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今こうして腰を下ろしているビルの屋上も、この周辺では一番高いが、あの世界樹の高さには到底及ばない。
眼下に広がる夜景は眩い科学の光で満ちているが、あの機械都市のテクノロジーには及ぶべくもない。
それでも。
それでも尚、ビルの上から眺める夜景は――あの混沌の世界に広がる如何なる景色よりも――美しく、尊いものとして映った。
『あ、秋イベの配信が始まったよ。今回はラーメンのイベントみたいだね』
「それは重畳。料理関連のイベントで、『
『けど、作る側じゃなくて審査員側にいるよ?』
「アイツは阿呆なのか?」
全く何をしているんだ、あの阿呆は。
あの別れから3日。早くも新しい壁にぶつかっているらしい。それも割とどうでもいい類の壁に。
『…………あれ? プレイして様子を確認しないのかい?』
「確かにアレはどうしようもない阿呆だが、曲がりなりにも三位一体の精霊。『人間』の力が及ばぬ所は、もう1つの人格が補うだろうさ」
『ふぅん。信頼しているんだね? あの2人のことを』
「唯の事実だ。他意はない」
『へ~? ま、そういうことにしておくよ。それで? WFをプレイしないのなら、いったい何をするつもりだい?』
空中に浮遊する長方形の物体――確か、スマートフォンと呼ばれる物――には目も鼻も口もなく、その表情は伺えない。しかし、発せられる音声には圧倒的な揶揄いの色がある。
腹立たしいのは間違いなかったが、否定しても肯定しても藪蛇であるようにも思えた。
それ故、努めて無視することとし、夜景の一点へと目を凝らす。
より正確には、その先にある建物へと。
「『
――『
◆◆◆
消毒剤の匂いがする。嗅ぎ慣れてしまった、嫌いな匂い。
あぁ、そっか。
お母さんとお兄ちゃん、心配させちゃったな。本当、駄目だな私って。
……でも、変だな。いつもなら、もっと苦しいのに。苦しくて、痛くて、怖いのに。
どうして今日はこんなに心地いいんだろう。
「…………駄目か。星の力ですら、
『だから言ったじゃん。絶対に無理だって』
声が聞こえる。凛とした女の人の声と……もう一つは何だろう? 声変わり前の男の子の声とも聞こえるし、小さな女の子の声にも思えるし、まったく違うような印象も受ける。
共通しているのは、どちらも知らない声だということ。そして不思議と、ちっとも怖くないこと。
「黙れ、テラ。『
『あーヤダヤダ、年を取ると寛大さや柔軟さが失われていくよね。老害ってのはコレだから』
「すまんな、年のせいか貴様の真意に気づくのが遅くなってしまった。そんなに死にたかったのか。安心しろ、今すぐスクラップにしてやる」
『やめてやめてやめて! ごめんなさい謝るから! 今のボクは何の変哲もないスマートフォンでしかないから!! お星さま最高!! 若くてピチピチ水の星!! あ、ヒビ入った!!!』
「病院で騒ぐとは常識のない奴だ」
『誰のせいだと!!??(小声)』
寝起きのフワフワした意識がようやく少しハッキリしてきた。
定まってゆく焦点の中、1人の女性の姿が浮かび上がる。
薄暗い病室で、月明かりに照らされた彼女の姿は――――
「……きれい」
その姿を正確に表現する言葉を、私は知らなかった。
春の新芽のような緑の髪。夏の空を閉じ込めたような蒼の瞳。秋の紅葉のような艶やかな唇。新雪のように真白い肌。
全てが。彼女を構成する全てが、ただただ綺麗だった。
「すまない、起こしてしまったか」
「えっと、あなたは……」
「気にするな。これは唯の夢だ。明日の朝には忘れている、一夜の邂逅に過ぎん」
夢。その言葉が余りにも自然に馴染んだ。
だって、紐も無いのにフヨフヨと浮いているスマートフォンなんて変だし。
第一、こんなに美しい人が実在しているとは思えなかったから。
だから、これは夢だ。
……でも、どうしてだろう。ずっと、おかしな既視感があるのは。
「邪魔をしてしまったな。『
「帰るって、そっちは窓……」
「言っただろう、これは夢だと。夢だから、これで良いんだ」
窓が開く。夜空より黒い外套がはためき、緑の髪が静かに靡いた。
やっぱり、私は知らない。こんな幻想的な光景を見たことはない。
声も違う。口調も違う。服装も違う。髪の色、瞳の色、肌の色、全部が違う。そもそも性別が違う。
けれど――。
「おやすみ、宙音」
あぁ、やっぱり。
言葉、仕草、雰囲気。その全てとも思えるし、どれも違うとも思える。
なにがと、言葉にして説明することはできない。
でも、私は知ってる。込められた優しさを、温もりを、間違えるはずがない。
だから――。
「ありがとう。おやすみ、
「…………お前とは初対面だし、そもそも『
「えへへ。夢だから良いんです」
そう私が言えば、女性は恥ずかしそうに頬を染めて微笑んだ。
そして彼女は、窓の外へ――夜の中へと消えていった。
おかしなことに窓はぴっちりと閉められていて、あれは夢だったのだと訴えている。
けれど。
病室には確かに、優しい花の香りが残っていた。
◆◆◆
ビルからビルへ。
夜の街を翔けながら、思う。
『あれれ~? 何だか嬉しそうだね?』
「そうか、気のせいだろう」
こんなこと、『人間』や『精霊』には絶対に打ち明けられないが。
“ティエラ・アス”となってから、5年以上。ずっと、答えを出せずにいた問があった。
即ち、
地球という星の意思? ――否。
確かに、星の意思が元となったのは事実。然れども、それ
畢竟、この心は偽物なのだ。
曖昧模糊とした存在であるが故に、少し力を解放しただけで容易く消し飛んでしまった。
――――自分は、地球の影法師に過ぎない。
その解を否定したくとも、事実は明白で揺らがず、そして残酷だった。
『ふ~ん? でも、顔が笑ってるよ。ほら、パシャリと一枚』
「貴様テラ!! そのデータを今すぐ抹消しろ!!!」
『え~~~? ボクやり方わからないな~~~』
「えぇい! やはり今すぐスクラップにしてくれる!!」
然れども。ある少女が、この身に新たな定義を与えた。
少女はきっと、それを意図して言ったのでは無いだろう。深い意味など無いのかもしれない。あれは泡沫の夢に過ぎず、言った本人も覚えてはおるまい。
それで構わない。他ならぬ彼女が肯定した。その事実だけで十分に過ぎる。
今宵『
故にこそ――――。
「テラ。
『何ってキミの、キミたちの妹でしょ』
「はぐらかすな。宙音が患っている病の事だ」
先程、寝ている宙音に治療魔術をかけた。今の『
結果、宙音の表情は僅かに和らいだように見えたが……所詮は気休めに過ぎない。
蓄積した疲労を取り払い、弱り切った心身に一時の安らぎを与えただけだ。
「いくら劣化しているとはいえ、母なる星の力が全く通じなかった。ほんの僅かも治すことが叶わなかった。地球で産まれた事象を、地球そのものが癒せぬなど道理が通らぬ」
あれは病ではない。老いでもない。
ならば虚妄か? それも違う。今この瞬間も彼女は苦しみ、肉体は死へと突き進んでいる。
否。突き進むという言葉すら生ぬるい。止まることも、減速することも、道を変えることも許されず、唯々真っ逆さまに“死”という結末へ
『……そうだね。彼女の病気はこの世界に由来するモノじゃない』
“現代医療では治せない?”――当たり前だ。そもそもアレは医療医術の範疇には存在しない。科学をどれだけ極めても、魔法をどれだけ極めても、治すことなど出来ようはずがない。
彼女は死ぬことこそが正しいのだと。そんな理不尽が、絶対的に正常な法則として存在している。
そして、最悪なことに。
『彼女はもう長くない。もってあと一年……それがボクの見立てだよ』