私自身が誕生日なので自分の為に(建前)甘めにしました。
一日の予定を概ね終えて次に遊ぶクソゲーの情報収集に勤しんでいた俺の耳に、控えめなノック音が届いた。
『あ、あの。楽郎くん。今……大丈夫です、か?』
これまた控えめな声が扉越しに聞こえてくる。同棲を始めてもうすぐ一年だが、彼女はまだこの環境に慣れないらしい。
「玲さん、どうしたの……うおぅ」
自室の扉を開けると、両手を後ろに隠して落ち着かない雰囲気の赤面した恋人が視界に飛び込んでくる。今日の日付からおおよそ予想して覚悟していたとはいえ、
「そ、そのっ。今日、バレンタイン……ですっので! こ、これっ日頃の感謝と御礼とそのっ、愛情を……込めた! チョコレート……です!」
「感情の密度高いなあ」
なんだか汗粒が飛ぶ
リボンで口を縛ったシンプルな一品の封を開けると、小さなカカオ色のハートが顔をのぞかせた。
「おお、マ――ジでおいしそうだね!」
危ない。うっかり『まとも』とか言いかけてしまった。恋人からバレンタインのチョコ受け取っての返答としては危険球が過ぎる。とはいえ良かった。去年みたいな―――
家にやってきた玲さんがなんかすごいデカい箱を抱えてた時は最初VRシステムでも持ちこんだのかと思ったし、箱の中からアレが出てきた時は喉まで上がってきた「重」を飲み込むのに苦労した。最初『結婚式かな?』などと軽口を叩きかけたが、言わなかったのは多分正解だったろう。
もしも口に出して真に受けられていたならば。今俺の眼の前にあるのは可愛らしい一口チョコではなく、三段に進化した愛情の結晶だった可能性がある。ゲームの時間を削ってでもカロリーの消費に努める必要が発生していたことだろう。
「これ、生チョコってやつ?」
「は、はい! その、去年のことを岩巻さんに話したら、今年は軽くしなさいと言われてしまって……私の気持ちは、このチョコレートには収まらないくらいなのですが……っ!」
「そっかあ」
サンキュー岩巻さん。後で礼を言わねばなるまい。
「玲さんの気持ち、たしかに受け取ったよ。来月ちゃんとお返しするから楽しみにしてて」
「あ、いえ、そんな! 気を使わずとも私は……」
「俺が玲さんにお返ししたいだけだから。強制イベントなので大人しく付き合ってね」
「あ。う……で、では、楽しみにしてます……」
よしよし。遠慮がちな玲さんには多少強引に行くくらいがちょうど良い。普段の生活から学んできた知恵が生きているな。
さて、幕末のバレンタインイベは昨日までにスコアを荒稼ぎしておいたから今日一日くらいはログインしなくてもランキングに支障は出ないはず。よしんばランキング報酬に届かなくても
今夜は玲さんと過ごすとしよう。というかそのためにスコア稼いだんだし。
大事にしすぎてチョコを悪くしても良くない。生チョコの賞味期限って普通のチョコより格段に短いらしいし。
「じゃあ早速一ついただこうかな。コーヒー淹れるよ」
「……あ、あの!」
「ん?」
玲さんの脇を抜けてキッチンに向かおうとした俺の手を、玲さんがはしと掴む。なぜだろう。さっきより玲さんの顔の赤みが増している気がする。
「そ、その。そのチョコレートにはっ! 正しい、食べ方……が、あり……まして!」
「ほほう?」
この指二本の上に載せられるサイズの甘味にそこまでのギミックを詰め込んだのだろうか。一見何の変哲もないチョコレートに見えるが、さすが玲さん。
アレかな、クッキーに手紙仕込むやつ……いやないか。チョコ溶けたら読めたもんじゃない。
「どうするの?」
「ひ、一粒。お借りします……!」
玲さんは俺の手中にある袋から、チョコレートを一つ取り出し、唇で挟むように咥える。正しい食べ方とやらを実践してくれるのかな。にしても『お借りします』とはよほど緊張しているのか。口に含んだら返しようがない―――
「んむっ」
「?」
気がつくと、玲さんの顔が目の前にあって。
押し込まれた小さな塊が俺の唇を開けて、かすかな苦さを包んだ甘さが歯の上に滲む。呆然とするあまり緩んだ歯の隙間にねじ込むように、甘いとろみが舌に広がって。ここでようやく俺は、口に入れられたものがチョコレートなのだと理解できた。
歯に触れるところまで入り込んでいた熱いぬめりがするりと離れていく。反射的に唇を舐めずるとチョコの味と、それだけではない何かが味蕾を刺激する。
………え、今俺何された?
ととっ、と数歩離れた玲さんが、今日一真っ赤な、耳まで真っ赤な顔を両手で覆い俯く。
心臓の音が部屋の隅まで届いてる気がする。心の準備なんてまるでしておらず、指一本すら動かせないまま立ち尽くす俺の前で、緩やかに顔を上げる玲さん。
指の隙間から、視線をちらりとこちらに向けて。
「……わ、私は。いつでも準備できてます。のでっ」
そう言って、そそくさと玲さんは自室に戻っていった。俺は手近にあったリビングの椅子に力なく座り込み、しばらくさっきの衝撃を反芻していた。
まだろくに動かない肉体の代わりに、脳が激しく活性化し思考が回転を始める。
あれが、正しい食べ方なのか。え、俺からもやるの? 違うか、俺へのチョコレートなんだから玲さんからするのが正しいんだよな。まじで? 毎回アレを?
「ッフゥー………」
深い溜息が口から漏れる。あの玲さんが自発的にこのような挑発的な行為に及ぶとは考えづらい。
一体どこのどいつだ。玲さんにあんな手管を吹き込んだのは。4人分のニヤケ顔が浮かんできたが、今の俺は全員にお礼参りできそうなくらいには心が乱れ散らかしている。
とはいえ、今の俺が考えるべきは報復でなければ礼状の内容でもない。
手中の袋に目を向けると、残り8個のチョコレート。
それはつまり、残り8回ということ。
「……生チョコの賞味期限、短いんだったよな」
背もたれに預けていた身体を起こし、膝に力を込めて立ち上がる。
「うっかり食べそびれたら、玲さんに申し訳ないし、な」
本心なのか言い訳なのか、自分にもわからないものを並べ立てつつ、玲さんの部屋の前に向かう。
喉を鳴らし、息を整えて俺は。
そっと―――扉をノックした。
このあとめちゃくちゃ……ではなくほどほどにチョコ食べた