ある日、トレーナーが死んだ。   作:にに(ににんがし)

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全3話か4話を想定して作っております。
本格的な曇らせ描写は次回からです。
基本はアプリ版ウマ娘のアグネスタキオンのシナリオを参照しているので、そちらを読んでから本作を読んで頂くとより楽しめるかと思います。

一応、タキオンのトレーナーに関しては性別が男女どちらでも問題がないように敢えてぼかして書いているので、お好きな方で想像して読み進めて頂けると嬉しいです。

登場人物紹介
・アグネスタキオン
・アグネスタキオンのトレーナー
性別→どちらでも可
好物→コーヒー







 菊花賞当日。

 

 既に大勢の人々が京都レース場に詰めかけている。

 レースの開始を今か今かと待ちわびる声は、遠く離れた控え室にまで届いており、心做しか私とトレーナー君の間に流れる空気も張り詰めたものになっていた。

 

 トレーナー君が心配そうな面持ちで何度もこちらの様子を確認してきているが、今の私にとってそんなことは心底どうでも良かった。

 

 やっと、やっと全力でターフを駆けることが出来るのである。

 

 もちろん、今まで走ってきたレースで手を抜いていたという訳では断じてない。出場したレースは全て本気で走ってきたし、そうしなければ勝てないレースばかりだった。

 

 しかし、全力で走っていたのかと聞かれるとその答えはNoになる。

 

 ここで一つ自分語りをさせて欲しい。

 

 私にはレースを走る才能に加え、同年代の誰にも負けない天性のスピードと加速力があった。だけれども、それと同時に私の脚はガラスのように脆かった。

 全力で走ろうものならその莫大な出力に耐えきれず、いとも容易く砕け散ってしまうのである。

 

 その為、レースでは脚が壊れないよう力をセーブする必要があったし、日々のトレーニングも、筋力や持久力を底上げする為のものではなく、脚のコンディションを整えることを第一に考えなくてはいけなかった。

 

 はっきり言って、力をセーブして走るということはとても苦痛だった。

 

 なぜなら、私にとって最も重要なことはウマ娘の果てに自らの脚で到達することであり、レースで勝つことというのは二の次であったからだ。

 ウマ娘の果てに到達するためには全力で走ることはもとより、筋力や持久力などの基礎能力を高めることは必要不可欠であり、その為にはトレーニングの強度を高める必要があったが、不出来な脚のせいでそれも叶わなかった。

 

 だから、私は研究に没頭した。

 

 このエンジンばかりが立派で機体が脆く、全力で走ることもままならないこの脚を、どうにかして莫大な出力に耐えることができるようにするために。

 体質を改善するような薬品の開発や、足への負担を軽減できる走り方の研究など方法は多岐にわたるが、研究以外の全てを犠牲にして可能性を模索し続けた。

 時にはデータ収集のためにレースに出走することもあり、いくつかの勝利とクラシック二冠ウマ娘という称号を手に入れたが、やはり私を満たしてくれることは無かった。

 

 日本ダービーが終わった後、私は全く進展の兆しが見えない研究に強い焦りを感じ始めていた。

 

 どれだけ研究を続け、革新的な理論を思い付いてもウマ娘の脚を故障に強いものにするような薬の開発には至っておらず、負担の少ない走り方についても、ある程度の効果が得られるものは発見、習得することができたが、ウマ娘の果てに辿り着くということを考えると、些か以上に足りないものがあるという結論に至った。

 

 しかし、研究の副産物と言うべきかは分からないが、どのようにすればウマ娘のスピードの限界に近づくことができるのかというメソッドについては少しずつ形になり始めていた。もちろん完成と呼ぶにはまだ早く、データも検証も不十分であり、引き続き研究を重ねる必要はあるが。

 

 そして、このメソッドは私の考えにある変化をもたらした。

 

 ──私自身がウマ娘の果てに到達出来なくても、私の理論や技術を受け継いだ誰かがウマ娘の果てに辿り着けば、それは私の理論が正しかったということの証明になるのではないか──

 

 確かに理想は自らの脚で理論の証明をすることだが、現実はそう甘くない。

 私の脚は脆く、とてもじゃないが果てに至る過程の負荷に耐えることは出来ない。

 またウマ娘のピークは短く、悠長にいつできるかも分からない薬の完成を待つことも出来ない。

 それならばいっその事、他のウマ娘に私の技術や理論を託した方が遥かに可能性が高いのではないか? そう考えてしまうほどに私はウマ娘の果てに恋焦がれていた。

 

 そんな時に届いたのが月桂杯への招待状だった。

 

 月桂杯とは、夏の間に行われるエキシビションレースであり、ウイニングライブやセレモニーなども予定されている非常に規模の大きいレースの事だ。

 エキシビションレースと銘打ってはいるものの、模範レースと言うよりはG1レースにも引けを取らない、各世代を代表するようなウマ娘を集めた最高峰のレースであり、今現在ウマ娘界隈で最も期待されているレースと言っても過言ではない。

 

 そんな誉れ高いレースに招待されるということは非常に喜ばしいことであり、トレーナー君にも是非出るべきだという風に言われたが、私は一晩待って欲しいとトレーナー君に伝え、レースへの出走を一旦保留とした。

 

 その晩、私は誰も居ない学園のターフで1人走っていた。

 

 いい加減、選択しなくてはならなかった。自らの理想と共に心中するか、それとも他の誰かに私の志を託すか。

 

 そんな思考を振り払うように、速く、更に速くと脚を前に出していくが、その走りは私が思い描いているものとはかけ離れた走りだった。

 

 ──もっと速く、ウマ娘の脚に眠る可能性の果ては! この肉体で到達し得る限界速度はこんなものではない! ──

 

 そう自分を鼓舞し、懸命に走り続けるが、脳内にある理想は私に影すら踏ませてくれない。

 

 不意に左脚がズキリと鈍く痛んだ。

 それと同時に、私は脚の回転を緩めて行く。目まぐるしく移り変わっていた景色も徐々に落ち着いていき、やがてピタリと止まってしまった。

 気がつくと、荒い息もそのままに、私はターフの真ん中で立ち尽くしていた。

 

 皐月賞の時点で分かっていたことだったが、やはり私の脚ではウマ娘の果てに至ることは出来ない。

 

 ガクガクと痙攣する脚が、ひたすらに見て見ぬふりをしていた事実をありありと突き付けてくる。

 

 こうなってしまえば、私が取れる選択肢はただ一つ。

 

「月桂杯に出よう」

 

 今にも消えてしまいそうなほどか細い声と嗚咽が夜のターフに吸い込まれていった。

 

 翌日、私は月桂杯に出るという旨をトレーナー君に伝え、そこからは憑き物が落ちた様にトレーニングに打ち込んだ。

 

 全ては月桂杯で少しでも良いデータを得るために。

 

 あれだけ固執していた研究もすっぱりと止め、痛む左脚を無視して全力でターフを駆けた。

 

 最初は急な変化に困惑を隠せていないトレーナー君だったが、私が日々記録を塗り替えていけばそんな事も忘れて、私の走りがより良いものとなるように日々トレーニングやフォームの改善を手伝ってくれた。

 

 そんな月桂杯に向けたトレーニングの日々の中、約束したトレーニングの時間を過ぎてもトレーナー君がグラウンドに現れないということがあった。

 トレーナー君は普段、私より早くグラウンドに到着しているし、遅れそうな時には必ず事前に連絡をしてくれている。

 以前であれば、私が連絡を聞き逃している可能性もあったが、最近はトレーニングの事を最優先に考え、体のコンディションも整えているのでその可能性は低い。

 そのままグラウンドで待っていたが、いくら待ってもトレーナー君が現れることはなく、心配になった私はトレーナー室に向かった。

 

 コン、コンとトレーナー室の扉を数度ノックをしてみるが、中から反応は無い。

 失礼するよと一声かけてから私はトレーナー室の扉を開けた。

 

 開けた瞬間に濃いコーヒーの香りが私を包む。

 そして一瞬遅れて視界に飛び込んできたのは、夥しい量の紙で構成された白い海だった。

 苦手なコーヒーの香りに一瞬顔を顰めつつ、入口付近に落ちていた一枚を拾い上げ、内容を見る。

 そこには、月桂杯に出場するウマ娘の得意なコースや癖、性格などが事細かに記されていた。

 慌てて他の紙も見てみるが、この紙の海全てが月桂杯に関する情報をまとめているものだった。

 視線を紙からデスクに移すと、そこにはまるで死体のように動かないトレーナー君がいた。

 一瞬最悪の事態が頭をよぎったが、よくよく観察してみると規則正しく背中の辺りが動いているので、どうやら資料を漁っている最中に眠ってしまったらしい。

 

 こんな不真面目で扱いにくい私にここまで尽くしてくれるトレーナー君に嬉しさと若干の呆れを覚えると共に、月桂杯を最後にもう二度と一緒に走ることが出来なくなってしまうという悲しさとトレーナー君を騙していることに対する罪悪感が私の心を押し潰そうとしてくる。

 

 こちらの気配に気づいたのか、トレーナー君は眠そうな顔でこちらに視線をよこし、次いでデスクの置時計に目を向けると、ギョッとした顔で飛び起きて何度も謝罪の言葉をかけてくる。

 

 私はそんなトレーナー君がなんだか可笑しくて、笑いながらその謝罪を受け取り、改めてこの紙の海がなんなのかをトレーナー君に尋ねた。

 

 トレーナー君は恥ずかしそうに語り出した。

 曰く、頑張るタキオンを見て自分にも何か出来ることはないかと思い徹夜で月桂杯に関するデータをまとめていたとの事だった。

 続けてトレーナー君は、自分に出来ることがあるのなら遠慮なく言って欲しいとも言っていた。

 

 それを受けて、私は冗談交じりに10日程監禁させてくれと言ってみたら、トレーナー君は間髪入れずにいいよと返事をしてきた。

 

 流石に受け入れてもらえると思っていなかった私は驚きで一瞬固まってしまい、ポカンとした表情でトレーナー君を見ることしか出来なかった。

 

 しかし、トレーナー君は大真面目な顔で、私の目を見つめながら、ウマ娘用の薬を飲むだのどんな実験にも付き合うだの思い付く限りの提案をしてくれた。

 

 これには、私もただ笑うことしか出来ず、思わず何がそこまで君を突き動かすのかと尋ねてしまった。

 

 すると、トレーナー君は聞いてもいない、本気で走る私の良さについて語りだし、最後にこう言った。

 

「タキオンと一緒に、限界のその先へ行くためなら、どんな事でもしてあげたいんだ」

 

 そう言ったトレーナー君の目は、私の事をスカウトしたあの夕日に照らされた時と全く同じ、狂気を多分に孕んだ探求者の瞳で、私と瓜二つの瞳だった。

 

 私もトレーナー君も、何も言わずにしばらくただ見つめ合っていた。

 まるで鏡を見ているような、そんな感覚に陥った私は、目線を切り、ため息を一つついて口を開いた。

 

「……私は奇妙なものに惹かれる質でね。君にそんな風に言われてしまっては、私の覚悟が台無しじゃないか」

 

 事態が呑み込めていないトレーナー君は、何かを訪ねようとしているが、それより早く私が言葉を続ける。

 

「可能性がゼロでないならば、諦めるのはまだ早いということだ。ならば、さらなる実験に付き合ってもらおうモルモット君。そして、これから起こるトラブルの半分は君のせいなんだからな」

 

 言いたい事を言った私は、唖然とするトレーナー君をそのままに、トレーナー室を出ていった。

 

 そして、私は久しぶりにトレーニングをサボった。

 

 そこからは色々な事があった。

 

 大きかった事としてはやはり、月桂杯への参加の取り止めにより、メディアがあることないことをでっち上げて、私の事をこき下ろす記事を沢山書き、ばらまいたことだろうか。

 おかげで世間における私の評価は、レースに出ればその脚は一級品だが、問題児としての一面もあるというものになった。

 これに関しては事実とあまり相違がないので、別段気にはしていないが、その後のトレーナー君の詰問は流石に堪えた。

 トレーナー君にとってもやはり月桂杯の辞退の理由というのは気になるようで執拗に質問された。

 全てが上手く行けば話すということで一応の納得はして貰ったが、トレーナー君が私の脚の事について知ったら一体どう思うのだろうか? 

 

 もしかすれば、こんなに重要な事を隠していたなんてと、私に愛想を尽かし契約解除になってしまうかもしれないが、怖いのでこのことについては考えないことにした。

 

 そしてもう一つ大きな出来事としては、夏合宿を経て、遂に私の脚が故障に強くなったことだろう。

 規定回数以上の砂浜ランニングを終えても、全く脚が痛まなかった時は、嬉しさのあまり、砂浜に倒れ込んで高笑いをしてしまった。

 

 正直に言うと、トレーナー君がいなければ故障に強い脚の獲得は夢のまた夢だっただろう。それ程までにトレーナー君は優秀であったし、私に尽くしてくれている。なんだか気恥ずかしくて感謝の言葉こそ口にしていないが、トレーナー君にはとても感謝しているし信頼もしている。

 

 長くなってしまったが、私の今日に至るまでの軌跡はこのような感じだ。

 

 ようやくウマ娘の果てを自分自身の脚で追うことが出来る。この事実がどうしようもない程に私の胸を高鳴らせる。

 

「では、行ってくるよトレーナー君」

 

 吊り上がりそうになる頬を懸命に抑えながら、短くトレーナー君にそう告げると私はターフへ向かった。

 

 

 




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