アタシはずっと逃げていた。父様が亡くなってからずっと。
偉大なるバーンの名を継ぐ者として、父様の仇を討つべきだということは分かっていた。
それが誇り高き草原の民としての在り方だ。常に見守ってくださる祖霊たちに恥じない戦いをすることが当たり前であった。
けれど。けれど、父様は偉大に過ぎた。
誰よりも強く、優しく、寛大で、冷静。人を導くために生まれてきたような男だと皆が口を揃えて言った。アタシはそんな父様が誇らしく、憧れで、大好きだった。
だけど、そんな父様は死んだ。
凶悪な魔獣によって部族の者が襲われていく状況を受け、父様は勇士を連れて出陣、果敢に戦い、魔獣を撤退に追い込む。しかし、父様も致命的な大怪我を負ってしまっていた。
一目でもう長くはないと分かる怪我、しかも運悪く、流行り病が父様を襲う。そして、呆気なく父様は、あんなに偉大だったアイルロス・バーンは死んだ。
目の前で世界が崩れ去っていくような感覚を覚えた。何をしていいかわからなかった。
父様の娘として敵討ちをしなければならなかった――あの父様ですら勝てなかった存在に勝てるとは思えなかった。
バーンの名を継ぐ者として支柱を失った皆を導かなければならなかった――父様のようにうまく纏め上げられるとは思えなかった。
だから逃げた。敵討ちからも己の血からも。
そうして逃げ続けながら考えた。なぜ父様は逃げなかったのだろう。偉大な長であり続けられたのだろう、と。
そんなある日、集落に4人の来訪者があった。動く家のような奇妙な物に乗って。
アタシはその中の1人、キズナと特に親しくなった。他の者たちは色々と理由があって近づきたいとは思えなかったから、という消極的な理由でしかなく。父様の死から逃げ癖が染み付いてしまっていることは明白だった。
話を重ね、仲を深めるうちに思った。彼もまた、あの怪物に挑んで死ぬのだろうか、と。アタシはまた置いていかれるのだろうか、と。
だから引き留めた。恥も外聞もかなぐり捨てて、泣いて止めた。あの時、父様の背を見送ることしかできなかった後悔がずっと胸の奥にあったのかもしれない。もしも泣き喚いてでも伝えていたら。「行かないでほしい」と伝えていたら、何かが変わったのだろうかと。
けれど。キズナの決意が変わることは無く。
暗い絶望に包まれたような心地となっていたアタシに、彼は言った。
「きっとピスカのお父さんも同じだったんじゃないかな。君やみんなを護るために強大な魔獣に立ち向かった。勝ち目なんか見えなくても、戦う理由があったから。それは誇るべき事なんだと、僕は思う」
ストン、と。彼の言葉はアタシの中に入ってきた。
父様が戦っていた理由。戦い続けた理由。逃げなかった理由。
考えれば直ぐに分かる事だった。
いつも父様は言っていたではないか。「お前を愛している」と。
「…っ!」
「あっ!ピスカ!」
感情の収まりが付かなくなりそうで。溢れる想いが零れそうで。
アタシはテントを飛び出してしまった。
「父様、父様、父様ぁ…」
そして、よく父様と星を見上げた場所で。蹲って泣いた。
父様は英雄の器だったから戦い続けられたわけじゃない。
ただ、娘を、家族を、友を、仲間を護ろうと懸命だっただけだった。
そんなこと、考えなくても気付くべきことだった。逃げ続けていたから気付けなかった。
アタシはずっとずっと愛されて護られ続けていた。
偉大な親を誇りに思うのなら相応の振る舞いをしろ、か。いけ好かない男の言葉が頭に浮かぶ。悔しいが、その通りだった。
父様が与え続けてくれた愛にお返しをしなければならない。
父様は死んでしまったけれど。草原の民は死しても祖霊となって子孫を見守り続ける。
なら、きっと父様も見てくれるはず。見てくれているはず。
きっと今の姿も。今までの姿も。
「あーあ!アタシ、逃げて泣いてばかりだにゃあ!」
あの日からずっとそうだった。父様の敵討ちからも、己の血からも。
逃げて泣いて蹲って。
今日もそうだ。テントから逃げて泣いて蹲っている。
でも、今日が最後だ。
もう、アタシは逃げない。
アタシは、ピスカ・チュマ・バーン。偉大なるアイルロス・バーンの一人娘にして、導き手チュマの称号を継ぐ者。
もう十分泣いた。泣いて泣いて泣き喚いた。
支度をしよう。戦の支度だ。
父様がそうだったように。アタシも大切なものを護るために戦おう。
さしあたっては、進んで死地に飛び込んでいく、あの馬鹿を護らなければ。
大切なモノを二度と失わないように。
さあ、立ち上がる時は来た。
◆◆◆
そして。キズナ達の魔獣討伐に同行することになって。
魔獣の根城へと進む道すがら、アタシはルネとティエラ…キズナと共に旅を続ける2人の女性に話を振った。ちょうど、キズナとパドロンは前方で他の草原の民と話していて、こちらに注意を向けていない。
昨日、立ち上がる決心をしてからずっと。なんだか気分が妙なのだ。
いや、誤魔化すのは止めよう。アタシはそんなに鈍感じゃない。これは恋だ。逃げ続けた自分が立ち上がるきっかけをくれた男にアタシは心惹かれた。
父様が死んでからずっと腫物を扱うかのように遠巻きにしていた部族の男たちではなく。あの日、アタシを気遣いながらも、「伝えるべき」と思ったことを真っ直ぐに伝えた男に。その真っ直ぐすぎる眼に惚れた。
アタシたち草原の民は「強さ」を重んじる。武力という点ではキズナは現状論外だ。でも、アタシたちにとっての「強さ」は武だけではない。何か他者より秀でたモノが1つでもあるのなら、それこそが「強さ」と捉える。その観点で見れば、キズナは「強い」。
ヒトの身に余る大望を愚直に信じて突き進む。成し遂げられるか否かではない。成し遂げねばならないのだと胸に刻んで進み続ける。ただただ真っ直ぐに、想いを貫く。これは強さだ。誰かに真似できるものでは無い、キズナの、キズナだけの「強さ」。それをアタシは好きになった。支えたいと思った。
…そうすると気になってくるのはキズナの傍の2人の女性の事で。
戦いの前に気にすることでもないと一度は思ったが、この機会を逃すと永遠に聞けない可能性もあった。草原の民は幼い頃から教え込まれる。命を懸ける戦いを前に心残りは残すべきではない、と。そもそも目的の場所までは距離がまだあったし、戦闘の前に緊張しすぎた身を軽い言葉の応酬で解すのは珍しい事ではない。
…などと自分を納得させて。アタシは2人に話しかける決心をした。
ルネとティエラ。
昨日から行動や会話を見てきて殊更に不自然な点があったわけではない。裏切りを企てているとかそういうことでもなさそうだ。だが、異常であることは間違いなかった。
まず容姿。
アタシも自分の容姿にはある程度の自信があった。偉大な英雄の父様は草原で一番美しい女を娶ったし、アタシにはしっかりとその血が受け継がれている。求婚された回数なんか数えるのも馬鹿らしくなるくらいだ。もっとも、求婚してきた男は全員、手合わせで返り討ちにしてやったが。
だが、ルネとティエラはちょっと次元が違った。何者かが一から最高の美を求めて造り出した人形だ、と言われても納得するような美しさなのだ。漆黒の瞳も蒼の瞳も宝石みたいにキラキラ輝いていたし、濡羽色の髪も翡翠の髪も最上級の絹のように艶やか。顔の造形は非の打ちどころがなく、それでいて年若い少女のような可愛らしさも兼ね備えている。
…流石に冗談が過ぎるだろう。嫉妬を通り越して意味が分からない。
まぁ、容姿は100歩譲って、そういう風に生まれたと解釈も出来よう。
だが、それ以外も奇怪に過ぎた。
まずはルネの方。
彼女はとにかく幼すぎる。思考と言動があまりにも未成熟。例えば、生まれたての赤子に知性と言語能力を与えたような。
或いは、人形がヒトを真似ているとでも表現するべきだろうか。
先程、何者かが美を求めて造り出した人形では無いかと冗談半分に疑ったが、その人形が制作者の意図を飛び越えて意思を持って動き出した…そんな印象を受けるのだ。
その底に渦巻く良く分からない力も恐ろしいと感じる。考えてもみてほしい。倫理観や常識の育ち切っていない幼子が、得体のしれない魔術の魔法陣を部屋中に書き殴っている光景を。
それがルネという少女から受ける印象である。
次にティエラ・アス。
彼女はバラバラでグチャグチャだ。思考も言動も内面も。無理やり継ぎ接ぎしているかのよう。
だというのに、表面上は違和感なんてない。まるで、そうあるのが当然だというように平然と世界に溶け込んでいる。実際、アタシほどではなくとも第6感に優れた草原の民たちも彼女に違和感を覚えていない。
足も腕も胴も頭もバラバラのくせに、それが「マトモ」に動いている。
それがティエラという女性から受ける印象だった。
ヒトを真似たのがルネならば、ヒトが崩れ去ったのがティエラだ。
そんな2人が世界を、ヒトを救おうと仲良く旅をしている。
警戒するなというのは無理な話ではないだろうか?
だから意識して避け続けていた。でも、もう逃げないと決めたから。
「お前たちは何にゃ?」
「どういう、いみ?」
流石に失礼かとも思いつつ、直球で尋ねた。
変に取り繕うよりも誠実だと思ったというのもある。
また、何かやましい事を胸に秘めていれば、この質問で動揺するはずだった。
だが、返ってきたのはルネの、「心底意味が分からない」と言うような困り顔。眉を寄せて口をすぼめ、小首をかしげる…そんな顔も可愛い。これを天然でやっているのだから恐れ入る。
「あー…ルネは昔の記憶を失っているんです。なので、彼女自身にも彼女の事は分からないんですよ」
すると、その反応への回答はティエラの方から返ってきた。
記憶がない、自分が何者なのか分からない。親のことも友のことも故郷のことも何も覚えていない。キズナも同じだというのは彼自身から聞いた。
…それは辛いことだ。経験なんて無いけれど、とても辛く悲しいことだというのは分かった。
知らなかったとはいえ、無神経に過ぎる問いを投げかけてしまったと理解する。
「そうかにゃ…それはすまにゃい事を聞いたにゃ。ごめんにゃ」
「べつに、きにしてない。ゆるす」
謝れば、ルネは本当に気にしていない様子で許してくれた。腕を組んで「フンス!」とでも擬音が付きそうなドヤ顔をしている。いちいち可愛い。
このまま話が流れてしまうかとも思われたが、ティエラは先程の質問が自分にも向けられていたことを正確に理解していたらしい。
静かな口調で答えてくれた。
「オレの方は…えぇ。オレは自分が何者なのか良く分かっていますよ。そして、その異常性も、ね」
「…いや、その別に、にゃ。
あまりにも直球で返されたものだから、質問した側のアタシが戸惑ってしまう。
しどろもどろするアタシの様子に、クスリと小さな笑みを浮かべつつ、ティエラさんは言葉を続けていく。微笑みは幼子を見つめる慈母のような優しさに満ちていた。
「ピスカさんがオレを警戒するのは当然です。オレの全ては嘘で出来ていますから」
「…嘘で出来ている、にゃ?それはどういう…」
「だけど、大丈夫です。「ティエラ・アス」の行動は「陽川絆」のためにあるのですから」
返される言葉は抽象的で分かりにくい。けど、出鱈目で誤魔化して煙に巻こうとしている…というわけでもなさそうだ。少し困ったように眉根を寄せる表情は、本当にそうとしか表現できないという事を雄弁に伝えていた。
その言葉に込められた意味に頭を巡らせようとして…。
「だから安心してください。ピスカさんの想い人を害そうなどとは考えていませんよ」
「にゃにゃにゃ!?ちが、違うにゃ!そういう事じゃ
完全にそういう意味だったが、認めるのは恥ずかしすぎて誤魔化した。
逃げないと決めたんじゃなかったのかと心の中でもう1人の自分が冷めた眼を向けているような錯覚に陥ったが、仕方ないのだ。時には、戦略的撤退も必要なのだ。
ああ顔が熱い。きっと真っ赤になってしまっているのだろう。
慌てて誤魔化す自分を他所に、ティエラさんは視線を逸らし、どこか遠い遠い地を見つめるような眼をする。そして、小さく呟いた。
「それに。いつかオレは――」
筆舌に尽くしがたい複雑な感情を乗せて、零れた言葉は、嘘まみれと自分を表した彼女の、どうしようもない本音のようでもあった。
「…いえ、何でもありません」
彼女はハッとすると、慌てたように誤魔化した。踏み込まれたくない領域なのだろう。
そこを無理やりこじ開ける程、無神経な女ではありたくなかった。
「そうかにゃ。…感謝するにゃ。良い感じに力が抜けたにゃ。戦いの前に変に気負い過ぎると大きなミスに
「…?」
アタシの言葉にルネが不思議そうに小首をかしげた。
少し無理やり感があったかもしれないが、強引にこの話を終わらせる。
2人ともキズナを害そうなどとは思っていないことだけはハッキリした。
今はそれで十分だ。
そうやって前方の集団に追いつこうと足を進め始めると、背後からティエラの声が届いた。
「ルネ。ピスカ。キズナ君の事をお願いしますね。彼は少々…いえ、かなり危ういところがありますから」
「にゃ?それはどういう…?」
「あ、向こうでキズナ君たちが呼んでいます。どうやらそろそろ目的地のようですよ。急ぎましょう、二人とも!」
また誤魔化されてしまった。
なんだろう、今の言葉は。まるで……。
★次回予告
ルネとピスカとティエラ。3人の女の会話の裏側で、精霊は一人演じ続ける。
次回、『ソシャゲで1位』3章5話。
『この気持ち、まさしく(偽りの)愛だ!』お楽しみに!