゃろう」

 

 二人の反応が返る前に、崇春は声を上げた。

「じゃが、それよりも。これだけは聞かせてくれい……何故(なにゆえ)(んし)らは『死の超克』を望む。それではまるで――」

 

「まるで。『僕らと同じ者を作り出そうとしている』――そのとおりだよ」

 紫苑は自らの顔に手を当てていた。その手がかきむしるように、握り潰そうとするかのように震える。

「ああ、そのとおりだ。世界の全てを、あらゆる命を『僕らと同じようにしてやる』――それが、僕らの望みだ」

 

「……どういうことじゃ」

 

 震える手の下で、紫苑の顔は笑っていた。そして震えていた、頬がひどく引きつっていた。

「……ひどいもんだぜ、この体は。そもそも自分の体と言っていいのか、それさえも分からないが。まあある意味では便利かも知れないね、何しろこれは『決して死なず、決して老いない』」

 

 紫苑は手を下ろす。無理に歯を剥き出して、不自然に笑っていた。

「やってみたことがある、この体がどこまで生きるか、僕の中の時を速めて。……どうも、どこまでも生きるらしい。ある程度以上老いたら、ご丁寧にも勝手に体の時が巻き戻る。周囲の生命を吸って、また若々しくね。――僕が生まれ出たとき、至寂にあれを与えるのには苦労したよ。寺院へ持って帰る偽の証、怪仏と一体化した師とその妻子、それを倒したという偽の腕。ある程度齢を取ったところで、無理やり腕を切断して若返りを止め、どうにか壮年男性の腕を作り出せたが」

 

「それは……」

 

 崇春が何か言いかけたが、紫苑は構わず声を上げた。

「なあ。どこにいるんだ、いつまでも生きる者が。どこにいるんだ、いつまでも老いない人間が。やがて明らかに不自然な年齢、明らかに不自然な存在となったとき、どこに行けばいいんだ僕らは。どこにいればいいんだ、どこにならいてもいいんだ? 僕と、紡は!」

 

「……むう」

 崇春は(うな)りながらも、困ったように眉を下げた。

「じゃが、それならいっそ、お(んし)らの怪仏を解除してしまってはどうなんじゃ? あるいは一体化してしもうておるのやも知れんが、それこそ一字金輪の力で、一体化を解くよう望んでは」

 

 百見が眉を寄せる。

「いや、おそらくそれは――」

 

 その声をさえぎるように紫苑が笑った。吐き捨てるような声を上げて。

「は。ははは、はは。なるほどなるほど当然の案だ可能だろう、可能だろうね、多分それは。だが……それを為したとき、僕らはどうなる? そのときいったい、僕らはどこにいる」

 

 歪んでいた紫苑の表情が、消えた。

「僕の出生のことを知っていると言ったな、なら分かるだろう。『そもそも東条紫苑という人間が、この世に生まれ出ていたか?』」

 

 

 かすみは思い出していた。至寂の記憶の中で見た光景を。

 ――至寂の師、つまり紫苑の父は、未だ妻の胎内にいる紫苑へ大暗黒天を憑けていた。

 そして至寂が、両頭愛染が師と妻を刺してしまったとき。大暗黒天は紫苑を護るため、その力を以て周囲の生命を吸収し一体化させた。すなわち紫苑と、父と母と。母についていた荼枳尼天(だきにてん)と、大暗黒天自身とを。

 そうして生まれ出た赤子は、紫苑と名乗り。至寂へと語りかけていた――。

 

 

 見る間に紫苑の頬が歪み、震え出す。内から爆ぜるのをこらえているかのように。

「……どこにいる。どこにいるんだ、生まれてすぐに喋り出す赤ん坊が! その時点で自我を持ち、明確に思考する人間などが! どこに存在するというんだ!」

 

 崇春の眉がきつく寄る。

「じゃが。じゃったらお(んし)は、東条紫苑は……いったい何者だというんじゃ」

 

「知るかそんなもの僕が聞きたいっっ!!」

 頭に(いただ)いた冠を振り回すかのようにして、東条紫苑は()えていた。喰らいつくように口を開けて。

 

 その頬が引きちぎれそうなほどに震える。常に楽しげな笑みか穏やかな表情を崩さなかったその顔が歪み、内から赤く染まっていた。

「僕こそ知りたいそれを、あのとき喋っていたのは誰だ、そして今喋っている僕は何だ! この僕はあのときの僕だ、だがそもそもあのときの僕は誰だ? 父・挨律(あいりつ)か、違う、母・(かなで)か、違う! 大暗黒天か違う荼枳尼天(だきにてん)か違う赤子の紫苑か、違う!! なら! 僕は! 何だ!!」

 

 肩を大きく上下させる、紫苑の荒い呼吸音。それだけが辺りに響いていた。

 

 ややあって汗を拭い、紫苑が言う。

「いや……すまない。分かっているさ僕だって、あのときの僕が言ったとおりの者だって。両親と子と怪仏、それらが混ざって一体となった者、それが僕なのだろう、って。……だが、だからこそ。もしも『怪仏との一体化を解いたなら』。そのとき『この僕は、どこにいるんだ?』」

 

 開いた両手に視線を落とす。その手は、震えていた。

「……いや、僕はまだいいのかも知れない、だが紡は。……死んでいたんだぞ彼女は、怪仏を憑けられてほどなく、おそらくその時点で。それが一体化を解けばどうなる? ……聞くまでもない」

 

 百見が口を開いた。

「待って欲しい。……だとすれば、あなたは。『自分たちの、怪仏との一体化を解くことはできない』、つまり『業曼荼羅(ごうまんだら)を構成するための七宝、それを完全に揃えることは不可能』。……それを知っていて、なぜ業曼荼羅(ごうまんだら)を」

 

 紫苑は小さく鼻で笑う。

「分かっていたさ。不完全にしかならないことも、そもそも怪仏の力に拠る願い、『必ず歪んで叶う』ことも。……構うものか」

 

 拳を握り、()える。

「構うものか! 僕らの願いが歪もうと不完全だろうと、この世がどうなろうとも! 本当の願いが叶うことなどない、『元の自分たちに戻りたい』などと! その『元』がどこにも無い……!」

 

 ため息のように、紡の口から言葉がこぼれる。

「私だって、両親に死んで欲しかったワケじゃないけど。生きてて欲しいってワケでもないさ。それに、もし『元の鈴下紡と両親を生き返らせて』と願ったとして、それがもしも叶ったとして。紫苑と出会ってからの私、色々混ざった『今のこの私』はどこへ行くんだ? 無かったことになるのか、つまり……死ぬのか。『生き返ろうとしたら、死ぬ』」

 

 唾を飛ばして紫苑が叫ぶ。

「構うものか、この世などがどうなろうと! 僕らの願いが叶わないならば! いるべき場所が無いならば! ――この世の全てを、同じにしてやる」

 

 表情が消えていた。紫苑も、紡も。彼らの目だけが、(くら)く燃えるような輝きを帯びて見えた。

 紫苑の口から低く低く、擦り切れるような声が響く。

「そうだ同じにしてやるよ、亡くす心配などは無い、最高の命を与えてやるよ。死への恐怖から解放して、全ての命を救ってやるよ。……死にかけた者は再び生きよ、周囲の命を喰らい、混ざって、新たな一つの命として。そうして永遠(とわ)に生きるがいい、僕のように。……それでようやく、僕の気持ちが分かるだろうよ」

 

 崇春が目を剥き、声を詰まらせる。

「むうう……!? じゃが、じゃがしかし! それではただの八つ当たりじゃ、お(んしら)は何も救われん……!」

 

「ああそうさ、そのとおりだ。これはただの八つ当たり――」

 紫苑は(くら)く笑っていた。その口の端が、頬が吊り上がる。赤く口腔が見えるほどに。

「不完全だろうが構わない、いくら歪もうとそれでいい。その八つ当たりで滅ぶがいい、この世よ! いや、永久(とこしえ)に栄えるがいい……どこまでも歪み続けながらなぁ!!」

 

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