かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~   作:木下望太郎

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三ノ巻33話  戦(いくさ)の怪仏

 

 手を差し伸べたまま、帝釈天は身じろぎもしなかった。その眉だけがわずか、険しく歪んでいた。

 

 かすみは言う。固い体をぎこちなく動かし、冷たい手を握り合わせながら。

「お断り、です。そもそもっ、私の友だちをこんなにする人が、それで平気な人が。悲しみのない世界だとか……帝釈天さん!」

 強く声を放ち、指差す。

 

 わずかに身を震わせた帝釈天に、かすみは言った。

「矛盾してます! 悲しみを生み出しながら、悲しみを無くそうだなんて。人を踏みにじりながら、人を救おうだなんて。分かってるんじゃないですか、あなただって……本当は」

 

 帝釈天は何も言わなかった。目をそらさず――しかし焦点をかすみには合わさず――、身じろぎもしなかった。

 やがて、息をつく。スーツのネクタイを緩めた。

「――……左様(さよう)であるか」

 ネクタイを取り払い、ワイシャツのボタンを外した。その下に、着込んだ革鎧がのぞいていた。

「――おとなしく、従っておればよいものを。誰もかれもが救われたものを……それは、汝も。汝の友も」

 音を立て、スーツとワイシャツを脱ぎ捨てる。

「――なれど、こうなったからには。無念なれど、力ずくにて()る他なし……汝と、汝の怪仏を」

 射抜くようにかすみを見据え、両の手を構える。

 

 が。

 そのとき、何かに気づいたように目を見開く。その視線は下に向いていた。自分の下半身に。

「――あっ、やっぱちょっと待って! これだけ、これだけ待って、な?」

 片手で拝むように手刀を向け、もう片方の手で不器用に腰のベルトを外す。――その下半身は未だ、スーツと揃いのスラックスを履いていた。

 そのまま片脚を上げ、いそいそと脱ぎかけて。バランスを崩し、倒れかけて。

「――あっ。あっ、あっ、あっ、あ~~っ!?」

 こらえて何度も片脚でけんけん跳びをする。

 

 足を継ぐそのたびに倒れかける帝釈天に、思わずかすみも口を開け。片手を押さえるように、差し伸べるように出しかけていた。

 

 が。

 帝釈天はスラックスをつかんでいた片手をポケットに指し込む。抜き出したそこに握られていたのは、見覚えのある武器。短双剣にも似た法具、独鈷杵(ヴァジュラ)

 片脚立ちでぴたり、と静止した帝釈天の、その武器の上で電撃が弾ける。

「――受けよ。【閃雷の金剛杵(ヴァジュラ)】」

 

 稲妻は剣のように太く鋭く。宙にひびを入れたかのような軌跡を残して駆け、打った。毘沙門天を、ではなく、かすみを、でもない。

 吉祥天を。

 

「が……っ!?」

 吉祥天は無言のまま打ち倒される。声を上げたのはかすみだった。かすみの体にも――吉祥天ほどではない、どうにか足を継いで、倒れるのはこらえられた――電撃のような痛みが走っていた。

 

 その間にスラックスを脱ぎ捨て、帝釈天がかすみへと突進する。

「――往くぞ。【稲光(いなびかり)聖剣(パランジャ)】」

 手にした独鈷杵(ヴァジュラ)の片側から、太く電撃が伸びる。弾けるように揺れ動きながらも長く形を保ったそれは、まさに雷光の剣。

 

 かすみへ向けて振り下ろされたそれはしかし、横合いから突き出された毘沙門天の戟に阻まれた。

 毘沙門天は残る腕を振るって斬り返すが、帝釈天はそれに応じることなく、戟に弾かれた時点ですでに剣を引いていた。

 

 帝釈天はそのまま跳びすさり、大きく距離を取る。右手に持った武器の上から、剣を形作っていた雷光がかき消えた。

 縮れた鬚を左手でなで、笑う。

「――ふん。思うたほどにはいかなんだか」

 

 未だしびれの残る体を押さえ、かすみは言う。

「卑怯、な……!」

 

 その言葉を受け止めるかのように、帝釈天は左足を踏み出し。左手を広げ、かすみへと向けた。右手の独鈷杵(ヴァジュラ)は下ろされ、その体の向こうに隠れている。

「――教えおこう、娘御よ。(いくさ)とは勝つため行なうもの……法規や約束事を守ることは、その目的には(あら)ず。……手は、使わぬ方が悪いのだ」

 その表情に笑みはなかった。怒りも嘲りもなかった。何の表情もなく、帝釈天は言っていた。

 

「――汝にも幾つか教えおこう、娘御よ。さすれば我との力量の差が分かろうというもの……まず一つ」

 掲げた左手に指を一つ立てる。そうしながら、ゆっくりと歩み始めた。かすみを中心に、向かって左に円を描くように。それはまるで、教室を歩き回り、思索を深めながら講義をする教授の姿にも見えた。

「――弱き者から、弱き所から攻めよ。……相手の強みにこそ対処すべき、そう思うかも知れぬが。それは違う、相手の強みになどつき合っていては身が持たぬ。相手の強みはいなす程度で放っておけ、働きどころを与えるな。そのうちに……こちらから、相手の弱き所を切り崩す」

 かすみはわずかに顔をしかめた。体を押さえてうずくまる、吉祥天に目をやる。

 

 歩みながら、帝釈天はわずかに笑った。

「――そう、此度(こたび)はそやつよ。……一部とはいえ、怪仏と本地は(つな)がっておる。本地の業、他の様々な者の積もり積もった業、それらが怪仏を形作っておる故にな。そしてそれ故、怪仏が受けた打撃は本地にも、一部だけとはいえ共有される」

 

 かすみの頬が大きく引きつる。

「……騙しましたね」

「――ん?」

 目を瞬かせる帝釈天を、にらみながら言う。

「さっき、怪仏が私そのものだ、って。……違うんですね、あれの一部は私ではあるけれど――」

 歩み続ける帝釈天を見据え、そちらへ体を向けて。毘沙門天を一度見上げ、続けて言う。

「決して、全部じゃない」

 

 帝釈天は歯を見せて笑う。肩を揺すって。

「――くっははは! いやいや、嘘ではないぞ嘘では! ただ、一部だの全部だのとは、言うておらなんだに過ぎぬ。……さて」

 指をもう一つ伸ばしてみせた。

「――二つ。騙せるものは騙しておけ、でき得る限り虚実取り混ぜて。……兵は詭道(きどう)なり――(あざむ)き、(たばか)ることこそが兵法(ひょうほう)――とはよくいうたものだが。嘘や奇策ばかりでも通用せぬものでな、真実や正攻法を織り交ぜてこそ利く。さて――」

 

 帝釈天は歩を進める。

 かすみはそちらへ体を向け、油断なく身構える。毘沙門天も同様だった。

 

 ピースサインのように左手を掲げながら、帝釈天は優しく笑う。

「――敵である汝に、兵法を講釈してやるという(じつ)を与えたわけだが。虚がどこにあるか分かるかな?」

 帝釈天は歩みを止めた。左手のピースサインを突き出しながら、笑みを浮かべて正面を向く。

 

 そのとき見えた、体の陰になっていた右手が。

 そこには何もなかった。何もなかった、持っているべき武器が。

 

「! しまっ――」

 かすみが、毘沙門天が振り向くより早く。

 

「――【閃雷の金剛杵(ヴァジュラ)】」

 帝釈天の声が響き、かすみのほぼ背後、その地面――歩み始める前、体の陰に落としていたのだろう。これまでの戦いで砕かれ飛ばされ、盛り上がった土の陰に――の上で。独鈷杵(ヴァジュラ)が金色の電撃を弾けさせる。

 一瞬後、そこから放たれた二筋の雷光が。(いびつ)に空を裂くような軌跡を残し、打ち抜いた。かすみではなく吉祥天でもなく、毘沙門天を――自ら斬り落としてしまった腕、その傷口を。

 

「ぁ……っ、あ……!」

 かすみの腕にも焼けつくような痛みが走る。

 

 武器を持たないまま、帝釈天が駆けてくる。

「――弱き所から攻めよ。言うたはずぞ、嘘ではないわ!」

 地に膝をつく毘沙門天をよけ、かすみの前に立つ。その太い手がかすみの喉を(とら)える。

「――案ずるな、楽に気絶させ(落とし)てやろうぞ……しかし」

 きつく絞めつけながらつぶやく。

「――いかに最強と語られる怪仏にせよ、本地が戦い方を知らねばのう……宝の持ち腐れよ」

 

「ぁ……ぁ……!」

 その力がさらに強まり、気管が軋み。かすみの前の景色が――帝釈天の顔が――揺らぎ始めたとき。

 

 視界の端から、何かが飛び来る。空気を切る音を立てて。

 わずかに輝く輪のようなそれは帝釈天の手に打ち当たる。

 

「――ぐ!?」

 帝釈天が手を離し、それを放った者をにらんだ。

 輝く金属の輪、車輪のように、円の内側で交差する八本の軸に支えられたそれが、宙を舞って主の手に戻る。先ほど打ち倒され、地に伏しながらもそれを放った、吉祥天の。

 

 帝釈天はいぶかしげに眉を寄せた。

「――宝輪(ほうりん)……だと? 吉祥天にそんな持物(じぶつ)があるなどと、聞いたことなど……」

 

 そこまで言って言葉を止める。

「――ええい、知ったことか! 邪魔立てするならば構わぬ、我が雷撃に平伏せよ!」

 

 かすみは地面に片手をつき、もう片方の手で胸を押さえ。咳き込みながら必死に呼吸をしていた。

 涙のにじむ目で吉祥天を見る。逃げろと言いたかったが喉がかすれ、咳が溢れるばかりで声にならない。

 

 帝釈天が指差した、地面の上の独鈷杵(ヴァジュラ)から。叩きつけるような雷撃の音を響かせて稲光が放たれた。

 

 が。吉祥天に向かったそれは、追いかけるように飛来した何かに叩き落とされ。火花となって、弾ける音を立てて散った。

 

「――な……!?」

 帝釈天が目を見開く。

 

 稲妻を斬って落とし、地面に刺さったのは。短双剣に似た法具にして武具、独鈷杵(どっこしょ)。色こそ黒ずんでいるものの、帝釈天が操る独鈷杵(ヴァジュラ)と、ほぼ同じ形のもの。

 それは帝釈天の背後から、稲妻を追いかけるように放たれていた。そして帝釈天の背後にいたのは。

 

 毘沙門天。思い切り何かを投げつけたような姿勢で、十本の手の内一つを伸ばして、そこにいた。

 

 二つの独鈷(どっこ)を何度も見比べ、帝釈天が声を洩らす。

「――な……何だ、これは……? 毘沙門天の持物は宝棒か戟、そして宝塔……独鈷(どっこ)など持っているはずが……」

 慌てたように毘沙門天へと向き直る。

「――いったい……何者ぞ! 何者ぞ貴様は……いや、貴様らは」

 帝釈天の目が次々ににらむ、毘沙門天を、吉祥天を――そして、かすみを。

 

 

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