かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~   作:木下望太郎

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六ノ巻47話  悟っている

 

「え……」

 かすみはそうつぶやいたが、その声が自分でよく聞こえなかった。まるで高所へ上り、気圧差で耳が聞こえづらくなったときのように、遠く隔たった場所の物音のように感じていた。

 

「どういう、ことですか」

 続けて言った声も同じく、遠く聞こえた――どころか、そう口を開いた自分の行動すら、自分がしたことではないように感じられていた。透明の壁を隔てて、誰かがしていることを見ているような、そんな感覚だった――。

 

「どうもこうもない」

 百見は泣くような目をしたまま、再びかぶりを振る。

「言ったとおりさ。崇春は死ぬ。凄まじい力を発揮し、その後確実に死ぬ」

 

「どういう、ことですかっっ!!」

 声を張り上げ、食らいつくような顔で身を乗り出していた。透明の壁などぶち割ったような感覚を伴って。

 それは確かにかすみ自身の行動だったし、その声は自分の鼓膜をもひどく揺さぶった。聞こえないだとか自分ではないような感覚だなんて、のんびりしたことはもはや言いようもなかった。

 

「だから、言ったとおりさ……嘘でも冗談でもない。そうであったなら、どんなにいいかとは思うがね」

 大声の衝撃にか、未だ耳を押さえながら百見は続けた。

「崇春が再び目覚めたときの僕との問答。あれで何が起こったと思う」

 

 一休さんの、屏風の虎がどうのとかいう二、三の問いかけ。この場に関係があるとも思われない問答。あれが何だったというのか。

 

公案(こうあん)。禅問答といえば分かるかな、禅宗で使われる、師が弟子へと課す問い。その目指すところは当然『悟り』だ」

 百見はかすみを真っ直ぐ見、言葉を続ける。

「この問い、はっきり言って理屈や理論で分かるようなものではない。半ば不条理ともいえる、いくら考えたところでたどり着けるはずもない答え、すでに悟っている者でもなければそもそも解けるはずがない……そんな不可能性を(はら)んだ問いかけ。だが、逆に言えば。『解けた者は、つまりすでに悟っている』――その不可能な問いに全身全霊を投げ込み、その不可能な答えにもしもたどり着くことができたなら。そいつは、すでに悟っている」

 百見は一人うなずく。

「だから。崇春は、もう悟っている」

 

 かすみは口を開けて聞いていた。

「……それが、何だっていうんですか。関係ない、それにっ、悟りだなんて、だいたいあんなちょっとの問いでできるような――」

 問いながら頭が熱くなるのを、血が上っていくのを感じた。

 ――何を言っているのだこの人は、崇春が生きるか死ぬかという話をしているときに、今も上空で一人、崇春が戦っているというときに。関係ない、仏教の話だなんて。だいたいあの問答だって必要だったのかどうか――。

 

 しかし、百見はうなずいた。

「そうだ、何でもない。何でもないんだ、悟りだなんて。普通ならこんなときに考えることでもない。だいたいもしも悟ったとして、『良かったね』で済む話だ。そのとおり、人間なら皆誰でもそうだ。――だが、崇春は『人間じゃあない』」

 無表情に――おそらくそうしようと努力して、それでも時折、泣くように目元を歪ませて――続けた。

「『怪仏』だ。怪仏が悟りを開いたらどうなる。『業の塊たる怪仏』が悟りを開き、『全ての業から解き放たれたら』どうなる?」

 

 未だ無表情に――臓物(はらわた)を刺し貫かれたのを隠し通そうとするような表情で――続ける。

「死ぬよ、あいつは。全ての力を使い尽くして、死ぬ。――業、すなわち執着から解き放たれた怪仏は、もう執着しない。自らの体を構成する業すら維持することが不可能になる。全ての業を短時間の内にエネルギーとして放出し、そのまま消滅する。……特に彼は、『全人類の業』を秘めた怪仏。その莫大な力を解き放ち、それを(もっ)てどんな敵をも打ち倒し。この世を護って消滅する」

 

 かすみは目を瞬かせていた。

 何を、何を言っているのだ、この人は。

 頭のどこかがそう考え、しかしまた別のどこかが、百見の話を理解していた。

 

 百見は上空を見上げる。未だ続く、大日金輪と増長天の闘いを。

「この世の重大な危機に際して、最強の怪仏を最強の状態で運用し、この世を護る。それが仏教宗派としての南贍部宗(なんせんぶしゅう)の在り方であり、存在理由。そしてしかるべきときに運用するため、崇春の記憶は封じられていた。自らが怪仏であるという記憶や、自らの存在を削るような強力な技は。うっすらとした幼少期の記憶、偽の記憶を与えられた上で。そして、僕は――」

 

 震えながら、言葉を継いだ。

「僕は、思い出せと――つまりは、死ねと言ったんだ。友に、あいつに、そう言った、また」

 崩れ落ちるように、地にひざをついた。

「言わなければ良かった。言わずに済むものなら、言いたくなんか……なかった。この世なんか、どうなろうとも」

 百見は地に手をついていた。その目は崇春に向けられてはいなかった。背けるように地面へ向いていた。土を握り締める手が震えていた。

 

 

 

 その頃、上空で。

 

「――むうう!」

 崇春はどうにか、迫る光の刃から身をかわした。

 確かにかわした、だが。肌から毛穴から、体の芯から力が抜け出ていくようだった、たちまちに脚が崩れた。

 そこへさらなる刃が迫る。

 

「――なんの! 【無形持物(むぎょうじぶつ)】!」

 崇春の両手から光が伸び、集まって形を取る。それぞれ別の物体を形作った。右手で長い三叉(さんさ)(げき)に、左手で三つ又の短双剣、三鈷杵(さんこしょ)に。それらは崇春を覆う鎧と同じく、いずれも澄んだ金色をしていた。

 

 二振りの武器が光の刀を砕き、打ち払う。しかし崇春の武器もまた、かき消されて光の飛沫(しぶき)と散った。

 

 大日はわずかに目を見開く。

「――武器だと? 君にそんなことができたのか」

 そして、笑っていた。

「――それがどうした」

 別の刃がまたも繰り出される。

 

 崇春の手が輝き、新たな武器を形作る。三鈷杵(さんこしょ)のうち中央の刃を長く伸ばしたような直剣――三鈷剣(さんこけん)――。そして先に(おもり)をつけた投げ縄――羂索(けんじゃく)――。

それを大日の二腕の刀に打ちつけ、あるいは放って巻きつけ、動きを止め。互いに砕き合ったように、もろともにかき消される。

 

 大日自身の腕で振るう、さらなる二刀が目の前に迫るが、崇春はなおも武器を現出させていた。日本刀のような反りを持った、二振りの小太刀。

 タイミングはぎりぎりだった、それでも確かに間に合っていた。肩へ腕へと繰り出された刃を、がちり、と小太刀は受け止めていた。

 なのに。小太刀だけが一方的にかき消され、光の飛沫(しぶき)となって散る。

 そして青黒い光の刀が、刀身の幾分かを散らしつつ崇春の肉体へと食い込んだ。

 

「――ぐぬ……!」

 崇春は無理やり身をひねり、斬り込まれる刃の軌道をそらせた。宙を()んで距離を取る。

 傷口に手をやる。決して深い傷ではない、体の表面を浅く裂かれたに過ぎない。

 だが、治療のための力を使おうとしたとき。ひざが揺らぎ、片膝をつくように体勢が崩れた。いつの間にか呼吸が荒く、肩が大きく上下していた。

 

 大日は変わらずほほ笑んでいた。

「――なるほどなるほど。増長天は他の神仏と違い、定まった持物(じぶつ)があるわけではない――毘沙門天なら宝塔と宝棒か戟、というように決まっているものだが――。逆にいえば、何を持っていてもおかしくはない。それゆえの多彩な武器、といったところか」

 いっそう優しく笑ってみせる。

「――もう一度言おう。それがどうした」

 

 崇春は肩で息をしていた。両足は風を吹き上げ、宙で踏ん張ってこそいたが。背は丸められ腕は垂れ下がり、汗まみれの顔はうなだれていた。

 

 それでも崇春は笑うように、鼻で、ふん、と息をつく。

「――どうしたもこうしたもあるわい。わしは不器用(仏教)な男、怪仏としての力も持物(じぶつ)も、全部が全部使いこなせちょるわけではないわ。じゃが」

 顔を上げる。光るような目――(ふる)い仏像にはめこまれた玉眼(ぎょくがん)、ガラス製の目玉のような――で大日を見た。

「――実践、方便、それこそ究極。たとえその全てが効果を発揮するわけではないにせよ、あらゆる手段で救うてみせる。いや、救いを見せちゃるわい――救われておると、気づかせちゃる」

 

 大日が顔をしかめる。

「――いい加減にしつこいぞ、その戯言(たわごと)も聞き飽きた。もういいだろう、お互い楽になろうじゃないか……君の死を(もっ)てね。【六臂(ろっぴ)たる、蝿声(さばえ)なす不浄の光】」

 蟷螂(かまきり)がその鎌をもたげるように、猛獣が牙を剥くように。大日の二腕と光が形作る四腕がゆっくりと、光の刃を振りかぶる。

 

 崇春のまなざしは変わらない。視線は揺るがない、振りかざされる刃を追ってもいない。ただ、大日の目を見据えていた。

「――しかしまあ、何ごとも実践してみるもんじゃ。頭の悪いわしも、おかげでようやく分かってきたわい。持物(じぶつ)と力の使い方をの」

 

 しゃりん、と澄んだ音がした。見ればその右手から光がこぼれ、先端にいくつもの金輪(かなわ)のついた錫杖(しゃくじょう)の形を取っていた。左手にもいつの間にか小太刀が握られている。

 

「――そんなもの、今さら手にしたところで――!」

 六つの刃が振り下ろされ、六つの方向から斬り込まれ。

 今。その刃がそれぞれ、崇春の前髪に袖の布に鎧の表面に靴底に首筋にまつ毛に、触れた。

 

 次の瞬間、刃は一分(いちぶ)の乱れもなく刃筋の狂いもなく、その先の空間を過ぎ去り。

 その全てが、空振(からぶ)っていた。

 

「――東条、遅し」

 その結果に大日が意外の表情を浮かべる、その動きよりも早く。

 崇春は背中合わせに、大日の背後にいた。その背と背をひたり、とつけ、気づかうように振り向いていた。

 そして。小太刀の峰で、ぽん、と大日の首をはたく。

 

「――な……っ!!」

 大日が振り向きざま、さらなる六腕を繰り出すも。

 

「――鈴下、遅し」

 崇春はまたもそこにはおらず。

大日の背後で背を向け、振り返っていた。

 

「――な! な……」

 言葉を失い、よろめくように距離を取る大日に。

 崇春は地に杖をつくように、しゃりん、と錫杖(しゃくじょう)を打ち鳴らす。その杖先から風が(うな)る。

「【無形持物(むぎょうじぶつ)遍路歴程(へんろれきてい)】。(はや)き風の力(つかさど)持物(じぶつ)、その吹き上げし風による速度にて――」

 

 それ以上を聞こうとはせず、大日は両手を広げていた。

「――受けよ、【全て消えゆく無常の光】!」

 その背に()える光から、翼のような曲線を描く無数の光塊が放たれる。白い鳥の群れが飛び立ったかのように、羽ばたく鳥が羽根を散らしたかのように。

 それらが飛び交い、ひしめき合い。崇春の上下左右前後、丸く取り囲むように満ち。一斉に、崇春へと殺到した。

 

 崇春の表情は変わらない。

「【無形持物(むぎょうじぶつ)氷水不二(ひょうすいふに)】」

 いつの間にか右手の錫杖(しゃくじょう)は消えていた。代わって、小太刀が握られていた。左手の小太刀と合わせて二刀。

 

 左手の小太刀の刀身を、汗でも吹いたように結露が覆う。そして、それに合わせたかのように辺りの空間に霧が立ち、(もや)が満ち。雲となり分厚く全てを覆い、こらえ切れずこぼれるように雨粒を落とし出す。

 

 大日の放った光塊はその雲の中に飛び込み、かき消しゆくもかき消し切れず。むしろ、いや増し湧き上がる雲に押し包まれ呑み込まれる。

 

 そのとき、雲の奥で崇春の右手の小太刀が光る。

 同時。雲は、(もや)は、空に満ちた水は。全て一つの氷塊と化した。荒く削り出したような丸い氷塊。

 その中心で、崇春は小太刀の柄頭で氷を軽く一つ打つ。

 高い音を立て、氷はその内に呑んだ光塊もろとも砕け落ち。雪片となって流れ落ち、風にさらわれて消えていった。

 

 光塊を放った体勢のまま、力なく口を開けた大日に向かい。崇春は両手の小太刀を消し、さらなる持物(じぶつ)を宿す。

「――【無形持物(むぎょうじぶつ)雷霆羂索(らいていけんじゃく)】」

 左手から放ったのは、先に(おもり)をつけた投げ縄。そこにはまるで蛇が絡まり遊ぶかのように、火花を散らす電撃がうねっていた。

 

「――があ……っ!」

 縄が大日の片腕に絡まり、電撃がその身を打ち据える。

しかし大日は光を放ち、雷電と縄を消し飛ばした。

 

 その間に崇春は飛び込んでいた。

「――【無形持物(むぎょうじぶつ)九徹業炎(きゅうてつごうえん)】」

 不動明王が持つものにも似た大振りな直剣。そこには音を立てて燃え盛る業火が宿っていた。全ての業をも焼き尽くそうとするかのような火が。

 その刃が、真っ直ぐに振り下ろされる。

 

 未だ電撃の痺れが残るのか、震える体を無理に動かし、大日が両手を振り上げた。

「―― ぐ、ぬおおぉぉおおっ!」

 眼前に迫る刃を、真剣白刃取りのように挟み、押し止める。刀身から上がる炎に掌を前髪を頬を焦がされながらも、両手から光を放つ。

剣は刀身の中ほどをかき消され、支えを失った切先がぽろり、と落ちた。

 

 その時にはすでに、崇春は次の持物(じぶつ)を放っていた。

「【無形持物(むぎょうじぶつ)大戟土隆(だいげきどりゅう)】」

 その持物(じぶつ)三叉(みつまた)の戟だった、だが大日に向けられてはいなかった。地に向け、投げ落とすように放たれた。

 

 地に突き立ったそれは地を揺らし、震わし。大地が、殻を破るように立ち昇った。

 怒龍の如く隆起した細く高い山が、今。真下から大日を打ち上げ、吹き飛ばした。

 

 

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