かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~   作:木下望太郎

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二ノ巻9話  暗黒天の呼び声

 

 ――その少し後。

 斑野高校の三階、校庭に面した校舎の中央。そこにある、小規模な会議室といった部屋――生徒会室。

 

 そこに彼はいた、生徒会長、東条(とうじょう)紫苑(しおん)は。大きな窓から見える、校庭の方を向いて。だがその視線は校庭ではなく、遠く山並みの上、遥か空へ、見るともなく注がれていた。

 腰の後ろで組んだ手、その開いた片手の上には、炎のような黒いもやが漂っていた。その中には小さく、黒い輪郭で描かれた怪仏の姿が、浮かんでは消えていく。

 

 視線はそのままに、よく通る声を響かせる。

「どうやら動き出したかな……彼らは」

 

 その後ろ、陰になった辺りでは。男子生徒が椅子に腰掛けていた――ひどくうつむき、両肘を机に乗せて組んだ手を額に当てているせいで、その顔は見えない――。

 

 男子は低く声を()らした。

「あいつは……今日こそ、あいつと……」

 

 そこで小さく、歯噛みの音を立てた。悩むように小さく、かぶりを振る。

「でも、本当に……いいんでしょうか」

 

 こつ、こつ、と靴音を響かせ――不思議とその音すらも、彼の声と同様よく通った――、紫苑は男子へ歩み寄る。その背に手を置いた。

「だいじょうぶ。だいじょうぶさ、それでいい。不安になるのは当然のこと、そして……君がそうするのも当然のこと。君はそれだけもう悩んだ。だから行動に移す、怪仏の力を借りて――それでいい」

 

 そこで不意に、紫苑は視線を後ろへ向けた。

「『弁才天』。君からも、何か言ってあげてくれたまえ」

 

 部屋の隅、手を後ろに組み、長い脚を交差させて、壁に背を預けていた女性。その人が歩み寄る。かつ、かつ、と靴音高く。

 

 彼女は何も言わなかった。ただ傍らで、じっ、と男子を見つめ。それから、そっ、と手を置いた。男子の頭に。

 まるで壊すのを恐れるように、何よりも貴重な宝に触れるように、しかし決して手を離そうとせず。その白い手は、ゆっくりと彼の頭を()でた。肉食獣の母親が我が子の体を()めるように。何度も、何度も。

 

 さやさやと流れるような声が――絹のような感触さえ持って――、彼の耳に流れ込む。

「いいの。いいのよ、いいの、それでいい。思うままにしていいの。……ほら、どうしたの? 我慢(がまん)なんて」

 

 そこで頭から手を離し。代わりに、ひたり、と頬に当てる。何の力も入れず、しかし決して離さず――まるで、掌で口づけるように――。

 

我慢(がまん)なんてしなくていい。思うままにしたらいい、だってあなたはそうしたかった。我慢(がまん)だったらもうしてきた、たくさんたくさん頑張った、これ以上はもうたくさん。だから、ね」

 

 長い髪を揺らし、彼の耳元に唇を寄せた。

「許しなさいな。あなた自身を、その業を」

 

 その反対側に紫苑が立つ。『弁才天』の声の終わり際、滑り込ませるように言葉をかける。

「けして許すな、その敵を。彼のことを、その業を」

 

 立ち代わるように『弁才天』の声。

「もういいでしょう、我慢なんて」

 被さるように紫苑の声。

「もういいだろう、彼のことは」

 

「欲しいのでしょう、その力。人智を越えた怪仏の」

 

「欲しいのだろう、彼の命。怒りのままに踏みにじって」

 

「手に取りなさい、あなたの剣。いつも振るったその剣に、人智を越えたこの力を」

「手を取るがいい、六本の。それは君の合わせ鏡、君の業が造った形」

「変わればいいの、怖がらないで。古いあなたを捨ててしまって」

「変わるがいいさ、止まらないで。彼の全てを斬り捨てて」

 

 二人の声がとろけるように入り混じる、流れ込む、染み込むように耳から、その先まで止まらず、鼓膜を越えて脳の隙間を満たすように、脳髄すらも染め上げるように。

 

「ぁあ……あああ!」

 

 彼は叫び、椅子を倒し、立ち上がる。

 

 その床の上で揺れる影は、六本の腕を備えていた。

 

 

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