転生したらアーサー王だった男がモルガンに王位を譲る話 作:飴玉鉛
匂い立つ美酒と美食。鼻孔より吸い、胸いっぱいに呼吸をすれば人は悟るだろう。
食事とは腹を満たすためだけのものではない。満ちるのは腹だけではない。
匂いとともに肺も膨らみ、胃の他に脳までも歓喜に打ち震え、抗えぬ多幸感に包まれる。
美味とは、舌のみで味わう感覚に非ず。その鼻で、目でも愉しむもの。天上の美食に勝るそれを知れば、今後如何なる価値観の者であれ、食を疎かにしようとする者は現れぬだろう。
――そして、視覚を以て愉しむのであれば。
列席する面々を見れば、余りの豪勢さに、己の在る場が此の世のものとは思えぬようになる。
騎士王アーサー。征服王イスカンダル。英雄王ギルガメッシュ。
異なる時代、異なる国、異なる性質の偉人が、同じ卓を囲んでいる。
これほどの面々が集うのなら――なるほど、此の世の物とは思えぬ美食が供されるのも必然か。
斯くの如き歴史を動かし、作り、守りし者が一堂に会して何をしようというのだ。
愚問である。彼らは志は違えど王なのだ。王と王が卓を囲んで行うものとなれば、一つしか無い。
いや、他に有ってはならぬとさえ言える。
同盟の締結? 和平交渉? 降伏勧告? 否だ。それらは対等の、あるいは上下の関係が決定的になってこそ成立するもの。彼らは覇者である、絶対者である、そして守護者であった。彼らの間に同盟も、和平も、降伏も有り得ない。この舞台の演目は決まっている。
すなわち、武を用いぬ戦争。己の舌鋒を以て各々の王道を謳い、対峙する者を駆逐し制覇する舌戦の舞台。覇気を剥き出しにする人界の覇者たる征服王、王気纏いし
主催たる美青年――あらゆる時代、あらゆる国の騎士たちの王と謳われる伝説的君主、建国神話の大英雄たる騎士王アーサー・ペンドラゴンが開幕を告げる。
「――さて。まずは各々の聖杯に託す願いを詳らかにしようじゃないか。英霊になった後でさえ懐く願望とは、すなわち己が人生、偉業の結末として齎された在り方に根差すもの。王の格とはその願望にも表れるだろう。我こそは先頭を走り、語らんとする者はいるか?」
「応ともッ! 一番槍は戦士の誉れなれど、過酷な戦でこそ先陣を切らずしては征服王の名折れ! 一番手はこのイスカンダルが頂くが、貴様らに異存はあるかッ!」
「私はない。アーチャーには……なさそうだな。存分に胸に懐く大望を語るがいい。私達は心して聞き届けよう」
真っ先に名乗りを上げしはイスカンダル。彼の覇気を呼吸する大喝を涼しげに流し、ギルガメッシュを一瞥するも特に反応はない。故に征服王の一番手は決まったも同然だ。
ドン、と強く胸を叩いたイスカンダルが気炎を吐く。
「余が聖杯に掛ける願いとは、受肉であるッ!」
高らかに唱えられた願望。場に静寂が一瞬落ちるが、何もそれは呆れたからではない。
世界征服が願いなんじゃないのかよ……イスカンダルのマスターである少年は、初耳の願望に内心呟くも決して声には出せなかった。場に満ちる王達の覇気に気圧され、黙りこくるしかないのだ。
そしてそれは、ケイネスも同じ。サーヴァントが受肉することの危険性を正しく分析できるからこそ、ケイネスは教え子とは別の意味で驚愕していた。魔術世界のバランスが崩れる恐れすらあるのだ、彼の懐いた危機意識は当然のものだと言える。
「――受肉か。つまり貴公は現世にて、第二の人生を得ようというのか?」
「左様。こうして現界を果たしているとはいえ、今の我らは所詮サーヴァントだ。現世に於いては確固たる存在を有さぬ稀人でしかない。余はこの事実を不足と断ずる! 余は転生したこの世に、一個の生命として根を下ろしたい。何故ならそれが
「なるほど。貴公は
「断じて違う。履き違えてくれるなよ、騎士王。余は生前からの続きを成したいわけではない、
騎士王の認識の誤りを喝破したイスカンダルが、誰に憚ることなく己が渇望を告げる。それは大軍勢の士気をも呑まんとする迫力に満ち、彼こそがあの征服王なのだと知らしめる絶大なカリスマ性を纏っていた。間近でそれを浴びたウェイバーなど圧倒されるのみである。
アーサーはイスカンダルの語る在り方、願いを真剣に吟味する。知識として知ってはいても、はじめて対峙する手合いだ。かつてのブリテンでも、似たような欲望の王はいたが、これほどの王は一人としていなかったと断じられる。スケールが違うのだ、
だが、気に食わぬ。全く以て気に入らない。秀麗な顔を顰めたアーサーを尻目に、彼が舌鋒でイスカンダルを狙い澄まそうとする。だがそれに先んじて口を開いた者がいた。ギルガメッシュだ。
「喚くな、雑種。貴様はそのような下らぬ願いのために、この我と覇を競おうというのか?」
「……下らぬだと? ではアーチャーよ。余の天をも食らう大望を下らぬと言い捨てたその舌で、如何なる望みを語る。聞かせてみせるがよいわ」
「戯け、貴様如きの尺度でこの我を計るでないわ。そもそも我には望みなどない。そんな余分を抱えるほど無様な生を遂げてはおらん」
「ならばなぜ貴様は召喚に応じた? この宴は聖杯を掴む正当性を問うべき聖杯問答。貴様がどれほどの大望を聖杯に託すのか、それを聞かせてもらわなければ始まらんというに……言うに事欠いて望みがないとはな。貴様には一廉の王として、ここにいる我らを諸共に魅せる大言が吐けぬ――そうとしか聞こえぬ戯言だぞ。負けを認めるようなものだ、なあ騎士王よ」
「……そうだな。だが、アーチャー。当然貴公はそんな男ではないだろう?」
「愚問だ、騎士王。我が時臣めの召喚に応じてやったのは、この聖杯戦争そのものの不遜、不正を正すためだ。我に言わせれば聖杯を
言って盃を傾ける。次いで肴を口に運び、舌鼓を打ちながらゆったりと構えるギルガメッシュに、イスカンダルは疑問符を浮かべて問いかけた。
「そりゃ一体どう言う意味だ?」
「そもそもにおいて、アレは我の所有物だ。世界の宝はひとつ残らず、その起源を我が蔵に遡る。些か時が経ちすぎて散逸したきらいはあるが、それら全ての所有権は今もなお我にあるのだ」
「ほう――」
今の発言を受けて、アーサーの中での推論が、イスカンダルの中の予感が、確信として固まる。
やはりこの男は英雄王である。真名を隠す気があるなら迂闊な発言だが、元よりギルガメッシュに己の名を隠す気はないのだろう。最初から知っていて当然といった認識なのである。
「では貴様は昔、聖杯を持っていたことがあるのか? 聖杯がどんな物なのか正体を知っていると?」
「昔ではない、今も我が宝物庫に収まっておるわ。聖杯と呼ばれる願望機、その起源たる『ウルクの大杯』。そしてそこから派生した物が数個。この地にあるという聖杯もまた『宝』であるのなら、その所有権は起源を持つ我にこそある。それを勝手に持ち去ろうなど、盗っ人猛々しいにも程があるだろう」
暴論である。しかし、理はあった。
盃に口をつけるイスカンダルが更に追及する傍ら、アーサーは静かに失笑する。
目敏くそれに勘付くギルガメッシュだったが、今は何も言わずにおいた。
「ふむ、ではアーチャーよ。聖杯が欲しければ、貴様の承諾を得られれば良いと、そういうことか?」
「……然り。だが貴様如きに、我が報償を賜わす理由はどこにもない」
「貴様、もしかしてケチか?」
「ほざくな、賊風情が。我の恩情に与れるのは、この我の臣下と民だけだ。故に征服王とやら。貴様が我に降るというのなら杯の一つや二つ、下賜してやってもいいぞ?」
「そりゃあ、出来ん相談だわなぁ」
ガリガリと頭を掻いたイスカンダルは、思い出したようにナイフでハムを貫く。乱雑な所作でそれを口に運び、盃を傾けて口を潤す。
ッカー! と快哉にも似た歓声を漏らしつつ、イスカンダルは改めてギルガメッシュを見据えた。
「でもなぁ、アーチャーよ。貴様は聖杯が惜しいってわけでもないんだろう。なんぞ叶えたい望みがあって聖杯戦争に出てきたわけじゃない、と」
「最初からそう言っている。だが、我の財を狙う賊には然るべき裁きを下さなければならぬ。要は筋道の問題だ」
「そりゃ、つまり……つまり、何だアーチャー。そこにどんな義があり、道理があると?」
「法だ。我が王として敷いた、我の法だ。王とは自ら定めた法で以て、己はおろか他者をも縛り付けねばならん。曲がりなりにもこの我の前で王を僭称したのだ、なぜだとは問うなよ?」
目を閉じて耳を傾けていたアーサーは、口端に緩い弧を描く。単純明快な答えだ、素直に共感できるし理解と納得もできる。単純ゆえに滅茶苦茶な論破を得意とするイスカンダルも降参だった。
「――完璧だな。自らの法を貫いてこその王。だがなぁ、余は聖杯が欲しくて仕方がないんだよ。で、欲した以上は略奪するのが余の流儀だ。なんせこのイスカンダルは征服王であるが故に」
「是非もあるまい。お前が犯し、我が裁く。対立構造が浮き彫りになったな」
「応ともよ。しっかし面白いものだな、こうも明白に『打ち倒し滅ぼすしかない』敵を、一度に
「クッ……クク、はは、ははははは……」
ギルガメッシュとイスカンダルの対峙は、暴君のそれとはいえ法の執行者と破壊者という構造だ。たとえどちらの王としての格が上でも、相容れぬ以上はどうしようもない。理解はしても納得はしないまま、イスカンダルは挑戦し、ギルガメッシュは迎え撃つだけだ。
しかし堪えきれぬとばかりに笑い出したアーサーの声に、両雄は揃って視線を転じる。なにがおかしいと訝しんだイスカンダルが、主催である青年王に水を向けた。
「おう、騎士王よ。何を笑っておる?」
「アハハハ……ああ、ああ、すまない。何も貴公らを嘲っているわけじゃないさ。ただ……
「何……?」
なんの気なしに出されたアーチャーの真名に、震撼するのはランサー陣営とウェイバーだけだ。
しかしそんなことはお構いなしに、笑うアーサーを射殺さんばかりにギルガメッシュは睨む。
なんのことを言っていると、視線で答えるように促す英雄王へ、騎士王はすんなり種を明かした。
「英雄王。貴公の語る法は暴君のそれだ。だが理解できる。何せ我々は生まれた国も、時代も違えば、文化や文明まで何もかもが違うんだ。暴君のそれでしか支配できない時代も過去にはあっただろう。だから、貴公は何もおかしくない。おかしいのは貴公のマスター、トオサカ・トキオミだけだ」
「……ここで奴の名を出すということは、
「ああ。幸い我々は敵対関係だ、そちらのマスターの事情を斟酌してやる義理はない。故に情報を開示しよう――英雄王、この地にある聖杯は、貴公の宝などではないと断言できる」
「なんだと?」
なぜその勘違いを、誤解を正さずにいたのか。アーサーは心底から不思議でならない。秘密とは隠し通せればなんの瑕疵もつかないが、露見したら秘密の大きさに比例して傷は広く、大きくなる。
そのことを誰よりも痛感しているからこそ、アーサーは真っ先に切嗣やアイリスフィールから聖杯戦争の仕組みそのものを聞き出していた。そして聞いた上で嘘偽りはないと判断したから、彼は退去していないし、切嗣達は裁かれて死んでいないのである。
サーヴァントとマスターは、どれだけ取り繕っても即席の主従だ。完璧な信頼関係など築ける道理はなく、であるからこそ、少なくとも互いの認識のすり合わせ、虚偽を働かぬ姿勢は必須となる。
それを怠るとは……英雄王は心得違いをしている狸をマスターにしてしまっているらしい。
「冬木の聖杯は、アインツベルンが鋳造したものだと私は聞いている。聖杯のカラクリは、脱落したサーヴァントの魂を回収し、魔力リソースにするものだとな。つまり貴公の有する宝のいずれにも該当しない、魔術師の血族が作り出した儀式の景品に過ぎないわけだ」
「――ほう? 時臣め、知っていて我に話さなかったか。つまらぬ奴だと思っていたが……最後の最後で面白い側面を見せてくれる……」
「貴公の論理は破綻した。冬木の聖杯が貴公の宝ではないなら、英雄王が敷いた法は適用されない。その上で問おう、英雄王ギルガメッシュ。貴公は何を動機として現世に留まる? 己の宝を奪おうとする賊は、ここにはいないぞ」
「……そうさな。となると我が本腰を入れる必要はなくなったが」
そこで、ギルガメッシュは喜悦の滲んだ瞳でアーサーを、そしてイスカンダルを見渡す。
「セイバーとライダー。貴様らは王を名乗ったな? 王とは天上天下にこの我ただ一人、偽りの王どもの首を刎ねるのを、此度の戦に懸ける主題としよう」
「殺されてやるつもりはないが、その後は退去でもするのかい?」
「ああ――我を謀った輩を、始末したあとで、な」
血の色の瞳には、隠しようのない苛立ちと、怒りがある。だが同時に興味と愉悦もあった。
彼の目から見た騎士王や征服王は、英雄王の宝を奪い取ろうとする賊でしかなかった。だがその前提が崩れてしまったことで、漸くギルガメッシュは賊ではない相手として二人を見たのである。
天が墜落してきたかのような重圧、破滅的な殺気を受け、イスカンダルが武者震いをする。アーサーは怖いなぁ、なんて呑気な口調で苦笑いを浮かべた。
ここまで話してアーサーはギルガメッシュの
アーサーの企みが、よもや英雄王の性質を知るためだけにあったとは、流石のギルガメッシュやイスカンダルも気づいてはいない。しかしもし仮に気づいたとしても捨て置くだろう。王の器を競う場なのだ、それ以外にはもはや関心はなくなっていた。
故にイスカンダルが次に気にすることは明確。彼はアーサーに問いかけた、
「金ピカの論が破綻したのはいいが、となると次は騎士王の番だな。図らずもトリを譲る形になったが、聖杯のカラクリとやらをはじめから知っていた貴様は、聖杯にどんな望みを託すのだ?」
そんなことを問われても、アーサーにはそんな願望など無い。とはいえここで「私にも願いなんてない」と言っても面白くないだろう。故に彼は、ちらりと己のマスターを一瞥した。
茫然自失したまま視線を落とす切嗣を見て、彼は笑みとともにその願望を告げる。
「そうだね――
は? とギルガメッシュとイスカンダルが異口同音の声を漏らす。
アーサーの台詞を聞いて、思わず顔を上げた切嗣に、彼は微笑みを向けるのだった。
自分名義で仲間(マスター)の問題点を出す騎士王の鑑。
なお円卓にも犠牲者がいる模様。
割と真面目にディスカッションするつもり。面子は征服王と英雄王という、豪華過ぎる面々。
如何にして恒久的世界平和を成し遂げるのか知恵を出してくれよ…!みたいな。
次は時間を掛けて長くやるので、更新が少し遅れます。
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