遠雷、嘶く。   作:りょと

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日本ダービー後です。


日本ダービーの後に・兆し

 ──神威を見た。

 前を走る三人を一瞬の加速で抜き去った様を見て、シンボリルドルフのトレーナーたる彼はそう解釈した。

 立場ゆえに生じる無意識の贔屓目を考慮しても、ルドルフの実力が抜きん出ていることを彼は理解していた。順当に走ればダービーですらほぼ確実に獲り得ることも。

 事実、結果はそうなった。一と四分の三バ身を付けての一着、人気に応えた堂々たる勝利と言える。

 だが──。

「キミが入れ込んでるあの娘、とんでもないわね」

 思慮に耽るトレーナーに、何者かの声が投げかけられる。彼の意識が現実に浮上する数拍の後、声の聞こえた方へ振り返る。そこにいたのは、強豪揃いのトレセン学園にあって、なお抜きん出た実績を刻んだウマ娘──マルゼンスキーであった。

「マルさんがダービー見に来るなんて、珍しい」

 僅かに驚いたような仕草を見せるトレーナー。マルさんと呼ばれた彼女はその呼び方がお気に召さなかったようで。

「おねえさんその呼び方はちょっとイケてないと思うわ──よっ!」

「あいたっ!」

 苦笑混じりの表情を浮かべながら、マルゼンスキーはトレーナーを人差し指で小突く。

「……マルゼンさん、貴女、誰かのレースを見にくるような方じゃないでしょう。それも、ダービーなんて」

 小突かれた額をさすりながら、トレーナーが疑問符を浮かべた。彼の言葉に何かを覚えたのか、マルゼンスキーの瞳が僅かに揺れる。

 

 ──マルゼンスキーというウマ娘は、トゥインクル・シリーズにおいて全レースを無敗のまま引退していながら、日本ダービーを勝利していない。それ以前に彼女は、ダービーを含めた五つの最高格の競走、クラシック競走と呼ばれるレースへの登録すら無かった。

 正確には、登録することを許されていなかった。

 時代故の悲運といえど、運命に翻弄され多くのウマ娘の憧れたるクラシックに出ることが叶わなかったという事実。

 その事実を、マルゼンスキー本人が悔やんだという記録は無い。

 しかし──そのダービー以降、彼女が同レースについて語った記録も、また同時に存在していない。

 

 そんな彼女が、この場にいる。その事実自体が不自然であると、ルドルフのトレーナーはマルゼンスキーに問う。

「ベテランのトレーナーからの評判も良いキミが、他の娘も見ないほどゾッコンの彼女、その走りを一度見てみたかったのよん。

な、に、よ、り。──イイものが見られる気がしたからに決まってるじゃない!」

「いいもの……?」

 やけに直感的な理由に驚いたような顔のトレーナーを横目に、彼女は話を続ける。

「『最も運の良いウマ娘が勝つ』ダービーに、無敗の皐月賞ウマ娘が挑むんですもの。勝つにしろ負けるにしろ何かが起こる予感、ビッシビシ感じちゃった!」

 一体どれほどの理由が彼女の脚をダービーの観客席まで運ばせたのか、と身構えていたトレーナーは、彼女が見せる楽しげな表情に安堵の息を漏らす。

「──それでも、ここまで完成された領域を見られるとは思わなかったけどね」

 目を細めて視線をコースに向けるマルゼンスキー。その視線の先には、走りを終え、呼吸を整えるシンボリルドルフの姿。彼女もまた自身の走りに何かを感じたのか、胸元まで挙げた逆手の掌を繰り返し握っていた。

「領域?」

 聞き慣れない様なニュアンスで復唱しつつ、マルゼンスキーへ問いを投げる。

「んー……。キミは、何かに夢中で時間も忘れて没頭しちゃったことってない?」

 ぽん、と投げ返された質問にトレーナーが空を見上げ、少しの思考時間の後、視線を空に向けたままのトレーナーが答える。

「ある、かな? 前に戦術書を読み込んでいたら、何時間続ける気だって先輩に止められたことが……」

 ちゃんと休みなさいよ、と言わんばかりの表情を浮かべるマルゼンスキーに対して、トレーナーは素知らぬ顔で続きを促す。

「……そんな感じで、我を忘れる程に集中したり、夢中になったり──のめり込んでる様な状態が『フロー』。これはキミも知っているでしょ?」

 彼がこくりと頷くと、その返事を見て話を続ける。

「単に集中、没頭してる状態って言っちゃえば、領域もフローと同じことなんだけど。その二つの間には、わざわざ別の名前で区別するだけの違いがあるの。

──頭抜けた実力の持ち主でなければその存在を知覚することすら叶わず、自分の真価を問われるほどの舞台で無ければ、此方と彼方を隔てる壁は見えない。その上で壁を破る何かを見つけた者にのみ拓ける、自由で万能で全能な世界」

 それこそが、領域(ゾーン)。過去にごく少数のウマ娘が辿り着き、そして彼女の至った限界の先。

 ……ちょっぴり、寂しいトコでもあるけどね。

 と、マルゼンスキーは脅す様な、あるいは諭す様な口ぶりで言葉を綴った。ただ、吸い込む様な碧色の瞳は、再びルドルフを見つめている。

 その眼は、あくまで後輩を見守る者のそれであり、トレーナーもまた、彼女がネガティブな感情を持って話したのではないことを理解していた。

「ルドルフの最後の末脚も、領域(ゾーン)が関係していると?」 

「恐らくは、ね」

 トレーナーをちらりと見つつ、一度話しを止めるマルゼンスキー、しばしの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。

「……彼女の素質なら、秋の古バ混合戦で領域(そこ)への鍵を見つけそう、くらいは思っていたわ」

 けど──、と声のトーンを落とし、トレーナーの顔をぐいと自分の近くに寄せ、囁く。

「一つ、教えて頂戴。──他の()には申し訳ないけれど、今日のレース、ルドルフならもっと楽に勝っていたんじゃないかしら」

 びくり、とトレーナーの身体が反応する。彼自身も、ルドルフの強引ともいえる勝ち方に疑問を抱いていない訳では無く、それ故に図星を突かれた動揺を隠し切れない。

「……何が言いたいんだい?」

 ただ、苦戦していたことに違和感を覚えつつも理由にまでは行き着いてはいない様で、疑問符を浮かべマルゼンスキーに問いかける。彼と向き合う距離感まで離れた彼女は、どこか愉しげに見える笑みを浮かべ。

「あの逆境は、ルドルフが自ら作った舞台。勝利以上の挑戦を、彼女自身が求めた結果の産物、なんて考えられない?」

 言葉は冷静に、されど抑えきれない興奮を滲ませるように、彼女の口振りと表情は弾む。彼にはその感情、表情が、直前に見ていたルドルフの神威が如き末脚を抜く直前に見せた表情──襲わんばかりに獰猛な笑みと同じ種類の笑みであるように見えていた。

 

 ──ルドルフの夢は、結局ダービー直前になっても見つからないままだった。それが、ダービーという舞台ですら道標になり得ないほど、遠くに彼女の夢の在処が有るが故だとしたら。

「……ああ。皇帝、か」

 彼の頭に、夢の在り処となりうる一つの可能性が浮かぶ。その推測、あるいは想像と呼ぶべきそれは、ひどく現実味を欠いていた。ある種の終着点ともいえる世代の頂点、それどころか過去のあらゆる歴史に対し、その価値を冒涜していると言っても誤りとは言い難いほど、彼の推測した彼女の夢は荒唐無稽で暴虐で。そして、正鵠を射るモノであった。

 つまり──、と一呼吸置き、彼はマルゼンスキーにあの走りの推理を語る。

「ルドルフにとっては、日本ダービー(あのレベル)でも能力(ちから)の全てを引き出す事は難しかった。だから──」

「──だから、あの()は覚醒に必要なレベルにまで、無理矢理障壁を引き上げた。挑戦自体に、自分の真価を問わせる為に」

 自分の真価が問われる。その言葉に、つい先ほど語られた一節を復唱する。

「『自分の真価を問われるほどの舞台で無ければ、此方と彼方を隔てる壁は見えない』」

 その言葉に、マルゼンスキーが頷く。

 限界の先、未知たる領域(ゾーン)の条件。その一つを復唱し、改めてルドルフの方へ視線を向けるトレーナー。

「仮にも最高格のレース、それもダービーでそんなことをするなんて、そしてできるなんて思いもしなかったけど。──キミとルドルフも、覚悟を決める時かもね」

「覚悟?」

「世界を、変える覚悟よ」

 その言葉に振り向いたトレーナーの目には、愉快そうに笑みを浮かべるマルゼンスキーの姿。

「ルドルフの走りは、きっと日本のレースを変える。あなたたち自身の意思とは関係なく、一挙手一投足で全てが変わりゆく。貴方たちの熱が、一ウマ娘の枠を超えて世界に伝播する。その重圧を、乗りこなす覚悟」

「それ、は」

 模擬レースの王サマとその観察者ではもう済まない。そんな現実を前に、彼は。

「……それは、面白そうだ」

 ──彼は、笑った。薄く口角を上げる程度の変化ではあったが、その声色は、心踊る時のそれであった。

「怖くないのね」

「畏れはしてるよ」

「一度の敗北が、歴史的な失策、失態として語られるとしても?」

「……うん、恐怖はない。偉大なる歴史を動かしてしまえるプレッシャーは、まあ少し」

あの娘(ルドルフ)も、そうなのかしらね」

 言葉のやり取りが、わずかに止まる。だが、少しの間隙を割って、トレーナーが不意にくすくすと笑う。

「どうだろう。ルドルフなら、これまでと何も変わらない、なんて言いそうだ」

 結局、求められるのは勝利。言ってしまえば、模擬レースの王であった過去と何も変わらない。

 理屈で言えば間違っていないものの、同じ土俵で考えるには違いすぎる舞台の話。それを彼女は、一纏めにして語ってしまうなど──と。

「……言いそうね、彼女なら」

 想像して、納得するマルゼンスキー。彼女の脳内にも、顔色一つ変えずにそう言い放つ彼女の姿が映ったのだろう。

「それに──、いや。……まあ、結果が何になったとしても、僕はルドルフの夢に乗り続けるだけだよ」

「ホント、夢中ねえ」

 呆れるような、面白がるような表情を浮かべるマルゼンスキー。

「僕は彼女のトレーナーだからね──おっと。そろそろルドルフを迎えに行ってくるよ。面白い話をありがとう、マルゼンスキー」

 ルドルフがこちらに気が付いたのか、トレーナー達のいる方向に向けて腕を掲げる。その指先を真似するように、トレーナーもルドルフへピースサインを向けると、彼女が引き上げるであろう控室へ向かう支度を始める。

「こっちこそ、イイモノを見せてもらっちゃったわ。──引退した身なのに、走りたくなってきちゃうくらいにね」

「へえ……。いつか、貴女とも戦うルドルフを見てみたいな」

「ふふ、いいの? キミのルドルフにキ、ズ。つけちゃうわよ?」

「はは、無敗の『怪物』が相手とあれば、皇帝であっても傷の一つは負って然るべきだろう。それでも、ルドルフは勝つさ」

「それは、楽しみねぇ」

 双方共に笑みのない笑顔を交換し、話が終わる。

「それじゃ、またどこかで」

 支度を終え、客席を去ろうとするトレーナー。階段を登る最中、マルゼンスキーがふと思い立ったように問いを投げる。

「キミにとって、ルドルフはどんな存在なのかしら!」

 やや距離があったからか、トレーナーは反応することなく階段を登る。また聞けば良いか──とマルゼンスキーも席を離れる用意をしようかという瞬間。

 彼女の耳に、トレーナーの声が届く。

 気恥ずかしさからか、ウマ娘の聴覚を以てようやく聞き取ることが叶うほどの声量で、その言葉は綴られた。

「僕にとってルドルフは、夢だよ」

 一言を残し、彼はこちらを向くことなく去っていった。

 

「……ホントにとんでもない相手に巡り逢っちゃったのは、案外ルドルフの方だったりするのかしら」

 サブトレーナーとして経験を積んでいた時から多少関わりがあったとはいえ、一生徒の前で告白めいた宣言をしてみせるほどの熱。そんな熱を向けられているルドルフに、ほんの少し同情の念を浮かべる。

「ま、彼女の夢にはこれ以上ないパートナーなのは間違いないわね」

 彼女の進む道。それがどのような偉業であれ、その前には全てのウマ娘が立ちはだかるだろう。三冠を阻止せんと意気込む同期は勿論のこと、その後には彼女以上の経験を持ったシニア級のベテラン、そして昨年クラシックの主役たる三冠馬が待ち構えている。

 彼女の力がそのことごとくを討ち倒すに足るものだとしても。彼女自身の夢、走る理由、その芯が擦り切れない保証はどこにもない。

 不意に在るべき自分の理想が見えなくなり、夢の質量、夢の責任を抱えきれなくなる──心に諦観が忍び込む隙間がどこかで生まれてしまった時。彼の見ている(ルドルフ)が、きっと彼女の理想を描く助けになる。

 そう。マルゼンスキーにとってのそれと同じ様に。

「私も、トレーナーくんに会ってこようかな」

 彼らの信頼にあてられたのか、そう言ってマルゼンスキーも席を立つ。その表情は喜と楽、そして彼女たちの熱に浮かされた様に興奮が表に現れている。

 彼女たちの先達としてルドルフのトレーナーの前では出来る限り抑えていた本能が溢れ、彼女の頬を紅潮させる。

「ふふ。いつかサイコーの舞台で戦いましょうね、『皇帝』さん!」

 その声がルドルフに届いたかは、定かではない。

 ただ、『怪物』の宣戦布告は確かに世界へ聞き届けられた。

 

 ダービーは終わる。

 ──そして、次の戦い(レース)が始まる。

 

 怪物と皇帝、その一騎討ちを予感させる様に、遠くの空で雷が一つ嘶いた。

 

 

◆◆◆

 

 

 ホンモノを見た。紛れもない、時代を塗り替えるような、別格の存在を見た。

「──あの走り」

 天を疾走る稲妻の如き衝撃に打たれ、思考は形を取ることすらままならない。

「あの走り、あの輝き──シービーと、同じだ。あれが、あれがホンモノなんだ」

 鮮烈で、圧倒的な走り。神威とも呼ぶべき豪脚に、感じたのは同期の三冠ウマ娘と同じ何か。

「私に足りなかったモノ、私が掴まなきゃいけない理想……!」

 シービーと何度も走る中で、私に足りない何かがあることは分かっていた。限界寸前の最終直線でなお、彼女だけが飛ぶように、弾むように走り抜ける光景を、何度も見てきた。

 何度も見て、その度に憧れた。

 何度も追いかけて、その度に見失った理想。その理想が、彼女(ルドルフ)の走りで再び形を取り戻す。──それどころか、シービーの輝きだけを追いかけていた時よりもくっきりと捉えられた気さえする。

「トレーナー。次のレース……──期待してて」

 衝動的に呟くと、意外そうな顔を浮かべてこっちを見るトレーナー。彼の目に映る私の顔、あるいは雰囲気に何かを感じたのか、驚きの混ざった表情が楽しげな笑みに変わっていく。

「へえ、いつになく気合が入ってるじゃないか。後輩のレースに何か感じたか?」

「うん。……最後の末脚、まとめて差し切った時のルドルフが、シービーと同じ雰囲気だった。だからかも知らないけど……、何かを掴んだ気がするんだ」

 ターフから見たホンモノの煌めきと、外から見たホンモノの輝き。二つの光が私の中で重なり、ホンモノの(かげ)を結ぶ。

 それを追いかけた先になにがあるのか。どんな世界が見えるのか。──衝動を、試したい。できれば大きな舞台で、欲を言えばダービーと同じ舞台──ジャパンカップで試したいけれど、今から11月まで待っていては遅すぎる。

 ただ、少しでも近い舞台、中距離の最高格レースでグランプリの片翼である宝塚記念が近かった事は幸運だった。元々年明けからずっと目標だったレースでもあり、この高揚をぶつける舞台としては申し分ない。

「なら、もっと練習しないと」

 宝塚記念は、オマケに関西遠征なのだから練習時間は更に少なくなってしまう。掴んだ何かを自分の走りに繋げる為には、もう一秒だって無駄にはできない。

 出していたいくつかの荷物をカバンに放り込んで、席を立つ。いそいそと帰り支度を済ませ、トレーナーに声をかける。

「先にトレセン戻ってるね、トレーナー」

「ああ。って、今から練習か?」

 もちろん、と頷く。トレーナーはなんとも言えない表情を浮かべながら、不承不承と返事をした。

「……分かった、後で合流する。けど言っとくが、レースは来週なんだ。俺がいないからって無茶なトレーニングは──っ聞けよ!」

 分かった、の言葉が聴こえた時点で観客席脇の階段を駆け上がる。トレーナーには悪いけど、無茶しない程度の無茶はするつもり。

 どんなに鮮烈なイメージだって、時間が経てば次第に薄れていく。今でこそ掴みかけている何かも、いつこの手をするりと抜けていくか分からない。

 だから今は、一刻も早くターフに戻って彼女たちとの差を知るべきなんだ。

 ──目に焼きついたホンモノの幻影(かげ)が、消えてしまわないうちに。




次は宝塚記念です。
Dear Mr.C.B.(ミスターシービー賢さSSRサポカ)のエピソードを全人類読んでください。
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