かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~   作:木下望太郎

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六ノ巻36話  失われた両腕を

 

 印を結んだかすみへ、紫苑はむしろ笑いかけた。

「おや、君もいたか。その節はありがとう、毘沙門天を運んできてくれてね」

 それから小さくかぶりを振る。

「だが、無理なことはしない方がいい。君に残された吉祥天の力など、時間稼ぎにも――」

 

 崇春の(かたわ)らにしゃがみ込んだ、百見が声を上げる。

「待て谷﨑さん、無理だ……!」

 

 百見の言う『無理』は、紫苑の言った『無理』とは違う。『通用しない』という意味ではなく『今は通用しない』、そういうことだ。

 予想したとおり、紫苑は多聞天のことを知らない。今のかすみには吉祥天の力しかないと思い込んでいる。

 そこを利用して、不意を突くことができれば。たとえば他の者が戦っているうちに、多聞天で強襲できれば。紫苑を倒す一手となるかも知れない――かも知れない、だ。紫苑に未だ大暗黒天の回復力がある可能性も高い。というより紫苑の口振りからすれば、あると考えた方がいい――。

 だが、皆が戦っていた今までの間、紫苑に隙など無かった。誰もが一方的に薙ぎ倒されるのみだった。

 

 そして、今。正面から多聞天をぶつけたところで、同じ結果になることは目に見えている。

 だが、それでも。今、()ぶしかなかった。紫苑の目論(もくろ)みを止められるのは、いや、わずかでも時間稼ぎができるのは、かすみしかいなかった。

 

「オン・シチロクリ・ソワカ、オン・シチロクリ・ソワカ。来て、私の(もと)に。戦いなさい、私と共に! 帰命頂礼(きみょうちょうらい)、多聞天!」

 

 白いもやが立ち昇り、それを散らして現れる。漆黒の明光鎧(めいこうがい)に身を包み、左手に宝塔、右手に宝棒を携えた多聞天。

 

「何だと……?」

 

 いぶかしげに眉を寄せた紫苑をよそに、かすみは(めい)を飛ばす。

「多聞天! 皆を助ける、あの人を止めて! それを……そこへ!」

 かすみが目で指したのは多聞天の左手。指で指したのは紫苑ではない、手前の地面。

 

「――御下知(ごげち)のままに!」

 多聞天は聞き直さなかった。おそらくは言葉以上に、かすみと(ごう)でつながっているゆえに、伝わるものがあるようだった。

 

 そして、多聞天はためらわなかった。

 左手の宝塔『普集功徳微妙(ふしゅうくどくみみょう)』。全ての経典八万四千を収めたというそれ、それゆえの超質量を持つそれを。

「――そぉらあああああ!」

 かがみ込みながら、地に叩きつけた。

 

 大砲を打ち込んだような轟音が響き、地が揺れる。底から揺さぶられるように、誰も立ってなどいられないほどに。

 境内の石畳が浮き上がり、躍った。木々の枝葉が激しく擦れ、(やしろ)(きし)むような音を立てる。

 

「何ぃっ!?」

 声を洩らした紫苑は足下を揺さぶられ、こらえ切れず倒れていた。

 立っていた紫苑と紡、紡を捕らえたままの広目天。彼らも皆転んでいた。

 かすみと吉祥天は転ばなかった、直前にかがみ込んでいた。

 そして。そうなることを知っていた分、誰よりも早く立ち上がれた。

 

「やりなさい! もう一度!」

「――承り、ましたぁあああ!」

 

 多聞天は、埋もれるように地に刺さった宝塔を両手で引っこ抜き。軽く投げ上げ、宝棒『震多摩尼珠宝(しんだまにじゅほう)』で打つ。テニスかバドミントンのサーブのように、倒れたままの紫苑の方へと。

 

「ぐ……!」

 身を起こしつつ、打ち消すべく光を帯びた手を掲げる紫苑。

 が、その手は何にも触れることはなかった。

 

 宝塔は紫苑の遥か手前で、再び地に打ち当たり。

 小さく地面を揺らしながらひび割れ、砕け。中身を宙に散らしていた。

 すなわち、全ての経典。その数八万四千を、宙に。

 

「なぁ……!?」

 

 掌に載るほどの宝塔に、いったいどのようにして入れられていたのか。巻物が、紐でつながれた竹簡(ちくかん)の束が、和()じの書物が。広がり、破れ、あるいは閉じられたまま。全て解き放たれていた。

 紫苑の目の前に、そして頭上に広がり、もつれ、重なり合い。紫苑の上から重なり、重なり、その体を()し潰すように山を成した。総重量数トンを越えるであろう、八万四千の経典が。

 

「な……が、あ……おの、れ……!」

 だが、経典の山の下からかすかに紫苑の声が響き、光が漏れる。そして山がわずかに内へと崩れ、その背丈を縮めた。どうやら紫苑が中で、山の下で、経典を――多聞天の力で現出されたそれを――かき消し始めている。

 

 無論、そのこと自体はかすみも予想していた。時間稼ぎにしかならない、決定打にはなり得ない。

 あるいは経典の山の上から、多聞天の剛力で打撃してもよいかと思えたが。かき消す光の流れ弾を食らってもいけない、やるべきではなかった。

 それよりも。時間稼ぎをしているうちに、すぐさまやるべきことがあった。

 

 経典の山に背を向け、腕を振って走る。滑り込むように、その人のそばに向かった。

「崇春さん!」

 

 崇春は、かすみの声に反応もしなかった。両腕を失った崇春は。

 赤茶けて湿った地面の上、あお向けに横たわり。焦点の合わない目を天に見開き、わずかに震えた。僧衣の端を地面と同じ色に染め、両腕のひじから上、傷口を広目天の墨跡できつく縛られて。その墨跡も今は朱が混じったように、赤くにじむ血に濡れている。

 

 崇春の顔をのぞくようにかがみ込み、印を結びながら、かすみは。

震えながら、唾を呑み込んだ。

 

 やれるのか。――やれるはずだ、吉祥天が多聞天の姿となった今でも【吉祥悔過(きちじょうけか)】の力は使えるはず。他人の傷や受けた打撃を、かすみが一部肩代わりして癒す、その力を。

 やれるのか。――やれるのか? 崇春のこの傷、両腕を失ったこの傷を? 一部にせよ、肩代わりを? 

 やれるのか? 本当に? できるとしてそれはどこまでだたとえば腕を失うのではないかかすみも、あるいは傷を受けるにしても障害が残るほどにかだいたいそうしたところで崇春の傷は治るのかどこまで、失った腕消し飛ばされたそれが生えてくるとでもいうのかそれとも傷がただ塞がるだけかいやしかし今やらなければ崇春が死ぬ間違いなく死ぬそれに世の中が大変なことに、いや、それでも、しかし――

 

 しかし。背筋に首に、刃を突きつけられたかのような冷たさを感じ、震える。

――やれるのか? 

 

 同じくかがんだ、多聞天がかすみの顔をのぞき込む。その視線はかすみと崇春の間を何度も行き来し、しかしそのどちらも見据えようとはしていなかった。

「――()が君よ。……お止め()なさりませ。このようなこと、()が君がその身を――」

 

 弾かれたように、火をつけられたように、かすみは叫んでいた。

「早くしなさい!!」

 

 恥ずべきことだが――かすみのどこかが頭の隅でそう考えた――、優しくはできなかった、気づかってくれた多聞天に。

ぶちまけるように声を叩きつけていた。

「さっさとしなさい後がつかえてる!」

 

 視線で一瞬指す、折れた木の横で倒れたままの円次を。

「今やらないと多分死ぬ二人ともっっ!! 早くしなさい私に後悔させる気かっっ!!?」

 

 多聞天は目を見開いたまま震えている。

「――でっ、御座りますがっ、しかし」

 

 唾を飛ばしてかすみは怒鳴った。目の端で涙がにじんだ。それも唾と一緒に吹っ飛んだ気がした。

「は・や・く・しろおぉぉっっ!!」

 

「――はっ……ははぁっ!!」

 地に擦りつけるように頭を下げた後、懐から上側の尖った宝珠を取り出す。透き通ったそれを崇春の傷口につけた。

 

 そのとき。焦点の合わない目のまま、崇春が何かつぶやいているのに気づいた。

「…………ソワ……カ……オン・ビロダキャ……ヤキシャ、ジハタ。エイ……ソワ……カ」

 その目が――果たしてかすみの姿が映っているかは分からなかったが――、こちらへ向けられる。崇春の口から小さく声がこぼれた。

「無用……じゃ……助、けは……わし、は……」

 

「崇春さん……」

 今、助けます。

そうつぶやいて、崇春の胸に触れた。分厚いそれは小さく早く上下し、わずかに冷たく感じた。

 そして、印を強く結び直した。

 

 崇春はなおもつぶやいていた。

()ぶ。お(んし)らが、そうするように……わしも、増長天、を……」

 

 無視して、かすみは吉祥天の真言を唱えた。

「オン・マカシリエイ・ソワカ――」

 

 それに重なるように、崇春の口が真言を唱える。

「オン・ビロダキャ……ヤキシャ・ジハタエイ・ソワ、カ……。オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ジハタエイ・ソワカ……夜叉(やしゃ)が王たる増長天に帰命(きみょう)いたす、幸いあれ――帰命頂礼(きみょうちょうらい)……今、ここに。来たれ、増長天」

 

 黄金(こがね)色のもやが渦を巻いた。未だ血を滴らせる傷口、広目天の墨跡に巻かれた崇春の両腕から。

 それが渦を巻き渦を巻き溢れ出し、盛り上がるようにして形をなし。きつく巻かれた墨跡を、内側から引きちぎった。

 

 両腕の傷口、そこから先に伸びたのは。腕。崇春のそれではない、古木の根の如く太く荒々しく節くれ立った、鬼神(おに)の腕。

 たくましかった崇春の腕より、どころか脚より遥かに太い。堅く膨れ上がった、丸太のような筋肉の固まり。さらにはすねに届くほども長い。

 内から光を帯びたような黄色味を持つ肌のそれが。()ぎ木でもしたように(いびつ)に、崇春の腕として生えていた。

 

 崇春は長く太い手を地面につく。野球グローブのように大きな手指が拳の形を取り、土や小石が握り込まれた。拳の中で砕く音を立て、石も砂利も砂となって、指の隙間から流れ落ちた。

 起き上がる。大きな手を見下ろし、砂を払った。具合を確かめるように指を握っては広げる。

「どうにかわしも()べたわい。増長天の腕を今、ここに」

 

「え、……あ……え?」

 

 思わず動きを止めていた、かすみと多聞天に構うことなく。

 崇春はつぶやく。

「さあて、ここからもう少しだけ、目立たせてもらおうかい。(おとこ)崇春、目立ちの時間よ」

 

 大きな拳を分厚い掌に打ちつける、重い音が辺りに響いた。

 

 

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