「魔王様、黒炎の使い心地はいかがでしょうか?」
そう話しかけてきたのは、魔王軍の幹部の1人であるラナだ。
「悪くない………が、消費魔力が多すぎる」
私は黒煙の術式を展開しながら、そう愚痴る。
私の攻撃術式のほとんどは、この魔族の女が開発したものだった。
魔王軍幹部にして、術式開発の第一人者。
それが、このラナという女だった。
「それは仕方がないですね、コストを度外視した最強の術式、それが黒炎ですから」
ふむ、まあ術式の詳しいことは知らないが…それなら仕方がないか………
納得した様子の私を見て、ラナは不満そうに口を尖らせた。
「ちょっと!魔王様、それで納得しちゃうんですか?」
……なんだ? 納得して何が悪い。
コストを度外視した術式なら消費魔力も多くなるだろう。
何もおかしなところなどないと思うが。
「術式のどの効果が魔力を要求しているのかわかってます?どの回路が魔力を節約しているかも!本当に無駄のない術式だと理解して納得しているのですか!?」
「いや………それは術式を開発する貴様らが理解していればいいだろう」
ラナは私を聞き分けのない子供を見るような目で見てくる。
「はー!ダメダメ!だめですよ魔王様もっと好奇心を持たなきゃ。いいですか、知識こそ最大の力なのです。情報、情報ですよ!」
ラナはまるで教師のように語る。
こいつはいつもこうやって上から物を言ってくる。
魔王である私の方が、地位は上なのだが……
だが、こいつの作る術式は確かに素晴らしいものだ。
だから、このくらいの無礼は許している。
「魔王様!ツノもぐらの生息分布はわかりますか?」
「………はぁ?」
突然の質問に、思わず呆けた声を出してしまう。
ツノもぐらとは、地中に住むもぐらのような魔物で、大きなツノを持つのが特徴だ。
だが、その生息分布がどうしたというのだ。
「ダメダメダメ!ちゃんと考えてくださいよ魔王様。正解はバナ高原の南西ですよ」
「それがいったい、なんだというのだ」
私若干イラつきながらが聞くと、ラナは得意げに笑った。
「かの5代目魔王は城に攻め込まれた際、応戦しつつ無事逃げ延びました。ツノもぐらの掘った穴を利用して逃げたのです。人間どもはツノもぐらの生息分布を知りませんでした。だから地中に道があるなど気づきもしなかったのです。これが知識の重要さです。情報を制する者が世界を制します」
ラナの言葉に、私は少し考える。
確かに彼女の言うとおりかもしれない。
「では、黒炎はなぜ燃費が悪い、術式の詳細を教えてくれ」
私がそういうと、ラナは嬉しそうな顔をした。
そうして嬉々として術式の概要を語りだす。
こうして私とラナは幾度も議論を重ねた。
無駄な知識などない………そう教えてくれたのは彼女だった。
♢♢♢♢
魔術学科の授業は学科と実技の二つに分かれる。
学科は人間が魔力を使いこなそうと涙ぐましい努力をして魔法をあみ出した歴史を学ぶことができる。
こちらは勉強していてなかなか面白い。
滑稽でな。
実技では実際に魔法を使い、実戦的な訓練をするようだ。
今日は魔法学科初の実技の授業だった。
演習場に集められた生徒たちは皆魔法に自信があるのか明るく、楽しげだ。
演習場には角のついたカカシがいくつも並んでいる。
魔族のつもりだろうか。
「本日はまず君たちの実力を測らせてもらいます。基本属性の魔法を使えるかどうか、それを見せてもらいましょう」
教師の男、確か名前はダンデだったか。
彼はそう宣言すると私に目を向けた。
「ヨル・リデル君、君は聖女として魔族との戦闘経験もあります。前に出て皆に手本を見せてくれませんか?」
ふむ、私か?
別に構わないが……私は手本には向かない気がするのだが。
私は一歩前に出ると右手をかざした。
いつものように、手から魔力を放出する。
カカシは魔法耐性を強めてあるのか、若干抵抗を感じる。
グシャッ
だが、ものの数秒でそれは木っ端微塵になった。
おおー、と周囲から歓声が上がる。
「すばらしい威力です。でもそれは純粋な魔力による攻撃ですね?属性を変えて見せてください」
属性を変える?
「ふむ………出来ないが……?」
それはあれだろ、人間の使う低級な魔法とかいう技術だろ。
魔力を体内で変換し火や氷として射出する。
魔力を知覚できない人間が魔力をどうにかして利用しようとしてできた妥協の産物。
術式を知る私からしてみればあまりの稚拙さに失笑を禁じ得ない。
そもそも魔力効率が悪すぎる。
体内で魔力を変換する際に魔力の大部分が失われてしまっている。
なぜ私がそんな術式の劣化品を使わねばならないのだ??
「できない?君は剣の魔法や防御の魔法を使うと聞きましたが……」
「ああ、これか?」
教師の言葉に、私は剣の術式を起動して答える。
教師は私の剣を見つめると、首を振った。
「これは、あなた独自の魔法ですね。他の方の参考にはならないでしょう。もういいです」
そう言うと教師は他の生徒の名を呼び、私を下がらせた。
むか!なんか私が役不足みたいな流れになったじゃないか。
私は若干のイラつきを感じながら、他の生徒たちが訓練を始めるのを眺める。
皆、思い思いの属性の魔法を放っている。
体内で魔力を変換するため、発動までに時間がかかっているし、威力も大したことないな。
生徒たちをしらけた目で見ていると教師が近寄ってきた。
「あなたはこっちですよ、ヨル君」
む、なんだ?
なるほど、私の術式はあいつらと格が違うことだし、ひとつ上の授業を受けさせてもらえるのかな?
「まさか、聖女と呼ばれる君が魔力を変換できないとは思いませんでした。ですが焦ることはありません、ゆっくり皆に追いついていきましょう」
そう言って教師が取り出したのは明らかに子供向けの教科書で………
………………あ゛あ゛ん???
なんだその初歩の初歩みたいな教科書は!私を馬鹿にしているのか!
「聖女は魔法に精通するものが多い。ですがあなたは独自の魔法に頼り切って魔力変換を学んでこなかったのですね」
こいつ!この優しげな顔、私を哀れんでいるつもりか!?
学んでこなかったのではない、必要ないと判断しただけだ!
魔法などという人間の技術など出来なくとも何の不便も感じないわ!
「安心してください。これから一年かけて基礎を学びましょう。」
だから、その劣等生を見るような眼差しを今すぐやめろ。
この…………こいつ……馬鹿にしおってぇぇぇ………私は魔王だぞ。
魔法ぐらいできる!できる……はず…………今まで使おうと思っていなかっただけだし………
結局、その授業中では魔力を体内で変換するという感覚を掴めずに終わった。
ぐぬぬ…… お・の・れ・ぇぇぇぇ………
放課後、私はミリを探していた。
私の他の2人の聖女、そのうちの1人ノール先輩はとても聖女と言える性格ではなかった。
なので、私は消去法でミリを聖女だと判断した。
彼女といち早く打ち解け、聖女の座を返還したいところなどだが………
私、避けられてない?
そう、なぜか私は彼女から距離を置かれていた。
私が話しかけようとすると何故か逃げられるし、顔を合わせようともしてくれない。
私はいまだにミリとまともに会話すらできていなかった。
なんでぇ………?
私は何か彼女に嫌われるようなことしただろうか?
いや、ノール先輩に閉じ込められているところを助けたし、感謝されるようなことはあっても嫌われるはずはないと思うのだが。
今日も授業が終わるといつの間にか姿を消してしまった。
うぅむ、どうしたものか。
彼女を探して学院内を徘徊しているのだが一向に姿が見えない。
また、今日も進展なしか………
ため息をつく。
その時、私の鼻が異臭を捉えた。
魔族の匂い………?
三度目となればもう慣れたもので、私はその匂いを魔族のものと認識した。
学院に魔族が?
なぜ、とは思わない。
ここには次代の聖女、勇者が在籍している。
勇者のガキはまだまだ未熟だし、私以外の聖女も戦いには慣れていないだろう。
攻め込むのは絶好の機会かもしれない。
匂いを辿り、魔族を探す。
ふむ……?匂いが薄いな。
随分たよりない匂いだ、弱っているのか?それとも匂いを隠している?
匂いは食堂まで続いていた。
食堂の扉を開ける。
放課後、静まりかえったそこには誰もいない。
だが、奥の方から微かに音がする。
咀嚼音、食事中か? 気配を殺し、音のする方へと足を進める。
果たして、厨房にそいつはいた。
小さな体躯に黒い羽、蝙蝠のような見た目だが、その頭部には立派な角が生えている。
「魔族の匂いがすると思ったのだが、なんだ使い魔か」
突然現れた私に驚いたのか、使い魔は食事をしていた手を止めこちらを振り返る。
「ゲッ!人間」
そう言うと慌てて口の中のものを飲み込み、逃げ出そうとしたが、私はそれよりも早く間合いを詰める。
ムンズと首根っこを掴み持ち上げる。
そいつはジタバタと暴れたが、首をキュッと締めてやれば観念して大人しくなった。
掴んだ手に感じる痩せ細った身体。
ふさふさの毛に覆われているので見ただけではわからなかったが、だいぶ衰弱しているな。
大方この学院に潜入調査に来たが、食べ物にありつけず飢えて厨房を漁っていたというところか?
使い魔とは魔族の使役する下僕のようなものだ。
弱い代わりに数を多く用意できる。
使い魔を通して魔族は人間の基地を偵察したり、情報を集めたりするのだ。
「さて、お前は誰の使いだ?」
使い魔の首を締めながらガクガクとゆする。
「んげええええぇぇぇっっ!助けてくれぇ!」
「質問に答えろ」
「ぎゃあああっ!言えない!本当に言えない!許してくれぇ」
「………何か勘違いしているようだな、私はお前の敵じゃない」
私は腕を離すと使い魔を解放してやった。
ゲホゴホッと咳き込んでいたが、やがて落ち着きを取り戻すと、警戒心あらわに私を睨みつける。
私は指を一本使い魔に見えるように立てると術式を起動した。
なんの効果のない、形だけの術式。
だが使い魔のこいつには見えるはずだ、私の術式が描く魔族のシンボルが。
「魔族のサイン!?だいぶ旧式のものだけど………なんだお前?仲間かよぉ!?」
それを見た使い魔はキィキィ喚きながら飛び回り始めた。
いちいちうるさい奴だな。
「まぁ、そういうことだ。サインを見てわかるだろうが私は長い間魔族との接触を絶っていてな、今の魔族の状況がわからない」
「え〜〜!お前そんなに長い間潜入調査してるのか?すごいなぁ〜」
使い魔は何やら尊敬の眼差しで私を見つめてくる。
まさか、私を使い魔の先輩だとでも思っているのか?
やめろ、私をそんな下級の存在と一緒にするな。
言動にイラっとしたが、頭を鷲掴むのは控えておく、うまくいけばこいつから魔族の現状を聞き出せるかもしれない。
「お前の雇い主は?何をしにここに来た」
「俺様の雇い主は魔王様だぞ〜、魔王様は勇者と聖女を探れと御命令だ」
……………なに?
魔王? ………だと………
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
だって魔王は私で………
ああ、そうか…………魔王も次代に移っていたのか。
私はその事実にようやく気がついた。
もう、魔族の頂点は、私ではなくなっていたのだ。
つまり、なんだ………私は魔王でも、聖女でもなく、ただいたずらに力だけ持ったただの人間ということか?
アイデンティティーの喪失に目眩がするな。
「魔王は………魔族領を、捕虜を取り戻す気なのか?」
私の言葉に使い魔はキョトンとした顔をしていたが、すぐにケラケラ笑い出した。
何がおかしいのか、ゲラゲラと笑う使い魔に苛立ちを覚えながらも、次の言葉を待った。
しばらくして落ち着いたらしい使い魔は、顔を上げてニヤリと笑った。
「魔王様はそんなみみっちいこと考えてないぞ。魔王様の望みはただ一つ、この世から人間を消し去ることだけ!!そしてあの方にはそれを成すだけの力がある」
かつての勢力を取り戻すならまだわかる。
だが、この世から人間を抹消するだと?
いくらなんでも話がぶっ飛びすぎている。
そんな戦力が今の魔族にあるとは思えない。
……だが、この使い魔はその言葉を信じているように見える。
それだけの実力があるのかどうかはさておき、現魔王はことを起こすつもりのようだ。
「そいつは……すごいな。一体どうやってそれを成すつもりだ?」
今はなにより情報が必要だった。
私は今の魔族のことを知らなすぎた。
人間にせよ、魔族にせよ、守るためには双方の現状を正しく理解する必要がある。
「…………さぁ」
使い魔の回答に私はため息をつく。
期待した私が馬鹿だった。
所詮使い魔は使い魔、確信に迫る情報を持っているはずないか。
私の知らないところで状況は動いている。
今後は魔族の内状も探る必要がありそうだ。
「おいお前、名前はなんという?」
「ん?俺様の名前か?俺はバズって言うんだ」
「そうか、よしバズ貴様は食い物に困っていそうだから、私のもとに来れば飯を食わせてやる。その代わりお前の持っている情報をよこせ」
「本当か!?助かる〜」
使い魔は目を輝かせる。
単純な奴だな、こんな奴が諜報員とは………大丈夫なのか?
少し魔族の内状が心配になった………
♢♢♢♢
静寂な空気の流れる大聖堂。
その厳かな空間で、複数の男たちが顔を付き合わせていた。
「聖女候補者の動向はどうなっている?」
白髪と豊かな白髭を蓄えた老人が重々しく口を開いた。
教会教皇パロナ・ルイ・トリコス、王国の教会を統べる人物だ。
相対するのは3人の男。
いずれも教会の高い地位にいる者達、そして聖女ミリ・ラズ・ルーナの信奉者だった。
「癒しの聖女は相も変わらず聖女の地位でわがまま放題です。あれでミリ様と同じ聖女候補とは……嘆かわしい」
そのうちの1人が忌々しげに吐き捨てる。
他の者も同意見なのか、一様に渋い表情をしていた。
「癒しの聖女は早めに始末した方がよいのかもしれないな………」
教皇がポツリと呟く。
剣呑な言葉、だが3人のうち2人はその言葉にうなずいた。
「お待ちください、教皇様の耳に入れておきたいことがございます。剣の聖女の件なのですが……」
頷かなかった1人は、教皇の発言に異を唱え懐に手を入れると水晶玉を取り出した。
それは映像を記録する魔道具だった。
男が魔力を流すと、水晶の中に情景が浮かぶ。
教皇たちは興味深げにそれを覗き込む。
映し出されたのは、件の剣の聖女だ。
「彼女を付けていた私の部下が目撃した映像です。ご覧ください、彼女が話している相手を」
件の剣の聖女が話していたのは、魔族の使い魔だった。
聖女が敵対しているはずの魔族と会話をしている。
その事実だけで、男たちは戦慄に包まれる。
尋問しているのならまだわかる、だがあろうことか剣の聖女はその使い魔を見逃し、その場を去った。
その様子が魔道具にはしっかりと記憶されていた。
「これだけではありません。剣の聖女は体内で魔力を変換できなかったことが報告されています」
「つまり………どういうことかね?」
教皇の問いかけに男は答える。
「彼女は人間に扮した魔族の可能性が非常に高いのです。魔力の変換を行わず未知の術を行使する、記録にある魔族のものと一致します」
その一言に、全員が押し黙ってしまう。
剣の聖女が魔族、荒唐無稽な話のようで、妙な説得力がある。
最近で魔族が目撃されたのは今回の件も含めると3回。
そのどれにも彼女は関わっていた。
おまけに、夜会を襲われた事件では大量の魔族の捕虜が逃げ出している。
先代の勇者も対応したという話なので、一概には彼女のせいとは言えないが………
彼女は魔族を見逃してしまった前科がある。
歴代聖女のどれとも似ないその好戦的すぎる性格、そしてその武力。
もし彼女が魔族だとするのなら、納得のいく話だ。
「剣の聖女は真の聖女たるミリ様を害する危険な存在です。早急な対処を」
その言葉に教皇は深くうなずいた………