共に過ごす内、当然のように思い始めた感情。
同時に、不安に思う。こんな自分を、あの人は選んでくれるのかと。
愛を得るのに、手段は問わない。そう、聞いたことはある。
それでも、彼女が取った選択はーー
最近、フウカが不安定だと見ていて思う。
「どうですか、先生……?」
「うん、美味しいよ。卵焼きの味付けも、完全に私の好みドンピシャな甘さだし」
「ふふ、それなら良かったです。先生が好きな甘さの黄金比は、もうレシピを見なくても良くなったので」
「そうなると、フウカ以外の卵焼きが食べられなくなりそうで怖いなあ」
軽口を叩きながら、もやしと挽肉のポン酢炒めをいただく。うん、程良い酸味についつい箸が進んでしまう。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、大袈裟ですよ先生」
とフウカは苦笑しているが、実際、フウカの料理は何度食べても飽きないし美味しい分、外食のハードルがどんどん上がっているのだ。贅沢な悩みだろうけど。
そう、正直に告げているつもりなのだが。嬉しさと恥ずかしさを混ぜ合わせた眼前のフウカが、食べる直前まで不安と、僅かながら恐怖に染まっていたことが、頭から離れない。
前までは、「どうぞ召し上がってください!」と自信満々に料理を出してくれて、こっちの食べてる姿をニコニコしながら見ていたのに。
「ねえ、フウカ。何か不安なこと、ある?」
「? 不安なこと、ですか?」
「うん、何か不安そうな顔をしてたからさ。
私で良ければ、相談に乗るよ?」
「……えっと、そんな風に見えますか?」
「気のせいだったらごめんね? ただ、どうしても放っておけないと思ったから。
……もしかして、私が原因だったりする?」
「え? い、いえ! 先生は何も悪くないです!
あ、でも……先生が原因といえば、そうかも?」
「……」
「!? ごめんなさい先生! あの、決して悪い意味じゃないですから!」
「そうなの? 良かった、知らず知らずフウカに悪いことしてたら、申し訳なさすぎるからね。
でも心配だし、大丈夫なら聞かせてくれると嬉しいかな」
「う……その切り出しはズルいですよ、先生」
「はは、ごめんごめん。それで、どうかなフウカ」
「……不安という程のものじゃ、ないんですが」
ちょっと沈んだ表情を見せてから笑って尋ねると、フウカは赤い顔で不満気に眉を寄せた後、一瞬ためらってから口を開いた。
「その、先生……以前、私がいいお嫁さんになれるって、言ってくれましたよね?」
「ん? あー、うん。確かに言ったね」
最初に手料理を振る舞ってくれた時、あまりの美味しさに口が本音を漏らしてしまった。
あの時はコンビニの弁当やカップ麺ばっかりで食生活が荒れていたから、その反動もあったんだろうな。
当時の失言に私が口を濁していると、フウカはじっと私を見詰めた後、おもむろに箸を取り、
「え、フウカ?」
「あ、あーん……」
戸惑う私に、残していた卵焼きを差し出してきた。
流石に恥ずかしいことと分かっているのか、顔は真っ赤になっているが。
私が固まっていると、瞳の奥は徐々に羞恥より悲哀が増していき、潤いが増していく。
「……あむっ」
「あっ」
そんな彼女を見ていられず、ためらいを捨てて卵焼きを口に入れる。
うん、美味しい。そして、
(恥ずかしいな、これ……)
新婚夫婦のようなやり取りにフウカの顔を見れず、目線を左右に泳がせてしまう。多分、顔の赤味は羞恥と比例して増しているだろう。
一瞬見えた彼女の顔は、喜び一色へと変わっていたので。勇気を出した甲斐はあったのだろう。先生としては、ちょっと近すぎる行動だと思うけど。
「えへへ、先生が食べてくれて良かった。
今の私、お嫁さんぽかったですか?」
「う、うん。いきなりフウカらしくないことしてきたから、ビックリしちゃったけど」
「先生が言ってくれたから、こういうことも出来た方がいいかなって思って……」
「そ、そっか。うん、良かったと思うよ」
頬を掻きながら視線を向けると、フウカと同時に目が合ってしまった。
「「……」」
気まずいけど、嫌ではない沈黙。そんな空気が数十秒続き、
「わ、私、お茶入れてきますね!」
「う、うんありがとう! 慌てなくていいからね!」
破ったフウカは食べ終わった食器を持って立ち上がり、私も大きな声で応じる。こうでもしないと、顔も心も真っ赤に染まってしまいそうだ。
「……本当、参っちゃうなあ」
自分は先生で、生徒は大切だけどそういう仲になってはいけない。
誰かを特別扱いをしないために決めていたことだが、私自身の失言も含め、フウカには崩されかけてばかりだ。
「フウカがお嫁さん……か」
そんな未来を想像するだけでも、暖かい光景が浮かんできた。彼女の料理も笑顔もずっと自分に向けられるならば、この上なく幸せ者だろう。
「って、私は何を言ってるんだ……」
首を横に振り、上がる心拍数を深呼吸で落としていく。胃袋だけでなく心まで掴まれたら、今度こそフウカから抜け出せなくなってしまいそうだ。
(……でも、一番気になるのは)
時折こちらに向ける、不安と悲哀、そして恐怖の感情。
以前は見なかったその視線がどうしても頭から離れず、フウカを放っておけなかった。
「……もっと、力になってあげれればいいんだけど」
先生としてか、私自身としてか。どちらか定かでないまま、私は戻ってきた彼女を笑顔で迎えることにした。
(フウカSide)
「はぁ……先生に、バレちゃってたんだ……」
その日の夜、シャーレの休憩所にて。
洗い物も終え、帰る前に休んでいくのを私は制服とエプロンを脱いでシャツとスカートだけのラフな格好になり、ソファに横たわってお気に入りのぬいぐるみを抱きしめる。
思い返すのは、先生が相談に乗るよと言ってくれたこと。見てきたから分かる、あれは私のことを真剣に案じてくれている目だ。
そのことが嬉しくて、私のことを見てくれているという実感が、隠しきれない愛しさを更に溢れさせる。
「先生を、困らせちゃうな……」
それと同時、自己嫌悪にも陥る。相談しても解決できないのだ、先生のことが好きで好きで苦しいなんて。
分かっているのだ。先生は私達生徒を平等に扱って優しいが、それは誰かを特別扱いしないためだって。
きっと、告白しても困らせてしまうだろう。先生は優しいけど、『先生』としての線引きはしっかりしている。
「それに、私じゃあ……」
凹凸の少ない、自分の胸元に手で触れる。身近な相手でも後輩のジュリや、美食研究会のハルナやアカリのように女性らしい豊かさがある訳でもなく、ゲヘナの風紀委員長さんやジュンコのように愛らしさもない。
今まで気にしていなかった、女性らしさのどちらにも偏っていない容貌。先生の周りに魅力的な子達が多いからこそ、比べてしまう。
「…………」
ポケットの中から、桃色の液体に満ちた小瓶を取り出す。
一見すれば香水の類に見えるそれは、山海経のある生徒が作ったという睡眠薬と惚れ薬の効力を併せ持ったもの。
雛鳥が初めて見たものを親と思うように、起きて最初に見た相手に惚れさせるらしい。
無味無臭のそれを、私は料理に。
「使えるわけ、ないよね……」
小瓶を専用のケースに入れ、カバンの奥にしまってから溜息を吐く。
きっと、私が作ってくれた料理なら先生は疑いもせず食べてくれるだろう。薬入りだろうが、毒入りだろうが。でも、
「先生は、私の料理を美味しいって言ってくれた……」
笑顔でそう言ってくれた、好きな人の信頼を裏切るようなことなんて、出来る訳がない。料理に一服盛るなんて、先生にも自分にも最低の裏切りでしかない。
もっとも、私以外にも料理が出来る子はいる以上、そのアドバンテージもどの程度あるかは分からないけど。
「そんな形での先生の愛なんて、欲しくない……」
先生が他の子と一緒に笑っている時の顔を思い出し、魔が差して買ったもの。あの時感じた胸の痛みは、嫉妬、なんだろう。
「先生、せんせぇ……」
真正面からの玉砕も、卑怯な手を使うことも出来ない私は、ぬいぐるみを強く、強く抱きしめて目を閉じる。
何も出来ない自分が嫌で、何より先生から距離を取られたり、見捨てられるようなことが。私は、怖くて怖くて仕方ない。
(√エンド)
……せい、せんせぇ……
「フウカ、どうしたの!?」
休憩室にいるフウカに、そろそろ帰宅を促そうと足を運んだところ。中からうわ言のように、苦しそうな彼女の声を聞いて、我知らず駆け出してしまう。
「せんせーーせ、先生?」
「フウカ、泣いてたの……?」
「え? あ、あの、これは……目に、ゴミが入っちゃって……
な、何でもないんです。心配かけさせちゃってすいません、先生」
「……」
ソファから身を起こし、ツインテールを解いたフウカは、赤くなった目を擦りながら笑みを向けてくる。
誰がどう見ても、無理して誤魔化そうとするのが分かる表情の彼女に近付き、隣に腰掛ける。
「せ、先生?」
「フウカ。無理にとは言わないけど、話してくれないかな?
フウカは色々溜め込んじゃうから、少しでも吐き出した方がいいと思うんだ。
……私じゃ、力になれないかもしれないけど」
「……っ。そ、そんなこと、ないです。先生は、頼りになります」
私の目を見たフウカは、痛みをこらえるようにシャツの胸元を握る。話すか否か、揺れているのだろう。
「でも。先生に、迷惑を掛けちゃうかも、しれないんです……」
「いいんだよ、フウカ。フウカにはいつも料理を作ってもらってるし、そのくらいの恩返しは
それに、フウカの迷惑なら大歓迎だよ」
「ほ、本当に? 本当に、いいんですか?」
「もちろん。だってフウカはーーうわっ」
大切な生徒なんだから。最後まで言う前に、言葉が途切れてしまった。フウカがぶつかるような勢いで、胸元に顔を埋めてきたからだ。
「……先生。今から言うことで、もし答えるのを困ってしまったらーー何も、言わなくていいです。
あ、あと、誰にも言わないでもらえると……」
「うん、大丈夫。この事は、私の心の中に留めておくから」
寄りかかったフウカを支えてあげると、「ありがとうございます……」と、くぐもった声が返ってくる。
フウカの細身ながら確かな柔らかさを持つ肢体と、髪から漂ってくる安心する匂いが感じられ、こんな時にも関わらず私は動揺してしまい、
「先生、好きです」
「ーーえ?」
「生徒と先生じゃなく、一人の女の子として……私は、先生を、愛しちゃったん、です」
呆けた声を出す私に構わず、フウカは一気に告白を言い切り。胸元に収まったまま、涙の浮かんだ顔を見上げてくる。
「言っちゃい、ました……本当は、卒業まで取っておこうと思ったんですが……」
「フウカ……」
「大丈夫、です、先生。どんな返事でも、私は受け入れます、から」
気丈に、健気に微笑むフウカだが、抱きしめた身体は震えている。
きっと拒んだら、傷付くだけじゃすまない。そんな予感を抱かせるほどに、脆い心理状態が透けて見えた。
「ごめんなさい、先生。やっぱり、迷惑だったーーきゃっ?」
「フウカ、謝らないで。
それと、ありがとう。告白されて、嬉しいよ」
「え……?」
抱きしめ直すと、フウカは涙を引っ込めてポカンとした顔になっている。そんな顔さえ愛らしく見えるのは、ズルいと思ってしまう。
(……いや、卑怯なのは私の方か)
何せ女の子を思い悩ませ、あまつさえ泣かせてしまったのだから。
思い悩む彼女の姿を見て、ほっとけないというのも、ある。
だが、それ以上に。私は、私の中で定めたルールを壊してしまうくらい、腕の中に納まった彼女に、いつの間にか堕ちていたのだろう。
「フウカ、好きだ。私も、一人の女の子として、愛清フウカが好きだ」
ありったけの想いを込めて、絶対間違わないようしっかりと、告白への返事をする。
フウカは目を見開き、信じられないと言わんばかりに私の目を見て。
「わ、私で、いいん、ですか? こんなに、幸せな返事を貰って、いいんですか?」
「フウカでいいんじゃなくて、フウカがいいんだよ。
私が愛するのは愛清フウカ、ただ一人だ」
「っ、せん、せぇ……」
私にしがみつき、堰を切ったように泣き出すフウカの頭を優しく撫でてあげる。
「ぐすっ……すいません先生。服、濡れちゃいましたね」
「ううん、大丈夫。泣いてるフウカも、可愛かったよ」
「も、もう。そんなことばっかり言って……」
腕の中で恥ずかしそうにしているフウカは今まで以上に愛らしく、私は笑いながら癖のない彼女の髪を手に取り、唇を落とす。
「これで、好きだっていう証明になるかな?」
「そ、そこまでしなくても……嬉し過ぎて、どうにかなっちゃいそうです……」
私の唇が触れた髪を見て、紅の差した顔で嬉しそうにするフウカ。見れば見るほど、彼女への愛おしさが増すのだから恐ろしいものだ。
「先生。先生がいつでも食べたくなるように、もっとお料理を頑張りますので。
……その、ずっと……一緒に。離さないで、くださいね?」
「うん、こっちこそ。私もフウカに見捨てられないよう、うわっ!?」
「な、無いです! 私が、先生を捨てるなんて、逆ならともかく、絶対に……!」
「ふ、フウカ、ちょっと、痛い……」
「っ!? す、すいません先生!」
軽い冗談のつもりだったが、指の一本一本が身体に食い込んできて思わず声を上げると、瞳の色を失いかけたフウカが慌てて指を離す。
「ううん。私も不安にさせるようなこと言って、ごめんね?」
罪悪感と不安がない交ぜな彼女に微笑みながら、髪の毛を書き上げて額に唇を落とす。
フウカは触れた部分を手で抑えて驚いたあと、嬉しそうに微笑む。
いつか、この子が何の不安もなく、笑えるように。
後書き
望外の幸運と彼女が思う展開の末、二人は結ばれた。
それでも、彼女の不安は完全に払えたわけではない。不幸慣れした彼女は、何かがあれば潔く身を引くだろう。
悲観的な彼女を繋ぎ止められるかは、この先の先生次第である。
愛清フウカ
無害・自傷型
コンセプト:『傷付けられない』、『揺らぐアドバンテージ』、『女性としての肢体の魅力不足(自身の視点から)』、『捨てられたくない』、『愛する人に合わせた成長』
愛する人に尽くしたい、相手の好きな形に染まっていくのを望むタイプ。
先生が他の生徒に目移りしても、先生を責めるより自分が悪いと思い込んでしまい、吐き出すことが出来ない。
溜め込んだ分、吐き出す彼女の愛は重く、真っ直ぐである。