大日を打ち上げた高山が崩れ、幻のように消えゆく中。
肩を大きく上下させ、荒い息の下から崇春は言う。
「――わしは南贍部洲《なんせんぶしゅう》が護王、増長天。すなわち地球そのものを
その手の上で小さく、風が躍る。
「――何もおかしくはなかったわ。地球を
同じ手の上で今度は雲が立ち雪が舞い、雷が落ち炎が燃える。掌に受け止めた高山の欠片、土の上からは双葉が芽吹く。それが伸びゆき花を咲かせ、花びらを散らせ、枯れて。落ちた種からまた芽吹く。
だが、その花が揺らいだ。枯れるのではなく、存在そのものが消えゆこうとするかのように、その姿が揺らぎ、薄れた。
花ばかりではなかった。それを持つ崇春自身もまた、揺らぎ、消えかけていた。
「崇春さん! ……崇春さん!!」
叫ぶかすみと同様に。
その横では皆、空を見上げていた。大日と崇春を。
円次がつぶやく。
「なんだよ、ありゃ……
百見の方を向く。こわばった顔で、笑って。
「けど、なァ。嘘、だよな、アイツが死ぬだの、消えるだのッてよ。な」
賀来もことさら笑顔でうなずく。
「そ、そうだな! そうに違いあるまい、つまらぬ冗談であろう! まったく、百見は空気を読まぬからなー!」
ばしばしと音を立てて百見の背を叩く。
長く黙っていた後。
百見は泣くような目をしたまま、固く笑ってみせた。
「……そうだね、そうだったならどんなにいいかと、僕も思う。だが、冗談なんかじゃあない」
賀来も円次も傍らにいた黒田も、声を失う中。
渦生が強く百見の肩をつかんだ。
「どういうっ、ことだ、どういうことだよオイ! 何だそりゃそんなワケっ、おまっ、だいたい……聞いてねえぞ! あいつが、そんななんて――」
百見は死んだような表情で言う。
「言ってませんでしたから。そもそも
「なっ……」
口を開けて固まった後、百見の肩を激しく揺さぶる。
「言えや! 言えやそれ、何でどいつもこいつも黙ってんだよあぁあ!? なめてんのかオイ大っ事なことじゃねえかクソ!」
百見の表情は変わらない。
「言ったら、どうにかなったんですか。死なずに済んだんですか、あいつが」
渦生の手が、ぴたり、と止まる。
「……畜生っ!」
やり場のない気持ちをぶつけるように、自らの脚を拳で叩いた。
「崇春さんっっ!!」
かすみは、まだ叫んでいた。
荒い――いや、もはやかすれるような――息の下から崇春は言った。
「――いやあ……全くもってこればっかりは、お
拳を向ける。
「――逃がしはせん。お
大日は、うずくまるようにして宙にいた。
「――おの、れ……おのれ……! なぜだ、おのれここまで来てなぜ、何だったのだあの日々は怪仏を七宝を探し続けた僕たちは、なぜだ僕らと同じ歪みをなぜだなぜだなぜここまで来て……!」
泡立つような響きでつぶやくその顔は、強く歪んでこそいたが。その目は芯が抜け落ちたように、焦点を失っていた。
崇春は大日を見据える。
「――言うておくが、お
大日は震えるほどに歯を噛み締め、顔を上げる。
崇春はゆっくりとかぶりを振った。
「――じゃが、それではならん。この世は護ることができても、お
大日の震えが止まった。
いや。いっそう、震え出した。まるでその揺らぎを以て大気を空を、この世を揺るがそうとするかのように。
「――殺すことはできる? だが救う? 護る? だと? ――ふざけるな。ふざけるな、ふざけるなぁぁ!!」
身を
「――たかがお前の一存で救うだの護るだのと、神か仏にでもなったつもりか!!」
肩から不意に力を抜き、は、と息を吐き捨てる。
「――神が? 仏が? 僕らにいったい何をしてくれた! 救いなどとどこに在った! 僕らの生の初めから今まで、いったいどこに在ったのだ! 何が神だ、何が仏だ! そんなものがこの世のどこに在る! どこにも無い、救いも無い!」
貫き殺すような目で崇春を見る。
「――神など無い、仏など無い。そして当然、神仏ならぬお前では、救いなど与えようもない」
「――かも知れぬ」
崇春はゆっくりと合掌した。
「――この世に神仏のおわしますやら、あるいはおわしまさぬやら……神仏ならぬわしには分からぬ。じゃが、神仏ならぬわしの微力でも、お
その言葉を打ち払うように大日は手を払い、声を上げていた。
「――もういい、もう聞きたくなどない! 消し飛ばし歪める、お前も! この世も! この我も――何もかもを!!」
その手から、いや、その身から。銀の光が膨れ上がる。まるで水銀の表面のような、あるいはこの世を裂く刃のような、歪んだ鈍い銀の色。淀み切ってなお
「――させぬ! 護る、この世も! 皆も! お
崇春の拳から、いや、その身から。
空をも
大気を、世を染め尽くして変えようとするかのように、空の半分を銀の光が歪ませる。
「ノウマク・サンマンダ・ボダナン・ボロン! 【破却し歪曲する
銀河が渦を巻くように、崇春から光が巻き起こる。
全てを照らし、護ろうとするかのように、空のもう半分を金の光が覆い尽くす。
「オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ジハタエイ・ソワカ! 【
全てを込めた光を拳に宿し。二人は今、互いに向けて飛んだ。
二つの光が向かい合う様は。空が、あるいはこの星が、二つに裂けたかのようだった。見上げるかすみはそう思った。
そうして空の中心で、流星のように飛ぶ二つの光がぶつかり合う。
音はなかった。互いに入り混じるような火花を散らし、二つの光がなお強く輝くのだけが見えた。
遅れて、弾けるような音と共に。打ち据えるような風圧が地上を襲う。
「くぅ……っ!」
「なあッ!?」
叩きつけられるように誰もが地に倒れたが。
かすみは空を見上げて立ち上がる。
視線の先では二つの光が押し合い、やがてすれ違うように離れ、再び舞い戻ってはぶつかり合い。火花を散らして互いを打ちつけあっていた。そのたびに大気が揺れた。
光が打ち合うその様は、遠目には、らせんを描いて舞うようにも、互いに混ざり合おうとしているようにも見えた。
上空で二人は再びぶつかり合った。拳から、体から頭から全て。
「――ごああぁぁっ……!」
「――むううぅぅっ……!」
互いに弾き返されたように離れ、だが宙を踏み締めてこらえ。
歯を食いしばり、互いに拳を振りかぶった。崇春も大日も同じ動きをしていた、まるで、次は無いと知っているかのようだった。
二人の拳に、最後の光が
「――ぅおおおぉぉぉっっ!!」
「――喝ぁああああぁっっ!!」
ぶつかり合った。弾き飛ばし合った。
打ち飛ばされた互いの体は宙で浮かびつつも、ゆっくりと沈みかけていた。
だが。
身を折り曲げた崇春の体はなおも、透けていくようにかすれ続け。その目は閉じられていた。
一方、目を開け、身を起こした大日の手には、ほんの小さなマッチほどの火が灯っていた。
青黒く
「そん……な……」
身を起こしてはいたものの、宙に在る崇春以上に力を失ったかのように、その手にも脚にも力は無く。今にもひざをついてしまいそうだった。
かすみは、違った。
気づけば、叫んでいた。
「崇春さん!!!」
胸が裂けそうなほど息を吸い込み、空へ向けて声を放った。
「目立ってます!! 目立ち過ぎですからぁぁーー!!!」
なぜそれを言おうとしたのかは、自分でも分からない。
けれど、確かに。崇春に必要なのは、この言葉だ。そんな気がした、いや、言った後でそう思った。
「――む……う……」
崇春はまぶたを震わせ、目を見開く。地上のかすみを見た。
笑う。
「――ふ……どうやら、また目立って――」
その目が大日の光を捉えた。
「――むうう!?」
大日は歯を剥いて笑う。
「――やはり、最後までどうにもできなかったなぁ……この我の、力を――」
その言葉が終わる前に、崇春は跳んでいた。
「――【スシュンパンチ】!!」
叩き込んでいた、自らの拳を。光など宿さぬ、どころか薄れ、
「――ぶ……!? だが、だがそんなもの、何の――」
拳を顔面に受けたまま、にらむ大日に構わず。
「――【スシュンパンチ】、【スシュンパンチ】!」
さらなる二撃を叩き込む。
「――がっ、な、それがどうした、お前の存在ごと吸い取って――」
大日の手でさらに強く、青黒い炎が
それでもまた、ぶん殴った。
「――知るかああぁぁあっ!!」
「――な……っ!?」
揺らぐ大日へ、さらにさらに殴りかかる。
「――【スシュンパンチ】、【スシュンパンチ】! 【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】!! 受けよ、これが……今、ここで放てる最大の拳! 【ただの単なるスシュンパンチ】じゃああああぁーーーっっ!!!」
何の光もまとわぬただの拳が、大日の鼻柱を打ち抜き。
「――……ぁ……な、な……」
大日が大きく揺らぎ、地上へと落ちかけたが。
その手が崇春の手をつかむ。未だ小さく火の粉のように、青黒い光を宿す手が。
二人はそのまま風を裂き、衝撃を響かせて地上へと落ちる。
舞い上がった土埃が未だ収まらぬ中、かすみは二人の方へ駆け寄ろうとしたが。
それよりも早く、百見が声を上げていた。泣きそうな目をしながら、それでも腹の底からの声を。
「崇春!! そこにいるか、まだいるか、崇春!!」
もつれ合うように倒れていた人影、その片方が身を起こす。
「――百見!
崇春の顔から、体からはとめどなく血が流れ落ちていたが。その体も、その血さえも、今や揺らいで、透けていた。
かすみが、他の誰が声を上げるより早く、百見は応えていた。
「分かっている! 広目天!」
傍らの広目天が、神筆を高く掲げる。
大日が身を起こし、立ち上がろうとする。
「――何を、お前たちなどがいくら、集まったところで――」
青黒い光がくすぶる大日の手を握り、崇春は叫ぶ。
「――頼む、この
百見は、泣きそうな目のまま歯を食いしばる。
「任せろ! ゆくぞ広目天、心を映す【
崇春の額から黒く霧が立ち昇り、それが空中で集って墨となる。
広目天が掲げた筆へ、浮かんだそれらが吸い込まれる。
そうして、ゆる、と動かす筆先から、黒く黒く墨が広がる。辺りの空間へ、倒れた大日へ。
それはなぜか、かすみの方へも降り注ぎ。
視界が、意識が墨の色に、包まれた。
世界が、いや。意識が、震える。