かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~   作:木下望太郎

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三ノ巻31話  それが討ち、それが伐(き)るものは

 

 白い霧、自分の手も見えないほどの。それが今のかすみには見通せた――意識をその方向に集中しさえすれば。まるで薄皮を一枚一枚はぎ取るように、カメラの解像度を上げていくように。段階を経て見通せた、刀八毘沙門天(とうばつびしゃもんてん)の四つの顔、八つの目で。見下ろすように――。

 

 見えていた、鈴下が口を開け、手を垂らして(ほう)けたように。毘沙門天の巨体を見上げているのが。

「そんな……いったい、これ、は……」

 

 かすみは声もなく鈴下をにらむ。

 毘沙門天の八つの目が鈴下をにらむ。そして八本の刀を振り上げた。

 

 鈴下の目が焦点を取り戻す。眼鏡をつまみ、かけ直しながら声を上げる。その手を震わせ、後ずさりながら。

「ええい何だ、何だというんだ! 分からんが、抵抗するというのなら! 少々痛い目を見せてやろうか! 【八重(やえ)に連なる水神の裳裾(もすそ)】!」

 

 その言葉が終わらぬうちに、毘沙門天は――かすみは――八つの刀を振るう。上から下、左から右右から左、斜め上から斜め下から――力任せに。歯を食いしばって。力の限り、腕の動く限りに何度も。

 刀が竹を割りその葉を斬り霧の浮かぶ宙を切り、勢い余って地を叩き。刀身の曲がる鈍い感触が腕に返り、それでもその刀を振るう。積もる落ち葉を、土を散らして。

 毘沙門天の、そしてかすみの足下から吹き上げられた水流の壁を、刀を振るって散らし、丸太の如き腕で受け漆黒の甲冑で止め、(げき)を宝塔すら打ち当てて砕く。

 

「なぁ……ぁ……あ……?」

 鈴下が頬をひくつかせてつぶやく、その間にも。

 漂う霧は――風圧の通った跡を断面のように見せて――切り開かれ。辺りの竹は鋭い切り口を見せ、倒れる音を上げ葉を散らして()》り開かれ。吹き上がった水流の壁は飛沫(しぶき)となって散り果てていた。

 

 鈴下は顔中を引きつらせたまま(きびす)を返し、背を向けて去ろうとして――【命運ぶ運河の流れ】、その力で足下に水流を発生させて――いた、が。

 その身を大きく傾かせ、つまずいて。すっ飛んだ、地面の上に――掘り返されたような地面の上に。

 

 打ち砕かれていた、辺りの地面が。勢い余って地を砕いた、毘沙門天の斬撃で。

叩かれてへこみ飛び散る土を受けて盛り上がり、節くれ立った竹の根が暴かれて顔を出し。一面が掘り返されたようになっていた。平らな地面――上下動なく速やかに川が流れ得るような――など、どこにもなかった。

 

 顔をずり落ちた眼鏡を長い髪を、十二(ひとえ)に似た衣を土で汚して、うつ伏せに横たわる鈴下へ。

 粗い土を踏む音を立てて向かった。かすみと、刀八毘沙門天は。

 かすみの顔には硬く力がこもり、表情はない。その下でただ、意思だけが強く渦巻く。

 壊して、全てを――私の怪仏。私たちを、あの人たちを、普通の学校生活を――壊す全てを。

――壊せ。

 

「ひっ……」

 顔をこちらに向け息を呑む鈴下にその青ざめた顔見開かれた目に構わず、刀八毘沙門天は八本の刀を――その多くが曲がり、切先や刃を欠いていた――振り上げる。

 振り下ろす、直前。

 

「――ヒューッ!」

 口笛ではなく、高い声でそう言って何者かが飛びくる。それは風のような速さで鈴下の体を引っさらい、かすみから距離を取って着地した。

 

「――ヒュウ……まさに間一髪! 危機一髪でございましたねェ弁才天殿ォ」

 鈴下の体を地面に横たえた後、それは毘沙門天に向き合い、胸に手を当てて一礼した。

 革鎧に包まれた細い体、その背には翼があった。とはいえ、天使というにはほど遠く、その顔は大きなくちばしをそなえた鳥のものだった。

 それがくちばしを動かし、高い男の声で――あるいは低い女の声だろうか――言う。

「――ごめんあそばせェ。あたくし『怪仏・迦楼羅天(かるらてん)』……龍をも食らう神鳥にして、最速の怪仏でございますゥ――」

 鱗に覆われた手――鳥類の足が人の手の形を取ったような――の、鋭い爪が伸びる指でかすみを指す。もう片方の手はしなを作るように緩やかに曲げ、口元を隠していた。

「――毘沙門天の力、強大なものと聞き及んでおりますがァ。いかに強大とて当たらなければァ――」

 

 かすみはそれ以上聞かなかった。いや、(はな)から聞かなかった。無言で、大股で歩み距離を詰め。放つ――『命ずる』のではなく『放つ』。自らの力としてかすみ自身の意思で、怪仏を突進させる――。

 毘沙門天もまた無言だった、突進しながら戟を持つ手、塔を持つ手を高く掲げ、他八本の腕を振りかぶった――肩の上から体の横から、八腕それぞれの方向から後ろへ。背にその切先がつくほどに。

 そして放つ、斬撃を。一斉にではなく、八腕それぞれの時機で。引き絞り切った弓から放つ、矢の速度を持って。

 

 迦楼羅天(かるらてん)は目を見開き、くちばし周りの筋肉を引きつらせ。背の翼を羽ばたかせ、()び上がった。

 翼を下へ打って飛び上がり、あるいは前へ空気を打って退()がり、辺りに残る竹を蹴って跳び。時には迫る刃に羽根の先を散らすも、攻撃をかわし続けていた。

 くちばしの先を叩き合わせ、甲高い音を立てて笑う。

「――ヒューッヒュッヒュ! しょせんはその程度、いくら手数があろうとこの怪仏最速、迦楼羅天(かるらてん)にはァ――」

 

 聞かなかった、聞かなかった、かすみは(はな)からそんなこと。耳を傾けていたのはただ、自らの内から聞こえる声。頭の奥から響く、真言とその力の名。

 印を結び、その言葉を唱える。

「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ――【全斬伐濤(ぜんざんばっとう)】」

 

「――オ、オ、ヲ、ヲオオオオ……ッ!」

 応えるように毘沙門天が()え、背を反らし、四つの顔が天を向く。

 さらに繰り出す、八つの剣を。なおも繰り出す、八つの剣を。振りかぶり引き絞り繰り出す、空を裂く音を立てて。繰り出す。繰り出す。繰り出す。

 

「ひ……っ!」

 押し殺したような悲鳴、空気の塊を飲み込んだような声を上げたのは迦楼羅天(かるらてん)ではなかった。地に尻をつけて震える鈴下紡。

 

 何しろ迦楼羅(かるら)にその暇はなかった。忙しかった、その身をかわすのにではなく、その身を微塵に裂かれることに。

 

 繰り出していた、毘沙門天はその刀を。涙を流しながら吼えて。繰り出す刀は空を裂き地に刺さり自らの他の腕をも裂き、それでも止まりはしなかった。

 なおも自らの腕を裂き血を散らし地を砕いて土を巻き上げ、なおも振るうのをやめなかった。

 

 かすみにも――怪仏と業を同じくするかすみにも、その痛みは伝わってきた。怪仏の痛みの全てではないにしろ、裂かれる痛みが腕に走り、血がこぼれる。

 それでもかすみは表情を変えない。赤茶けて乾いた血に髪を張りつかせたまま、口を引き結び。

 にらんでいた、眺めていた。叩きつける刀が土を巻き上げ、迦楼羅(かるら)の視界を塞ぎ。刀の一つがその身を(とら)え、刃こぼれし切った刀身で、斬り裂くでもなくこぼれた刃に引っかけ、地に押し倒すのを。他の五本の手――刀を握る八本の手、うち二本は斬り落とされていた。自らの他の手で、勢い余って――に握られた刀が、そこを目がけて振り下ろされるのを。それらの手がまた振り上げられ、血飛沫を上げ、何度も打ち下ろされるのを。

 

「ば……け、もの……」

 震える声でそう言った鈴下が見上げたのは。腕を欠き、血と土にまみれた毘沙門天だったか。あるいは何の表情もなく鈴下を見下ろす、かすみだったか。

 

 かすみは鈴下へと向き直る。革靴が土を踏む音が高く響いた。

 そのとき。

「――とったりぃ!」

 声変わりしていない少年のような声が響き、何かが跳びくる――毘沙門天ではなくかすみの方に。

 毘沙門天が反応し、刀と戟を壁のように掲げるが。

 それは刀の横腹を、戟の柄を蹴り、大きく宙返りして地面に降り立った。刀も戟も届かない位置に。

 

 それは迦楼羅天(かるらてん)と同じく革鎧を着込んだ怪仏。ただその背丈は小さく、子供ほどに見えた。合掌した手の親指で剣を挟んで横たえ、革の兜をかぶった頭を下げる。

「――自分こそが真の最速、『怪仏・韋駄天(いだてん)』なり! 谷﨑かすみ……毘沙門天の力を持つ者よ、おとなしく来るかさもなくば――」

 

 言葉が終わる前にかすみは、毘沙門天は踏み込み放つ――【全斬伐濤(ぜんざんばっとう)】。

 しかし、豪雨のように繰り出され続ける刃の中で、分身のような残像をいくつも残し、韋駄天(いだてん)は全て身をかわす。荒れた地面にも顔を出した竹の根にも足を取られることなく。

 

 やがて韋駄天(いだてん)は大きく跳び、毘沙門天から距離を取って足を止める。血だまりに沈むように、()られ潰された迦楼羅(かるら)の元で。その肉体の散らばるただ中で。

 今や胸像のような姿に刻まれ、虚ろな目をして。それでも迦楼羅(かるら)はうめいていた。

「――た……た、すゥ……け……」

 韋駄天(いだてん)はその顔に唾を吐く。

「――チッ……ボクを差し置いて最速などと(かた)るからだ。当然の末路なり」

 そしてかすみへ向けて、手にした剣を構えて。再び駆ける――が。

 

 その速度は遅かった、先ほどより遥かに、迦楼羅(かるら)より遥かに。どころか、ただの人間ほどの速度しかなかった、よろめいてさえいた。

「――な……なんだ、ぁっ!?」

 立ち止まり、自らの足下を確かめて目を剥く。

 

 その足にはしがみついていた、太く重い(おもり)が、血を流すそれが。

迦楼羅(かるら)の肉片と共に散らばっていた、刀八毘沙門天の腕。自ら斬り落としてしまったそれが、肘の辺りで切断された、二本のそれが。韋駄天(いだてん)の両脚にそれぞれ、しがみついていた。

 それらが自らの意思を持つかのように震え、韋駄天(いだてん)の足首を折ろうとするように力を込め、爪を立てる。

「――いっ……だああぁぁっ!?」

 韋駄天(いだてん)が声を上げ、顔を歪ませたそのときには。

 

 かすみはもう、毘沙門天を放っていた。

「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ――【屍山崩落(しざんほうらく)

 地を揺るがす足音を立てて踏み込んだ毘沙門天が、残る六つの腕を振るう。交差した刀を土へ突き刺し、すくい上げる――韋駄天(いだてん)を、足元の地面ごと。上空へ。

 

「――なあああああっ!?」

 共に放り上げられた地面は風圧で土くれへと砕け散る。走る地面も蹴って跳ぶ竹もない空中で、韋駄天(いだてん)を待ち受けていたのは。

 高々と掲げられていた、毘沙門天の三叉戟(さんさげき)。上から軽く載せただけで人の体すら押し斬りかねない、その太い刀身。

 それが、叩きつけられる。

 

「ああああばっっ!?」

 それだけ言って胴を両断され、迦楼羅(かるら)の横に転がった。

「――た……た、す……け……」

 虚ろな目をしてつぶやき、もがくように、宙をつかむように手を動かした。その手が震えながら鎧の内側、(ふところ)へと動いていく。

 やがて、わななくその手がつまみ出したのは。緑の茎がつながった、一輪の(はす)の花。

 

 指から離れ、地に落とされたその花――いや、茎から。

 低く響く声が聞こえた。聞き覚えのある声が。

「――受けよ。【瞬雷の強弓(シャクラダヌス)】」

 

 縦に裂けた茎から白い光が、いや――ばちばちと弾ける音を立てる電撃が、いくつもの矢となってほとばしる。かすみと毘沙門天に向かって。

 

 毘沙門天はかすみの前に立ち、戟と刀を振るって全ての稲妻を打ち払った。

 

 その間に茎から電光は溢れ、輝きの中から一体の怪仏が姿を見せた。高く結った髪と長いあご(ひげ)、焦げたように縮れたそれを揺らしながら。

「――次に()うた時は敵同士……そう言うたは我であったか。それとも(なんじ)であったかな」

 

 帝釈天(たいしゃくてん)。かつて賀来や黒田と共に、語り合った怪仏がそこにいた。肩幅の広い、大きな体をなぜかスーツに包んで。

 

 帝釈天はゆっくりとかぶりを振る。

「――皮肉なものだが。それにしても、よ――」

 足下を見た。血だまりに転がり、うめいている二体の怪仏を。

 後ろを見た。うずくまり、震えている鈴下を。

 前を見た。己の腕さえ斬り落とし、なおも武器を構える毘沙門天を。その先、乾いた血と土に汚れた、かすみを。その目を。

 

 もう一度かぶりを振り、つぶやく。悲しげに目を伏せて。

「――哀れ。哀れよ、娘御。(なんじ)、迷うておるな」

 

 

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