"───十六夜君。君は最も誇り高い[
現世の地獄とは、正にこの様な光景を描写するのだと、とある紛争地帯の地下飼育場を訪れてしまった逆廻十六夜は思った。
__が少しでも復讐を望んでくれたら。
たった一言でも怨恨を吐き出してくれていたら。
十六夜の力を復讐に使う事を、一度だけでも肯定してくれたのなら───。
────この噎せ返るような血溜まりの中で。
十六夜が慙愧に包まれる事も無かっただろう。
「…………」
「これはまた、随分と派手にやったわね」
そんな十六夜を"三週間"探し続けた金糸雀が、壊れた扉を開いて目の前の惨状を見渡す。
十六夜が失踪することそのものは珍しい事でもなかったが、金糸雀がこれほど長期間に渡って十六夜を見つけられなかったのは今回が初めてだ。
「人身売買を行なっていたブローカー達、か。此処なら取引先もわかるし、関係者を根絶やしにするなら最初に襲うのは正しい判断ね。……だけど皆殺しはやり過ぎじゃない?」
部屋の脇に転がった死体の群を一瞥した金糸雀は、状況を察して小さく溜息を吐く。
「君がコイツらを皆殺しにしても風習そのものは変わらないし、今後も同じ事が起こらないとも限らない。戦争は敵対者を皆殺しにするだけじゃ終わらないわよ?」
「………」
戦争は、敵を皆殺しにしても終わらない。
その無情な事実を十六夜が知るには幼く、今の彼にその本質を悟るだけの器量は無い。
十六夜は手の甲で頬の血を拭い、お互いに肯定も否定もないまま暫し黙り込む。
先に言葉を発したのは十六夜の方だった。
「……"助けてくれ"って、コイツらに言われたよ」
「………?」
「助けてくれ、殺さないでくれ、命だけは、もう関わらない、心を入れ替える、明日からは清く正しく生きます…───だから助けてくれ。目の前のコイツや他の奴らにも、皆にそう言われたよ」
震える声音で告白する十六夜が見下した先には既に肉塊となった死体。普段の十六夜なら、命乞いまでした相手を手にかける真似はしなかった筈だ。
……でも
只殺したのではない。
命乞いをした全ての人間を皆殺しにした。
「……そんなに、許せなかったの?」
「わからない。少なくとも最初は殺すつもりなんてなかった。いっそ命乞いなんてされない方が殺さずに済んだかもしれない」
血塗れの掌に、奪った命の死に顔を顧みる。
誰も彼もが酷い死に顔だった。
命を奪われる恐怖に歪みきったその顔を思い出すだけで、幼い十六夜は慙愧の念に沈んで足が重くなった。
「"助けて"、"殺さないで"、"死にたくない"。そんな有りっ丈の命乞いを、叫び声を………"イシ"や施設のガキ共も、同じ様に口にしたんじゃなかったのかよ……!!」
拳が壊れそうなほど握り締めて吠える。
皆、死にたくなんてなかった。
───助けて、と。
皆同じ言葉を口にした筈なのに、イシだってそう口にした筈なのに……誰も耳を貸さずに命を奪って、嘲笑いながら尊厳を奪っていった。
何も英雄的な、特別な誰かである必要すらない。
人並みの良識と優しさを持つ誰かが一人でも聞き届けてくれたのなら、誰か一人でも手を差し伸べてくれたのなら、誰か一人でも心を痛めてくれたのならば───これ程の地獄にはならなかったかもしれないのに。
それなのに加害者だけがその言葉を口にして、十六夜が赦してしまっては、散っていった全ての命を踏み躙る様な気がした。
「俺一人の感傷と勘違いだってのはわかってる。殺してやりたかったっていう気持ちがあったのも嘘じゃない。でも俺もイシのように、その怒りと向き合って諫めながら、コイツらの罪を裁いてやれると思った。……でも出来なかった。"出来なかったよ"、金糸雀」
金糸雀は血塗れの儘振り向いた十六夜に歩み寄り、赤子を抱く様に優しい仕草で、静かに抱き締める。
「良かった。もし君が復讐心だけで此処に来たのなら、私は君の暴走を"命懸け"で止めなければならなかった。少なくともイシ君との出会いは、君にとって福音になってくれた」
「………もう十分暴走した気がするぞ」
「ええ、でもその根底にあるモノが違う。貴方は貴方の怒りの為に拳を振り上げたんじゃない。それに貴方は悪を断つためではなく、罪を裁くために来たとも言ったわ。その二つは本質的に似て非なるもの。……だから大丈夫、君はまだ"世界の敵"にはなってないわ」
抱き締める手が強くなる。金糸雀は最悪の事態を想定していたのだろう。
命懸けで止めるという言葉に比喩は無い。
イシとの出会いが十六夜を歪めてしまったのなら、あらゆる手段を行使してでも十六夜を止める覚悟でいた。十六夜が世界を滅ぼすような怪物にならなくて、本当に良かったと安堵している。
「………どの旅も、楽しかった」
その腕を抱き締め返す事で。
十六夜は、金糸雀と出会ってから始まったこの旅の終わりを悟った。
「ジブラルタル海峡やイグアスの滝に、俺みたいな突然変異は存在しなかったけど。どの景色も、本当は価値が在るモノだった」
少し前にまだ存命だったイシとした会話の中で、自分の尊厳を奪った施設に加担した者らへ復讐したくないのか、心情を問うた時に逆に世界の果ての存在の有無を尋ねられた事がある。
ジブラルタル海峡は金糸雀との旅で十六夜が最初に見に行きたいと口にした場所だ。
西暦より遥か以前、ギリシャ世界で最果てと定義されたその大地に赴いたのは、十六夜という
だが無情な現実は幼心を簡単に打ち砕いた。
だから十六夜は有りの儘を返した。
『……いや、無かった。ジブラルタル海峡には…ヘラクレスの柱の向こうには、世界の果てもアトランティス大陸も存在しなかった』
ジブラルタル海峡の向こうに、世界の果ては無かった。イグアスの大滝の滝壺に、悪魔など存在しなかった。
金糸雀との旅で得たモノは、如何に強く夢を見ても夢は破れるものという、其の唯一つ。現実の中で現実を見て生きろという教訓だけだった。
然し否定したにも関わらず、イシは両手を組んで身を震わせて瞳を潤ませていた。
『十六夜。君は僕達が育った施設を見て、何を連想した?鳥籠?それとも箱庭?』
『………どちらかといえば箱庭だ』
その後のイシの言葉は今でも鮮明に覚えている。
『うん、正しい認識だと思う。僕らの施設には人を養う為の農畜産を行う場所もあれば、多種多様な教会も存在していた。宗教の自由だけが僕らに与えられた自由でもあったよ。僕らの多くが閉ざされた地下で生まれ、閉ざされた地下で死を迎える。だから僕らにとって物資の搬入を行う巨大な鉄の扉は…比喩ではなく"世界の果て"そのものだったんだ』
鉄の扉を、越える事の出来ない世界の果てと思い馳せ、そして絶望した少年少女達。其れは想像するに容易い光景だ。
あの
『僕もそうだった。本の中で書かれていた事にどれだけ憧れても、どれだけ強く恋い焦がれても、あの鉄の扉を越える事は許されなかった。それほどまでに、あの鉄の扉は僕らの絶望の象徴でもある"世界の果て"だったんだ。……でもね。そんな世界の果てを越えて、僕を救いに来てくれた人が居た』
『っ………俺は、お前を助けられなかった』
『うん。でも、君は僕を救ってくれた。そして世界の果てなんて無いのだと、人に不可能なんて無いと、僕に証明してくれた。そして僕が見る事が出来なかった景色を沢山見せてくれた。………だからいいの。それで十分なんだよ、十六夜』
イシが復讐を否定したのは明白だった。
この時の十六夜は、波打ち際で立ち尽くし、天を仰いで瞳を閉じた。
イシと復讐について話したのはこれが最初で最後。
そしてイシは十二日後に体調を急変させ、意識不明のまま息を引き取った。
結局のところ幼かった頃の十六夜は、目の前の景色に本質を見出せないほど未熟だった。
悪魔が居なくても、世界の果てなんてなくても、其処にある価値はもっと多くの感動を与えてくれた。
十六夜が価値を感じていなかった万物万象全てのモノを、イシは価値があると教えてくれた。
この旅はきっと、十六夜がこの時代に折り合いをつけて生きていく方法を見つける為の旅だった。だから今後、十六夜が怒りに任せて世界を壊そうとする事態は生涯来ないだろう。
二人の旅の目的は完遂された。
───だが如何しても、決着を付けなければならない事が残っている。
「金糸雀、俺達の旅はこれで終わっていい。だけど最後に片付けないといけないヤツらが居る」
「……"
「ああ、ソイツらは
「………十六夜君。加害者達を皆殺しにしてもこの戦争は終わらないわ」
「────、」
「思想や風習を殺さない限り、この戦いは終わらない。これは人の暦によって培われた罪。この時代の人間達が自分で罪に気が付き、その罪を裁いた結果じゃないと、皆殺しには意味が無い。……だけど、そうね。再発防止の時間稼ぎにはなるかもしれないわ」
無表情の金糸雀の瞳に冷たい光が宿る。
其れは普段の金糸雀なら決して見せない鋭さと冷徹さを備えていた。
「いいでしょう。その連中には、私が手ずから裁きを下します。この世には六道輪廻の輪を外れ、ダンテの歌も届かない地獄がある事を、連中に知らしめてあげる。……だから、十六夜君は休みなさい。夢から覚めたら、この地獄は終わっているから」
十六夜は瞼が重くなり、意識が遠くなる。
その最中、金糸雀が何やら呟いていたが今回ばかりは疲れたのだろう十六夜の耳には届かず、夢現を揺蕩う感覚に身を任せる。
そして十六夜が意識を再浮上する直前に"彼"の言葉が、小鳥が囀る様に響いた。
『初めまして。僕の名前は"
夢現の中で十六夜は己を名乗った。
*
目が覚めた十六夜は久々に見た夢の内容に、万感を馳せながらボヤく。
「あの時ばかりはマジでおっかねえ女だと思ったもんだ」
「一体どんな魔法を使ったか?」
「ああ。見当も付かない────…クソババァ、勝手に人の寝込み姿見てんじゃねえよ」
「おやおやー、十六夜君も遂に恥ずかしがる歳頃なのかい?…それと何度も言いますがそのクソババァはやめなさいって」
ハァっと嘆息を吐いて、最早常套句になりつつある叱責をする。
そんなベッドの脇で肘をついて座る金糸雀を睨み付ける十六夜は上体を起き上がらせ。
「五日も眠りこけてた事にも我ながら笑える話しだが。その後ブローカー共が所持していた購入者リストに載ってた奴ら、"生存者が誰一人として残ってなかった"な」
そう、今見た夢は金糸雀と世界を回っていた時の旅の記憶追想。
十六夜がまだ12歳になったばかりの、年明けからそう長くない月日が経過した頃。
この世で最も凄惨な戦場を見てみたい。
十六夜が金糸雀に願った行き先の紛争地帯。そこで過激な宗教団体がとある集落を襲い、活動資金を得る為に人身売買を行なっていた事件に遭遇した。
幼くも利発的な十六夜は、赴いた施設が人間の処理場である事を直ぐに理解した。
目の前の光景に十六夜は怒髪天を衝いて。
加害者を凡そ人間とは思えない程粉砕した挙句に転がった死体を更に踏み砕いて、血の池溜まりと化した解体現場を十六夜は踏み締め。
生まれて初めて人の命を奪った十六夜だがそこに感慨も背徳感も無く、胸を満たす不快感と増悪が遥かに上回っていた。
………人間を飼育して、処理して、出荷する為に建設された人造の地獄。白い肌の人への過度な信仰、食人主義、交配から生産まで、中には花嫁不足の農村へ売り出しまで手を染めていた。商品を扱うための施設。
其の中でか細く蝋燭の火の様に消えそうな声を聞いた十六夜は駆け付け、そこで"銀の髪と真紅の瞳"を持つ生涯の友と出会う。
金糸雀の誘導で病院へ搬送し、結果臓器を摘出された際の処置が不適切だった事等で余命幾許も無いと宣告された彼は自分をイシと名乗り、彼の"永く生きる事より、多くの経験をしたい"という願いで、十六夜と金糸雀の残る旅路はイシと共にあった。
十六夜よりも遥かに弱い人間で、十六夜よりも強く生きようとしたイシ。
今の十六夜の価値観があるのも、新たな知識を授けて未踏へ連れていった金糸雀は勿論だが、人生観はイシの影響も強いと言っても過言ではない。
そして今朝見た夢は、その果ての出来事で、顛末の一部始終だった。
「……それにしても、今になってそんな夢を見るなんて。やっぱりまだ吹っ切れてないんじゃない?」
ベッドから出て無意識に複雑そうな顔を浮かべる十六夜に柔らかい表情で指摘する金糸雀。
「馬鹿言え。アレはアレで既に終わった事だろ?確かにまだ燻る気持ちも、もしかしたら禍根だって残ってる。けどずっと悔やんでたら、未来でイシに顔向けできねえよ」
「……、そう。なら昨晩のフェイトちゃんとの事が原因かしらね」
強気だが、まだ一年も空いていない悲劇に、幼い十六夜が直ぐに振り切るのは酷だろう。
当たり前の質問に気丈に振る舞う十六夜へ、それでも金糸雀は言及をやめない。
十六夜が面倒臭そうに、寝起きで普段よりも跳ねた髪を片手で掻く。
「さあな。夢なんて自分でコントロールして見れるもんじゃないし、理由なんか知らないね」
悪態を隠さず不快感を露にして応える十六夜に、金糸雀は少し意地悪な目でクスリと笑う。
より機嫌を損ねながら、昨夜の出来事を想起する。
*
十六夜達が転移ポータルを使い執務官の誘導で次元航行艦から地上へと帰還してから数刻、途中まで難儀な顔で文句を垂れていたクロノも最後は快い態度で別れを告げてくれた。
結局なのは達と管理局が協力するかどうか、今後の方針は纏まらずに終わったがユーノが後程再び申し出る予定らしい。
然し帰路の合間もなのはは浮かない顔で、フェイトの安否を気に掛けているだろうと勘繰った十六夜はとある提案を出す。
此れにより二人は高町家では無くカナリアファミリーホームに向かう事にした。理由はほぼ間違いなく孤児院で金糸雀がフェイトの身柄を預かっているからという十六夜の予想から。
「「……えっ」」
そして辿り着いた施設内へと入り、応接間を通り過ぎて孤児院の住人がリビング代わりとして使っている室内へ。
其処ではフェイトと金糸雀がバスタオルを巻いた、明らかに風呂上がり状態で二人して牛乳瓶を片手に持つ光景を見て唖然。因みにアルフは狼モードで同じくミルクを煽っている。
「オイそこの露出狂共。人がふざけた組織に拘束されてる間なに呑気に入浴決めてやがる。あと俺には珈琲寄越せ」
「文句を言いつつもちゃっかり自分も飲み物を要求してる!?」
相変わらずツッコミポジションのなのは。
これにはユーノも苦笑いが絶えない。
事情を聞けばバルディッシュの不調で暫く衣服の再生成が出来ず、風邪を引かない様にと金糸雀の提案で目を覚ましたアルフを交えて三人で湯船に浸かったり洗い合いっこしたり、和気藹々と風呂へ入っていたという。
苦言を呈する割に直ぐに納得した十六夜は、その後アルフに投げ飛ばした件を詰められるも悪かったと言いながらもヤハハと笑って流されて。人化した狼娘は思わず項垂れる。
「それで、何か収穫があったんじゃない?」
それぞれ身を落ち着かせると着替えた金糸雀。
フェイトもデバイスを再起動して一度バリアジャケットを生成した後、解除して今度こそ黒ワンピースなる私服を構成して纏う。
六人丁度座れるテーブルで囲い各々出された飲み物の入ったコップを手に一息つき、暫く経つと金糸雀が十六夜に尋ね。
「ああ。白黒チビの伝手で面白いモノを貰った」
エルから渡された紙束を机の上に置き、その中から一枚を金糸雀の目前へ放った。
「……ふぅん。中々面白いわね。ところでこの謎、十六夜君はもう解明出来たの?」
「問題文を其の儘の意味で解釈していいなら大体は解けたけど、肝心な部分が意味不明だな」
応答に金糸雀は満足気で机に肘をつくと、十六夜から渡され今尚目の前の卓上に置かれる用紙、その内容に視線を這わせる。
「……?何の事?」
「そういえば、エル君に何か渡されてたよね。あれって何だったの?」
其れに吊られて訝るフェイトとアースラでの最後が気掛かりななのはは揃って金糸雀の前に置かれた紙に記載された文字に目を通すも、理解に及ばず二人仲良く小首を傾げ。
ユーノもさり気なく視線を向けるも同様で。
「他の皆も気になってるみたいだし、ここは年齢の近い十六夜君が一つ御高説するべきじゃない?」
金糸雀の言葉に一同が一斉に十六夜を注目。
「別に構やしねえけど、外の世界の奴らに伝わるのか甚だ疑問だな」
当の十六夜は両手を上げて肩を竦め、気乗りしない雰囲気乍も解説を始め。
「さっきも言ったけど一番上の三行分はまだ解らないが、該当ヶ所に聖書の言葉や"ギリシャ神話"に準えた文面がある」
「聖書?」
「ギリシャ神話?」
然し案の定、ユーノとフェイトとアルフの三人は要領を得ずに聞き返す。
「えっとね、この世界の国名の一つにギリシャって場所があるの。で、神話って言うのは、その国で伝わる神様なんかが出てくるお話しなんだ。有名なのだとゼウスとか、ポセイドンとか?わたしも詳しくは知らないし、聖書はわからないけど……」
「…へえ。なのはって実は結構賢いのか」
「え?あ、うう…っ…」
今度は補足するなのはに皆の目線が向き。
意外なところから助け舟がきたことに、十六夜も驚いてなのはへ振り返る。
興味がある感じには見えないのに、その歳でそこまで説明出来た事に十六夜は感心を抱いて素直に称賛を送ると、まさか十六夜に褒められるとは思っていなかったのか身を縮こませる。
最近十六夜の影響かすずかやアリサと図書館へ出向いた際に偶々得た知識な為、素直に喜べず。
「ま、そういう事だ。尤もギリシャ神話に倣った文面はこの中でも一部しか見当たらないけどな」
そう言って十六夜が身を乗り出して、該当する文を指差そうと腕を伸ばした矢先、シャツの裾が机に置かれた紙束に引っ掛かり上の数枚が床に落ちる。
「もう。気を付けなよ」
やれやれと呆れ声でしゃがんで用紙を拾うフェイトだが、マズイと即座に判断した十六夜は脱兎之勢で振り返るも時既に遅し。
「────、…イザヨイ。これは?」
「……勝手に探る真似したのは悪かったけど、一応目的や動機、危険がないか知る意味で必要だから調べさせてもらった。お前もいい加減、自分がこんな事を頼まれた本当の意味を知っておいた方がいいんじゃねえのか?」
「それは……」
潔く観念して理由を述べる。
十六夜を見上げるフェイトの手には彼女の母、プレシア・テスタロッサに関わる情報が載っていて、その事に当然と疑念を抱いて呼び掛けた。
尤も十六夜の言葉の裏には対象へ訝って疑念を抱いているのは明白で。現に危険はないかと曖昧な主張を口にしたが、それは危険人物がどうかと言っているようなものだ。
何となく察するフェイトも渋る様子だが否定も無く。
「ちょっと十六夜!まさか、アンタまで管理局に寝返ろうって魂胆なのかい!?」
「ああん?寝呆けたこと抜かしてんじゃねえぞこの駄犬が。あんな窮屈な場所じゃ動きを制限されて仕方ねえだろ。何よりこの俺が、超管理社会みたいな組織の下で従う珠に見えるのかよ」
「うっ、確かに……って誰が駄犬なんだい!」
アルフの嫌疑も尤もだが十六夜にアッサリと言い返されて納得してしまう辺り、矢張り十六夜の印象は察しの通り。
その事を咎める気は更々無いも、フェイトとアルフの訝る目が完全に消えずに溜息。
「だが姿は見られてるし、あの感じだと向こうにも色々バレるのも時間の問題だろうな。だからここからは巻きで行きたい」
「……わかった。じゃあイザヨイが思う、母さんのジュエルシードを求める目的を聞かせて」
表面上は漸く疑いを晴らしたフェイトの次いだ問いに今度はアルフが驚愕で目を見開き。
フェイトは一応、母がジュエルシードを集める目的が研究に必要とだけは言い聞かされている。
以前のフェイトならば関係無いと、母に全信頼と肯定を心に以て、目的に対して言及など決してしなかっただろう。十六夜の意味深な雰囲気が手伝ったのか定かでは無いも、少なくともこの短期間で目まぐるしい変化を見せる主人に、喜ばしい事な筈なのに困惑を隠せず。
またなのは達が管理局にも協力するか決め兼ねている事は十六夜から話すつもりは無い様子。
「資料を見て分かる通り、このプレシアってヤツには娘が居るが、データ上の身元じゃ名前は"アリシア・テスタロッサ"となっている。そしてコイツは数年前に、プレシアも勤める研究所の実験失敗に伴った暴走による被害で事故死したらしい」
「待って。事故死?それにアリシア?そんな筈無い!私には確かに母さんとの記憶があるんだ!現に母さんもあの後一命を取り留めたって…!」
「これも藪蛇なのかよ。こりゃ思ったよりも根が深いな。……まあ事前にコイツに話しを聞き出さなかった俺の落ち度か」
巻きと言った通り要点をスラスラと述べる十六夜に早速フェイトが食ってかかり反論し。
「大方研究に必要とか適当な嘘を言われたか……まず最初に確認しておくぞ。お前が"何者"なのか、それを聞いても冷静でいられる自信はあるのかだ」
「………っ、」
「十六夜君。それ、どういう意味かな?」
図星にハッとするフェイト。
今の反応だけでも推測を確信に近付ける要素の手助けとなり、今まで静聴していたなのはが良くない空気を察して顔を強張らせながら言葉の真意を探り。
「どうなんだよ?少しでも聞く勇気が無いなら、この話しはここで終わりにするぞ」
其れを無視して問い詰める十六夜。
「…………」
フェイトの沈黙を返答と捉えた十六夜は、まるで"端から話す気"が無かったように此れ幸いとばかりに一方的に話しを切り上げ、金糸雀へ意識を向けると直ぐ傍まで近付く。
「───俺と同じ推測に行き着いてるだろう金糸雀に確認だ。俺の知る限りだと"こういうの"で記憶が反映される製法なんて聞いた事もないけど、実際のところ可能なのか?」
「そうね。……臓器移植なんかと要領は同じだったり、或いはもっと高度な技術で遺伝子情報や、記憶其の物を転移させる術が確立された世界なら可能だと思うわ。何せ相手は
周囲に聞き取り難い声量で語り合う。
金糸雀は淡々と答えた後、十六夜と視線を交わして真っ直ぐ見据え。
「それと十六夜君。最初に言っておくけど、動機からの推測は全ての可能性を排除した末の結論にするべきよ。事実の伴わない推論は推理ではなく妄想と偏見。"あんな事があったから"君が怒る気持ちも分かるけど、ハッキリさせるならそこは履き違えちゃいけない。これはフェイトちゃんに対しても、そしてプレシア氏に対してもね」
「ああ。重々承知してるよ。だけど万が一、最悪の悲劇になるくらいなら早い内にハッキリさせておくべきだとも思う。特に此れは"手遅れに陥った段階で他から明かされる"くらいなら尚更だ」
此れは金糸雀の旅の中での教えの一つだ。
本人は"師である先生"なる人物からの啓蒙の賜物と言っていたが。
それでも引かぬ様子の十六夜。
その直後床に落ちた資料を無言で拾ったフェイトがテーブルに纏めて置いて漸く物申す。
「……ならイザヨイとの協力関係もここでおしまい。やっぱり私は母さんを信じたいし、イザヨイは母さんを怪しんでる。これって平行線だよね?」
「随分と極端な意見だが間違っちゃいないな。OK分かった、好きにしろよ」
「………っ、イザヨイならもしかしてって期待したのが間違いだった!行こう、アルフ」
「あっ、フェイト!」
「待ってフェイトちゃん!」
ダンッ!とテーブルを叩いて、出逢った当初にも似た無表情で十六夜を見るフェイトも、素っ気ない一言に最後は激昂して立ち去ろうとする。
離別を切り出した側から期待を押し付けられるのも納得いかない十六夜だが、感情的になっている相手の言葉を其の儘受け取る気はなく。
アルフも後を追う様に椅子から立ち上がり、なのはも焦って同様に駆け出すも、フェイトの進行を逸早く妨げたのは金糸雀だった。
フェイトの手を優しく掴んで留め。
「こらこら。不用心に外に出て、万が一居場所を特定されたらどうするの。幸い部屋は幾らでも余ってるし、今日は泊まって行きなさい。十六夜君もいいわね?」
「決定権は施設の責任者である金糸雀に有るし一任する。俺は先に部屋に戻ってるぞ」
徐に席を立った十六夜が言うなり歩み去り、自室へと引っ込む。
ここまで放置されたなのはとユーノが目まぐるしい展開に呆然と見送り、フェイトも金糸雀の提言に頷くと俯いて。
アルフも主人に従うも十六夜の去った方を睨む。
「ごめんなさいね、あの子もアレで内面はどこまでも真っ直ぐなの。但し今回は十六夜君の完全な配慮不足。だから貴方が気に病む必要はないのよ」
「………有難う。それと怒ってごめんなさい、カナリアさん。でもイザヨイは何であんな言い方をしたの?」
「あら、その質問をする辺りフェイトちゃんって聡いのね。益々気に入っちゃった。そうだ!今日は私と一緒に寝ましょう、そうしましょう!勿論なのはちゃんも一緒にね。お願いできる?」
「あっ、……はい。是非!」
諭されて冷静さを取り戻したフェイトの質問に、むぎゅうっと抱き締め抱擁で返す金糸雀は応答するわけでも無く少し強引に提案する。
向けられた視線に察したなのはも笑顔で首肯。
羞恥に頬を染めるフェイトと彼女を心配するなのはが了承したのを皮切りに。なのはも一緒とわかると僅かに頬を綻ばせるフェイト。
その後はとんとん拍子に話しが進みなのはが家へ連絡して、後日菓子折りを持っていくなど一悶着の遣り取りがあり。
結局この騒動で、十六夜がいうギリシャ神話の説明もお流れとなったが。その日は全員がカナリアファミリーホームで一夜を明かす。
*
そして場面は早朝に戻る。
まだ他の面々が寝静まっている時刻に、口振りからは十六夜を揶揄いに来た金糸雀の図である。
「俺と顔を合わせれば突っ掛かってくるあの金髪娘が、俺に何かを期待してたのも意外だった。何にしろ外の世界の事情が絡む以上、向こうに協力する気が無くなったらそれまでだ」
「だから此処からは単独で動くって事?敢えて突き放すような言い方までして。どうせ傍にはなのはちゃん達が居るから大丈夫だとか、そんな腹積りなのでしょうけど」
「……。相変わらず目敏くて嫌になる。だけど俺がアイツを尚手助けする根拠でもあるのかよ」
「これでも君の母親代わりよ。分からないワケないでしょ?」
金糸雀の自信に満ちた言葉。
何故なら十六夜は、社会的に弱い者や立場が悪い者等の、自分一人で立ち上がる事が出来ない者に対してだけは無条件で優しくする人間だからと。
その根底にある根幹は揺るぎなく、長い旅とイシとの出会いで確立された十六夜という存在は、金糸雀が思い描いた通り誠実な少年に育ってくれた。
その十六夜が、我儘や億劫で目の前の悲劇から目を背ける筈がないと、金糸雀は理解している。
「それに根拠もちゃんとある。───ほら、こんな朝も早くに元気良く手を振ってるエルがお迎えに来ているわよ」
「………アイツ。幾ら何でも早過ぎだろ。チビの癖に早起きは三文の徳ってか?」
金糸雀が窓際まで歩み見下ろす視線の先。十六夜の部屋から見える場所で銀髪の少年が両手を上げてアピールする姿を同じく視界に捉え。
"想定通り"の事態が起こったため無駄にはならずに済んだが、十六夜に負けず劣らずの飄々としたお気楽雰囲気に落胆する。
「そういえば昨日会ったって言ってたわね。施設にまで呼び付けたとなると、つまり最初から想定していた事態なんでしょう?流石にもう言い訳は利かないと思うけど」
「あ〜………はいはい、そうだよ。但しアイツらには言うなよ?金髪娘からしたら確実に余計なお世話になるんだからな。それに事実関係を洗う以外にも、例の謎を紐解くヒントも得られるかもしれないって側面も理由としてちゃんとある」
「でしょうね。……こういう真っ直ぐなところは、神王様を彷彿とさせて少し妬けるわ」
「………?何か言ったか?」
「いいえ、なんでもない」
小さく呟く金糸雀の言葉は十六夜には届かなかった様で、気を抜いた発言に己を諫めながら誤魔化す。
十六夜は猜疑心溢れる瞳で金糸雀を見据え、然し言及してもどうせ逸らかされると諦め。
「じゃあちょっくら行ってくるけど、アイツらには適当に外出したって言っておいてくれ。今なら不貞腐れて街にでも出たって勘繰られるだろうし」
「グエッ!」
外着のシャツとズボンのまま就寝した十六夜は黒の半袖パーカーに袖を通すのみで支度を終わらせ、女性陣の跋扈する部屋から脱走してきた
「ああいう無鉄砲さは、本当に私や昔の大聖姐さんに似てるのよね」
首肯して見送った金糸雀が窓際から、疾風の如くエルへと駆け寄った十六夜の背中を見下ろす。
「十六夜君が今回の事で果たして"どちら"に向かうのか。例えこの事件を解決しても、いずれ私は貴方に選択を迫ることになるでしょう。この世界で安寧に、幸せを享受して生きる可能性か。……それとも数多の苦難や屈辱な想いに遭ってでも挑む
金糸雀は縁に手を置いて複雑な表情を浮かべ。
「十六夜君。君の人生はまだまだ続く。此れから先もきっと、君の力を必要とする誰かが、君と出会う運命を待っているわ」
言霊のように金糸雀はあの日紡いだ言葉を同じ声音で奏で、その囁きが空気に溶け込む。
瞳に少しの悲壮と未来への希望を込めて天を仰ぐ。
*
来訪したエルと人化したユーノを伴って施設の最寄りにあるコンビニの裏手、其処から更に人気が微塵もない場所へ来た十六夜。
ユーノは未だに掴まれた首根っこを摩っている。
そして二人を集めた用件を言って、聞き受けたエルが肩を竦めて。
「にしてもイザッちも用意周到というか、一を知って十を知るというか……僕を予め呼んだ理由に一体何通りのパターンと方針があるのさ。一度その頭の中を拝見してみたいものだよ」
「ハハ、残念だけど見せねえよ」
「なのは達に内緒でいいのかなあ……後でフェイトにバレたら大目玉だよきっと」
感心と呆れを込めるエルと軽薄に笑う十六夜。彼の指示通り人払いの結界を張ったユーノは、どちらも危機感に欠ける態度に苦笑してジト目を送る。
「偶には男同士ってのも悪くないだろう?親睦を深めるためにも本題前に、コンビニの駐車場で飲食でもするか?」
「むっ……確かに」
「何でそんな不良みたいな真似しなきゃいけないのさ。近所の奥さんに噂されちゃうよ?」
近頃すっかり女性陣に囲まれて窮屈な思いをしているユーノは、十六夜の提案に意外にも前向きな姿勢を見せており。思考が若干ズレてる模様。
見た目だけなら普通の子供、少年であるが金と銀の派手な髪色も相まって、きっと近隣からは素行不良を疑われるだろう。
冷静にエルがツッコむ。
「馬鹿だな。そういう稀有な目を無視して傍若無人に振る舞うのがヤンキーってやつじゃねえか。っつーかこんな朝っぱらじゃ、世の婦人も新聞を取りに家の前までしか出ないだろ」
「まずヤンキーであることを前提に話しを進めないでもらえるかな!?それに今の時間帯なら早朝出勤のOLとか結構居るかもでしょ」
「……?十六夜やエルが言うヤンキーって一体なんのこと?」
「……おいおい、まさか異世界には素行不良っていう概念が無いのかよ」
「いやいや。彼って辺境民族らしいし、特有の俗物的な用語を知らないだけかも」
ヒソヒソと話し合う十六夜とエルに殊更不可思議な眼差しを送るユーノ。
多少は聞こえているのか何故か自分が辺境出身扱いされている事にショックを受けるも、次元世界で最も栄えている惑星に比べたら、所詮は田舎者な事実を否定出来ず落胆。
その様子にヤハハと笑う十六夜が次にはさてと…、と真っ先に話題を切り上げてユーノに真っ直ぐと視線を向け。
「茶番はこれくらいにしとくか。いいか、よく聞いて覚えろよ?次元座標『876C4419 3312D699 3583A1460 779F3125』だ」
「………はい?」
唐突な英数字の羅列にユーノは首を傾げ。
「何を呆けてやがる。アイツの親が根城にしてる拠点に直接行って対面してくると、さっき説明しただろうが。今のはその為の転移先の座標ってやつだ」
「フェイトの母親に逢いに行くっていうのは確かに聞いたけど。確か時の庭園だっけ。………って、何で知ってるの!?」
「この間フェイトが口頭で言ってたじゃねえか。あの時覚えた」
「な、なるほど。それにしても良く覚えてたね?たった一度しか聞く機会は無かった筈だけど……まさかフェイトが教えるなんてワケ無いだろうし」
「当然だろ、あんな重要なワードを聞き流すかよ。手段が無いなら有効活用する。現に今だって俺単独だと逆立ちしても不可能だから、お前らに助力を申し出てんだぞ」
飽く迄最終的な強硬手段に取っていたのだろう。
但しこの作戦を実行に移すには転移術を行使出来ることが最低条件となり、該当して白羽の矢が立ったのがユーノだ。
昨晩、金糸雀の部屋でなのはとフェイトとアルフ、女性陣の蔓延る場から脱するべく居場所を求めて彷徨ったユーノを保護した十六夜。
一時の安らぎと引き換えの現状である。
「……あ〜、っとね。実はいきなりだったから覚えられなくて」
「いっそ筆記すればよくない?」
気まずそうに言うユーノに十六夜へ紙とペンを渡すエル。
何処から出したか不明の品。
「へえ。こんな事もあろうかと事前に用意しましたってか?やるじゃねえかチビえもん」
「代弁助かるけど、それじゃチビ◯ラなのかドラ◯もんなのかややこしい上に僕の要素ほぼ皆無だよね?せめてエルえもんと呼んでよ」
「また二人が何を言ってるのか理解出来ない……あ、有難う」
ニヤリと底意地の悪い口調と皮肉を交えて称賛する十六夜。
その利便性に彷彿とされる国民的番組の花形で呼称されるも、不満気にムッとして訂正を求むエル。
その間も紙とペンを受け取りささっと座標を書いていき、エルより拗ねた様子のユーノへと渡すと彼も呆れ顔で内容を確認し。
「ところでイザッちは、最初に宇宙に進出した人間を知っているかい?」
「そりゃ知ってるさ。ソビエト連邦の軍人でもあるユーリ・ガガーリンだろ」
「正解。1961年に行われた月の観測、NASAのアポロ計画。それとは別に同年、ユーリ・ガガーリンが
唐突なエルの発言に意図が判ると続く十六夜。
「人類初の有人宇宙飛行、ボストーン1号に単身搭乗したユーリは『宇宙はとても暗かった。一方、地球は青みがかっていた』と後に語った。つまり青き星の守護者っていうのは、地球の衛生である月を司る者を指すんだろうな」
「あらら!?君が初めて異次元へ旅立つ記念と思ったけど、その口振りじゃ最初から気付いてた…?」
「まあな。それにあの例題なら今の解法がなくても、彼女を示すのは
どうせこの話しもするだろう、と十六夜は手に持つ例の文面が記された紙をヒラヒラと煽ぎ。
「よし。二人とも、本当にいいんだね?」
「ああ、何時でもいいぞ」
(にしても資料から帰り切符の手伝いまで。女王の依頼から始まって金糸雀に頼まれてここまで、ホント過度な労働になったものだよ)
ユーノが最終確認を問うと首肯する二人。
内心で文句を垂れるエルは苦笑し。
「次元座標『876C4419 3312D699 3583A1460 779F3125』……二人を時の庭園なる場所へ!」
ユーノが改まって座標コードを紡ぐ。
対象となった十六夜とエルの足下に淡い魔法陣が顕れ、光が二人を包み込み。
天まで届く光と、ユーノの目の前から十六夜とエルの姿が消える。次元転送成功の証だ。
高度に隠蔽された結界内での儀式魔法に、昨日の騒動で流石に疲れたなのはとフェイトは気付かず、目覚める事もなく、金糸雀に見守られる二人は未だ深い眠りの中。