かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~   作:木下望太郎

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二ノ巻10話(前編)  夜と炎と

 

 闇から明かり、明かりから闇。ぽつりぽつりと離れて街灯が点在する夜の道を。平坂円次は歩いていた。

 あれからさらに場所を移して剣を振るい続けた、そのときと同じ道着姿のままで。足元は使い古したスニーカーと、その内側は愛用の――足袋(たび)のように親指だけが分かれた――靴下。

 

 道着は汗に濡れ、そよぐ夜風に冷えかけているが。身の内は熱かった。灰の中で(おこ)る炭火のように。

 首を鳴らし肩を回し、袋――背負い紐のついた、黒い合革製の竹刀袋――に入れた、木刀を担ぎ直す。

 

 今夜、オレはこれを振るう。存分に。全力で。(つちか)った技の全てでもって。それが全て、それで十分。

 

 胸の奥から息を吐いた。それは決してため息ではなく。胸の内の火炎のような。

 

 やがて着いた、昨日崇春とやらが来た、町外れの神社。円次のいつもの練習場所。その石段の前まで。

 この上、鎮守の森の中。きっとアイツからの置き手紙のような――

 

 そこまで考え、かぶりを振った。音を立てて、自らの頬を両手で叩く――熱すぎる、もっと冷えろ。刀のように――。

 

 真っ直ぐに石段を上り、参道から外れ、茂みの奥へと分け入った。(やしろ)から離れた裏手、木の倒れたそこでは。椅子ほどの高さの岩の上に、見慣れた姿が腰かけていた。

 

「よう。熱心だな、こんな時間まで自主練たぁ……オレの指導じゃ足りなかったか」

 

 伝法渦生。部の指導をしているその人が、ジャージ姿でそこにいた。

 

「……何で、アンタが」

 言いながらも円次は竹刀袋を下ろし、ふたを留めるベルトを外す。

 

 渦生は傍らに置いた小さな缶のふたを開け――竹刀も木刀も、武器らしき物は見当たらない――、中から煙草をつまみ出した。口の端にくわえ、百円ライターで火をつける。

 口の中で煙をくゆらせ、ぷかり、と白く吐いて続ける。

「さてと。ウダウダやんのも面倒くせぇ、単刀直入に言わせてもらうか。平坂よぉ、お前が怪仏の力を得ちまったんだとして、だ。何がお前をそうさせた。何がお前の目的だ」

 

 円次は表情を変えずに言う。

「……何の話だよ」

 

「聞いたままだよ。何、オレでも何とかできることなら。戦う必要もねえと思ってな」

 

 円次の唇が、頬が固く吊り上がる。笑いの形に。

「へェ……つまりは、戦う気で来たってワケか。このオレと」

 

 煙草を口から離し、また煙を吐いた後。唇についた煙草葉を指先でつまみ取りながら――フィルターのない両切り煙草というやつか――、渦生は言った。

「ああ。だがま、やめとけよ。無茶が過ぎるぜ」

 

 円次は鼻から息を吹いた――そのときにはもう、木刀を袋から抜き出し。鞘を帯に差していた――。

「笑わせる……アンタがオレに勝てるって? 大体、武器(えもの)はどうした。何でも好きなもん――」

 

 その言葉が終わる前に。渦生が煙草を手から落とした。それが地面に落ちる前に突如、音を立てて燃え上がり、火の粉を散らして崩れ落ちる。

 

 見れば渦生は、妙な形に手を組んでいた――両手の指を甲の外ではなく、掌の内へと差し込んで組む。そこから人差指、中指を広げ、中指同士の頭をつける――。そして唱えていた、呪文のような聞き慣れない言葉を。

 

「オン・シュリ・マリ・ママリ・マリシュシュリ・ソワカ! 業火(ごうか)(あるじ)にして明呪(みょうしゅ)の王よ、火生三昧(かしょうざんまい)より来たりて不浄一切を焼き清めろ! 不浄金剛・除穢(じょえ)金剛……帰命頂礼(きみょうちょうらい)烏枢沙摩(うすさま)明王(みょうおう)!」

 

 渦生の前で炎が()ぜた、渦を巻いた。その背丈を大きく越えて。

 

「……ッ!?」

 円次は思わず後ずさり、わずかに目をつむった。

 

 その間に渦は小さく収まり、かき消えるかに見えたが、渦の中心、その中に人影が見えた。まるで炎が()り固まったかのような、赤い肌の。

 赤い髪はまさに燃えるように逆立ち――炎髪(えんぱつ)とでも言うべきか――、薄い衣を一枚まとっただけの肌は、内に火を宿すかのように赤く熱を帯びていた。

 

 片手に持った(ほこ)を地に突いて寄りかかり、片方の足は今にも歩を踏み出しそうに、しなやかに空中へ上げている。地に着いた方の足はリズムを取るように、あるいはゆらめく炎のように、小さく曲げては伸ばされて、体全体を揺らせていた。その動きのたびに、赤い髪から身から、赤熱する矛から、火の粉が散ってはゆっくりと宙へ舞い上がる。

 

 右手を柄にかけながらも、円次は口を開けていた。

「なッ……こりゃあ……?」

 

 手を奇妙な形に組んだままで渦生が言う。

「『烏枢沙摩(うすさま)明王(みょうおう)』。仏法に外れた者すら力づくで救うとされる『明王』の一尊(いっそん)。その業火で全ての(けが)れを焼き尽くす、火神にして便所の守り神……そう言うと、なんともカッコがつかねぇがよ」

 続けて言った。

「要は! どんなクソ野郎でも焼き尽くす、俺の守護仏……怪仏ってことよ。さぁ……お前も見せてみろ、その業、怪仏を」

 

「……ふ」

 気づけば、円次は息を吹き出していた。笑うように。肩が揺れ、遅れて顔が笑みを形作る。

「ふッ、はは、ははは……! そうか、これが……『人智を越えた力』! それを使えるッてのか、アンタが! ……アンタも」

 

歯を()き出して笑い、その歯の間から強く息を吹き出す。

「戦いてェ……戦わせろよ。アンタと、ソイツと!」

 

 熱くなり過ぎだ、分かっている。だが――止められない。震える、手の指が。スニーカーの中、靴下に包まれた足の指も。膝が、腕が、肩が、背筋が。震える。

 恐怖では無論なく。それは肉体と精神の反応。頭で考えたわけでなく勝手に起こる、戦闘への準備運動――武者震い。

 

 渦生が言う。

「その『戦闘』への執着、それがお前の『業』か。ならばその業、俺の炎が――」

 

 その言葉が終わるのを、円次は到底待ち切れなかった。頬が笑みに震えるままに、足を踏み出す。

 

「しゃあっ!」

 

 踏み出した右足が地につくと同時、流れるように腰を右へと振り切る。右手は下から柄を取り、腰の動きに沿うように腕を繰り出す。

 剣閃は横一文字、それよりわずかに切先を下げる。狙うは相手――怪仏――の右肘。伝にあるとおり、抜き打つ相手の腕を斬り落とすかのように。

 

 果たして、当たった。木刀を通して手に返る、肉を打つ感触。それを実感する暇もなく、右手を返して頭上へ振りかぶる。左手を添え、面の形で打ち下ろした。硬い音が高く響く。

 抜き打ちからの正面への斬撃。比良坂(ひらさか)心到(しんとう)流初伝、【直刃(すぐは)】。ただしわずかに崩れた、腰を振り出し過ぎたし頭上への振りかぶりが大き過ぎた、二撃目がはっきりと遅れた。

 

 それでも。掌に手首に、腕に返る感覚が――実際の衝撃として、大きなものではないにせよ――円次の神経を駆け巡った。

 ――打った! 当たった、実戦で、形稽古(かたげいこ)なんかじゃない実戦で!――

 

 さらに打ち込むべきだったが、木刀を振り上げるより早く、渦生と怪仏は跳びすさった。

 

 渦生が顔をしかめる。

「ぐ……! やってくれるなオイ……。だがどうした、剣なんてよ。お前も見せろ、怪仏の力を! こんな風によ――」

 組んだ指を前に突き出し、唱える。

「オン・クロダナウ・ウン・ジャク! 撃ち抜け! 燃やせ、清めてやれ!――【火弾金剛砕】!」

 

 上げていた足を音も高く踏み下ろし、烏枢沙摩(うすさま)明王(みょうおう)は矛を突き出す。その切先から吹き上がる炎は丸く(かたまり)となり、火の粉を撒き散らしながら、円次へ向かって飛び出した。

 

「な……!」

 

 反射的な動きだった、半身を切って直撃をかわしつつ、両手で持った刀身を後ろへと斜めに傾け。炎の塊にその横腹を滑らせ、受け流した。

 目標を外れた炎弾は、円次の後ろで花火のように、いくつもの火花となって散る。

 

 今さら高く速く鳴り出した鼓動を感じながら、円次は木刀を構え直す――が。

無かった、その木刀が。柄は確かに握っているが、その先が。刀身の中ほどが黒く炭と化し、そこから先は燃え落ちていた。

 

「げ……」

 円次の頬がたまらず引きつる。目で代わりの武器(えもの)を探す――竹刀袋にも代えはない、折れた竹刀は二本入っているがどうにもならない、辺りの地面に使えそうな枝を探すが見当たらない――。

 

 無いのか、無いのか、オレの武器は――思う間にも渦生は再び、呪文のような言葉を唱えている――。

 

 そのとき。頭の内に聞こえた、言葉が――いつ、誰から聞いたのだったか――。

――『許されていい、その業は』――。

 

 頭の中に(とどろ)いた、雷鳴のような音が。両の手に走った、稲妻のような(しび)れが。

「な……!?」

 

 鼓動が打つたび痛みが響き、頭はうつむいていた。左手は痺れに、びくりびくり、と震えるままに。ある形を取っていた――親指、人差指、中指を伸ばした後、人差指を軽く曲げて中指の背に添わせた形――。

 誰かの声が頭の内に聞こえ、その言葉をなぞって唇が動いた。何のことかも分からぬままに。

 

「ナウマク……サマンダボダナン、インダラヤ・ソワ、カ……」

 

 稲光が(ひらめ)いた。目の前に、どこから落ちたかも分からない稲妻が。

 白に近い電撃の光、それが消えたときには。

 

 見も知らぬ偉丈夫(いじょうぶ)がいた。高く結い上げた髪、肩幅の広い体には中国風の鎧を着込み、その上から衣を羽織っている。片手には両刃の短剣。全てを貫き(とお)せそうなほど太く力強いそれは、柄の両端に刀身のついた双剣。その両の刃が、時折ばちばちと音を上げ、白く稲光を散らしていた。

 

 偉丈夫が低く声を上げる。

「――我は業、積もり積もりし人の業にて、武勇を求める(なんじ)が業。さあ、汝に与えよう、武神たる我の(たけ)き力。手を取るがよい、力を求める者よ。我が独鈷(どっこ)(いかずち)を使え。この『怪仏・帝釈天(たいしゃくてん)』に帰依(きえ)するのだ」

 

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