鉄拳のアイアンメイデン ~Fragment prologue~ 作:百々目
――いつだって、世界は残酷だ。欲しいと思っていたものが、他の人にあっさりと取られたり、奪われたり、簡単に失ったりもする。世界は平等で、理不尽で、そして、悲しいほどの無関心で溢れているのだ。
だからだろう、こうして一人の命が消えかけているのも、きっと世界からしたら些細な問題なのだろう。
「は、は、は、」
暗闇で先の見えない道を彼女はひた走る。途切れ途切れな息遣いが暗闇の中、彼女ががそこにいることを主張する。彼女本人にとっては誰のものかなんて、今さら聞くまでもない。
聞きなれすぎて、でも、普段の彼女からしたら絶対にしない音。それが他でもなく自分の口から洩れていることに、彼女らさして疑問を浮かばなかった。
いや、浮かばないんじゃない。浮かぶ余裕がそもそもない。
なぜなら、人間、身に迫る危険よりも意識することなんて他に何もないのだから。
「gyurrrryyyyyyyyy」
身体の芯を深くまで貫くような、不気味な音が彼女に降りかかる。それに対し、恐怖と困惑と、そして、頭の隅に浮かぶ後悔が彼女の頭を埋め尽くしていた。
忠告はされていたのだ。危険だと、このあたりに近づかないように言われていた。
しかし、普段から使い慣れた近道だったこと、道も明るく、不審者に襲われたなんて話も聞いたことがなかった。そのため、冗談だと聞き流してしまったのだ。
どうして、その言葉を受け入れなかったのだろうと、今更になって彼女は後悔する。それと同時、忠告してくれた女の子の必死そうな顔を今になって思い出してしまう。
後悔と恐れ、そしてどこかすがるような瞳にどうして、もっと真剣に向き合わなかったのだろうと。
後悔は先に立たず、その言葉をこんな状況に至ってからようやく彼女は理解した。
しかし、きっとそれは全て手遅れなのだ。
なぜなら、この世界は残酷だから。命の危機に颯爽と現れる、そんな都合のいいヒーローはこの世にいないのだ。そんなこと、彼女も言われずともわかっている。
わかっている、のに、だ。
「……助けて」
途切れ途切れの呼吸から、漏れ出す言葉は真逆のもの。救いを求める声は、しかし宵闇の中へと消えていく。届くはずもないのに、届いてもこの状況がどうにかなるわけでもない。
それでも、彼女の口からは無意識のうちに言葉を紡いでいく。
「……助けて、誰か。助けてよ。いや、私、死にたくない!! 神様でも、誰でもいいから!」
そんな無様に、情けなく、涙と鼻水とでぐしゃぐしゃに歪んだ顔を、化け物は何が楽しいのかニタニタと顔をゆがませて見下ろしている。
獲物の無様に嘆く様を、心底楽しそうに。それが悔しくて、悲しくて、睨み返したい、そう思うのに、彼女の身体を襲う恐怖が身をすくませてしまう。
「gyurRarraaaaaaaaa!!!!」
ニタニタと、笑みを浮かべていた化け物は目の前の獲物をいたぶるのにも飽きたのだろう。耳元まで裂けるような大きな口を開くと、丸のみにしようとゆっくりと首を下げていく。)
(ああ、私、死ぬのかな。死ぬ前に、やりたいこと、たくさんあったのにな。今日の夕飯、カレーだって、お母さんが言っていたのにな。好きだから、楽しみにしてたのに、食べられないのかな)
死ぬ間際に浮かぶのは、出かけに話してきた母の顔だった。こんなことなら、もっとたくさん話しておくべきだったと。様々な思いが彼女の脳裏を駆け巡る。
それでも、現実は非常にも、ささやかな彼女の願いを踏みにじる。だからだろう、彼女は願う。自身を助けてくれる存在が現れることを。来ることのない、助けを。
「嫌だよ……私、まだ死にたくない!!」
「オッケー分かった。今すぐ助けてあげる!!」
瞬間、目の前の化け物の首が真横に吹っ飛んだ。ドゴーンと大きな音を立てて吹っ飛んだ化け物は、その勢いのままコンクリートの壁にぶつかる。衝撃の勢いそのままに、舞い上がる粉塵に隠れてしまい、その姿はあっという間に見えなくなる。
代わりに彼女の視界にひろがったのは、化け物とはくらべものにもならない、小さな背中だった。涙でにじむ視界の中で、ぼんやりと像を結ぶその姿は、女性のものと思われた。
栗毛色の方まで伸びる髪は後ろで軽く結んでいるためか、まるで獣の尾を連想させた。その細い体に目を向けると、着ているのはどこか学校の制服のように見える。履いている靴がスポーツショップでよく目にする豹のマークが特徴的なスニーカーなあたり、きっと活発な性格をしているのだろうと推測させられた。
しかし、そんなどこにでもいそうな少女であったが、ひと際に異彩を放つものが彼女の目に映った。
それは籠手だった。剣道で使うようなものではない。どちらかというと、西洋甲冑で身に着けるような類のものだ。
赤黒く、鈍く光るその甲冑籠手が目の前の少女の両の拳に備わっている。それを見た瞬間、先ほどの化け物と同じかそれ以上に、彼女は薄気味わるさと恐怖を感じた。
なぜなら、その籠手に描かれていたのは、苦しみ、嘆き、そしてこの世全てを憎悪するかのような女性が描かれていたから。
「間に合って良かった! 大丈夫? 動けそう?」
そんな彼女の心情など露知らず、少女は心こちらを気にかけるように言葉をかけてきた。
「は、はい。だ、大丈夫です」
「なら良かった。もう少し早く来られたらよかったんだけど、ここまで来るのに少し手古摺ちゃって」
そういって、こちらを振り返った少女の顔にさらに驚きを隠せなかった。その顔は、彼女が先ほど後悔することになった一因の少女だった。
あの時、私に忠告してくれた少女がそこにいた。
「あ、あなた、さっきの……」
「うん、その答え合わせは後程ね。今はそれどころじゃないからさ」
少女はそういうと、視線を切り、先ほど殴り飛ばした化け物のいるほうをにらみつけた。
「さっきのでアイツ、死んだんじゃ……」
「いや~それくらいでお陀仏してくれたら、私ももっと楽なんだけどね。私、ただでさえ弱いし、不意打ちついて殴ったけど、たぶん、ほとんど無傷よ」
そういった瞬間、化け物が吹っ飛んだ場所からドカン!と音がしたかと思うと、土煙が天高く舞い上がる。その音と時を置かずして、先ほどの化け物が大口を開いて目の前の少女に襲い掛かる。
そんな瞬きほどの時間もない中で、しかし少女は油断なく構えていたのだろう。化け物の行動を完全に見切って動き出す。
後ろではなく、あえて前に。前進こそが、恐怖を打ち砕く最大の武器だといわんばかりに。
「だらっしゃぁぁあああああ!!!!」
喉から絞り出すような、裂帛の気合を込めた声が響きわたると同時、少女の右拳が再度、目の前の化け物の眉間にぶち当たる。その衝撃はすさまじく、突進してきた化け物の前進を押留めるどころか、勢いのままに後方へ吹っ飛ばした。
四肢を地面につきたてながら、その勢いを殺す化け物は、撃ち込まれた額にどす黒い血をにじませながらもその目には強い怒りの感情がうかがえた。
「ち、中々にタフだね。これは少し骨が折れそうかも。あ、よく考えたら戦闘で骨が折れなかったことなかったわ、私」
そんな気勢を失う様子がない化け物を目の前にしてもなお、少女には何ら気負った様子は見えない。まるで、自分が負けることなど考えもつかないような、そんな余裕すら垣間見えた。
「とはいえ、少し力入れないとどうにもならいか」
そういうと、少女は油断なく構えていた姿勢を解く。そんな隙だらけな姿に、しかし化け物も警戒して動こうとしない。唸り声をあげながら、じりじりと近づきながら、その牙を突き立てる機会を狙い続ける。
そんな目の前の化け物に動じることなく、彼女は胸の前で手を組んだ。その姿はまるで、教会で祈りを捧げる修道女を連想させた。
「我、捧げるは穢れなき願い。想い焼べるは輝かしき未来。断末魔の叫びと狂気の果てで我に勝利を捧げたまえ」
その言葉は祝詞であり、祈りであり、そして呪詛だった。いつかたどり着く未来を捨てて、目の前の勝利を欲するその言葉は、果たして何を捧げたモノなのか。
ただ、彼女がわかったのはそれがきっと碌でもないものだろうということだけだった。
そんな少女の祈りに応えるように、少女の籠手の模様が動き出す。叫び声のような、悲鳴のような呻き声をあげていく。
そして、波打つように動いたかと思うと、
「痛ッ! やっぱり、何度やっても慣れないわ~」
少女の手が真紅に染まっていく。何が起きたのか想像に難くない。あの籠手は、使い手を傷付ける武器なのだということが、遠目に見ても理解できた。
その痛みを堪え、少女は再度化け物に対し構えをとる。
「求めに応じて力を貸して、アイアンメイデン!!」
「All Right,Execution will be executed.」
瞬間、彼女の求めに応じるように、甲冑籠手、アイアンメイデンは力を発揮した。禍々しい光が少女の身体を包みこんでいく。そして、光が全体を覆ったかと思うと、ガラスが砕けるような音とともにその姿を露わにする。
明るかった栗毛の髪は、まるで赤い血だまりに浸したように色を変えていた。意思の強い黒い瞳はその髪と同様に真紅に染まっている。そして彼女の両手に備わっていた籠手は、全体を逆棘が生えており、より不気味さを増していた。
しかし、そんな恐ろしさを感じるよりもなお、目の前の少女に感じるのは暖かさだった。まるで、光の差さない暗闇の中、燃え滾る松明のようにも思えるその少女はまるで————。
「……あなたは、いったい何なの?」
思わずといった具合に零れた疑問に対し、振り返った顔に笑顔を浮かべながら少女——市ノ瀬美郷は答えた。
「ただの通りがかりの正義の味方よ」