かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~   作:木下望太郎

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六ノ巻35話  怪仏と一体たる者

 

「どういう、ことだ……?」

 つぶやいたのはむしろ、打った側の紫苑だった。

 両腕がちぎれ――あるいは紫苑の力を受けてかき消され――、のたうち回る崇春を見下ろしながら。

 何か警戒したように――あるいは単に不気味がってか――後ずさる。

 

 未だ上がり続ける崇春の叫び声の下。同じく叫ぶように、百見が声を上げた。

「くそっ……しっかりしろ、しっかりしろ崇春! 気を確かに持て! 何てことだ……!」

 

 傍らの広目天が筆を掲げ、崇春の両腕へと(ふる)う。一の字を取った墨跡は輪を描くように曲がり、渦を巻いて両の傷口を覆い。結び目を作って締めつけ、とにもかくにも出血を止めた。その隙間からなおも血がにじんではいたが。

 

 そう、大きな出血は止まった。だが崇春が横たわる地面の上にはすでに、赤黒い染みが絨毯(じゅうたん)のように広がっている。

 

「ぁっ、ぁ、がっ……がが、が……!」

 青ざめた顔で――はっきりと、見て分かるほどに青ざめた顔で――崇春は、歯を食いしばる。その歯の間から(うめ)き声を洩らしながら。

 

 握り締めた拳を震わせ、うつむいたまま百見が言う。

「くそぉっ……だから、だからやらせたくなかったんだ!」

 その姿勢のまま一息に続ける。

「君の力は怪仏を()ぶものではない、だが。増長天の力をその身に宿す、君自身を怪仏の力で満たす……ある意味、怪仏と一体となる。ゆえに、怪仏を打ち消す彼の力、受ければ君自身の肉体も、共に消されてしまう可能性が……!」

 

 その声は、崇春の呻きの下からでもはっきりと聞こえた。まるで全員に聞かせるように、あるいは自身に言い聞かせるように。

 

 紫苑は黙ってその様子を見下ろしていたが。やがて目をそらした。

「ふん……余計なことをするからだ。あるいは君が、世界最後の死者となるか……哀れなものだ。いや、むしろ幸福なことか」

 

 無表情な顔を背けた。そのまま背を向け、崇春らから離れていく。

「何にせよ分かっただろう、君たちには何もできない。……せめてもの情けだ、彼の手当てがしたいならご自由に。その間に、僕らは望みを果たさせてもらおう……大日金輪の力を使い、この世の(ことわり)を書き換える。たとえ歪もうが、不完全だろうが、ね」

 

「待てよ」

 感情のこもらない声で言ったのは円次だった。

 

 紫苑が振り返った、そのときにはもう、円次は跳び込み。その胴へ向け、抜き身の刀を突いていた。現出させ直した【持国天剣】、その柄の端を握った、槍のような射程の左片手突き。

 

 しかし紫苑は当然のように、光をこぼす手を掲げていた。

 その体を覆う光に、まるで吸い込まれでもするように。突き込んだ端から音も無く、刀身が消されていく。

 

「じゃあらぁッ!」

 円次の動きはそれで終わりではなかった。隠すように背後に提げていたものを振り上げ、叩きつける。

 竹刀。近くに転がっていた、おそらく黒田のもの。これなら怪仏の力に拠るものではない、消されはしないはず。

 

 流れるような軌跡を描き、竹刀は宝冠ごと紫苑の脳天を打った。高い音を立てたそれは剣道なら一本、真剣を振るえば頭蓋(ずがい)へ食い込んだだろう一撃。

 

「で?」

 それを受けたまま、紫苑は首をかしげてみせた。

 

「何……」

 

 円次が残心――反撃を想定し再び身構える動作――を取る前に、紫苑は竹刀をつかんでいた。

「なるほど、一見いいアイディアだが。お忘れかな、僕はそもそも――今はさらに――『怪仏と一体となった者』。怪仏に対して『怪仏の力に拠らない攻撃はほぼ通じない』。僕もまた、そう」

 

 円次が身を引くよりも早く。光を帯びた紫苑の蹴りが体を打った。

 円次は声もなく宙を飛ばされ、立木に背中から打ち当たり、倒れた。

 

 かすみと黒田が攻撃されたときもそうだったが、紫苑の身体能力も、もはや人間のものではない。それはまさに怪仏の力。

 

 そう思う間にも円次は地面に片手をつき、もう片方の手で竹刀を突き出し、震えながら立ち上がろうとし。

 

 そのときにはもう、紫苑が滑るような動きで――低く宙を舞うような、光が(ひらめ)くようなな速さで――踏み込み、再び円次へ蹴りを放っていた。

 

 折れる音がした。掲げた竹刀が、円次の前で。そして体ごと突き込まれた立木が、円次の背後で。あるいは円次の中でさえ、同じ音が鳴ったのではないか。

 声もなく口を開けたまま、焦点の合わない目をして。円次はゆっくりと倒れていった。自らの脚よりも太い、背後の立木と共に。

 

「野っ……郎っっ!」

 隠れていた茂みの葉を散らし、渦生が立ち上がっていた。

 不精ひげの散る頬をひどく震わせ、印を組むのももどかしく――実際それは、ただ両手を握り合わせただけの形にしかなっていなかった。握り潰すような力を込めて――言い放つ。

烏枢沙摩(うすさま)、野郎をブチ殺せっ!」

 明王は燃えるような目で紫苑をにらみ、火の粉を散らす矛を振り上げる。

 

 茂みの端から賀来も顔を出す。渦生と紫苑、倒れた円次を、中腰のまま見回していた。

「え、え、ちょっ、待って、ええぇ!?」

 賀来が戸惑う一方、アーラヴァカの多腕は再び武器を現出させ、手に手に携えていた。その半数ほどが守るように賀来の体に寄り添い、残る半分は(げき)(つるぎ)を、翼を広げるように振りかぶる。

 

「哀れだね」

 しかし、二体の明王が力を振るうその前に。光が(ひらめ)くように、紫苑はもう踏み込んでいた。渦生の目の前、鼻と鼻とが当たるような距離に。

 

「な――」

 渦生がそれでも、無理やり放った炎を。

 紫苑は虫でも追うように片手で払い退け、もう片方の掌で渦生の体を打った。

 

 渦生も烏枢沙摩(うすさま)も、中途半端に身をかがめていた賀来も。まとめて打ち倒され、茂みを折り取りながら重なって倒れた。

 

「――おのれ……!」

 賀来が――右目を金色に輝かせたアーラヴァカが――()い出し、いくつもの腕を振るう。

 土を巻き上げた風が紫苑へと向かうが、それも手の一払いにかき消された。風の一端が、そよ、と前髪を揺らしたのみだった。

 

 紫苑は賀来の方へ歩み。高々と足を上げ、音を立てて踏み下ろした。アーラヴァカの多腕へ、害虫を踏み潰すように。

 

「――が……!」

「ぁっ、ぅあああぁ!?」

 

 光をまとう足が多腕のうちのいくつかを踏み抜き、消し去り。

 アーラヴァカは、賀来は、同じ口で悲鳴を上げていた。

 断面を見せた鬼神の腕は血を流し、別の手がそれを押さえる。

 その影響を受けた賀来の腕からも――崇春のものほど致命的ではないにしろ――複数の箇所から血がにじんでいた。

 

 血が赤く染めた地面の上、震えながら倒れたままの崇春。横で歯を噛み締める百見。

 ぴくりとも動かない円次。四つんばいのまま、そちらへすがりつこうとする黒田。

 頬を震わせて紫苑を見上げる渦生。腕を押さえてもだえ、未だ小さく悲鳴を上げる賀来。

 そして、木の陰に身を隠したまま、何もできてはいないかすみ。

 

 東条紫苑は見下ろすように、辺りを見回し。そして小さく息をついた。

「哀れだね。多くの怪仏と対峙してきた、君たちが揃いも揃って。この僕一人どうにもできない。実に哀れだ、無力というのは」

 

 そこでうつむき、視線を落とした。

「とはいえ。僕もまた無力か、本当の望みを叶えることもできない。本当の僕を取り戻すことなど――そんなもの、どこにもいなかったのだから」

 

 髪をかき上げる。腕で腕釧(わんせん)が、頭上で宝冠の飾りが揺れ、金属の擦れ合う音を立てた。

「まあ……いい。まったく哀れだということさ、僕らも、君たちも。せめてもう、死の憂いのない世界に行こうじゃないか……僕らと同じに、あるいは永遠にね。そこは無論、地獄以外の何ものでもないが」

 

 崇春や賀来の(うめ)きが重なり響くそこで。

 

「オン・シチロクリ……ソワカ」

 かすみは陰から身を現し、返答を口にした。

 あるいは問うような紫苑の言葉へ、多聞天の真言と印を以て。

 

 

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