かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~   作:木下望太郎

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六ノ巻48話  人界守護者 対 人界破却者

 

 大日を打ち上げた高山が崩れ、幻のように消えゆく中。

 

 肩を大きく上下させ、荒い息の下から崇春は言う。

「――わしは南贍部洲《なんせんぶしゅう》が護王、増長天。すなわち地球そのものを(つかさど)る者。考えてみりゃあ、急に風の力なんぞ思い出したときには、自分でも妙に思ったもんじゃが」

 その手の上で小さく、風が躍る。

「――何もおかしくはなかったわ。地球を(つかさど)る者は当然、その森羅万象(しんらばんしょう)をも(つかさど)り、力とする」

 同じ手の上で今度は雲が立ち雪が舞い、雷が落ち炎が燃える。掌に受け止めた高山の欠片、土の上からは双葉が芽吹く。それが伸びゆき花を咲かせ、花びらを散らせ、枯れて。落ちた種からまた芽吹く。

 

 だが、その花が揺らいだ。枯れるのではなく、存在そのものが消えゆこうとするかのように、その姿が揺らぎ、薄れた。

 花ばかりではなかった。それを持つ崇春自身もまた、揺らぎ、消えかけていた。

 

 

 

「崇春さん! ……崇春さん!!」

 叫ぶかすみと同様に。

 その横では皆、空を見上げていた。大日と崇春を。

 

 円次がつぶやく。

「なんだよ、ありゃ……鬼強(おにつよ)、過ぎンだろ。けど」

 百見の方を向く。こわばった顔で、笑って。

「けど、なァ。嘘、だよな、アイツが死ぬだの、消えるだのッてよ。な」

 

 賀来もことさら笑顔でうなずく。

「そ、そうだな! そうに違いあるまい、つまらぬ冗談であろう! まったく、百見は空気を読まぬからなー!」

 ばしばしと音を立てて百見の背を叩く。

 

 長く黙っていた後。

 百見は泣くような目をしたまま、固く笑ってみせた。

「……そうだね、そうだったならどんなにいいかと、僕も思う。だが、冗談なんかじゃあない」

 

 賀来も円次も傍らにいた黒田も、声を失う中。

 渦生が強く百見の肩をつかんだ。

「どういうっ、ことだ、どういうことだよオイ! 何だそりゃそんなワケっ、おまっ、だいたい……聞いてねえぞ! あいつが、そんななんて――」

 

 百見は死んだような表情で言う。

「言ってませんでしたから。そもそも南贍部宗(なんせんぶしゅう)内でも、一握りの高僧しか知らないこと……彼のお目付け役としてそばにいる、僕を除いては」

 

「なっ……」

 口を開けて固まった後、百見の肩を激しく揺さぶる。

「言えや! 言えやそれ、何でどいつもこいつも黙ってんだよあぁあ!? なめてんのかオイ大っ事なことじゃねえかクソ!」

 

 百見の表情は変わらない。

「言ったら、どうにかなったんですか。死なずに済んだんですか、あいつが」

 

 渦生の手が、ぴたり、と止まる。

「……畜生っ!」

 やり場のない気持ちをぶつけるように、自らの脚を拳で叩いた。

 

「崇春さんっっ!!」

 かすみは、まだ叫んでいた。

 

 

 

 荒い――いや、もはやかすれるような――息の下から崇春は言った。

「――いやあ……全くもってこればっかりは、お(んし)の言うとおりよ。わしの力は無限ではない……むしろ全ての力を使い尽くし、消え果てるが必定よ。じゃが」

 拳を向ける。

「――逃がしはせん。お(んし)らもまた我が本地、人と影とが添うが如くに逃がしはせん……お(んし)らが救いに気づくまでは」

 

 大日は、うずくまるようにして宙にいた。

「――おの、れ……おのれ……! なぜだ、おのれここまで来てなぜ、何だったのだあの日々は怪仏を七宝を探し続けた僕たちは、なぜだ僕らと同じ歪みをなぜだなぜだなぜここまで来て……!」

 泡立つような響きでつぶやくその顔は、強く歪んでこそいたが。その目は芯が抜け落ちたように、焦点を失っていた。

 

 崇春は大日を見据える。

「――言うておくが、お(んし)らを殺すことは不可能ではない。『生命力を吸い取るその力でさえ』『吸い取るのが間に合わないほど速く、お(んし)の体を打ち砕くほど――怪仏ですら生命維持が不可能となるほど――強く放つ』。そのたった一事で、お(んし)らの命は終わる」

 

 大日は震えるほどに歯を噛み締め、顔を上げる。

 

 崇春はゆっくりとかぶりを振った。

「――じゃが、それではならん。この世は護ることができても、お(んし)らを救えん。お(んし)らを護れん。わしは『人界守護者・増長天』、この世全ての人間を本地とする『善意』の怪仏。無論、お(んし)らも我が本地であり、わしが守護すべき者。この身に代えて護ってみせるわ」

 

 大日の震えが止まった。

 いや。いっそう、震え出した。まるでその揺らぎを以て大気を空を、この世を揺るがそうとするかのように。

「――殺すことはできる? だが救う? 護る? だと? ――ふざけるな。ふざけるな、ふざけるなぁぁ!!」

身を(きし)ませるように、震えながらも立ち上がる。

「――たかがお前の一存で救うだの護るだのと、神か仏にでもなったつもりか!!」

 

 肩から不意に力を抜き、は、と息を吐き捨てる。

「――神が? 仏が? 僕らにいったい何をしてくれた! 救いなどとどこに在った! 僕らの生の初めから今まで、いったいどこに在ったのだ! 何が神だ、何が仏だ! そんなものがこの世のどこに在る! どこにも無い、救いも無い!」

 貫き殺すような目で崇春を見る。

「――神など無い、仏など無い。そして当然、神仏ならぬお前では、救いなど与えようもない」

 

「――かも知れぬ」

 崇春はゆっくりと合掌した。

「――この世に神仏のおわしますやら、あるいはおわしまさぬやら……神仏ならぬわしには分からぬ。じゃが、神仏ならぬわしの微力でも、お(んし)らは救う。いや、救われておると気づかせて――」

 

 その言葉を打ち払うように大日は手を払い、声を上げていた。

「――もういい、もう聞きたくなどない! 消し飛ばし歪める、お前も! この世も!  この我も――何もかもを!!」

 その手から、いや、その身から。銀の光が膨れ上がる。まるで水銀の表面のような、あるいはこの世を裂く刃のような、歪んだ鈍い銀の色。淀み切ってなお()える光が。

 

「――させぬ! 護る、この世も! 皆も! お(んし)らも! 南贍部洲(なんせんぶしゅう)その全てを!!」

 崇春の拳から、いや、その身から。金色(こんじき)の光が膨れ上がる。まるで闇に灯った灯りのような、あるいは朝焼けの前触れのような、澄んで輝く金の色。この世の全てに(あまね)く夜明けを告げる光が。

 

 空をも()き尽くすかのように、大日から光が立ち昇る。

 大気を、世を染め尽くして変えようとするかのように、空の半分を銀の光が歪ませる。

「ノウマク・サンマンダ・ボダナン・ボロン! 【破却し歪曲する遍照(へんじょう)の光】!!」

 

 銀河が渦を巻くように、崇春から光が巻き起こる。

 全てを照らし、護ろうとするかのように、空のもう半分を金の光が覆い尽くす。

「オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ジハタエイ・ソワカ! 【南贍部洲(なんせんぶしゅう)究竟方便(くきょうほうべん)護王拳】!!」

 

 全てを込めた光を拳に宿し。二人は今、互いに向けて飛んだ。

 

 

 

 二つの光が向かい合う様は。空が、あるいはこの星が、二つに裂けたかのようだった。見上げるかすみはそう思った。

 

 そうして空の中心で、流星のように飛ぶ二つの光がぶつかり合う。

 音はなかった。互いに入り混じるような火花を散らし、二つの光がなお強く輝くのだけが見えた。

 

 遅れて、弾けるような音と共に。打ち据えるような風圧が地上を襲う。

 

「くぅ……っ!」

「なあッ!?」

 

 叩きつけられるように誰もが地に倒れたが。

 かすみは空を見上げて立ち上がる。

 

 視線の先では二つの光が押し合い、やがてすれ違うように離れ、再び舞い戻ってはぶつかり合い。火花を散らして互いを打ちつけあっていた。そのたびに大気が揺れた。

 光が打ち合うその様は、遠目には、らせんを描いて舞うようにも、互いに混ざり合おうとしているようにも見えた。

 

 

 

 上空で二人は再びぶつかり合った。拳から、体から頭から全て。

 

「――ごああぁぁっ……!」

「――むううぅぅっ……!」

 

 互いに弾き返されたように離れ、だが宙を踏み締めてこらえ。

 歯を食いしばり、互いに拳を振りかぶった。崇春も大日も同じ動きをしていた、まるで、次は無いと知っているかのようだった。

 二人の拳に、最後の光が()え上がる。

 

「――ぅおおおぉぉぉっっ!!」

「――喝ぁああああぁっっ!!」

 

 ぶつかり合った。弾き飛ばし合った。

打ち飛ばされた互いの体は宙で浮かびつつも、ゆっくりと沈みかけていた。

 

 だが。

 身を折り曲げた崇春の体はなおも、透けていくようにかすれ続け。その目は閉じられていた。

 

 一方、目を開け、身を起こした大日の手には、ほんの小さなマッチほどの火が灯っていた。

 青黒く()える、【蝿声(さばえ)なす不浄の光】。敵から生命の力を吸い取る光が、ほんのわずかずつ大きくなってゆく。

 

 

 

「そん……な……」

 (うめ)くような声を上げたのはかすみではない。百見だった。

 身を起こしてはいたものの、宙に在る崇春以上に力を失ったかのように、その手にも脚にも力は無く。今にもひざをついてしまいそうだった。

 

 かすみは、違った。

 (うめ)いてはいなかった、そうなどしてはいられなかった。

 気づけば、叫んでいた。

「崇春さん!!!」

 胸が裂けそうなほど息を吸い込み、空へ向けて声を放った。

「目立ってます!! 目立ち過ぎですからぁぁーー!!!」

 

 なぜそれを言おうとしたのかは、自分でも分からない。

 けれど、確かに。崇春に必要なのは、この言葉だ。そんな気がした、いや、言った後でそう思った。

 

 

 

「――む……う……」

 崇春はまぶたを震わせ、目を見開く。地上のかすみを見た。

 笑う。

「――ふ……どうやら、また目立って――」

 その目が大日の光を捉えた。

「――むうう!?」

 

 大日は歯を剥いて笑う。

「――やはり、最後までどうにもできなかったなぁ……この我の、力を――」

 

 その言葉が終わる前に、崇春は跳んでいた。

「――【スシュンパンチ】!!」

 叩き込んでいた、自らの拳を。光など宿さぬ、どころか薄れ、(かす)みゆきさえしているただの拳を。

 

「――ぶ……!? だが、だがそんなもの、何の――」

 

 拳を顔面に受けたまま、にらむ大日に構わず。

「――【スシュンパンチ】、【スシュンパンチ】!」

 さらなる二撃を叩き込む。

 

「――がっ、な、それがどうした、お前の存在ごと吸い取って――」

 大日の手でさらに強く、青黒い炎が()えてゆく。

 

 それでもまた、ぶん殴った。

「――知るかああぁぁあっ!!」

 

「――な……っ!?」

 

 揺らぐ大日へ、さらにさらに殴りかかる。

「――【スシュンパンチ】、【スシュンパンチ】! 【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】!! 受けよ、これが……今、ここで放てる最大の拳! 【ただの単なるスシュンパンチ】じゃああああぁーーーっっ!!!」

 

 何の光もまとわぬただの拳が、大日の鼻柱を打ち抜き。

 

「――……ぁ……な、な……」

 大日が大きく揺らぎ、地上へと落ちかけたが。

 その手が崇春の手をつかむ。未だ小さく火の粉のように、青黒い光を宿す手が。

 二人はそのまま風を裂き、衝撃を響かせて地上へと落ちる。

 

 

 

 舞い上がった土埃が未だ収まらぬ中、かすみは二人の方へ駆け寄ろうとしたが。

 

 それよりも早く、百見が声を上げていた。泣きそうな目をしながら、それでも腹の底からの声を。

「崇春!! そこにいるか、まだいるか、崇春!!」

 

 もつれ合うように倒れていた人影、その片方が身を起こす。

「――百見! 使(つこ)うてくれ、あの技じゃ!」

 崇春の顔から、体からはとめどなく血が流れ落ちていたが。その体も、その血さえも、今や揺らいで、透けていた。

 

 かすみが、他の誰が声を上げるより早く、百見は応えていた。

「分かっている! 広目天!」

 傍らの広目天が、神筆を高く掲げる。

 

 大日が身を起こし、立ち上がろうとする。

「――何を、お前たちなどがいくら、集まったところで――」

 

 青黒い光がくすぶる大日の手を握り、崇春は叫ぶ。

「――頼む、この(もん)らに見せてやってくれ! 全ての業から解き放たれた記憶を、その世界を!」

 

 百見は、泣きそうな目のまま歯を食いしばる。

「任せろ! ゆくぞ広目天、心を映す【心筆写実(しんぴつしゃじつ)】、それをも越えて心を(うつ)せ、かつまた(うつ)せ! オン・ビロバキシャ・ナギャ・ジハタ・エイ・ソワカ! 共振しろ共鳴し共震せよ、【震筆写実(しんぴつしゃじつ)】!!」

 

 崇春の額から黒く霧が立ち昇り、それが空中で集って墨となる。

 広目天が掲げた筆へ、浮かんだそれらが吸い込まれる。

 そうして、ゆる、と動かす筆先から、黒く黒く墨が広がる。辺りの空間へ、倒れた大日へ。

 

 それはなぜか、かすみの方へも降り注ぎ。

 視界が、意識が墨の色に、包まれた。

 世界が、いや。意識が、震える。

 

 

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