楽玲高校生付き合いたてユニバース。
俺は今、斎賀家の敷地内にある庵にて正座し、固唾を呑んで玲さんの動きを見守っている。家の敷地内に茶道用の庵があってももう驚かない。そういうものとして受け入れるしかない。でないと俺は衝動的にコミー君の手を取ってしまいそうだ。
玲さんは近々家の行事で茶会を開き、そこで腕前を披露することになっているらしい。しかし、ここ数日ご家族が忙しく使用人もそれに釣られている。そこで臨時のチェック役として頼まれた訳……なのだが。
「………」
玲さんの作法は何一つ淀み無く流水と見紛うばかり。素人目ながら完璧過ぎて、むしろこっちの気持ちが引き締めさせられていた。
手中の茶筅が抹茶の粉と熱湯を素早く掻き混ぜる。出来上がった一杯の抹茶が俺の前にお出しされる頃には、傍らに置かせてもらった作法一覧のマニュアルを手に取れないくらいに、俺は厳格な雰囲気に呑まれていた。
「オ…オ点前頂戴イタシマス」
出された茶碗を慎重に手に取る。茶碗は俺に正面を向けて差し出されているらしいが、俺の目にはまずこの茶碗のどこが正面なのかがさっぱりわからない。チェック役として必要な教養が足りてないな?
少し器を回し正面(とやら)を避けて口をつける。ちょっと熱かったがここで口を離すのは憚られたので、我慢して飲み込んだ。うん、抹茶の味。
飲みきった茶碗を置き、気持ち居住まいを正す。
「ケッコウナオテマエデ……」
「ふふ、楽郎くんは作法を気にしなくてもいいんですよ? あくまで私の作法のチェックなんですから」
おとなしい色合いの着物に身を包んだ玲さんが袖で口元を隠してくすくすと笑う。なんとも胸を打つ嫋やかな仕草じゃないか。同年代であることを失念してしまいそうだ。
普段の狼狽しきりな態度は可愛らしいのだが、これはこれで……うん、良い。
「そう言われても…玲さんの所作が整ってるから、つい?」
「それは……いえ、そう言っていただけるだけの事は出来ている…のですよね? ありがとうございます」
今日の玲さんはなんだか強いなぁ。(言動のアレコレを除けば)常に冷静沈着なあの仙さんの妹なのだと、改めて理解する。
「茶道の心得は
「ほほう」
「茶を点てる行為、それに用いる道具、それらの取扱い方。全て決まっています。それは、ともすれば窮屈かもしれません。しかし、そうして自らを厳しく律する姿勢こそが、客人に良き時を過ごしてほしいと願う心の顕れだと思います。…これは、先生の受け売りなのですが」
立派な心がけだなあ。
「ですので、カップ麺を美味しく食べるためのものではありません」
「……そっかぁ」
一体何があったのだろうか。微かに顔を俯けて零した玲さんに、俺は曖昧な返事しかできなかった。
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マニュアル片手にどうにかこうにか講評を終える。改めてチェックするとわかる玲さんの完璧っぷりよ。失点ほぼ0なんだが。
しかしなんというか、わかっちゃいたが俺に茶道みたいな芸道は向いて無いなこれ。いつぞやの剣道教室もだいたいE評価で突っ走ったし。
「じゃあ玲さん、俺はこれで。本番頑張ってね」
「はい! ありがとうございました!」
玲さんの笑顔に報われつつ立ち上がる瞬間、俺は既視感を覚えた。足先に
前にもこんな事があった。であればこの後どうなるかも予想できる。俺が上体を持ち上げた瞬間、玲さんの頭部が俺の鳩尾を直撃するのだ。さっき和菓子と抹茶を戴いたばかりなので本格的にマズい。斎賀家の茶室を吐瀉物で汚そうものなら生命の危機――ヤバくね?
「ッ!」
生存本能が体感時間を鈍化させる中、俺はとっさに両手を前方斜め上に突き出した。倒れてくる玲さんを支えれば最悪の未来を免れると信じて。緩やかに視点が上向くのを待つ暇もない、頭に近く支えやすい肩を狙う!
もにゅ。
「?」
明らかに肩ではない感触が手から神経を通じて脳に届く。想定外の柔らかい触感に身体が反射的に手を引っ込めてしまう。「ハイ時間切れ」と言わんばかりに体感時間が元に戻り、影が視界を――
「きゃっ!」
「ぐぶえ」
結果的にヘッドバットではなかったものの、俺の上に玲さんが折り重なるように倒れ込み、カエルみたいな声が吐き出される。どうにか最悪の結果は避けられ――むしろ最悪を更新してない?
「ご、ごごごごめんなさい楽郎くん! 大丈夫ですかっ!?」
「………あの、玲さん」
すぐさま俺の上から退いた玲さんが俺を立たせる。一瞬の内に色々起きすぎて状況の理解が追いついていないが、まず何よりも先に言うべきことだけはわかる。
「は、はい」
「無礼を働いたことを深く詫びます。何でもします。なのでどうか命だけは勘弁してください」
「らら楽郎くん!? ど、どうして急に命乞いを!?」
スッ(庵の襖が開く音)
「では責任を取って玲と夫婦の契りを」
「姉さん!?」
ご多忙であらせられるのではなかったのですか御姉様。
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それからどうやって斎賀家の敷地を出たのか、俺が放心状態から帰ってくる頃には既に家路の半ばまで歩いていた。
開いた己の掌を見下ろす。ここまで何一つ新しく記憶に留めなかったからか、その手には最後に触れた感触が残っている気がした。
「………」
どこぞの変態曰く、時速60だか70kmだかの向かい風の感触は、何とは言うまいが同じだそうだ。「
「………」
だが、仮に疑似体験が可能だったとしても、ソレとコレはやはり別物なのだろう。布では阻みきれない柔らかさ。着物からじわり滲んだ人肌の熱。手に伸し掛かるような重み――
「ぐぅ…!」
手を服にでも擦り付けて感触の残滓を拭い去りたい。でもなんかそれはそれで玲さんに悪いことしてるような気もする。お、俺はどうすれば……!
「あ」
そうだ、天誅しよう。幕末志士はみんななかよし。ちょっと遣り場のない衝動を天に喩えるくらい、笑顔で受け止めてくれるさ。むしろ積極的に受け止めようと向こうから来てくれる。
そうと決まれば急いで帰ろう。
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ログイン狩り狩りした直後にレイドボスさんに